聖書通読クラブ Day 80

聖書通読クラブ Day 80【サムエル記 第一 4章~6章】

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シャローム!

今日の通読箇所は主の箱、神の箱が中心です。神の箱はイスラエルの民が出エジプトし、荒野でモーセが神からのことばを受け、作らせた幕屋の中心です。
ところがこの箇所を見ると、まるでやっかいもののように扱われています。創造主である神のご臨在が現れる神の箱が、被造物である人によってあちこちに移動させられています。
もちろん、それぞれの場所でその扱いに応じて神からのさばきがあるのですが、少し不思議に思いました。
今日のみことばを朗読し祈る中で、誕生されたばかりのイエス様の姿を見せられました。
このお方は確かに神様ですが、生まれたばかりの時はヨセフとマリヤの手によってあちこちに運ばれました。
神様は時に、このように小さな者の姿を取り、私たちを試されるのかもしれません。

それでは、今日もみことばに語っていただきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第一 4章~6章

■アウトライン

神の箱

●去った栄光:4章
  ・打ち負かされる:1-4節
  ・持ち込まれる契約の箱:5-11節
  ・エリへの報告:12-17節
  ・栄光は去った:18-22節

●奪われる神の箱:5章
  ・ペリシテに奪われる神の箱:1-5節
  ・神の箱とわざわい:6-12節

●送り返される神の箱:6章
  ・神の箱を送り返す:1-9節
  ・ベテ・シェメシュにとどまる:10-16節
  ・金の腫物:17-18節
  ・主の箱の中を見た者:19-21節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】去った栄光

サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ります。サムエルは神の声を聞き、それを民に伝えます。預言者です。彼は幼い頃から預言者としての働きをしていました。その基礎を作ったのは乳離れまで、主を恐れることと従順と感謝を教えた母ハンナでしょう。
その頃、イスラエルはペリシテと戦いに出ます。さて、今度の戦いはどちらが勝つでしょうか?今まで忠実に読み進められている方はあることばがないことに気づくかもしれません。そうするなら、結果を予想することができますね。
2節で結果はどうなっていますか?そして、イスラエルの長老たちはその原因を何だと特定しますか?
彼らは神の力が足りないということで、神の箱をシロから運んできます。このとき、一緒についてきた人々がいます。誰でしょうか?
一見、このアイデアは素晴らしく見えます。しかし、おかしな点があります。長老は負けたことを嘆いていません。たましいに対する憐れみの心が欠けています。そして、主に伺うことをもしていません。主の語りかけを聞かずに行動しています。また、神への和解のいけにえを献げていません。神様との関係を築いていません。そして、祭司の指示の下動いていません。リーダーに従うことは神の秩序を守ることです。
この事から、彼らは律法を知らず、自分の目に正しいことを行っていたと言うことがわかります。

5-8節、神の箱が到着するとイスラエルは喜びの声を上げ、敵は恐れます。これが神様の臨在の力の一部です。
ところがこの時のイスラエルの人々は悔い改めもせず、神様との正しい関係も築いていませんでした。それなので、その喜びは一時的な喜びとなってしまいました。

9-11節、このイスラエルの心理作戦が逆目に出ました。ペリシテ人を変に刺激してしまいました。その結果、イスラエルは打ち負かされ、その上疫病で多くの人が死にました。おまけに神の箱は奪われ、ホフニとピネハスも死んでしまいます。
まるで、新しいおもちゃを自慢するのび太がジャイアンにコテンパにされ、おもちゃも奪われるような感じです。

12節から、この様子がシロのエリの所に伝えられます。エリは非常に年を取っていました。本来なら神の箱を守らなければならない立場でしたが、それができないことに悔いていたのでしょうか。息子よりも神の箱を心配しています。
この知らせを聞き、エリは席から落ちて死んでしまいます。あまりにもさみしい最期です。

19節から。ピネハスの妻はみごもっていました。しかし、夫としゅうと、そして神の箱が奪われたという知らせを聞き、ショックから子を出産します。出産は母にとって人生で最も幸せに満ちた瞬間のひとつであるにもかかわらず、ピネハスの妻は無関心です。神の栄光が去って、義務的に霊的な子を生み出す教会の様子を描いているのでしょうか。その子の名は「栄光は去った」とい言う意味のイ・カボテと名付けられます。かわいそうな名前です。

され、ここで少し考えてみましょう。神様の栄光がないままで教会を運営していくことは可能でしょうか。
実際的には可能です。なんとなく臨在がある風の雰囲気を作りだして、人に優しくして、メッセージの時には役に立ついい話や小話をします。しかし、その中心にイエス様はいません。
むしろ、そのようなものは何もなくても、建物がなくても、主を愛し、主のみことばを切に求める者が二人三人集まるなら、主はそこにいてくださり、それが召された者の集まり、エクレシア、つまり教会となります。
建物やイベントが教会ではありません。イエス様を中心とした共同体が教会です。黙示録3:20節を見てみましょう。今もイエス様は外に立って「私を中心にしてくれ!」と叫ばれています。

【5章】奪われる神の箱

イスラエルから栄光が去ってしまいました。これですべてが終わりなのでしょうか。いいえ。神様は恵み深いお方です。ここからも主の回復があります。
神の箱が奪われ、ペリシテ人の地を転々としますが、そこで何が起こるのでしょうか。

神の箱はアシュドテに運ばれ、ダゴンのかたわらに置かれました。日本人にわかりやすく言えば、仏像の横に契約の箱が置かれているようなものです。
ペリシテ人は多神教でしたので、どのような神も受け入れます。ですから、唯一のまことの神もダゴンも同列に扱っていました。
ところが、3節、不思議なことが起こります。4節ではそれが続けて起こり、さらに首と両腕が切り離されます。
自分で動くことも倒れたものを起こすことのできない神と、超自然的な力を持って事をなしてくださるまことの神、力の差は歴然です。
そして、神様はダゴンだけでなく、アシュドテの人にも腫物という形で報います。恐れたペリシテ人は領主を集め話し合い、神の箱をガテに移すことにします。
ガテでは、非常な大恐慌がおきました。さらに町の上から下の者までを打ちました。
それで、エクロンに神の箱を運ぼうとしますが、先に噂が伝わっており、エクロンの人々は断ります。
たまりかねたペリシテ人は神の箱をイスラエルに送り返すようにします。多くの物が死に、生きている者も腫物で打たれました。
主の箱、つまり主のご臨在を自分たちの利益のために用いようとした者へのさばきと報いです。

【6章】送り返される神の箱

ペリシテ人は神の箱の扱いに困り、7ヶ月も野に放置されます。考えられないことです。
その間も腫物は広がっていったのでしょう。協議を重ねた占い師たちは金のねずみをつけて神の箱を送り返すことを提案します。
これは、腫物が腸から肛門にかけての腫物だと考えられており、それを媒介したのがねずみだと考えられていたからでした。
ねずみによってもたらされた災いをねずみによって精算するという考えでしょうか。

6節はとても興味深いです。異教の祭司と占い師が出エジプトを引用して行動を促しています。異教の人々であっても、ヤハウェなる主への恐れがありました。
7節で具体的に行動が起こされます。どのようなもので神の箱を送り届けるようにすると書いていますか?
くびきをつけたこのとない、乳を飲ませている雌牛とあります。これはどういうことでしょうか。
くびきをつけたことのない牛2頭にくびきをつけるなら嫌がって暴れます。また、父を飲ませているということは子牛がいます。母性本能で子牛から離れたくないと思うでしょう。
そのような状態の雌牛が神の箱を乗せた車を導いたなら、それはヤハウェなる神の導きに違いないと考えたのです。
10節から、そうしますが、結果はどうなったでしょうか。

13節から、半年以上失われていた神の箱が突然、二頭の雌牛に引かれ自分たちの国に戻ってきました。それを見た人々は喜びます。
小麦の刈り入れをしていたとありますので、時期が特定できます。イツでしょうか?覚えていますか?七週の祭り、初夏の季節です。
そこでベテ・シェメシュの人は神の箱を引いてきた車を解体し、引いてきた雌牛をいけにえとして主に献げます。
自分たちの罪滅ぼしとして持ってきた金のねずみを渡し、そのいけにえの様子を見届けたペリシテ人の領主たちはエクロンに帰ります。

一見、ベテ・シェメシュの人々は素晴らしいことをしたように思えます。ところが、悲劇が起こります。19節を見てみましょう。
どうしてこうなったのでしょうか。これは私の想像ですが、普段は見られない神の箱が自分の所にあるので、人々は興味本位で神の箱を見に来たのではないかと思います。
これは正しいことでしょうか?私たちはモーセ五書で何度もこの事を読んだのではないでしょうか。
神の箱は幕屋の最も奥にあり、年に一度、大祭司が血と煙を携えてしかその前に立つことが許されていませんでした。
その手順以外で一般の人が神の箱を見た故に、この裁きがおこってしまいました。
ヨハネの福音書10:1には「門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です」と書かれています。
神様が定められた方法で主のご臨在に近づく必要があります。そのためにも毎日みことばを朗読していきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 神の箱はキリストの模型で、
    敵の手の中に入ってもイスラエルの地に帰ってきたことは、
    敵(ペリシテ)の手に渡っても、死の力をもつサタンをご自分の死によって滅ぼし、復活の力をもって敵を打ち破られ、結局は、神の知恵によってみ心を全うされたことを表されていると受け取ります。

    ペリシテ人は出エジプトでのイスラエルの神の奇跡を聞いて知っていても、
    また第二サムエル6章9節では
    注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのはあの神です。
    と分かっていて、
    母牛が子を取られて鳴きながらでも、右にも左にもそれず、ベテ・シュエメシュまで真っすぐ進む奇跡を見ても、
    ペリシテの人々は、イスラエルの神が生きた力ある本物の神であることを悟らず、目が曇った者達だったのですね。

    せっかく生きて実在する神の、その神の箱がすぐそばにあって、それも主がそこに臨在されていたのに、なんの祝福も受けずかえって呪いを受けて神の臨在を手放してしまうとは、もったいない。神は祝福の神なのに。

    妄想好きの私はふと想像します。
    奪ってではなく、何かの間違いででも、異邦人のところに神の箱が届いたとして、箱に触れず、神に祈り、今までイスラエルになさった類なる業をたたえ礼拝し、神の近くに我が身があることを敬虔に恐れ、律法では祭司しか触れませんが、どうしたらいいのか、教育を受けていないのでイスラエルの祭司のように正確ないけにえのささげ方を知りませんが。と素直に神に御心を聞いていたなら、神の目に相応に祝福を与えてくださっていたに違いないと思います。
    そんなことができるなら、ペリシテ人は初めからイスラエルに戦争を持ち込まないと思いますが。

    ペリシテの人の態度は、聖書のみ言葉や、人の証を聞いてもそれは私に遠く癒されないと諦める方向に傾こうとする、私のことを指していると主に諭されていると思います

    神は異邦人にも慈しみ深く、主を慕い求める者には祝福を与える方なので。
    ルツしかり、ラハブしかり、

    神はえこひいきする方ではないことを忘れないでいたいと思います。

    今は恵みの時、後で、あれほど神が近くにおられたのにもったいないことをしたと後悔しないように、主のみ言葉を悟れますように。

    エペソ人への手紙
    1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
    1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
    1:19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。

    今日、目を開いていただくことを求め、知恵と啓示の御霊を求めたいと思います。

    ヘブル人への手紙3章15節が心に響きます

    「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。

    アーメン

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