聖書通読クラブ Day 78

聖書通読クラブ Day 78【サムエル記 第一 1章~3章】

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シャローム!

イスラエルは指導者を失っていました。預言者の働きも祭司の働きも弱く、人々は王を求めるようになってきました。
サムエル記上下は王が誕生する書簡です。多くの項を割くのがダビデです。ルツの最後でダビデの名前が出てきたのを覚えているでしょうか。
ひとつの時代が終わり、新しい大きな時代のくくりがはじまろうとしています。
霊的指導者も王もないイスラエルが主の恵みとご計画によってどのように回復していくのでしょうか。
今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第一 1章~3章

■アウトライン

新しい時代の幕開け

●ハンナの祈り:1章
  ・心を注ぎ出す長い祈り:1-18節
  ・主に献げられるサムエル:19-28節

●祭司エリの家へのさばき:2章
  ・ハンナの賛美:1-11節
  ・エリの息子とサムエル:12-26節
  ・エリの家の断絶:17-23節

●サムエルの働きのはじめ:3章
  ・神からの呼びかけ:1-14節
  ・実現することば:15-21節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】ハンナの祈り

まず、エルカナという人物が登場します。エフライムの山地のエフライム人の子とあります。士師記の後半でエフライムの山地にもレビ人がいたと言うことを読んだのを覚えているでしょうか。エルカナはエフライムの山地に住んでいるレビ人です。
また、彼は二人の妻を持っていました。ハンナは「恵み」と言う意味、ペニンナは「宝石」という意味です。
3節、シロというと、この時に神の箱がある場所です。ですから、年に三度の主の例祭は、この時はエルサレムではなくシロに上ります。
6-8節を読んで、どう感じますか?女性の人は「わかる!」と思うかもしれません。どうして男性はこれほど女性の気持ちを理解できないのでしょうか。
そして、ハンナをいらだたせるペニンナの姿もあります。妻が二人いるというのは大変ですね。今の時代を感謝します。

9-11節、ハンナの気持ちがわかりますね。10節には心が痛んでいたとあります。こういうことをされて痛まない人はいないでしょう。その時、ハンナは人にその気持ちをぶつけませんでした。主に心を打ち明けました。それは正しいことなのです。
ハンナは万軍の主の前で泣いて祈りました。その内容は何だったでしょうか。「男の子をください」といいう事です。そうすればナジル人としてその子を献げると告白しています。
12節から、ハンナはどれくらい祈っていたのでしょうか。「長く祈っている」と書いています。祈りを食前の祈りだけで済まそうとするかもしれません。それも大切です。しかし、時間を聖別して、主の御前に進み出て、心を注ぎだして長く祈ることは正しいことです。ハンナがそうしました。
それを見た祭司エリは「酔っている」と言いました。祈りと酔っているということで思い出すことはないでしょうか。使徒2:13節で、聖霊様に満たされ、他国のことばを話していた弟子たちを見て「酔っている」と言いました。
ですから、私はこの箇所は、ハンナが心を注ぎ出す打ちに聖霊様に満たされ、御霊のことばで祈っていたのではないかと思います。

17節、これを見るときに祭司エリが自分のばつの悪さから適当に言ったように思えるかもしれません。しかし、エリは祭司です。彼の口から出ることは預言です。イエス様の時代の祭司も何気なく言ったことが成就しました。私たちも口から出ることばに気をつけましょう。のろいばかり告白していたらそれが実現します。しかし、主をほめたたえていたなら祝福が満ちあふれます。どちらを選びますか?
18節、祈った後のハンナの姿を見ることができます。今まで食事が喉を通らなかったのに、祈った後は食事をします。また、顔が以前のようではなかったと書いています。
自分の中で募る思いがあり、思いっきり賛美して祈ったらすっきりすることがあります。祈りの家でもそのような方を多数見かけました。
どのカウンセラーも解決できない問題を、まことのワンダフルカウンセラーである聖霊様は解決することができます。

19節から、女心がよくわからないエルカナでも、さすがにハンナの様子の変化に気がついたのかもしれません。今までは主がハンナの胎を閉じておられましたが、御霊によって祈った後、エルカナはハンナを知り、そして主が心に留めてくださいました。祈りの結果です。
そしてついに、ハンナは男の子を産みます。祈りの成就です。名をサムエルと名付けます。「神様が聞かれる」という意味です。まさに、ハンナの祈りを主が聴いてくださった結果です。

21節から、またシロに行く季節です。ところがハンナは子どもを理由にとどまることを決断します。産後の体には長旅は大変です。留まる理由はそれだけ出なく、シロに行くとサムエルとずっと会えなくなることをハンナは知っているからでした。
モーセも乳離れするまで実母に育てられました。同じように、サムエルも母の愛をいっぱいに受けて育ちます。
24節、ついに時が来ます。ハンナはささげものと共にサムエルを連れてエリの所に行きます。
その後28節でハンナが取った行動は礼拝です。礼拝を中心にする家族です。祝福された家族です。日本中の家族がこのようになりますように。

【2章】祭司エリの家へのさばき

ここからハンナの祈り、賛美が書かれています。
この祈り、賛美は何からはじまっているでしょうか。主を誇ることです。これこそが賛美です。「私の主はこんなにもすごい!」と誇ることが賛美です。そのためには何がすごいのか、どのようにすごいのかを知り、そして体験する必要があります。神様と共に歩んだ人の献げる賛美はその場の空気を変えます。
また角は力を意味します。敵に勝ち誇っている様子が書かれています。主がそのようにしてくださいました。
2節では主の聖さを歌っています。特別に取り分けられた方が主です。唯一無二の神は聖なるお方です。そして、岩とは揺るがないものです。新約聖書では岩はキリストを指し示します。
3節、大切なことです。主は高ぶりを嫌われます。この口は主を賛美するために与えられています。人を立て挙げるために与えられています。
5節は対比と逆説的な事を並べ、主の偉大さをたたえています。これが主のされることです。
6節、ヨブの祈りのようにも見えますが、これはイエス様のこともさしています。「主は殺し、また生かし」「よみに下し、また上げ」られたのはイエス様だけです。
8-10節は、まるで黙示録のようです。最後の裁きを預言しているような祈りです。主は信じる者に御国の王位を継がせてくださいます。
ハンナは祈りの生活を続ける中で、先見者のような祈りを捧げる祈りの勇士となっていました。
これは長い時間かけて築いてきた主との関係がなせることでしょう。長い時間を祈りに献げましょう。自分を、家族を、教会を、学校を職場を、そして日本を救いに導くためです。祈りましょう。

12節からは、コントラストを持ってサムエルとエリの息子たちが描かれています。
この時代では、イスラエルの人々だけでなく、レビ人や祭司までもが、めいめい、自分の目に正しいと思うことを行っていました。
しかし、それもいつまでも続くものではありません。主は民を愛するが故にさばかれます。
エリの息子たちはどのような者だったでしょうか。「よこしまな者で、主を知らない」と書かれています。よこしまな者はまだ許せるにしても、祭司の子でありながら神を知らないというのは悲しい事実です。
牧師の子どもが傷ついたという話を聞いたことがあります。一体何が大切なのでしょうか?ミニストリーが偶像化してしまい、家族の悲痛な声にならない声に耳が傾けられなくなっていたのでしょうか。様々な原因はあると思いますが、働きよりも家族を大切にすることを神様は願われているように感じます。
それぞれの家族がしっかりと子どもたちに信仰を継承していけば、自然と福音は広まっていくはずです。まず、自分自身に、そして最低でも家族に福音を語り続けましょう。

13-17節には、エリの子たちの愚行が書かれています。律法を知らない上に、人としてもありえないことを行っています。よこしまで主を知らないと言うことは本当のようです。
もっと悪いのは、人が礼拝しようとしているのにそれを邪魔していると言うことです。イエス様は神殿の庭で鳩を売ったり両替したり、そこを近道だからと通り抜ける人たちに対して怒りをあらわにされました。神殿の庭は異邦人に開放された祈りの場だったからです。
教会で最も大切な祈りと礼拝を他のことで妨げていることはないでしょうか。神様はその働きを本当に求めておられるでしょうか?自分の夢の実現のために教会を利用していないでしょうか?もう一度心に問うてみましょう。そして、必要ならやめるという決断もしましょう。
とにかく、エリの息子たちは神様の前で非常に大きな罪を犯しました。主へのささげ物を侮りました。

18節からは一転してサムエルです。毎年霊的にも身体的にも成長するサムエルを母は気遣っていました。おそらく、あのハンナですから、絶えずサムエルのためにとりなしていたのでしょう。母のとりなしは強力です。子どものために祈りましょう。
この忠実な者に主からの報いがあります。21節では不妊だったハンナが三人の息子とひとりの娘を産みます。祝福の表れです。

22節、エリの子どもたちについて再び触れています。先ほどのいけにえの横取りに加え、会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていると書かれています。ことばが出ません。
現代にたとえて言うなら、教会で働く者が、信徒の女性に手を出して、教会に持ってくるささげ物を横取りしていると言えばいいでしょうか。そのような献身者がいたら、どうしますか?
たまりかねてエリは息子たちを注します。25節を見ると、人に対する罪は主が裁かれるが、神に対する罪はどうしようもないと言っています。これはそむきの罪という種類の罪で、最も重い罪です。

26節、ほっとします。見事なコントラストです。サムエルは人と神に愛されました。よこしまで神を知らないということの反対です。イエス様もまたそのように成長されました。
信仰と人格、その両方が大切です。

29節、またエリの子たちの事です。ついに神の人が現れて警告しています。29節を見てみてください。エリは神よりも自分の息子たちを重んじていたと書かれています。これは重要なことです。
もちろん、子どもは大切ですが、まずは神様です。この順番を取り違えてはいけません。まず礼拝です。神の国とその義が第一です。
結局、彼らは25節の最後に書かれているように、自分を肥やそうとしていたのです。
この時代背景を見たら理解できますね。ローマ12:2のように、この世と調子をあわせてはいけません。妥協は生ぬるさを産み、やがて偶像礼拝、死へとつながります。必死で聖さを守り抜きましょう。そのために主により頼みましょう。愚かに見えるこのことが神様に喜ばれます。
30節、心に響くみことばです。神様はエリたちに対する御心を帰られました。「わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる」とあります。自分の時間は自分のいのちの時間です。人は生まれた瞬間から(肉体の)死に向かっています。この時間にあらがうことはできません。唯一、イエス・キリストを信じる者は「永遠」という時間のサイクルに入れられます。そして、天での永遠の時間は今の地上での時間の延長線上にあります。そうするなら、今をどう生きるか、今どれだけ主を思うかが永遠のいのちにつながります。
34節、ついにエリの息子、ホフニとピネハスに審判が下ります。それは親であるエリへのしるしでもあります。
35節、主は人が自分勝手な事を選び続けるとき、ご計画を微調整されることがあります。本当はエリの息子、ホフニとピネハスが油注がれた祭司となることが御心だったでしょう。しかし、それはかないませんでした。それで、主は新しい預言者を起こされます。
主によってバッサリと折られたと感じることがあっても、主はそこから新しい芽を芽吹かせてくださいます。新しくされるために倒されることもあるのです。

【3章】サムエルの働きのはじめ

イスラエルが霊的に真っ暗なような状態の中、一筋の光が輝きます。ついに油注がれた預言者、サムエルが働きを始めます。
この後出てくるダビデもそうですが、突然に彼らが神の霊を受け、活躍をするのではないと言うことがわかります。
賛美リーダーや様々なミニストリーで活躍する人に憧れる人もいるでしょう。しかし、彼らがどれほど祈り、みことばに生き、数々の失敗を経験してそれでも主の使命を全うし続けたかを知る人は多くないとお思います。働きの前から主に仕え続けていた、それを神様が良しとしてくださって働きはがはじまります。
この時代、主のことばはまれにしかありませんでした。幻もありませんでした。霊的な暗黒期です。マラキからバプテスマのヨハネまでの時代も暗黒期でした。もしかしたら今も暗黒期かもしれません。偽預言は沢山ありますが、本当の神からの語りかけはあるのでしょうか。

この暗黒期に主が語り始められます。7節まで、何度繰り返されているでしょうか?もし、エリが心から主を愛して主に仕える祭司であれば、1回目に気づいてサムエルに指導できたのではないかと思います。しかし、あまりにも長く主の語りかけがなかったために、エリはそのことを忘れてしまっていたのでしょうか。
しかし、素晴らしいのはサムエルです。若くて寝ていたい年頃であろうに、主人の語りかけにすぐにおきて行動しています。聖書の中で、主に仕える器には反抗期は見られません。純真な心で直ぐに行動します。それが神に喜ばれる器です。
8節から、エリに指導されたサムエルは主が来られたときにその通りにします。もしかしたら、これは主がサムエルに対して、忠実さをはかるテストだったのかもしれません。それで、寝ているときと言う最も行動したくないときにその忠誠心をためされたのかもしれません。みなさんはサムエルのように行動することができますか?

11節から、サムエルははじめて主語自身の御声を聞きます。その最初の事は何だったでしょうか。
なんと、尊敬し仕えているエリの家に対するさばきです。
サムエルはいつものように宮を管理していましたが、神様から語られた事をエリに伝えることを恐れていました。当然です。しかし、エリの励ましの中、それを伝えます。
親として、このような態度は大切です。子どもと同じ目線に立って、スマホを脇に置いて、テレビも消して、子どもの心の声に耳を傾けながら、励ましながら聞くのです。
そうするうちに、考えてもいなかった悩みや成長した考えを語り出します。子どもの語りやすい環境を作ることは親の大切な役目です。職場の部下に対しても同じ事が言えるかもしれません。

19節から、サムエルが最後の士師となります。当時、士師は地域ごとに治めていました。しかし、サムエルはイスラエル全土をさばきます。「ダンからベエルシェバまで」とは、イスラエル全土、いわば「北海道から沖縄まで」という表現と同じです。
まるで、枯れていた井戸から水が湧き出るように、主のことばがサムエルを通して全イスラエルに流れ出ます。ついにこの時が来ました。霊的な復興、リバイバルです。
そのとき、主は彼と共にいて、彼のことばはひとつも地に落ちませんでした。神と共に歩む者の口から出ることばはこのようになります。
やがて、黙っていても周りが認めるようになります。あかりをつけてますの下に置くのではなく、燭台の上に置かれます。そうするなら、家にいる人すべてを照らします。
今こそ神のことばを宣言し続けましょう。世の中の情報以上に、神様の御声に耳を傾けましょう。主を大切にする者は主が大切にしてくださいます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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