シャローム!
ノアとその家族は水の裁きから免れました。
山上の垂訓の最後は何で終わるのでしょうか。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いて家に打ち付けました。
それで倒れなかった家とひどい倒れ方をした家があります。その違いはイエス様のこれらのことばを聞いて「従った者」と「従わなかった者」の違いです。
ノアの出来事は、そのようなことも教えられるものです。
さて、今日はノアの晩年が出てきます。神と共に歩んだノアはどうなっていくのでしょうか。
今日の通読箇所:創世記9章~11章
■アウトライン
全世界へ
●いのちとのろい:9章
・いのちの祝福:1-7節
・契約:8-17節
・カナンへののろい:18-29節
●ノアの息子が全世界へ:10章
・ヤペテの子孫:1-5節
・ハムの子孫:6-20節
・セムの子孫:21-32節
●バベルからテラへ:11章
・バベルの塔:1-9節
・セムの歴史~選民の家系~:10-26節
・テラの歴史:27-32節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
創世記9-11章を音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【9章】いのちとのろい
ノアと家族、そして動物たちは新しい世界で再出発をします。
ここで神様は彼らを祝福されます。この祝福は今まで見てきた中で出てきたと思いますが、どの場面だったか思い出せますか?
3節からは、食物に関して神様が言及されます。今まで明確に肉に関しては語られていませんでしたが、ここで初めて肉を食べることに関しての規定が語られます。
植物と肉の違いは何でしょうか?
そして、3-7節で、肉以上に神様が語られていることは何でしょうか?
そうです。血です。
神様は血=いのちとされました。これは黙示録まで貫かれるとても大切な事になります。
8節からは、契約に関して語られていきます。
現代においても契約はとても大切です。契約にはまず、相手が必要です。8節から語られる契約は誰と誰の契約でしょうか?
そして、その契約の内容はどういったものでしょうか?
契約には印鑑やサインなどが求められますが、ここでの契約のしるしは何でしょうか?
18節からは、ノアの子どもたちが再び紹介されていますが、ひとり、違う名前が入っているのに気がつくでしょうか?
短い系図ですが、ここにも系図の原則が当てはまります。18節は誰で終わっているでしょうか?これから続く短いエピソードは、その人物にフォーカスが当てられている出来事です。
20節からは、不思議な出来事というか、少し残念なエピソードが書かれています。
ノアがぶどう酒に酔ってしまい、結果孫のカナンを呪うということです。
これは一見するとノアの気まぐれな行動に見えますが、実はそうではありません。
ぶどう酒で酔っ払ってしまったノアもノアですが、ここで問題だったのはカナンの父ハムでした。
ハムは父、すなわちノアの裸を見たと書かれていますが、それは原語の意味だと「ノアの陰部をまじまじと見た」という意味になります。
私たちが生活していても、目に入ってくる誘惑があります。それから目をそらせばいいのに、ずっとその事を見続けてしまうことがあるでしょう。まるで3章の女のように。
しかし、セムとヤペテは父の裸を見ないように、後ろ向きに歩き父の裸を覆います。彼らは顔を背けて父の裸を見なかったと書かれています。
もしかしたら、ハムの家系は権威者である父を軽く見るという文化があったのかもしれません。
事実、このあとカナンにはのろいの宣告がなされ、実際にカナンからソドムとゴモラの住民が分かれ出ていきます。
通常、ノアの息子を呼ぶときはセム、ハム、ヤペテと呼びますが、24節を見ると、ハムは末の息子と書かれていますので、実際の年齢に並べ替えるとセムが長男、ヤペテが次男(10:21)、そしてハムが三男(9:24)になります。
そうして、ノアの生涯は終わっていきます。
【10章】ノアの息子が全世界へ
ここではまた系図が出てきます。時代の変わり目ですね。しかも、ここでは大きく時代が変わっていきます。
創世記の12章からは大きな時代の転換点になります。
1-5節では、ヤペテの子孫が書かれています。
一般にはヤペテの子孫はエーゲ海からカスピ海にかけて分布する、インド・ヨーロッパ語族の先祖だと言われています。ここでは14人の名前が挙げられていると思います。
6-20節はハムの子孫が書かれています。
ハムの子孫はカナン以南、エジプトからアラビア半島にかけて分布するアフリカ系の先祖だと言われています。「クシュ」はエチオピアのことです。「ミツライム」とは「狭い」という意味ですがエジプトのことです。
ハムの子孫で目立つのはニムロデです。彼はどのような人物であったと書かれているでしょうか?
ちなみに、ニムロデという名前は「我々は逆らおう」という意味があります。名は体を表しますね。
ハムの子孫は30人の名前が挙げられています。
21-32節はセムの子孫です。
セムの子孫はアラビア半島に分布する中東の民族の先祖だと言われています。
21節ではエベルという名前が強調されていますが、エベルとはイブリ、つまりヘブルのことです。ヘブル(イブリ)とはもともと「超えてきた」という意味があります。ずっと後になって、セムの子孫が川を越えて定住することになります。
セムの子孫は36名で、兄弟合わせて70名の名前があります。預言的な数ですね。
【11章】バベルからテラへ
絵画でも有名なバベルの塔の建築がはじまります。
セム、ハム、ヤペテはもともと同じ原語を話していました。当然ですよね。ノアの息子たちなのですから。
彼らはシヌアルという地に定住し、そこに住居を構えます。その素材は石のかわりにれんがを、粘土の代わりに瀝青(アスファルト)を用いました。
なぜ彼らはこのような素材で家を造ったのでしょうか?
人と女が善悪の実を食べた時にとった行動と似ていないでしょうか?
これは私の予想ですが、ノアの息子たちは洪水を経験していたので、リスクマネジメントの観点から、あの洪水にも耐えられるようにとの思いからこのような頑丈な家を人の手で作ろうとしたのではないかと思います。
神様抜きで自分の力だけで何かをしようとするときには、黄色信号が点灯していることに気づく必要がありますね。
4節ではそれが極まります。天に届くような塔を建て始めます。これは、創世記3章に照らし合わせるとどのようなことが考えられますか?
また、彼らが塔を建てた目的は何だったでしょうか?
やがて主は町と塔を見るために降りてこられます。これも創世記3章と似ていませんか?
そして仰せられたことは、人が一つの民、一つのことばであるからこのようにしたのだということです。
逆のことを考えると、私たちが御国の原語、すなわち神のみことばを話す御国に属する民族であるなら、それらが集まった時の力はどれほどのものでしょうか。
ちなみに、このとき建設されたバベルの塔は約7m、3階建ての建物ほどの高さだったと言われています。
彼らは自分たちが企んだ塔を建てた目的の通り、それが自分の身に起こってしまいました。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのように当てはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
今も生きて働いておられる、
昨日も今日も変わらない復活の主を感謝します。
「生めよ増えよ地に満ちよ」と
神は私たちが栄えていくことを祝福し、私たちへの恐れがすべての生き物に起こり、すべての生き物を私たちに委ねられたことを感謝します。生きて動いているものは、緑の草と同じようにすべて私たちの体を養うための食物として与えてくださったことを感謝します。愛する神が仰せられるので、肉だけは、命である血のままでは食べないように気を付けたいです。
ここにどんな意味があるのかわかりません?教えてください。
そのいのちである血のあるままでとあるので、生きたまま食べるような残酷なことはしてはならない。ということでしょうか?
魚の活造りのような??
変なこと言っていたら申し訳ありません。笑ってください。(*^-^*)
気になって仕方なかったのでネットでググると
旧約の律法では「血は絶対に食べてはならない」ということが明示されていますが、それは血が神に属する神聖なものであったからです。その規定にはキリストの血によってのみ生かされるという真理が隠されていたのです。
こう書いてあるところに行きつきました。
ここに血の意味があるのか・・・と
尊い主イエスの血潮は全く聖いので、飲んでも死なず、かえって癒され生きるのですね。
聖餐式の杯。イエス様!感謝します。
神は悪人にも善人にも公平で命をいつくしまれる方であることを感謝します
神の形として造られた人の命をいつくしむことができますように。
人によって血を流されることのないよう
人の血を流すことがありませんように。
主が生めよと言われるので、私たちクリスチャンが、クリスチャンを生み、増え、地に群がり、地に増えますように。
見てはならないものを、まじまじと見て、罪を犯すことがありませんように。
追伸
志を持つとき、それが、天に届く高い塔を建て、自分の名をあげるための罪を持ったものなのか、真実に神を礼拝するものなのかを、主の御心なのかを吟味することができますように
そして真実に礼拝していても主は与え取られ、さらに豊かな身を結ぶために良い実も刈り取りをなさる方。通読クラブとは関係ないのですが、今日のネットでの第三礼拝で、私もともにに涙を流し祈りました。
そして、私の力ではフィレオの愛でしか愛せないかもしれないのですが、それでも、できる限り、主を愛したいと思います。
主の復活の日に、もう一度献身の思い、願いが新たにされました。
ハレルヤ❣️(^○^)
シャローム❣️
今日も、素晴らしい1日を神様に感謝します!!😊💗
神様、ご奉仕をしてくださっている俊さん、これを読んでくれているあなたに、
感謝します✨😂👏
さて、聖書通読4日目!
💗創世記9-11💗
~教えられたこと・感じたこと・啓示~
・神様は、ノアとノアの子孫、全て肉なる生き物な向けて、祝福されたー。
『もう二度と、水により、洪水により、全て肉なるものを滅ぼさない』と、永遠の契約として、『にじ🌈』をプレゼントしてくれた。そして、『生めよ、増えよ、地に満ちよ。全ての生き物は人間に服し、全て生きて動くものは与える。青くさも与えたように、これらのもの皆、与える。』と。
ここに、主の愛を感じる。
そして、この祝福は、創世記1-28-31を思い起こさせ、主の愛を感じる。
・主は、9:3-7で、『血=命』とされた。
『血=命。』それは、主が造られた(創られた)、尊い大切なもの。
ゆえに、大切にしていきたい。
(全ての命、すなわち、全ての生き物を。)
・カナンの父、ハムの取ってしまった行動、態度から、目上の人を敬う大切さ。
人を、主の似姿として尊ぶ重要性。
・セム、ハム、ヤペテは、実際の年齢に並べ替えるとセムが長男、ヤペテが次男(10:21)、そしてハムが三男(9:24)になる、ということ。
・ヤペテの子孫:一般的に、インド・ヨーロッパ語族の先祖と言われている、ということ。
・ハムの子孫:一般的に、アフリカ系先祖と言われている、こと。
・セムの子孫:一般的に、中東の民族の先祖と言われている、こと。
・ハムの子孫、『ニムロデ』の名の意味は『我々は、逆らおう。』ここから、自分に与えれた名前にも思いを馳せた。
この名前に込められた、主の思いを感じ、感動。主が与えてくれた名前を、感謝して受け取ります💗
・ノアの息子たちが、洪水を経験していたゆえに、リスクマネジメントの観点から、あの洪水にも耐えられるようにとの思いから、自分達の考え、思い、力で、頑丈な家を作ろうとしたのではないか?というところから、神様抜きで、我が力で!と、何とかしようとするのではなく、何事も、御霊に明け渡し、リラ~ックス🎶して、より頼んで生きる、大切さ。幸せ。
・主の祝福の中歩めるように、主に願い、祈り、日々、歩む。その大切さ。
・御国の原語=みことば、の民となる。
その幸い。
・虹を見るたび、主の永遠の契約、愛を思い起こしたい。
以上です💗😊
主の全てのみわざ、恵みに、感謝します!!
また、神様が教えてくださった、全ての恵みを神様に感謝します✨😂👏
全ての栄光、賛美が、主だけにありますように❤️
読んでくださった、お一人、お一人に、感謝します💗😂
シャローム!!🍃🌸
箇所を読んだ日付と分かち合いの投稿がずれてしまい、今頃になってしまいましたが、諦めずにやり続けるためにも投稿させていただきます。
ここの箇所を読み感じたことは、神様抜きで何かをやってしまうこと…についてです。
神様抜きに生きてしまうことがよくある者ですが、そのことを示された気がしました。
結果、言語がみなばらばらになってしまい、人間の想いは成功し得なかった。
神様は全てをご支配されるお方で、被造物である人間は、神様以上にはなれない、神様抜きで事をおこなってはいけないのだと思いました。
また9:9にある、あなたがたの後の子孫と…にここに自分も入っているのだなと嬉しくなりました。
これから虹を見る時、ただの自然現象だな、とか綺麗だなではなく、神様の契約として見ることができうれしいです。
まとまりつかない文章ですが、やっていくこと、続けていくことが大事なのでやり続けたいと思います。
ハレルヤ❗(^○^)
シャローム❣️
めちゃめちゃ久々の投稿となってしまい、大変恐縮です。
日々の歩みの中、色々な攻撃もあり、
本当に、聖書を読めない日々が、続いてしまいました。しかし!神様は、憐れみと恵みを注いでくださり、また、聖書通読を再開し始めています!!何度も、自分はダメだ、とか、毎朝送られてくる聖書通読クラブのメールに、申し訳なさと、こんな自分は、受けとる資格はない、とか色々考え、何度も、もう受信はやめようか、俊さんに悪いもの・・・と思いました。
しかし、俊さんのFacebookの聖書通読に関するコラムなどを読む中で、大切なのは、聖書通読を続けることだよ!と神様と俊さんから、励まされているように感じました。ですので、これからも、環境や状況がどうあれ、聖書を読む事を諦めない!めげない!事を大切にしていきたいと思います❣️(^○^)今日も、イエス様に感謝します❣️また、日々の俊さんの働き、また、皆さんの聖書通読の歩みに、心から感謝します。私は、皆さんから、どれだけ励まされているか分かりません。
皆さんの分かち合いは、私の喜びであり、日々の歩みの頑張る元気です❣️(^○^)
今日も、シャローム❣️