シャローム!
今日は一日でルツ記を読破します。といっても4章ですので、一気に読めるはずです。物語のようになっているので、旧約聖書の中でも比較的読みやすい書物です。
この書簡は昨日まで読んでいた士師記に続く書簡です。一部の人は、士師記にこのルツ記が含まれていたという人もいます。
士師記は「王がなく、いめいが自分の目に正しいと見えることを行って」いた時代です。その次代にあって、全く正反対の姿をルツに見ることができます。
これは、なまぬるい現代においても、みことばを愛し、いのちをかけてキリストに従う教会の姿です。
一気に読むときに見えてくる聖書の景色があると思います。
今日も主に期待して、みことばを朗読していきましょう。
今日の通読箇所:ルツ記1章~4章
■アウトライン
ただ恵みによって
●忠誠を示すルツ:1章
・ききんと死:1-5節
・ルツの献身:6-18節
・苦い水:19-22節
●ボアズの好意:2章
・落ち穂拾い:1-7節
・ボアズの優しさ:8-16節
・近親の者:17-23節
●ルツの求婚:3章
・ナオミのすすめ:1-5節
・ボアズの足もと:6-13節
・ルツの報告:14-18節
●ルツとボアズの婚姻:4章
・買い取り権の身内との交渉:1-6節
・結婚の宣言:7-12節
・報いとしての祝福された子孫:13-22節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】忠誠を示すルツ
さあ、今日はルツ記です。昨日までのモヤモヤした通読から、爽やかな風の吹くような箇所となります。
1節には「さばきつかさが治めているころ」とありますが、これが今で読んでいた士師記の時代です。
場所はベツレヘムです。昨日の通読箇所の惨事が起こった場所です。
ダビデはこの場所で育ち、イエス様はこの地でお生まれになります。その事を頭に置き、通読してみましょう。
2節に「エフラテ」とありますが、これはベツレヘムの事です。
3節からは悲しい出来事が続きます。ナオミは夫と二人の息子を失います。本来ナオミとは「快い」ということばですが、重なる悲しい出来事と恥で自分をマラ「苦い」と読んでくれと言っています。
6節はことばあそびです。主はききんを終わらせてくださり、ベツレヘムにパンをくださいました。ベツレヘムとは「パンの家」という意味ですから、ヘブライ語で読むとことばあそびのような形になっています。
8節から、ナオミは嫁たちを自分たちの国へと帰そうとします。母の愛です。嫁はそれぞれの夫、つまりナオミの息子たちと結婚したので、夫を失った今はナオミと共にいてもしょうがないと考えたのでしょう。10節から会話が続きます。子どもがなく、夫が死んだ場合、申命記25:5-6に書かれています。ナオミはこれを知っていました。
これを実現するためには、今からナオミが結婚して、男の子を産み、彼が成人するまで待たなければなりませんでした。現実的に考えても難しいことです。
それで娘たちは泣きます。その結果、オルパはモアブ人の所に返りましたが、ルツはそれでもナオミについていく決心をしました。
16節からのルツの決心を読んでみましょう。私たちはこの決心を持って主に仕えているでしょうか?このルツの決心に自分の都合や自分への見返りを求める心は見ることができません。心からの忠誠を見ることができます。そのように主に従いたいですね。
時にうわさは驚くほどの早さで伝わります。かつて、私が小学生の頃、帰り道で遊んでいて、家に帰ると母が「○○で遊んでたでしょ」と言いました。携帯電話もない時代です。どうやら、友だちのお母さんが私を見かけ、母に伝えたようです。恐ろしい速度の伝達網です。
19節から、ベツレヘムに帰ったナオミとルツを待ち受けていたのはこの噂でした。ナオミはどれほど心が苦しかったでしょうか。穴があったら入りたいほどの恥を感じていました。
22節、「モアブ」が強調されています。そうです。ルツはイスラエルの民ではなくモアブ人です。彼女がただ恵みによって救い主の家系に入れられていく物語がルツ記です。そして、それは私たちの物語でもあります。
【2章】ボアズの好意
ボアズが登場します。この物語のもう一人の主要人物です。仕事もなく、その中でも生きていかなければならないので、ルツはボアズの畑で落ち穂拾いしたいとナオミに言います。これは泥棒行為ではなく、レビ19:9-10に書いてあります。
ルツは異邦人であるにも関わらず、主の教えを知っていました。ナオミか夫からの教育だったのでしょうか。
3節を見てみましょう。ルツは落ち穂拾いの女性の列について行っただけです。そこがなんとはからずもボアズの畑だったのです。これは偶然でしょうか。ちがいます。主のご計画です。私たちに起こる事はすべて必然的に起こっています。良いことも悪いことも必要なので起こっています。そのすべてを主がしてくださったと 気づく事ができますように。
5節、ボアズの普段からの人格を見ることができます。労働者をさげすむことなく尊重し、主の祝福を宣言しています。労働者も「主があなたを祝福されるように」と言っています。このような雇用関係は素晴らしいですね。こうなりたいと願いますか?まず、祈って自分から始めて見ましょう。
8節、ボアズはめざとくルツを見つけます。いつも畑を見ていたので、知らない人を直ぐに見つけることができたのでしょう。
そして、ボアズはルツを気遣います。安全と食っていけるようにことばをかけます。なんて優しいのでしょうか。
10節からはルツの反応です。どうしていますか?ひれ伏して答えています。そして、正直に自分は外国人であることを告白しています。この正直さが大切です。
実は、ボアズはルツのすべてを聞いていました。そして、気の毒に思っていました。それで、彼女が不安にならないよう生活の保障をし、心が守られるよう祝福しています。
12節の祝福を見るときに涙が出ます。イスラエルの神だけが私たちの避け所です。
この箇所ですでにルツは報いがありました。地での報いです。ボアズによって生活と霊的な保証を得ました。これはルツがいのちをかけてイスラエルの神に従う決心をし、行動したからに過ぎません。マルコ10:29-30を読んでみましょう。
また、14節を見ると、ボアズはルツだけではなく、ナオミのことまで気遣っていました。
15-16節は、ルツの仕事に関してのボアズの配慮です。こうするのであれば最初から穂をあげてしまえばいいと思いますが、そうするなら他の人から妬みを買うかもしれません。また、ルツ自身の尊厳を損なうかもしれません。また、働いた報酬としてルツに持って帰るためでもありました。とにかく、ボアズは隅々まで配慮できる人でした。
ルツは沢山のお土産を持って帰りました。ボアズにもらった食事も自分だけ満腹になるのではなく、ナオミのために残して持って帰りました。分け与える心があります。
ナオミはルツがどこで働いてきたか知りませんでした。そこで、どこで働いたか聞いて驚きました。買い戻しの権利のあるボアズの所です。20節に「近親者」と書かれていますが、これはヘブライ語でゴエルといい、贖いの意味です。買い取ることが贖いなので、買い戻しの権利のある者という表現も納得できますね。
私たちを買い取ってくださった方はどなたでしょうか?イエス様です。このお方は私たちに目をとめてくださり、話しかけてくださり、どこまでも良くしてくださり、一方的に恵みを注いでくださるお方です。
23節を見ると、ルツは大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで落ち穂を拾ったとあります。じつは、この事から大体何月くらいかがわかるのです。
大麦の取り入れ時期は過越の祭の時期です。つまり春、3-4月頃です。小麦の取り入れの時期は少し遅れて初夏、七週の祭り(五旬節)の時期です。つまり、4-5月頃です。
過越の祭から七週の祭りまでは50日と決まっていますので、おおよそその期間落ち穂を拾い続けたことになります。
考えてみると、士師記のテーマとも言えるみことばは「めいめいが自分の目に正しいと思われることを行った」とありますが、ルツはその正反対を歩んでいるように見えます。このように歩む者が神から目をとめられ、恵みを注がれ、贖われます。
【3章】ルツの求婚
ルツ記は異邦人の女性がイスラエルの男性に恵みによって買い取られる物語です。これはイエス様と私たち異邦人の関係と見ることもできます。
ナオミはルツに「幸せになるために、身の落ち着くところを私が探すと言っています。」安息の場所です。私たちはイエス様のところでしか安息を得ることができません。
ナオミはルツに逆プロポーズのようなことを勧めます。女性はこういうとき大胆になることがありますね。
ボアズは収穫の忙しい時期、打ち場で寝ていました。そこに忍び込むという作戦です。そして、事細かく何をすべきか、何を言うべきかを伝えます。ルツはそれに素直に従います。見た目以上に内側がとても美しい女性です。
10節、ボアズが答えます。誰も見ていない、二人だけの密室でこのような場面を迎えたとき、その人の本当の人格が現れます。
ヨセフがしたように、いや、それ以上にボアズは誠実な対応を持ってルツに接します。
11節を見ると、ルツの評判は町中で知られていたようです。自分では気づいていなくても、周りの人は自分で自分を見る以上に私たちのことを知っています。最初は町で噂されていたルツですが、その行いによって誠実さを示していました。信仰と人格を兼ね備えた女性です。これがキリストの花嫁の姿です。
ボアズは「恐れてはいけません」といって、ここまでのルツの行動をねぎらっています。そして、正当な方法でルツを買い取る事を考えます。
ボアズはルツのことを第一に考え、夜が明ける直前に家に帰しました。なぜなら、夜に出歩くと危険ですし、朝だと姿がばれてしまうからです。ですから、夜明け前という絶妙な時間にルツを起こして帰します。
16節、ナオミは気になって仕方がありませんでした。ルツはまた素直に事の次第をナオミに報告します。なんと心の直ぐな女性なのでしょうか。
【4章】ルツとボアズの婚姻
一方、ボアズはその日のうちに門に行きます。当時、門はとても重要な場所でした。多くの町は敵から守られるために城壁を構え、門からしか出入りできませんでした。そして、同時に門は今の役所のような機能も持ち合わせていました。ですから、そこに長老(リーダー)たちが集まっていたのでした。
ボアズは戦略がありました。それをうまく、戦略的に話している様子がわかります。
まず、ボアズより近い買い戻しの権利のある人を偶然を装って諏訪ららせます。そして、おもむろに町の長老10人を招きます。あっという間に公式に話のできる場を作ります。
そして、まず買い戻しの権利のある者に有利な話をします。その次に、彼にとって不利と思えることを話します。土地だけでなく、モアブの女も一緒に買い取る必要があると言うことです。
そうなるなら、買い戻しの権利のある者にとっては、土地が増えますがそれはわずかな土地です。一方、それと引き換えに今持っている土地はエリメレクのものになってしまいます。どう考えても買い戻さない方が得をします。上手な交渉の仕方です。
買い戻しを拒否した彼とボアズの間で正式な契約に入ります。
7節を見てください。そして、そこに指を挟んだまま、申命記25:8-10を見てみましょう。これが実行されました。しかし、この話は平和のうちに勧められましたので、ひどいことはしませんでした。形式上、この形を取って契約成立です。
ちなみに、くつをぬぐという行為は奴隷になるという事を象徴しています。逆に、くつをはくというのは奴隷から解放される意味があります。ルカの15章にある放蕩息子のたとえでそれを見ることができます。11-12節、満場一致の祝福です。主がなさることはこのようになります。関わるすべての人にとって良い結果となります。
13節から、ついにボアズとルツは結婚し、子どもが与えられます。だれが彼女をみごもらせたと書いているでしょうか?
14節から。町に帰ってきた時と正反対の反応です。イエス様に従った群衆も時には「救い主にホサナ!」といって主をたたえますが、すぐ後には「十字架につけろ!」と叫びます。人の忠告は真摯に受け止める必要がありますが、必要以上にまわりのことばに振り回されないようにしたいものです。
考えてみると、ナオミの元を去ったオルパは一切話題に上りません。ナオミを、そしてイスラエルの神を愛するが故にいばらの道を選び取ったルツには大きな祝福がありました。
みなさんは今すぐの苦しみから逃れたいですか?それとも、イエス様を愛すが故に通らなければならないなら、いばらの道を歩く覚悟ができていますか?主の御声を聞き、それに従いましょう。
17節、ボアズとルツに子が与えられました。名をオベデと言います。意味は「礼拝者」です。素晴らしい名前です。そして、オベデからエッサイが産まれ、エッサイからあのダビデが産まれます。
そしてなんと、マタイの福音書1章では異邦人の女性であるにもかかわらず、ルツの名前がイエス様の系図に登場します。自分を省みない愛による犠牲的な信仰が主に認められました。
もし時間があるなら、ボアズとルツをイエス様と教会と思って、もう一度ルツ記を読み返してみましょう。そして、受けた恵みをノートに書き記し、よければみなさんに分かち合ってください。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
私を買い取ってくださったイェス様に感謝します。主に、周りの人達に素直に従えるように祈ります。
ボアズのルツへの細かい心遣いは、困難の中にいるルツの苦しみを理解して包みますね。
主も私のことをよくご存じで、主と語り合うと愛で包まれます。
のどか乾いたら汲んである水を飲みなさいと言われ、そして
ルツは幸せにも、ボアズに「ここにきてこのパンをたべなさい」と言われ、
刈る人たち(働くしもべ達)と共に食卓について休息を得て
ボアズが彼女に直接取ってやった炒り麦で、
十分お腹を満たし、さらに姑も満たされたのですね。
私も主のしもべの方たちと共に食卓に着き休息を得たいです。
ボアズの手から直接もらった炒り麦はうれしいと思います。
主が飲めといわれる水を飲み、主のみ手から直接多くのパン(み言葉)をいただいた喜びは大きく、十分満たされて家族も周りも満たされることと思います。
そのために直接、主のみ手から炒り麦(聖書のみ言葉のパン)を毎日いただきたいと思います。
初めはボアズに与えられたもので身に余る感謝だと満ち足りていたけれど、
次第にもっと深く、ボアズ自身を求めるようになる。
これもキリストと私たちのことを表していますね
初めは赦し、贖いのみ業に感謝が溢れ、たまものを与えられ喜び、
しだいに、キリストから与えられるものよりもむしろ
キリスト・イエスそのものを、
さらに主との親密な関係を求めるようになる。
こうあってほしいとの神様のみ心があらわれていると信じます。
大胆に信仰と愛を求める行動を主は大切にされるのですね。
ルツのように素直に大胆に主を求める者になりたいと思います。
主イエスの十字架の血潮の故に、臆せず大胆に恵みの御座に近づきたいと思います。
自分が損をしても、ルツを買い戻したボアズ、
それは主イエスのされたことなのですね。
罪の代価はあまりにも高価で支払いきれないものだけれど、
私を買い戻すために主イエスは、神の御子であられるのに、
天の栄光を捨てて地上に下ってくださった。
ご自分を低くされて馬小屋でお生まれになり、
人となって終いには、ご自分の命をも棄てて十字架にて血を流されたのですね。
その血潮によって買い戻された者は、キリストの花嫁とされる
ルツのようなお嫁さんが息子に来てくれたらと思います。
「あなたの神は私の神」と言ってもらえるような、
ナオミの信仰を持ちたいと思います。
ルツ記には主イエスのなされたことがボアズを通して表されているのですね。
この買い戻し(主イエスの贖い)を無駄にしないように、
自分にとって、
いかにも好ましく見える善悪の木を取って食べるのではなく、
出エジプトのヨセフのように、
すべてを益として働く方、
自分の心をおさめ兄弟達を赦すことを選ぶ十字架の道を、
命の木の実を選ぶ者となれますように力づけ導いてください。
心が痛んだ士師記から、ルツ記で癒されました。でもどちらも尊い神様のみ言葉です。
夫・二人の息子を亡くしながら信仰に生きたナオミは素晴らしい。姑に従った謙遜で前向きなルツも素晴らしい。リーダーの手本のようなボアズも素晴らしい。
はからずもルツをボアズの畑に導いた神様。その神様の摂理の中で生きているクリスチャンライフは本当に素晴らしい。