聖書通読クラブ Day 336

聖書通読クラブ Day 336【ガラテヤ人への手紙 4章-6章】

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シャローム!

今日でガラテヤ人の手紙を読み終えます。イエス様の昇天後、使徒の時代を経て、教会は成長しましたが同時に間違った教えも広がりました。ガラテヤの地方ではイエス様を信じる異邦人に対して、割礼を強いるような教えがありました。パウロは今日の箇所でそのことを取り上げ、正しい道へと軌道修正していきます。私たちも同じ弱さを覚えるかも知れません。今日も聖霊様によってみことばを教えていただきましょう。

今日の通読箇所:ガラテヤ人への手紙 4章-6章

■アウトライン

●上にあるエルサレム:4章
  ・神による相続人:1-7節
  ・奴隷に逆戻り:8-11節
  ・キリストが形造られる:12-20節
  ・自由の女の子ども:21-31節

●御霊に導かれる:5章
  ・自由を得させるために解放された:1節
  ・愛によって働く信仰:2-12節
  ・愛を持って互いに仕える:13-15節
  ・肉の行いと御霊の実:16-24節
  ・御霊によって生きる:25-26節

●キリストの焼き印:6章
  ・互いの重荷を負い合う:1-5節
  ・何のために蒔くか:6-10節
  ・十字架以外に誇りがない:11-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】上にあるエルサレム

・神による相続人:1-7節
ここからは、神の子としてのアイデンティティが語られていきます。
相続とは「法律で、死亡した人がもっていた財産上の権利・義務を包括的に受け継ぐこと」と規定されます。しかし、子どもの間、父の存命中は父の定めたときまでは管理人の下に置かれます。パウロはこの事を私たちが罪の奴隷にあった状態の時とたとえます。
しかし、神の時は満ちました。4節では、主がどのようにされたと書かれていますか?また、その目的は何でしょうか?5節を見ましょう。それゆえ、私たちは天の父を「アバ。父」と呼ぶ御霊を受けることができます。実は、この御霊がおられなければ、私たちは神である主を親しく「アバ(おとうちゃん)」と呼べないのです。神を父と呼ぶのであれば、私たちは子です。そして、子どもなら、親のものを相続する権利があります。私たちが相続するのはこの世のものではなく、天に満ちる良きものです。

・奴隷に逆戻り:8-11節
私たちも含め、神様を知らなかったときは何の奴隷になっていたでしょうか?しかし、ガラテヤの教会の人たちは神様を知っていました。それ以上に神様に知られていました。それなのに彼らはどうしたがっていましたか?これはガラテヤの教会の人々だけに起こることでしょうか?私たちもこれと同じような事を行っていないでしょうか?よく考えてみましょう。
10節によると、ガラテヤの人々は各種の祭りなどを守っているようです。しかし、キリストは仮庵の祭りを除いて、主の例祭を成就されました。それなのに、彼らは偽教師によってもう一度律法を守らなければならないと教えられていたので、イエス様が来られる前に逆戻りしていました。そのような彼らを見て、パウロは彼らのために教え、労したことをむだだったのではないかと案じています。

・キリストが形造られる:12-20節
パウロは自分のようになるようにと懇願しています。パウロは肉体に与えられたとげによって弱っていたようです。しかし、そのようなパウロをガラテヤの人々は暖かく迎えてくれました。それなのに、今、その熱烈な歓迎はどこかにいってしまいました。彼らはパウロのことをどれほど思っていたでしょうか?15節後半を見ましょう。
17節を見ると、パウロは偽使徒たちがガラテヤの人々に対する熱心は正しいものではないと言っています。彼らはガラテヤの人々を愛し、建てあげようと思ってはいませんでした。彼らはどうしようとしていましたか?17節後半を見ましょう。
パウロはその様なガラテヤの教会に奥義を語ります。19節を見ましょう。彼らの内にキリストが形造られると言っています。私たちはこれを目指し、この事に集中する必要があります。私の内に、どれほどキリストが形造られているかを確認する必要があります。パウロはそのために、産みの苦しみをもう一度していると言っています。正直、パウロは彼らのために困っていると20節で書かれています。

・自由の女の子ども:21-31節
それでも、律法の下にいたいと思う人たちに言っています。「あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか」と。
そこで、パウロはアブラハムのふたりの子どもを引き合いに出します。ひとりは誰から、もう一人は誰から生まれましたか?それぞれから生まれた子は何によって生まれましたか?
奴隷の子を産んだのは誰ですか?彼女はどこから出ていますか?彼女は25節を見るとエルサレムだと書かれています。彼女はその子どもたちとともに奴隷です。
しかし、26節には興味深い表現があります。「上にあるエルサレム」です。そもそも、エルサレムということば自体が、二つのことを指しています。エルは神、シャライムは平安という意味のシャロームの複数形です。これは天と地の平和を意味しています。この上にあるエルサレムは26節にどう書かれていますか?
ガラテヤ人の兄弟に、パウロは28節でどのように語りかけていますか?
かつて、イサクをイシュマエルがいじめたように、今もその通りだと言っています。しかも、それは御霊によって迫害しているというのです。
ところが、サラがアブラハムに言ったように、奴隷の女とその子どもを追い出せ」という聖書を引用し、彼らはすでに律法の下にあるのではなく、イエス様によって贖われたので、自由の女の子どもだと言っています。

【5章】御霊に導かれる

・自由を得させるために解放された:1節
イエス様は私たちを罪の奴隷から解放してくださいました。ここでは、その目的が何だと書かれていますか?ですから、私たちはどのようにすべきだと書かれていますか?

・愛によって働く信仰:2-12節
そのようなわけで、異邦人が再び割礼を受ける必要はありません。それは何の意味も無いことだと言っています。
それからパウロは、割礼を受けた人々に語っています。彼らは割礼を受けているので律法を守る義務があります。もし、律法によって義を認められようとするなら、どうなってしまいますか?4節を見ましょう。しかし、信じる者はどうでしょうか?5節を見ましょう。
イエス様にあっては、割礼を受ける受けないは大事ではありません。何が大事だと書かれていますか?これが大切です。
かつて、ガラテヤの人々は熱心に正しく走っていましたが、今は違います。偽教師、偽使徒たちによって間違った教えを教えられました。
そのような召しは神からのものですか?8節を見ましょう。パン種は少しでもパン全体を発酵させます。イエス様も同様のことを言われました。そのように、純粋な信仰をかき乱す者はどうなりますか?10節後半を見ましょう。
イエス様を信じるのに異邦人に割礼を強いるような者は、迫害を受けません。ユダヤ教を熱心に伝えているからです。しかし、パウロたちはナザレ派と呼ばれ、ユダヤ教から派生したイエス様の教えを教えていました。それゆえにユダヤ教の人々から迫害されました。割礼を熱心に勧めているなら、迫害されないはずです。
そのように、ガラテヤの人々をかき乱す者こそ、割礼の陽の皮のように切り取られる必要がありました。

・愛を持って互いに仕える:13-15節
ガラテヤの人々に対して、何のために召されたと書かれていますか?それを肉の働く機会としてはいけません。どのようにすべきだと書かれていますか?
あの分厚い旧約聖書は、ある一語をもって全うされると書かれています。それは何ですか?これは「神を愛せよ」という第一の戒めと「自分を愛するように隣人を愛せよ」という第二の戒めの第二の部分です。第二が全うされると言うことは、当然第一も全うされているということです。それで、この一語で旧約聖書を全うします。それをはかるのはどのようにしてでしょうか?15節を見ましょう。

・肉の行いと御霊の実:16-24節
パウロは何によって歩みなさいと言っていますか?そうすれば何を満足させることはないと言っていますか?もし、私たちが肉の性質を断ち切ることができないと悩んでいるなら、ぜひ、この事を追い求めましょう。そのメカニズムが17節にあります、よく見てみましょう。御霊に導かれるなら、何の下にないといっていますか?ここから、肉と御霊の特長が書かれています。まず、19節から21節を見ましょう。ここが肉の性質です。悔い改めの祈りをするときは、ここが具体的な罪の結果を示しているので、思い当たる部分を悔い改めると良いでしょう。そうするなら、悔い改めの実を結びます。それはどのような者でしょうか?22-23節を見ましょう。私たちは御霊によってこのような実を結ばせていただく必要があります。
24節には、イエス様につく者は、何を何と共に十字架に付けたとありますか?

・御霊によって生きる:25-26節
もし、私たちが肉ではなく、御霊によって生きるなら、何に導かれる必要があるでしょうか?この箇所で繰り返し書かれていますが、互いに挑み合ったり、そねみあったりしていてはそのことは実現できません。なぜなら、神は私たちを一つにしますが、サタンは私たちを分裂させるからです。神からの霊はひとつです。そのひとつ霊に導かれるなら、互いに愛し合うのは当然です。

【6章】キリストの焼き印

・互いの重荷を負い合う:1-5節
どのような人でも、人生を歩む中で、間違いを犯してしまいます。もし、誰かがあやまちに陥ったのなら、御霊の人であったらどう対処する必要がありますか?同時に気をつけることも書かれています。これは本当に大切です。人を正すとき、私たちは様々な誘惑にあってしまいます。本当に気をつけなければなりません。
もし私たちが互いの重荷を負い合うなら、何を全うしますか?2節を見ましょう。しかし、もしそのような働きをする中で、自分が少しでも「りっぱだ」と思ったら、それはどういうことだと3節を見ましょう。これは恐ろしいことです。なぜなら、多くの人は自分で気づかないながらもこのように思ってしまっていることがあるからです。
その誇りは自分だけの誇りで、人に対しては誇ることはできません。人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があります。

・何のために蒔くか:6-10節
みことばを教える人は、教えられる人と良いものを共有することが書かれています。また、聖書の至る所に書かれていますが、ここでも種まきの法則が書かれています。肉のために蒔く者は何を刈りとりますか?御霊のために蒔く者は何を刈りとりますか?どちらの種を蒔きたいですか?
そのために、パウロは善を行うことを欠いてはいけないと言っています。善を行うとは、私たちの考える善行を超えた、みことばの通りを行うことです。それを失望せずにいるなら、時期が来て刈りとることになります。ですから、私たちは特に誰に対して善を行う必要がありますか?

・十字架以外に誇りがない:11-18節
パウロはこの手紙の結びを書き始めます。ガラテヤの手紙の中では、肉と御霊の対比が書かれていました。信じる異邦人にも、偽教師たちが律法に従うことを強制していたからです。そのように割礼を強制する人は何だと12節に書かれていますか?また、13節は、正にイエス様律法学者やパリサイ人に言われたことです。
しかし、パウロは何が誇りと言っていますか?私たちも同様です。そして、パウロは繰り返して割礼を受けている、受けていないは重要ではないと言います。何が重要ですか?新しい創造です。御霊による新生です。パウロはこの基準に従って進むことを願っています。
その上で、パウロは私を煩わさないようにと付け加えています。ガラテヤの人々はだまされて割礼を誇りとしていましたが、パウロは福音宣教のために背負った数々の傷をイエスの焼き印と呼んでいます。これがパウロがキリスト者として歩んでいるしるしです。すなわち、迫害です。世の中と同調するなら反発はありません。しかし、まっすぐに福音を告げることは世に受け入れられないことが多いのです。そして、それを続けるなら迫害を受けます。真っ向から世の中に対して戦いを挑むのは愛のない行動ですが、だからといって妥協してはいけません。自分の中に御霊のいのちを確信し、みことばにしっかりと経ちながら、まだイエス様を知らない人々に愛と情熱を持ってアプローチしていく必要があります。たとえ迫害されても、イエス様のためにそれを目指していきましょう。
どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、兄弟たちよ、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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