聖書通読クラブ Day 161

聖書通読クラブ Day 161【詩篇16篇〜20篇】

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シャローム!

主はいつも良いお方です。私たちが喜んでいようと、悲しんでいようと、主はいつでも良いお方です。しかし、私たちはそのことを忘れてしまいます。
ダビデはどのような状況でも主を第一としました。その秘訣は何でしょうか。どうしてダビデは主を第一とすることができたのでしょうか。今日もみことばを朗読し、アーメンと応答し、ひれ伏す中で、主のみことばに語っていただきましょう。

今日の通読箇所:詩篇16篇〜20篇

■アウトライン

●ゆずりの地所:16篇
  ・私をお守りください:1-2節
  ・ゆずりの地所:3-5節
  ・測り綱:6-9節
  ・いのちの道:10-11節

●正しい訴え:17篇
  ・口のあやまち:1-5節
  ・私を襲う悪者:6-14節
  ・正しい訴え:15節

●敵からの救い:18篇
  ・あなたを慕います:1節
  ・主のご性質:2-3節
  ・苦しみの中主を求める:4-6節
  ・主の怒り:7-8節
  ・主が降りて来られた:9節
  ・ケルブに乗って飛ぶ:10-15節
  ・私を喜びとされた:16-19節
  ・義にしたがって:20-24節
  ・報いられる主:25-29節
  ・その道は完全:30-34節
  ・御救いの盾:35-36節
  ・敵を打ち砕く:37-40節
  ・叫んでも答えがない:41-42節
  ・知らない民が仕える:43-45節
  ・主は生きておられる:46-50節

●主のみおしえ:19篇
  ・昼は昼へ、夜は夜へ:1-3節
  ・その走路を喜び走る:4-6節
  ・主の御教えは完全:7-8節
  ・金よりも好ましい:9-11節
  ・隠れている私の罪:12-14節

●答えてくださる主:20篇
  ・主がお答えくださる:1-3節
  ・願い通りに:4-5節
  ・右の手の救いの力:6-8節
  ・呼ぶときに応えてください:9節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【16篇】ゆずりの地所

・私をお守りください:1-2節
最近の日本は自然災害が増えています。世界中でも同様です。また、ウィルスの蔓延など、どこに行っても絶対な安全という場所はありません。しかし、私たちには絶対安全な場所があります。それが主です。
ダビデは主に身を避けました。このお方がダビデを守られたように、私たちも守ってくださいます。
また、多くの人が幸せを求めてあらゆる努力をします。多くのお金を投じます。しかし、それらは一時的な幸せであり、すぐに色あせてしまいます。永遠に続く幸せはただ主との生きた関係の中にだけあります。

・ゆずりの地所:3-5節
3節と4節で対比が成されています。地に住む聖徒と他の神に走った者です。ダビデはこのどちらと共に歩むかを選ぶことができました。ローマ12:2には「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなさい」とあります。
誰と共に歩むかは、私たちの信仰生活において重要な事になります。
そして聖徒はすべて主に従う者です。ですから、ダビデはその大本である主をいつも求めています。
ここでダビデは主は「私へのゆずりの地所、杯」と言っています。確かに、レビ人は相続地がありませんでしたが、このように書かれています。「イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」(民数記18:20)
私たちも王である祭司と言われています。ですから、主がゆずりの地所であることを感謝します。

・測り綱:6-9節
ここで測り綱ということばが出てきます。これは土地の分割の測量に用いられるものです。主からの恵みは間違いなく正確に分け与えられるという意味です。具体的には主の愛、赦し、あわれみ、救い、交わりなどです。ダビデは主ご自身の中に守られていることを測り綱ということばで表現しています。
続いてダビデは主をほめたたえています。何の理由で褒め称えているのでしょうか?助言をくださったことです。主は祈りに応えてくださいます。そして、さらに夜に自分の心が教えると言っています。この「心」とは腎臓という意味もあります。聖書では心は腎臓のあたりにあると考えられていました。みことばは心に蓄えられ、それが夜静まったときにダビデの心を教えました。
それゆえに、ダビデはいつも自分の前に主を置きます。マラソンの先頭走者を導くガイドの車のようなものです。確かに主は出エジプトの荒野で、昼は雲の柱、夜は火の柱としてイスラエルの民を導いてくださいました。私たちはどうでしょうか?自分の経験や考えが主よりも前に言っていないでしょうか。私たちが主を前に置くなら、揺るぐことはありません。
心の安定は私たちに喜びをもたらします。たましいに喜びが訪れます。不安が私たちから無くなります。

・いのちの道:10-11節
ダビデは主への絶対的信頼を宣言した後、復活の信仰に立っています。これはイエス様の十字架の復活の預言でもあります。「あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず」とあります。イエス様は十字架の後、三日目によみがえられました。
この復活こそがいのちの道です。永遠のいのちへの道です。そこには喜びが満ちあふれています。

【17篇】正しい訴え

・口のあやまち:1-5節
ダビデは切実に祈っています。主の御前に自分の誠実さを訴えています。神様とダビデの関係の中でだから成り立つ会話です。
もし、自分が神様の前に正しく歩んでいないなら、そのさばきを受けることも覚悟しています。しかし、自分には何も悪いことは思い当たらないにも関わらず、敵から追われています。
この問題をダビデは自分で解決することなく、主にさばきをおゆだねしています。
3節を見ると、ダビデの誠実さを知ることができます。心、口、行動に関して、また歩み、つまり生き方に関して主の道を堅く守っています。確かに、ダビデのいのちを狙っていたサウル王に対して、ダビデは何も悪いことを言っていません。サウルを殺すチャンスがあったのにそれをしませんでした。
ダビデは自分に罪が無いと言うことを訴えているのではありません。主に「あのとき、私がこのような行動を取ったことを、敵を悪く言わなかったことを。」と主に訴えています。神様との親密な関係だからこそ言えることです。
私たちもダビデを見習いましょう。口を、心を、行動を、生き方を主に頼って主の願うかたちに変えていただきましょう。

・私を襲う悪者:6-14節
何度もお伝えしますが、呼ぶときに応えてくださるのが救いです。エリヤとバアルの祭司が対決したとき、バアルを信仰する者は自分を傷つけてまで叫びましたが何も答えられませんでした。一方、エリヤは主に祈ると主は天から火をもって応えてくださいました。これが私たちの信じている神です。
そしてダビデは主のくすしい恵みを求めています。受けるべきでない者が神から一方的に与えられる好意が恵みです。主は私たちを救ってくださるお方です。
続けてダビデは祈ります。自分をひとみのように見守ってくださいと祈ります。目は大切な器官です。おそらく、ダビデは出エジプトの時にモーセが祈った祈りを思い出しながらこの事を祈っているのかも知れません。(参考 申命記32:10)
また親鳥が子を抱くように、御翼の陰にダビデをかくまい、敵から守ってくださいます。
神の霊が去ったサウルは彼を煩わす霊にとりつかれていました。それで、サウルの陣営はダビデを悪く言い、殺そうとしています。その苦しみを正直に主に祈っています。
この切実さを持って「主よ、立ち上がってください」と願います。自分ではなく、主が彼らに立ち向かってくださいと祈ります。
14節では、サウルの家系のことをこのように表現しています。主によって子だからに恵まれているのに、それを感謝もしないで自分たちのものとして満足しています。

・正しい訴え:15節
しかしダビデは主ご自身で満ち足りています。そうです。私たちも主で満ち足りる必要があります。このお方だけが私を満たすことのできるお方です。

【18篇】敵からの救い

・あなたを慕います:1節
ダビデはこの長い詩篇の中で自分の人生を振り返っています。彼の思いが一番最初に来ています。それは「あなたを慕います」です。ダビデほど主を慕い求めた器はいないかもしれません。

・主のご性質:2-3節
ここにはダビデが主をどのように見ているかが書かれています。ダビデは神様に祈るとき、自分と神様という関係で祈っています。ですから何度も「わが」と言うことばが出てきます。主は自分にとってどのようなお方かをことばにしています。みなさんにとって主はどのようなお方ですか?それをいくつ並べることができますか?
このお方を呼び求めるなら、どんな強い敵からも救われます。ダビデはその生涯を通して、この事を証明しています。

・苦しみの中主を求める:4-6節
ダビデの生涯は多くが苦しみの中でした。少年の頃は兄たちと区別され、羊飼いとして働いていました。サウルにいのちを狙われ、息子のアブシャロムにいのちを狙われ、沢山の失敗をしました。しかしダビデはすべての局面で主を求めました。
私たちの人生でも同じようなことが起こるでしょう。沢山の失敗をします。それ自体が悪いことではありません。誰でも失敗します。大切なのは、その中で主に立ち返ったか、主を求めたかです。

・主の怒り:7-8節
主を求めたダビデの祈りは聞かれました。主が応えてくださっています。その様子をこのように表現しています。
確かに、今までの通読の中でも主がこのように働かれた場面をいくつも見てきたと思います。この主は私たちの祈りにも応えてくださいます。

・主が降りて来られた:9節
主は天を押し曲げても降りてこられます。まさにイエス様の姿です。神であられるお方が人の形を取って、この地上に来てくださいました。あり得ないことです。第三の天から第二の天、第一の天を突き抜けてこの地に来てくださいました。
この地上はサタンに支配されています。そのような地を足台とされます。

・ケルブに乗って飛ぶ:10-15節
出エジプト、エゼキエル書、そしてイエス様、黙示録など、主が現れる時にはこのような事が起こります。たとえ主を知らない人でも、このような中で主の現れを目にするなら、主に対する恐れが生じます。

・私を喜びとされた:16-19節
ダビデの中心は主でした。この箇所を読むだけでもそのことがわかります。自分がどうしたというのではなく、主を中心にして書かれています。そして、この宣言の最後は「主が私を喜びとされた」とあります。これを心から言える人はそう多くないと思います。それほどダビデと主との関係は親密なものでした。私たちも大胆に宣言しましょう。「主が私を喜びとされた」と。

・義にしたがって:20-24節
先ほどもお伝えしましたが、ダビデは人生の中で何度も失敗しています。しかし、大胆に義を宣言しています。どうしてその様なことができたのでしょうか。繰り返しになりますが、いつも主に立ち返ったからです。主に「ごめんなさい」と直ぐに言うことができるからです。ダビデは罪を犯しました。しかし、それを主の前に隠しませんでした。それ故にこのような宣言ができます。

・報いられる主:25-29節
サウルは主を退けたので自分も王位から退けられました。私たちの主に対する態度にしたがって主は報いてくださいます。
ダビデは正しい神観を持っていました。聖書が言っている通りの神として主を見ていました。みなさんはどうでしょうか?みなさんの神観はどの洋物でしょうか?

・その道は完全:30-34節
力強い宣言です。神、その道は完全です。主のみことばは純粋です。このお方が私たちに力を与えてくださいます。
戦いのために私たちを鍛えてくださいます。パラリンピックのアーチェリーの選手が言っていましたが、弓を引く力はボーリングの一番重いボールを3個分引き上げるほどの力が必要だそうです。そのような付加がかかった状態でも弓をキープし、正確に的の中心を狙うことができるためには相当の筋力が必要でしょう。
私たちも最初は青銅の弓を引くことはできないかも知れませんが、主がそれを引けるように鍛えてくださいます。日々の聖書の通読はまさにその訓練であると信じます。

・御救いの盾:35-36節
主はダビデに救いの盾をくださいました。盾は攻撃を防ぎます。時には盾で攻撃もできます。この救いの盾がダビデを敵の攻撃だけでなく、あらゆる誹謗中傷からも守ってくれます。
そして興味深いのが「主の謙遜」ということばです。主ご自身がへりくだってダビデを強い者としてくださいました。正にイエス様の姿です。このお方以上に謙遜な人はいません。イエス様はへりくだり、この地に来てくださいました。ロバに乗ってエルサレムに入場されました。そして、死にまでもしたがわれました。ピリピ2:6-7も併せて呼んでみましょう。

・敵を打ち砕く:37-40節
ダビデは戦いで勝利を重ねました。どうしてそれができたのでしょうか。ひとつは少年の頃、羊飼いをする中で、羊を野獣から守るために様々な技術を身につけたことが考えられます。しかし、それでは連戦連勝はできません。
一番の秘訣は、勝利を自分のものとしなかったことではないかと思います。ダビデは主によって勝利を与えられたと信じていました。戦いの旅に主に栄光をお返ししていました。
過去の栄光にいつまでもしがみつく姿はあまりかっこいいものではありません。勝利を味わったならそれをすぐに主にお返しし続けるなら、私たちも主によって毎回の戦いで勝利を得ることができるのではないかと思います。

・叫んでも答えがない:41-42節
主がもたらしてくださる勝利は、人が努力して得る勝利とは根本的に違います。そこにはただの勝利ではなく、圧倒的な勝利があります。
出エジプトの時を思い出してみてください。世界最強の戦士、世界最新の兵器を持ったエジプト軍に、イスラエルの民はどのようにして勝利したのでしょうか。ただ、主の御声にしたがって杖を掲げただけです。あとは主が戦ってくださいました。
ヤハウェなる主を主とする者に与えられる勝利はそのような勝利です。

・知らない民が仕える:43-45節
ダビデの知らない民がダビデに仕えます。異邦人までダビデが治める様子が書かれています。誰よりも神様を恐れ、神様と親しい関係であったダビデが王となるとき、このような事が起こります。私たちは尾ではなく、頭とされます。

・主は生きておられる:46-50節
まことに主は生きておられます。死んだ神ではありません。そのことをダビデは生涯を通して経験してきました。これは大切なことです。頭で神様を理解するだけでは不十分です。それなら、聖書学者が最も祝福された者となります。もちろん、彼らも祝福されるでしょうが、聖書の知識を知って、それを持って神様と共に様々な体験をする者が幸いな者です。みなさんは神様と親しい関係を築いていますか?神様と共に歩む体験をしていますか?
主は王に救いを増し加えてくださいます。神様を体験すればするほど、救いの確信を得ます。そして、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます。その通り、ダビデのすえはまことの救い主であるイエス様につながります。

【19篇】主のみおしえ

・昼は昼へ、夜は夜へ:1-3節
天が神の栄光を語り告げるとあります。確かに、天体は一言もしゃべりません。しかし、燃える太陽を見るとき、満ち欠けをする月を見上げるとき、そこに主に対する恐れを感じることがあります。
天地が創造されてから今まで、太陽は忠実に朝に昇り、夜には沈みます。月は約28日周期で満ち欠けを繰り返します。地球は1日約1回転し、約365日で太陽の周りを回っています。実に神が命じられた通りに忠実にその働きをしています。

・その走路を喜び走る:4-6節
この地球に生きていて太陽を知らない者はいないでしょう。天気も太陽の熱によって変化します。植物も太陽の光を受け、光合成して成長します。
しかし、あるときからこの太陽があがめられるようになりました。エジプトでもギリシャでも、そして日本でも太陽があがめられています。しかし、あがめられるお方はヤハウェなる神以外ありません。

・主の御教えは完全:7-8節
このみことばは暗唱するに値するみことばです。ぜひ、何度も口ずさみ覚えましょう。

・金よりも好ましい:9-11節
主への恐れはきよいと書かれています。その通りです。主さばきだけが正しいさばきです。
このさばきは多くの純金より好ましいと書かれています。蜜よりも甘いと書かれています。これが主のさばき、みことばの本質です。普通であればさばかれることは苦痛です。しかし、主のみことばによってさばかれるなら、切れ味が抜群のみことばの剣ですから、私たちの内の神様に喜ばれる部分と喜ばれない部分が見事に切り分けられます。
このさばきを受けたいと思います。

・隠れている私の罪:12-14節
みことばによって裁かれるとき、この事が起こります。悔い改めです。みことばによって何が正しく、何が間違っているかがはっきりとわかります。そして、隠れている罪、自分でも気がついていない罪が明らかにされていきます。
さらにダビデは放漫の罪から守られるように祈ります。私たちは意思を持っていなければ、肉の性質にながされ、放漫に支配されてしまいます。私たちも放漫の罪から守れますように。放漫の罪が支配しませんように。
この罪から守られるとき、大きな罪から免れます。だから、14節のみことばを覚えて祈りましょう。「私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。」

【20篇】答えてくださる主

・主がお答えくださる:1-3節
イスラエルの民がダビデのことを「あなた」と言い、この事を言っています。人々はダビデを尊敬していました。しかし、それ以上に主に対して恐れを抱き、主を尊敬していました。
主が聖所からダビデに助けを送るように祈っています。民のリーダーに対する祝福と祈りです。みなさんはリーダーのために祈っているでしょうか。両親のため、牧師のため、上司のため、高官のため、総理大臣のため。私たちは実際的に日本を動かす力は無いかも知れません。しかし、日本を動かすことのできる人のためにとりなしいのり、祝福することはできます。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(1テモテ2:1)

・願い通りに:4-5節
戦いに出て行く王に対して、主が戦略を与え、勝利の道を示してくださるようにと祈っています。主の心とダビデの心が一つとなるようにと言う祈りです。人々はダビデがどれ程主を愛しているか知っています。そして、どれ程主に愛されているかも知っています。それゆえに、すでに勝利を宣言して祈っています。主が共におられるので、負けることはないという信仰です。

・右の手の救いの力:6-8節
民の信仰もすごいですが、さすがダビデです。今こそ、私は知るとあります。何を知るのでしょうか。主が油注がれた者をお救いになるということです。イスラエルの人々の信仰をこれほどまで引き上げるダビデの信仰はどれほどでしょうか。単に言うだけでなく、自ら実行するリーダーの姿を見ることができます。
そして7節、詩篇の中でも有名な箇所です。主を知らない国は軍事力や経済力、王の力などを誇ります。それしか誇れないのです。しかし、神を知る者はそれ以上のものを誇ることができます。それが主です。
私たちも何にもまして主を誇りましょう。「私の主はこれほどすごいお方なんだ」と主を自慢するのです。主を誇ることが賛美の本質です。

・呼ぶときに応えてください:9節
王の救いを改めて祈っています。私たちもこの国のリーダーの救いのために祈りましょう。もし、私たちがこのタイミングで主を呼ばなかったらどうなるでしょうか。次の100代目の総理大臣が決まろうとしています。今こそこの国のために祈りましょう。私たちが呼ぶとき、主は応えてくださいます。主よ、どうかこの国の次期総理大臣を主の御心にかなった人に託してくださいますように。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. アーメン 

    主のすばらしさを心から賛美し、感謝します。

    我らの神は復活の主、癒し主、天地万物をつくられた主。

    全知全能のお方。 私たちを贖い罪を赦す方。

    備え主なる方。聖めてくださる方。 愛の神。

    平和の主。義なる神。ともにおられる主

    死と地獄の恐れから解放してくださる我らの勝利の旗。 

    我らをを養い育ててくださるの羊飼いなる主

    主よあなたを高らかに自慢します。

    日本の為、特に日本のリーダー、の為に祈ります。

    そして、いま感染症や災害、貧困で苦しんでいる方々の為

    その為に労してくださっている医療従事者の為に心を尽くして

    力ある神様に祈ります。

  2. 私の口のことば、心の思いが御前に受け入れられますように。
    この国のリーダーが主の御心にかないますように。

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