シャローム!
秋を体感できる季節がやってきましたね。今週の通読は引き続き創世記です。先週はノアからイサクまでの物語を読みました。今回はその続き、ヤコブの子ヨセフの生涯を味わっていきたいと思います。
実は創世記の最後の四分の一ほどが、このヨセフの物語にあてられています。それほど大切に、丁寧に描かれた人物なのです。そしてこの物語を読み進めていくと、多くの読者が「どこかで見たことのある姿だ」と感じます。そう、それはイエス様の姿です。というわけで、今回は今週の通読の中心人物、ヨセフについて見ていきたいと思います。
ヨセフとはどのような人物か
① 父に愛された子
ヨセフはヤコブが最も愛した妻ラケルの子でした。父ヤコブは彼を特別にかわいがり、そでの長い美しい長服を与えます(37:3)。しかしそのことが、兄たちの激しいねたみを生みました。
さらにヨセフは二つの夢を見ます。兄たちの束が自分の束にお辞儀をする夢、そして太陽と月と十一の星が自分を伏し拝む夢です。若いヨセフがそれを無邪気に語ったことで、兄たちの憎しみはいっそう深まりました。
② 売られ、奴隷となった子
父に遣わされて兄たちの様子を見に行ったヨセフを、兄たちは捕らえ、長服をはぎ取り、穴に投げ込みます。そして通りかかった商人に銀二十枚で売り渡しました(37:28)。
エジプトに連れて行かれたヨセフは、侍従長ポティファルの家の奴隷となります。
③ 誘惑を退け、無実の罪で投獄される
ポティファルの妻に誘惑されたとき、ヨセフはきっぱりと拒みました。
「どうして、そのような大きな悪を行って、神に罪を犯すことができるでしょうか」(39:9)
しかし彼女の偽りの訴えによって、ヨセフは牢に入れられてしまいます。正しく生きた結果が、さらなる転落だったのです。
④ 忘れられ、そして引き上げられる
牢の中で、ヨセフは王の献酌官と料理官の夢を解き明かします。献酌官は解き明かしのとおり元の職に戻されますが、ヨセフのことを忘れてしまいました(40:23)。それから二年の時が流れます。
やがてファラオが不思議な夢を見たとき、献酌官はようやくヨセフを思い出しました。ヨセフはファラオの夢を解き明かし、七年の豊作と七年の飢饉に備える知恵を示します。ファラオは彼をエジプト全土の支配者に任命しました。このときヨセフは三十歳でした(41:46)。
売られてから、およそ十三年の歳月が経っていました。
⑤ 兄たちとの再会と和解
飢饉が全地を襲い、兄たちが食糧を求めてエジプトに下ってきます。目の前の支配者がヨセフだとは気づかず、兄たちは彼の前にひれ伏しました。かつての夢が実現した瞬間です。
ヨセフはすぐには名乗らず、兄たちを試します。そしてかつてヨセフを売ろうと言い出したユダが、末の弟ベニヤミンの身代わりとなって自分が奴隷になると申し出たとき(44:33)、ヨセフはついにこらえきれず、声をあげて泣きながら自分を明かしました。
「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。しかし今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に私を遣わしてくださったのです」(45:4-5)
ヨセフの物語の霊的な意味
① 「主がヨセフとともにおられた」
ヨセフの物語で繰り返される言葉があります。
「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となった」(39:2)
この言葉は、ポティファルの家で奴隷だったときにも、そして無実の罪で牢の中にいたときにも記されています(39:21、23)。
神がともにおられるとは、苦しみがなくなることではありませんでした。苦しみのただ中に、神がおられるということだったのです。
② 苦しみの中で実を結ぶ
エジプトで生まれた二人の息子に、ヨセフはこう名づけました。
マナセ「神が私のすべての労苦を忘れさせてくださった」(41:51)
エフライム「神が苦しみの地で私を実り多い者とされた」(41:52)
苦しみの場所そのものが、実りの場所に変えられる。ヨセフはその恵みを、子どもたちの名前に刻みました。
③ 神の摂理――悪をも良いことに変えられる
ヨセフの物語の結論は、父ヤコブの死後、おびえる兄たちに向けたこの言葉に凝縮されています。
「あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです」(50:20)
ヨセフは兄たちの罪を「なかったこと」にはしていません。「あなたがたは悪を計った」とはっきり言っています。しかしその上で、神はその悪さえも用いて、救いの計画を前進させられたと告白しているのです。
イエス様とヨセフ
新約聖書の中で、ヨセフが直接「キリストの型」と呼ばれている箇所はありません。しかしステパノは殉教の直前の説教で、兄たちにねたまれて売られたヨセフと、ともにおられた神のことを語り(使徒7:9-10)、聴衆がイエス様を拒んだことと重ね合わせています。教会は昔から、ヨセフの生涯の中にイエス様の姿を見てきました。
| ヨセフとイエス様 生涯の重なり | ||||||||||||||||||||||||||
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| 「あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました」 創世記50:20 |
特に心に留めたいのは、最後の点です。
ヨセフの兄たちは、ヨセフを捨てたその行為によって、結果的にヨセフに救われる者となりました。
同じように、人々がイエス様を拒み、十字架につけたその出来事を通して、神は全世界に救いの道を開かれました。ペテロはペンテコステの日にこう語っています。
「この方は、神の定めた計画と神の予知によって引き渡されたのですが、あなたがたは不法な者たちの手によって十字架につけて殺したのです。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました」(使徒2:23-24)
人の悪意と、神の救いの計画。その二つが交差する場所が、十字架でした。創世記50章20節の言葉は、最も深い意味において、十字架の上で成就したのです。
皆さんの人生にも、理解できない「穴」や「牢獄」のような時期があったかもしれません。あるいは今、まさにその中にいるかもしれません。
ヨセフも十三年の間、なぜこんなことが起こるのか分からないまま歩みました。牢の中で忘れられた二年間もありました。それでも聖書は繰り返し語ります。「主がヨセフとともにおられた」と。
そして振り返ったとき、ヨセフはこう言うことができました。
「神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました」——創世記50:20
今は見えなくても、神はあなたの物語をも、良いことのために織り上げておられます。
今週も御言葉と共に歩まれますように。
【今週の通読】
●Day 010:創世記 27章-29章
●Day 011:創世記 30章-32章
●Day 012:創世記 33章-35章
●Day 013:創世記 36章-38章
●Day 014:創世記 39章-41章
●Day 015:創世記 42章-44章
●Day 016:創世記 45章-47章

