シャローム!
人は必ず、この地上での生涯を終えるときが来ます。サラに続き、今日はアブラハムも自分の民に加えられることになります。
当たり前と思っていた日常も当たり前ではないと言うことを、私たちはちょうど1年前に経験しました。ところがその非日常が日常になりかけています。
日々生かされていることに感謝したいですね。そして、自分の生涯の終わりを意識して生きていきたいですね。
形ある物はいつかなくなってしまいます。ですから、いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する生活を送っていきたいものです。
今日もみことばから、永遠のいのちを生きる道を教えていただきましょう。
今日の通読箇所:創世記24章~26章
■アウトライン
イサクの妻と子どもたち
●イサクの妻探し:24章
・しもべの祝福と送り出し:1-9節
・しもべとリベカの出会い:10-27節
・しもべとリベカの家族:28-49節
・ラバンとベトエルの決断:50-61節
・イサクとリベカの出会い:62-67節
●エサウとヤコブ:25章
・ケトラの子孫:1-6節
・アブラハムの最期:7-11節
・イシュマエルの歴史:12-18節
・エサウとヤコブの誕生:19-26節
・エサウとヤコブの争い:27-43節
●イサクへの祝福:26章
・飢饉と祝福:1-5節
・父と同じ過ち:6-11節
・井戸と契約:12-35節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【24章】イサクの妻探し
アブラハムに与えられた子孫の祝福のためには、イサクだけではなくその妻が必要になります。この24章は非常に長い章ですが、それほど重要な事柄だと受け取ります。なぜなら私たちはキリストの花嫁として召されており、主は花嫁の完成を忍耐をもって待っていてくださるからです。
アブラハムがこの大切な使命を与えるのは自分が一番信頼していた最年長のしもべです。これを創世記15:2のエリエゼルと言う人もいますが、ここではあえて名前が出されていません。同一人物かもしれないですし、違う人物かもしれません。しかし、あえて名前を出していないと言うことに神様のご計画があるのでしょう。
5節で、しもべは、もし、イサクの妻となる者がついてこなかった場合にどうしたらいいかを問う。それに対してアブラハムは6節でどのように答えていますか?
私たちはイエス様を信じることでキリストの花嫁への道を歩ませていただいています。そのような私たちとこの状況を重ねることができますか?ノアの時代に洪水に飲まれた人々、ソドムとゴモラの人々、振り返ってソドムを見続けたロトの妻。そしてローマ12:2を見てみましょう。
しもべは全く当てがなく旅立ちます。アブラハムが生まれ故郷を旅だったときの様子に似ています。このしもべの気持ちはどうだったと思いますか?このしもべがみなさんだったらどう考え、どう行動していますか?
しかし、意外にも早くその時がやってきます。10節からはしもべが祈った通りの女性に出会います。真実な祈りに主はすみやかに答えてくださいます。
この女性、リベカはどのような性格でしょうか?みことばから読み取れるリベカの性格を考えてみましょう。この女性の子孫から救い主がお生まれになったのです。
リベカは兄のラバン、そして家族にしもべを紹介すします。わずかな期間にリベカの家族とリベカは決断し、生まれ育った地を離れ、会ったこともないイサクの元へと旅立っていきます。
しかし、リベカは、しもべを通して主人になるイサクがどれほど素晴らしいかを聞いています。
私たちも似たような状況がないでしょうか?実際に会ったことはないお方がどれほど素晴らしいかを毎日聞いているのではないでしょうか?そして、「その方に会いたい」という一心ですべてを捨ててでもこの方に従って行く決心をしているのではないでしょうか。
みなさんはこのお方が来られたときに、すぐに旅立つ準備はできていますか?まだこの世の中、じぶんのいのち、イエス様以外のあらゆるものに心を置いているのではないでしょうか?
私たちの場合を考えてみたら、みことばを教え、私たちに罪について、義について、さばきについて教え、また、私たちの主人がどれほど素晴らしいかを24時間絶え間ない深いうめきを持って取りなしてくださっている方はどなたですか?
このしもべの姿にそのお方の姿が見えませんか?
イサクは黄昏時、リベカを見た時にすぐに自分の妻になると悟りました。どうしてでしょうか?
もちろん、しもべがそばにいたからかもしれません。もう一つの証拠は、父が大切にしていたものをリベカに贈り物として渡しました。それをリベカが身につけていたからです。
私たちもイエス様によって、義の衣が与えられているゆえ、天に凱旋した時にすぐにイエス様に「この者こそ私の妻だ」と言ってもらえるでしょう。
【25章】エサウとヤコブ
1節からは、ケトラの子孫が書かれています。彼女はアブラハムのそばめです。ケトラは「香」と言う意味があります。
彼女をめとったのはサラの死後とは断定できませんが、少なくともイサクが生まれた後であることは間違いありません。
そして、アブラハムはこの地上での生涯を終えます。しかし、彼の生きた証と信仰は今もなお語り継がれています。
アブラハムは175歳で自分の民に加えられました。その時、イサクは75歳、イシュマエルは89歳(16:16)、エサウとヤコブは15歳(25:26)でした。
何も考えずに読んでいると、アブラハムの死後にエサウとヤコブが生まれたように勘違いしますが、エサウもヤコブもアブラハムに会い、様々な話を直接聞いていたのでしょう。
アブラハムに与えられた約束と祝福は息子のイサクへとバトンタッチされます。
神様はイサクだけでなくアブラハムから出たイシュマエルをも祝福すると約束をしてくださいました。その確かな証を12-18節から見ることができます。
神様は約束された事を必ず守ってくださるお方です。
19節からはアブラハムから見て三世代目の時代の幕開けです。
この後にも出てきますが、ヨセフ、サムソン、サムエル、バプテスマのヨハネなど、神の重要な役割を担う器は不妊の母から誕生していること見ることができます。
なかなか神様の約束の成就を見ることができず、気落ちしそうになっている方は、喜んでください。みなさんから祝福の世代が生まれます。
イサクとリベカの子は双子でした。兄がエサウで弟がヤコブです。しかし、みことばは兄が弟に仕えると書かれています。
当時のこの地方では、長子が絶対的な権威と祝福を受け継ぐことが定められていました。しかし、神の選びはエサウでなく、弟のヤコブでした。
27節には、「ヤコブは穏やかな人」であると書かれています。これだけみると、草食系の色白の文化系の人かな?と思ったりしませんか?
この「穏やかな人」を調べてみると、「完全である、欠けがない」「全き人」「潔白な人」「直ぐな人」「正しい人」「正直者」などが他の箇所で使われていました。
一方、そのようなヤコブもまた罪の性質を持った人です。「兄弟を押しのける者」という意味もあるヤコブは、狡猾な者でもありました。
蛇のようにさとく、鳩のように素直な性格だったのかもしれません。
兄のエサウはワイルドな人でした。しかし、人格的にも信仰にも欠けがある人物でした。大切な長子の権利を軽く見ていたことからもそのことがわかります。
【26章】イサクへの祝福
父であるイサクに愛される兄のエサウ、母であるリベカに愛される弟のヤコブ。家族の中に一致がないのは残念なことです。
しかし、もし、みなさんがそのような状況であったとしても、使徒16:31にあるように、主を信じる者はあなたも、あなたの家族も救われます!この神様の約束は偽りでしょうか?この真理を信じ続け、祈り続けているでしょうか?
当時は飢饉が起きるごとにエジプトに下ることが常でした。しかし、主はイサクに2節でどのように語れていますか?飢饉の中、空腹の中、エジプトに下ることのできないイサクの気持ちはどうだったでしょうか?
そして、神様はイサクに語られます。アブラハムの祝福を思い起こさせます。この祝福は何の故に与えられるのでしょうか?5節を心に刻みましょう。
ここで、イサクが経験することを読んでいると「あれ?これ、少し前に読んだような気がする」という出来事に遭遇します。
アビメレクが登場し、そこに住む人に妻を妹と紹介するのです。父アブラハムと同じような事をしています。理由も同じです。
このときのアビメレクはアブラハムの時のアビメレクとは同一人物とは考えられていません。
「パロ」というとエジプトの王であるように、「アビメレク」というのは個人名ではなく、役職名か称号であると考えられています。
6-11節では、アビメレクによってリベカがイサクの妻であると言うことが発覚します。このとき、アビメレクが目撃しなかったら、救い主は生まれていたでしょうか?間一髪、救いの道が示されたことを感謝します。
この出来事は偶然だったでしょうか?みなさんは偶然の中で生きていますか?それとも、神様のご支配の中、すべてが神の必然の中で生かされているでしょうか?
12節からは、祝福が具体的にイサクの家畜や農耕に現れます。イサクが地に種をまくと、その年に何倍の収穫を見ましたか?
聖書では土地は私たちの心、種はみことばの象徴です。良い地(良い心)にみことばの種がまかれるなら、私たちの人生にガラテヤ5章の御霊の実が豊かに実っていきます。
しかし、その事は同時に人々からの妬みを買うことになります。イサクはこの祝福の故にペリシテ人から妬まれ、追い出されます。
中東地域は降水量が少ないので、井戸は生きる者にとって非常に重要なものです。
17節ではまた井戸の話が出てきます。アブラハムの掘った井戸はペリシテ人によって埋められますが、再びそれが掘り返されます。
私たちが祈りによって掘り下げた井戸は、敵によって埋められるときがあるでしょう。しかし、諦めないで祈り続けましょう。私たちはどこででも祈ることができます。
そうするなら、また水の出る井戸を発見することができます。乾いている者だけが切に水を求めます。イエス様に飢え乾いていますか?いのちの水の出る、決して乾くことのない井戸を求めていますか?
この後、イサクはアブラハムが主の御名によって祈った場所にたちます。そして、そこで神様から祝福を受けます。
神様と出会ったイサクは25節でどのように反応しましたか?
26節からは、アビメレクとイサクの契約です。アビメレクはイサクを、そしてイサクの神をどのように見ていましたか?また、この契約はどのような結果で結ばれましたか?決裂しましたか?それとも平和のうちに結ばれましたか?
34節と35節は、エサウの結婚がさらっと書かれています。35節を見ると、これは祝福された結婚でしたか?その理由は何でしょうか?
ヘテ人とは、カナンの先住民のうちのひとつです。この出来事が次の章につながっていくこととなります。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
以下のところにアクセスして、ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。