聖書通読クラブ Day 160

聖書通読クラブ Day 160【詩篇11篇〜15篇】

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シャローム!

夫婦は不思議なもので、全くの他人ですが長く過ごす間になぜかそっくりになっていきます。毎日同じものを食べて、たくさん話して、いっぱい笑って沢山泣いて。そうしていくうちにお互いが似たものとなっていくのでしょう。
神様との関係もそのようなものです。神様と知識だけの関係ではなく、ご人格と人格の交わりです。私たちの状態に関わらず、毎日神様との関係を持っていくとき、このお方との親密な交わりに入れられていきます。
ダビデは誰よりもそのことを願った人物です。今日の詩篇の中からも、ダビデのそのような心を知ることができます。
私たちもダビデに負けないほどの主への情熱をいただきたいと思います。

今日の通読箇所:詩篇11篇〜15篇

■アウトライン

●拠り所:11篇
  ・拠り所が壊されたら:1-3節
  ・正しい者と悪者を調べる:4-7節

●主のみことば:12篇
  ・へつらいのくちびる:1-4節
  ・混じりけのないことば:5-6節
  ・保たれる:7-8節

●目と目:13篇
  ・いつまでですか:1-2節
  ・目:3-4節
  ・豊かにあしらわれる:5-6節

●善を行う者はいない:14篇
  ・神を訪ね求める者:1-3節
  ・正しい者の一族:4-6節
  ・イスラエルの救い:7節

●神の幕屋に宿る者:15篇

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【11篇】拠り所

・拠り所が壊されたら:1-3節
ダビデの詩篇です。ダビデはいつも最初に信仰の宣言をします。決意表明のような者です。ダビデは「主に私は身を避ける」と宣言しています。これが誰かを特定することは難しいですが、おそらくダビデの身近な人だったのではないかと思います。
親しい人たちがダビデに鳥のように飛んでいけ。拠り所が壊されたら正しい者に何ができるか」と言ったのではないかと思います。
2節には「心の直ぐな人」3節には「正しい者」とありますが、共に同じような事を意味します。信仰を持って歩んでいる人です。その様な者をターゲットとして悪者は狙ってきます。
過去にこのような話を聞いたことがあります。ある悪魔が悪魔のボスに報告したそうです。「親分、あそこの人たちを苦しい目に遭わせてきましたぜ」すると親分は「ばか者!彼らを苦しい目に遭わせたら神様を求めるようになるじゃないか!なぜそのままそっとしておかなかったんだ!」というたとえです。笑えない例え話です。
なぜ私たちは信じているが故に苦しみに会うのでしょうか。ヨブ記でも学びましたが、主が私たちを愛しているからです。正しく歩む者をサタンは標的にします。しかし、ダビデが最初に宣言したように、私たちの拠り所は主です。
悪しき力は私たちから礼拝を奪い取ろうとします。恐ろしいウイルスで教会に集まれないようにし、私たちの拠り所を壊そうとします。これは本当につらいことですが、だからといって私たちの信仰が終わってしまうのではありません。
一所に集まれなくても、各家庭で主を礼拝する機会があります。私たちから礼拝を奪うことするものに対して、私たちはどのようにすべきでしょうか。

・正しい者と悪者を調べる:4-7節
ダビデは地上で起こっている事柄を認めつつ、目を天に向けました。天におられる主は、地上の影響を受けません。
主の聖座は宮にあり、王座は天にあります。天と地の主のおられる場所が書かれています。主はもちろんあらゆる所におられますが、限定的にこの場所を指定されました。この時は神殿が宮でしたが、今の時代は私たちが神の宮です。心の王座に主を歓迎するとき、天と地がひとつとされていきます。
ところが、それが私たちにとって喜ばしいことかと言えば、そうで内面もあります。なぜなら主はそれをご覧になるからです。そして調べられます。
そして悪者に対して6節に書かれてあるようなことを行います。しかし、主は正しく正義を愛されます。主に対して直ぐな心を持つ者が主の御顔を仰ぎ見ます。天と地が一つになります。主の目と私たちの目が合い、お互いにもっと深い愛の中へと導き入れられます。

【12篇】主のみことば

・へつらいのくちびる:1-4節
12篇もダビデの賛歌です。11篇の内容を更に深めているように見えます。
ここでもダビデは「主よ。お救いください。」と端的に願いを述べています。どうしてでしょうか。聖徒がいなくなり、誠実な人が消えてしまったからです。アブラハムが神様と交渉して取りなしたソドムとゴモラの地を思い出します。そこには10人の正しい人もいませんでした。
では、ダビデは何を見てこのように言っているのでしょうか。2節を見てみましょう。うそ、へつらい、二心とあります。すべて主が嫌われることです。これらの共通点は何でしょうか。少し考えてみましょう。
答えは口です。世の中には口がうまく、それによって人をだます人もいます。詐欺グループなどはこれにあたるでしょう。「まさか私が」と思えるほどの話術で巧みに人をだまします。
また、「ペンは剣よりも強し」ということばもあります。時には武器よりもことばの方が強いこともあります。ことば一つでひとのいのちを奪うこともできます。このような口と舌がことごとく断ち切られますように。

・混じりけのないことば:5-6節
主が立ち上がってくださる理由があります。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから」です。映画や漫画のスーパーヒーローのようです。神様はそれ以上のお方です。そして、主はこれらの人を求める救いに入れてくださいます。
福音書の中で、イエス様はあらゆる人を癒やされます。その多くの場面で「あなたはわたしに何をして欲しいのか」と聞かれます。「目が見えるようになりたいのです」と答えると「あなたの信仰の通りになるように」と言われ、いやしが解き放たれます。
このイエス様のいやしのプロセスも、このみことばに合致するのではないでしょうか。
神様を知らない人々はへつらいのことばをはなしますが、それと対比させるように主のみことばの素晴らしさが書かれています。主のみことばは混じりけのないことばです。神様の純度100%のことばです。ことばです。私の書いているこの文章には混じりけがあります。しかし、みことばには全くの混じりけがありません。みことばを読みましょう。みことばがすべてです。

・保たれる:7-8節
ダビデは「あなたが、主よ、彼らをお守りになります。」と言っています。言い換えれば、みことばが彼らを守ります。
そして、8節はとても思いことばです。もし、私たちの周りで悪者が横行しているなら、何が言えるでしょうか。私たちの間で卑しいことがあがめられている証拠です。
社会の中で起こる卑しいことを見て見ぬふりをして、祈ることもしないのであれば、もしかしたら卑しいことを受け入れて、「しかたがない」と許容して受け入れていることになるかも知れません。
すべての事柄に対して祈ることは難しいかも知れません。しかし、気になったことがあったら一言でも祈ることができるといいですね。

【13篇】目と目

・いつまでですか:1-2節
ダビデは苦しんでいます。この詩篇は「嘆きの詩篇」とも言われます。なぜダビデは嘆いているのでしょうか。それはこの苦しみがいつまでかわからないからです。
フルマラソンも43.195kmという長い距離を走りますが、それでもゴールがあるから走れます。もし、マラソン選手にゴールを告げないで走ってもらったら、走ることに困難を覚えるのではないかと思います。
人は先が見えないときに不安に陥ります。ダビデはこういう場合、どうするのでしょうか。
まずひとつ言えることは、自分の心としっかり向き合っていることです。ダビデは自分の心を偽りませんでした。次に、正直に自分の心を見て、それを口に出して表現しています。神様に対して自分の状態を告白しています。人は苦しみを人に話すと幾分かは楽になります。たとえ誰も聞いてくれなくても神様は聞いてくださいます。独り言のように自分の心をことばにして神様に告白してみましょう。

・目:3-4節
続いてダビデは大胆に主に願っています。「私に目を注ぎ、私に答えてください。」と。ダビデは主に見られることを切に願っていました。心が直ぐだからです。もし、心にやましいことがあるなら、私たちは神様の目を恐れるでしょう。しかし、ダビデはいつも主の御目を求めました。愛する人のまなざしを求めたのです。
そして続いて「私の目を輝かせてください」と願います。からだの明かりは目であるとイエス様は言われます。この目が暗いと体全体が暗くなります。目は心の鏡と言っても良いかもしれません。ダビデは自分の目を輝かしてくださいと願います。
真理の目が開かれ、最愛の方を見ることを切に願っています。みなさんの目は何を見ていますか?何を見たいと願いますか?

・豊かにあしらわれる:5-6節
これがダビデの答えです。主の恵みに拠り頼むことです。この短い詩篇で、ダビデのたましいは回復しています。最初は嘆いています。しかし、告白しました。次は願います。そして最後には主への賛美に変わっています。
私たちは苦しいとき、とにかく良くなりたいと目の前のものに手を伸ばしてしまいます。しかし、苦しみの中で求め、拠り頼むべきは主以外にありません。いつまでかわからなくても、どれほどかわからなくても主を信頼するのです。先が見えないからこそ、わからないからこそ主に信頼するのです。このお方は昔も今も、とこしえに変わることの無いお方です。このお方の恵みに拠り頼みましょう。主はいつも私たちをゆたかにあしらってくださいます。

【14篇】善を行う者はいない

・神を訪ね求める者:1-3節
ダビデは愚か者を定義します。愚か者は辞書では「考えの足りないさま、ばかげていること」と書かれています。しかし、ここでダビデは何が愚か者だと言っているでしょうか。「単に神はいない」と言っている者ではありません。心の中で「神はいない」と言っている者を愚か者と定義しています。つまり、外見からはわかりませんが、心密かに神を否定している者です。心の中は人からは見えません。自分と神様しかわからない領域です。幕屋の密かな場所のような所です。
心の中では自由に考え、自由に想像することができます。何の制限もありません。お金もかかりません。誰からも何も言われません。しかし、自分と神様だけはそのことを知っています。力の限り見張って自分の心を見張りましょう。
神様は天からご覧になります。何をご覧になると2節に書かれているでしょうか。ふたつの条件があります。神を尋ね求める者、そして悟りのある者です。どうしたらこのような者になれるでしょうか。日々のみことばと祈りの生活を続けることです。時が良くても悪くても、自分の心に福音の種を蒔き続ける者です。主はその様な者をご覧になって、御目を向けてくださいます。
しかし、ダビデははっきりと言います。「善を行う者はいない。ひとりもいない。」その通りです。私たちはヨブ記を読み、この事を何度も見てきました。この地上で唯一、完全に生涯をかけて善を行った方はイエス様以外いません。「自分は義人だ」と言うより「私は自分の力では善を行うことができない。だから神様が必要です」と求める信仰が必要です。

・正しい者の一族:4-6節
不法を行う者らは主の民をパンのように食べると書かれています。長い歴史の中で主の民は何度も迫害を受けてきました。しかし、それには原因があるというのを士師記やサムエル記、列王記、歴代誌で見てきたと思います。結局、彼らは「主を呼び求めようとしていない」のでした。私たちが祈りを忘れるとき、それはすなわち「主を呼び求めていない」ことになります。その時、主は悪者の手を使ってでも主を呼び求めるようにされます。
しかし、神の民はいつも主に愛されているので、結局は主の所に帰ります。帰るところがあるというのはどれ程感謝な事でしょうか。

・イスラエルの救い:7節
悔い改めの喜びが書かれています。イスラエルの救いはシオンから来ます。シオンには神の箱がありました。ここから主の救いが起こります。五旬節の日、聖霊様が注がれるとき、イエス様は力を受けることを宣言され、「イスラエル、ユダヤ、サマリヤ、地の果てまで」と言われました。中心はいつもシオンです。私たちの内なる人も同じです。私たちの心の最も大切な部分、中心に主をお迎えする必要があります。イエス様は黙示録でラオデキヤの教会に「私は戸の外に立ってたたく」と言われています。イエス様抜きの生活をしていることを現しています。もし私たちが悔い改め、イエス様を心の中心にお迎えし続けるなら、私たちの心には尽きることのない喜びが溢れます。

【15篇】神の幕屋に宿る者

ダビデの願いは主のそばに居続けることでした。少年のことから王になっても、その願いは変わることはありませんでした。世の中がどのような情勢になろうとも、主のおられるところには平安があります。出エジプトの時の十の災いの時、エジプト一帯を暗やみが覆いましたが、イスラエルの民の住むゴシェンの地だけには光がありました。主が彼らと共におられたからです。
そしてダビデはここで問います。「だれがあなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか」
2-5節に具体的な答えがあります。単に教会や主の宮に住む人が主と共に住む者であるとは限りません。
ポイントは口と目です。ここに書かれていることはそのまま実行する価値があります。ここに書かれているのはまさにイエス様の姿です。先ほどダビデは「義を行う者はだれもいない」と言ったのに、ここでは「義を行い」と書いています。これはどういうことでしょうか。
人は自分の力で義を行うことはできません。イエス様が必要です。聖霊様の助けが必要です。父の慈愛が必要です。この方に拠り頼むなら、私たちは義とされます。この事を達成することは簡単ではありません。しかし、天の父が完全なように私たちは完全になることができます。主に拠り頼み、正しい者を目指していきましょう。その者は主と共に住む者となります。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. いつもイェス様を見続けられるように、主に頼って生きられるように祈ります。

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