聖書通読クラブ Day 8【創世記21-23章】

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シャローム!

神様は、さばき主なるお方です。さばかれる事は私たちにとって、あまり歓迎できるものではありません。さばく神様も同じ心かもしれません。それでも、なぜ神様はさばかれるのでしょうか。
神様はいつも良いお方であり、神様はいつも正しいお方です。神様の立てておられるご計画は私たちの想像を遙かに上回るものであります。このお方が私たちを最善の道へと導かれるために、私たちが神の御声に聞き従えないときに、神はさばきをされることがあります。
神にさばかれることは私たちの肉の性質を切り取ることでもあります。今日も、みことばにより、心の包皮を切り取っていただきましょう。

今日の通読箇所:創世記21章~23章

■アウトライン

約束の成就と分離

●イサクの誕生:21章
  ・約束の子の誕生:1-7節
  ・イシュマエルの分離:8-21節
  ・アビメレクとの契約:22-34節

●信仰の試練:22章
  ・イサクをささげる:1-19節
  ・ナホルの12人の息子:20-24節

●アブラハムの晩年:23章
  ・サラの埋葬:1-20節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【21章】イサクの誕生

アブラハムはこのときをどれほど待ちわびていたでしょうか。「あなたに子孫が与えられる」と神からの約束を受けてから実に25年。みなさんはひとつの約束を25年間信じて待ち続けることができますか?

アブラハムとサラは子どもが与えられると告げられたとき、それぞれ心の中で笑いました。しかし、そのときの「そんなのあり得ない」という嘲笑的な笑いは、神様の約束の成就によって本物の歓喜の笑いへと変えられました。

与えられた息子の名「イサク」は「イツハーク(笑い)」と名付けられました。

3節と4節に、それぞれ一つずつ、アブラハムの神への従順な行動を見ることができます。それは何かわかりますか?

8節からは、アブラハムの最初の子、イシュマエルとの分離が書かれています。その決定的な出来事は9節にかかれていることです。

このとき、イサクは3-4歳、イシュマエルは17-18歳だと推定されます。そして、このときのパーティーの主賓は誰でしょうか?イサクです。
こんなにも年の差があり、しかもイシュマエルは様々な状況を理解しているにもかかわらず、主賓のイサクに対して無礼な態度をとりました。彼の心の奥底に流れているものがこのように行動に出てしまいます。
みなさんは何気ない行動、ことばにキリストの香りがあるよう心がけていますか?

アブラハムにとって自分の息子でもあるイシュマエルとの分離はつらいものでした。しかし、イシュマエルは神様の方法で与えられた子どもだったでしょうか?

どちらかと言えば、肉によって与えられた子どもです。ですから、この場面はアブラハムの肉の力との分離という場面なのかもしれません。次の章で、アブラハムはより深い部分の分離を経験することになります。

追い出されたハガルとイシュマエルはいのちの危険にさらされます。16節ではハガルは声を上げ、涙を持って祈ります。
ところが17節を見ると、誰の声を聞いて神様は動かれたのでしょうか?小さき者の声を聞いてくださる神の愛を感じます。

そして、井戸を見いだしますが、その井戸は突然現れたのでしょうか?いや、そこにずっとありました。
それでは、何が原因だったのでしょうか?それはハガルの目が覆われていたと言うことです。
いのちの泉の源であられるイエス様はすべての人のそばにいてくださるお方です。このお方を見いだすことができないのは、私たちの目が覆われているからです。このお方ははじめからおられる方です。

20章からは、またここも井戸の話題が出てきます。アビメレクと契約を結びます。
アビメレクがアブラハムに持ちかけた契約の内容はどんなものだったでしょうか?
逆に、アブラハムがアビメレクに持ちかけた契約の内容はどのようなものだったでしょうか?
王に対して、間違っていることは間違っているとはっきり言えるアブラハムはすごいですね。

【22章】信仰の試練

この箇所はアブラハムの人生のハイライトと言ってもいい箇所ではないでしょうか。やっと与えられた約束の子を捧げなさいと主が仰せられます。

みなさんは一番大切なものを捧げなさいと神様から言われたら、どのように反応しますか?その事を考えながら、アブラハムの取った行動を見てみてください。

1節で、試練のはじめに神様はアブラハムにどのように働きかけられましたか?

2節で試練の内容が伝えられます。これはアブラハムにとって簡単なことだったでしょうか?

3節ではその内容を受けて、アブラハムの決意を見ることができます。なぜなら、アブラハムはあれこれ考える時間を持つことをせず、「翌朝早く」出発しました。
一般的にも、人が一番エネルギーを使うのは「どちらにしようか悩んでいるとき」だと言われています。アブラハムは迷わず、神の声にすぐに従いました。みなさんはこのような行動ができますか?できないのは何が原因でしょうか?祈りの中で主に伺ってみてください。

5節、神様は「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」と言われています。しかし、アブラハムは若い者に何をしに行くと言っていますか?

6節ではアブラハムはイサクにいけにえのためのたきぎを背負わせます。
よく教会学校の紙芝居などでこの場面を見ますが、そのイサクは小さな子どもとして描かれていることがあります。しかし、小さな子どもにたきぎが背負えるでしょうか?
このとき、イサクは十代後半ほどの年だったと考えられています。

2節に「あなたの愛しているひとり子」と書かれていました。父の愛しているひとり子が木を背負っていると言って思い出すことはないでしょうか?

7節でイサクが父に語りかけます。「お父さん」。「アバ」と呼びかけています。私たちも祈りの時「天にまします我らの父よ」と呼びかけることができることを感謝します。

イサクの呼びかけに対して、アブラハムはどう反応しますか?私たちの天の父は私たちに同じように反応されないでしょうか?
主はいつでも私たちひとりひとりの語りかけに「なんだい?」と耳を傾け、聴いてくださるお方です。

イサクは「捧げるためのいけにえがない」と質問します。当然の質問でしょう。それに対してアブラハムは8節でどのように答えていますか?

アブラハムは確信を持ってこの答えをしたと思いますか?それとも、信仰の領域で自分にも言い聞かせるようにこの言葉を発したと思いますか?

その後、彼らはどうしたでしょうか。「こうしてふたりはいっしょに歩き続けた」とあります。このときの空気感を創造してみてください。これから後起こることをすべて知っているアブラハム。質問したことで、自分が捧げられることを悟ったイサク。このふたりが一緒に歩き続けます。
まさに、イエス様が十字架に向かわれる時の姿を見ることができます。あのとき、イエス様はお一人で孤独の中を十字架へと歩まれているように見えますが、その傍らにはいつでも父がおられました。
今も私たちのそばに、主はおられないのでしょうか?

9節、100歳を越えたアブラハムが十代後半のイサクを祭壇の上にのせたのでしょうか?おそらく、イサクは自ら祭壇の上に上ったのではないかと思います。
まさに、イエス様がご自分から十字架へと進まれたその姿を見ることができます。

10節、アブラハムは刀を振り下ろします。当時のいけにえのほふりかたは、動物の首を後ろから羽交い締めにして、喉元にナイフを当てて首をはねていたそうです。
もし、このときもそのようにイサクにしたのであれば、アブラハムとイサクは同じ方向を向いていたことになります。
彼らは常に信仰を持って、どんな状況でも共に主を見つめ続けていたのでしょう。

このとき、アブラハムは手加減したでしょうか?それとも、本気でイサクを殺そうとしたのでしょうか?考えてみてください。

11節では、天からアブラハムに語りかけがあります。二度彼の名が呼ばれています。聖書で2度繰り返すことは「確実に起こること」「速やかに起こること」を意味します。
彼はこの試練にパスすることで、「アブラハム=多くの信仰の父」として呼ばれるようになります。

そして、主はイサクのかわりに捧げられる一頭の雄羊を用意してくださいます。
マタイの福音書6:33には「神の国とその義とを第一に求めなさい。」そうすればどうなると書かれていますか?これは、私たちには無関係の事ですか?この真理を信じることができますか?それらのものばかり求めていませんか?

16節からは、御使いが主のお告げをアブラハムに届けます。それは祝福の内容です。18節の最後には、この祝福を受ける理由が書かれています。それはどういった事でしょうか?
みなさんはこの事を実行できますか?そのためにはどうすればいいですか?

20節からはミルカ、そしてそばめのレウマによってアブラハムの兄姉ナホルに12人の子どもが与えられたことを告げます。

【23章】アブラハムの晩年

長年連れ去った最愛の妻、サラがその生涯を終えます。サラは127年生きました。どこに行っても注目されるほど美しい女性であったようです。その美しさは単なる見た目だけではなかったでしょう。内からあふれ出る気品と美しさがあったのではないでしょうか。

アブラハムは愛する妻を失い、泣き悲しみ、墓地を用意します。奇しくもその墓地が、アブラハムが所有する唯一の土地となりました。
神様が告げられた土地に関する祝福には、あまりにも小さすぎる所有地です。
しかし、アブラハムの地上での生涯が終わった後、この神様の約束は成就していきます。
私たちは私たちの世代だけで終わりではありません。私たちの前にも信仰の先輩方がおられ、それゆえに東の果てのこの国にまで福音が伝えられました。
これを次世代に託していく必要があります。
たとえ今、自分の所有地、すなわちミニストリーの場所がわずかしかないと思っていても、それは次の世代に大きく広げられるかもしれません。主の約束を信じ続けましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。

 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。

 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。

 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?

 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?

 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?

 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

以下のところにアクセスして、ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. ここを読むとき、信仰とは・・・と・・・
    頭の中を行ったり来たりします。
    信仰とは、信じる事(ローマ4章)、
    そして信じるとは行いがともなう(ヤコブ2章)

    相反するように見えてもしっかり調和しているのでしたね。

    理不尽なことをされると反撃したくなる自分の心の内を思うと、
    確かに十字架を背負うことは困難なことで、
    人を裁いてしまって、十字架から降りてしまっている自分がいます。
    確かに、自分の力ではできない
    担うことができるように力をください。
    助けてくださいと祈るのみです。

    以前教えていただいた信仰の定義を
    忘れないようカードに書いて、時々確認しています。

    永遠の命→主を信じる→聞き従うこと

    永遠の命=イエス・キリストを知ること①ヨハネ17:3

    神を知る=神に従う②第一ヨハネ2:3

    信じる者=聞き従うもの③ヨハ3:36
    行いのない信仰は死んでいる③ヤコブ2:26

    神との関係を持つには=神の命令を守る

    信仰とは望んでいる事がらを保証し、
    目に見えないものを確信させるもの (ヘブル11:1)

    (ローマ4:21~)
    神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
    だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。
    しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、
    私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
    主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。

    私たちの為でもあることを感謝します。

    一番、説得力のある証は、自分がイエス・キリストを知ること、信じる事
    そして従うことなのですよね

    しかし、こんなダイナミックな歩みができていたら、
    今頃大リバイバルがすでに起こっていると思えます。
    アブラハムは神には約束したことを実行する力がある、
    と確信して行動したのですね。
    やはりアブラハムは偉大な信仰の父です。
    だからアブラハムにあって、多くの人々に祝福が流れていく。

    私は、二人息子がいても、どちらか一人でも息子の命を捧げることは苦しすぎます。
    アブラハムが愛するイサクを捧げたように、
    天のお父様は、ひとり子を
    しかも罪びとの私たちの為に差し出してくださったのですね。

    ありえないことです。感謝します。

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