シャローム!
通読は続いていますでしょうか?新しい通読のサイクルに入れられ、心新たに通読の恵みを味わわれていることでしょう。1年間通読ができ、なおもみことばを読むことができるこの大いなる恵みに感謝します。
ちょうどイスラエルでは先週、仮庵の祭りの終わりにシムハット・トーラー(律法の喜び)が祝われました。一年をかけて読み進めてきたモーセ五書の最後、申命記を読み終えると、その場ですぐに創世記の最初に戻って読み始めるのです。神の言葉の物語には「終わり」がなく、いつも新しく始まっていきます。
黙示録で回復された「いのちの木」の物語を、もう一度その源から味わってまいりましょう。今回は6章から26章まで、ノアからアブラハム、そしてイサクへと続く物語です。
今週の通読は以下のように区分することが出来ます。
- 6〜9章:ノアと洪水、虹の契約
- 10〜11章:諸民族の広がりとバベルの塔
- 12〜25章:アブラハムの召命と信仰の歩み
- 21〜26章:約束の子イサク、そして次の世代へ
1〜11章が「人類全体」のための物語だとすれば、12章からはカメラのフォーカスがぐっと寄って、ひとりの人とその家族の物語に変わります。神ははじめにアダムを想像されたように、今度は全世界を祝福するために、まずひとりの人を選ばれたのです。
① ノア──裁きのただ中にある恵み(6〜9章)
地は暴虐に満ち、神は人を造ったことを心を痛めて悔やまれました(6:6)。そのただ中に、こう記されています。
「しかし、ノアは主の心にかなっていた」(6:8)
「心にかなう」と訳されている言葉は、ヘブライ語で חֵן(ヘン)。「恵み」「好意」という意味です。直訳すれば「ノアは主の目に恵みを見いだした」となります。聖書で「恵み」という言葉が最初に登場するのは、実はこの裁きの場面なのです。
神はノアに箱舟を造らせ、彼と家族、そして生き物たちを守られました。洪水の後、神は虹を契約のしるしとして与え、二度と洪水で地を滅ぼさないと約束されます(9:13-15)。
ペテロは、この箱舟の救いをバプテスマと重ね合わせて語っています(Ⅰペテロ3:20-21)。裁きの水をくぐって新しい世界に出たノアの家族のように、私たちもキリストにあって、古い自分に死に、新しいいのちへと移されるのです。
② バベルの塔──「名をあげよう」とする人間(11章)
洪水の後、人々は天に届く塔を建てようとして、こう言いました。
「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう」(11:4)
神はその言葉を混乱させ、人々を全地に散らされました。
ここで注目したいのは、すぐ次の12章で神がアブラハムに語られる言葉です。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする」(12:2)
人が自分の力で名をあげようとしたバベルと、神が恵みによって名を大いなるものとしてくださるアブラハム。この対比が、創世記の大切なメッセージです。
そして、バベルで散らされた言葉は、新約聖書のペンテコステの日に、聖霊によって再びひとつの福音を語る言葉として回復されることになります(使徒2章)。
③ アブラハム──行き先を知らずに出て行った人(12〜25章)
「あなたは生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい…地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(12:1-3)
アブラハムは75歳で、行き先も知らないまま旅立ちました。そして神の約束は、彼一人のためではなく、地上のすべての民族の祝福のためでした。パウロはこの約束を「前もって告げられた福音」と呼んでいます(ガラテヤ3:8)。
信仰によって義と認められる(15章)
子どもが与えられないまま年を重ねたアブラハムに、神は満天の星を見せて言われます。「あなたの子孫はこのようになる」と。
「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた」(15:6)
以前ローマ人への手紙とガラテヤ人への手紙で学んだ「信仰による義認」の、まさに出発点がこの一節です。
また、この章の後半には、不思議な契約の儀式が記されています。当時、契約を結ぶ両者は、二つに裂かれた動物の間を通りました。「この契約を破ったら、自分もこのように裂かれてもよい」という誓いです。ところがこの夜、裂かれた動物の間を通ったのは煙の立つかまどと燃えるたいまつ、つまり神ご自身だけでした(15:17)。アブラハムは眠っていたのです。
神は、契約の責任をご自身だけで負われたのです。この姿は、やがて私たちの契約違反の代価を、ご自身の身に負われたイエス様の十字架を指し示しています。
見捨てられた者を見てくださる神(16章)
サラの女奴隷ハガルは、虐げられて荒野へ逃げ出しました。誰にも顧みられなかった彼女に、主の使いが現れます。ハガルはそこで神をこう呼びました。
「あなたはエル・ロイ(私を見てくださる神)です」(16:13)
神は、約束の家系の外にいた一人の女性の涙も、見過ごされませんでした。
執り成すアブラハム(18章)
ソドムの滅びを告げられたとき、アブラハムは「正しい者が五十人いたら」「四十五人なら」「十人なら」と、神に食い下がって執り成しました。神はそのたびに耳を傾けてくださいました。祈りとは、神の心に触れる大胆な対話でもあるのです。
④ モリヤの山──「主が備えてくださる」(22章)
創世記の中で、最も深く、最も重い場面です。
ようやく与えられた約束の子イサクを、神は「全焼のいけにえとしてささげなさい」と命じられます。アブラハムは翌朝早く起きて、モリヤの地へ向かいました。
山を登る途中、薪を背負ったイサクが父に尋ねます。
「火と薪はありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか」(22:7)
アブラハムは答えます。
「わが子よ、神ご自身が、全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」(22:8)
刃物を振り上げたその瞬間、主の使いが止め、茂みに角をからませた雄羊が備えられていました。アブラハムはその場所を 「アドナイ・イルエ(主が備えてくださる)」 と名づけます(22:14)。
この場面を十字架を通して見ると、驚くほど多くの重なりが見えてきます。
愛するひとり子をささげる父(22:2 / ヨハネ3:16)
自ら薪を背負って山を登る子(22:6 / ヨハネ19:17)
三日目に「生きて」戻される子(22:4 / ヘブル11:19)
子の身代わりに備えられた雄羊(22:13 / ヨハネ1:29)
さらに、歴代誌第二3章1節によれば、ソロモンが神殿を建てたのはモリヤの山でした。アブラハムが「主が備えてくださる」と告白したその場所の近くで、やがて神ご自身が、ご自分のひとり子を、世の罪を取り除く小羊として備えてくださったのです。
アブラハムはイサクをささげずに済みました。しかし神は、ご自分の御子を惜しまずにささげてくださったのです(ローマ8:32)。
⑤ イサク──約束を受け継ぐ静かな人(24〜26章)
24章では、アブラハムのしもべが、イサクの花嫁を探しに遠い故郷へ旅立ちます。しもべは祈りながら進み、リベカと出会います。父の命を受けたしもべが花嫁を迎えに行き、花婿のもとへ連れ帰るこの物語は、聖霊がキリストの花嫁である教会を集めておられる姿に重ねて読まれてきました。
25章ではアブラハムが息を引き取り、双子のエサウとヤコブが生まれます。
そして26章、イサクは父アブラハムの掘った井戸を掘り直します。しかし井戸を掘るたびに、ペリシテ人の羊飼いたちと争いになりました。イサクは争わず、その場所を譲っては、また別の場所で井戸を掘り続けます。そしてついに、争いの起きない井戸にたどり着きました。
「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった」(26:22)
その夜、主はイサクに現れて言われます。
「恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる」(26:24)
イサクの生涯は、父アブラハムや息子ヤコブに比べると地味に見えます。しかし彼は、争わず、譲り、それでも掘り続けることで、約束を次の世代へと手渡した人でした。
6〜26章を貫く一本の柱
ノアの箱舟、アブラハムの旅立ち、モリヤの山、イサクの井戸。この物語のすべてを貫いているのは、「主が備えてくださる」という真理です。
人間はバベルの塔のように、自分の力で名をあげ、天に届こうとします。しかし神は、恵みによって人を選び、約束を与え、必要なものを備え、ついにはご自身のひとり子を、私たちのための小羊として備えてくださいました。
創世記の物語は、すでに十字架へと向かっていたのです。
今週も主の恵みを受けて、通読を続けていきましょう。
【今週の通読】
●Day 003:創世記 6章-8章
●Day 004:創世記 9章-11章
●Day 005:創世記 12章-14章
●Day 006:創世記 15章-17章
●Day 007:創世記 18章-20章
●Day 008:創世記 21章-23章
●Day 009:創世記 24章-26章

