シャローム!
通読は続いていますか?
今週の通読はエレミヤ書、そして哀歌の最後まで通読が続きます。
エレミヤ書37章から52章は、神の警告が現実となって実際にエルサレムが滅びるまでの歴史的な記録と、諸国に対する裁きの預言で構成されています。ゼデキヤ王はバビロンの脅威を前にエレミヤに助言を求めますが、結局神の言葉に従わず、町は包囲され、陥落してしまいます(39章)。エレミヤ自身は投獄や迫害にあいながらも預言をやめず、神の言葉を語り続けました。町が滅びた後、ユダの人々はエジプトに逃れようとし、神はそれを止められますが、彼らは聞かずに移住し、そこでも偶像礼拝を続けてしまいます(43〜44章)。
その後の46章から51章では、エジプト・モアブ・アモン・エラム・バビロンといった諸国民に対する神の裁きが宣言されます。特にバビロンについては、その傲慢と暴虐に対する厳しい滅びの預言が繰り返され、神が最終的にご自身の民を回復される希望も語られています(50〜51章)。そして52章では、ゼデキヤの悲劇的な末路、神殿の破壊、民の捕囚といった史実が記録され、バビロン捕囚の重みと痛みが締めくくられています。
それに続く哀歌1〜5章は、エルサレム滅亡後の深い嘆きを詩的に描いた書です。都はまるで一人の嘆き悲しむ女のように描かれ(1章)、神の怒りが聖所にまで及んだことが語られています(2章)。しかし3章では、エレミヤの個人的な苦難の中に「主の恵みは尽きない」との希望が光のように差し込むのです。4章では民の罪と指導者たちの責任が問われ、5章では「私たちを新しくしてください」との祈りがささげられます。
裁きは確かに下りましたが、神のあわれみは尽きることなく、悔い改める者にはなお回復の希望があることが書かれています。その叫びが、これらの章全体を貫くメッセージとなっています。
今週も聖霊の助けを求めながら、聖書の真理を見つめ、通読を続けていきましょう。
●Day 237:エレミヤ書 37章-39章
●Day 238:エレミヤ書 40章-42章
●Day 239:エレミヤ書 43章-45章
●Day 240:エレミヤ書 46章-48章
●Day 241:エレミヤ書 49章-52章
●Day 242:哀歌 1章-2章
●Day 243:哀歌 3章-5章