聖書通読クラブ Day 86

聖書通読クラブ Day 86【サムエル記 第一 22章~24章】

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シャローム!

私たちはひとりで生きていくことはできません。たとえひとりで暮らしていたとしても、食べ物を買ったりするときに人とふれあいます。宅配業者とふれあいます。
人は一人っきりでは生きていくことができません。それが社会というものです。しかし人と関わる数だけ問題も生じるでしょう。
ダビデはサウルという難しい対人関係にどのように対応していったのでしょうか。

今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第一 22章~24章

■アウトライン

心を動かす柔和な態度

●孤独なサウル:22章
  ・アドラムのほら穴:1-2節
  ・モアブの王に両親を託す:3-5節
  ・ドエグの告げ口:6-10節
  ・祭司の虐殺:11-19節
  ・逃れたエブヤタル:20-23節

●逃げ続けるダビデ:23章
  ・ケイラヘ下る命令:1-5節
  ・ケイラから逃れる:6-14節
  ・ヨナタンとの再会:15-18節
  ・仕切りの岩:19-29節  

●忠誠を尽くすダビデ:24章
  ・上着のすそを切る:1-7節
  ・ダビデの誠実さ:8-15節
  ・サウルの悔い改め:16-22節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】孤独なサウル

行き場を失ったダビデはアドラムの洞穴に住み着きます。そこに家族もやってきます。ダビデだけでなく、その家族にも命の危険が迫っていました。
2節を見てください。どのような者がアドラムのほら穴に集まってきましたか?まるで教会です。イエス様はこのような者たちを呼んでくださり、恵みによって救いを与えてくださいます。私もアドラムのほら穴に来た一人です。

3節を見ると、ダビデは両親をモアブの王に預けています。老年になり、いろいろ大変です。しかし、疑問がわいて来ます。どうしてモアブの王にダビデは両親を預けたのでしょうか。危険ではないでしょうか。でも思い出してください。ダビデの父、エッサイの祖母はモアブ人のルツです。ゆかりがあります。ですからダビデは両親をモアブの王に預けました。
5節を見ると、ガドという預言者がダビデにユダの地に帰るよう勧めます。
ユダの地はエサウの支配下にありますので、サウルの手が及ぶ危険がありますが、国境付近ですのでギリギリ届かないかもしれません。しかし主はこのような少し危険なリスクを取ってでも、約束の地に留まって欲しいと願っているようです。
イエス様を信じる故に、サウルがダビデにしたような迫害を体験することがあるでしょう。
そのような時、主は私たちにも、必要なときに助言者の口を用いてアドバイスや励ましを与えてくださいます。

話はサウルに移ります。自分の故郷ギブアにいます。
そして、取り巻きを自分の部族であるベニヤミンにしています。
8節を見ると、サウルの状態を知ることができます。この節の内容は本当でしょうか?自分の同族なのに疑っています。そして、あることないことを言っています。
これは追い詰められた権力者の特徴です。自分の意見に同調してくれる人だけを周りに置き、しかしその人さえも疑い、結局自己憐憫に陥ります。
すると、9節でエドム人ドエグがダビデの居場所をサウルに告げ口します。独自の情報網を持っていたのでしょうか。この情報をサウルに告げ、自分の立場を良くしたい魂胆があったのかもしれません。

11節から、ノブにいる祭司が集められます。13節を見てください。おかしなことが書かれています。ダビデはサウルに忠誠を尽くし、荒野に逃げています。敵意をむき出しにしているのはサウルの方です。完全な被害妄想です。
14節から、アヒメレクはほんとに何も知りませんでした。その事に対してサウルは怒り、死を宣告します。ひどい話です。
ところが17節を見てください。家来もさすがにひどいと思ったのでしょうか。誰も王の命令に従いません。
18節、その中でドエグが立ち上がります。その結果、祭司85人、子どもも乳飲み子まで惨殺されます。神が言われていないのに人を殺しています。そして、この事は逆聖絶です。祭司に手をかけて殺しています。

ところが一人だけ、エブヤタルが逃れてダビデの所に来ます。
サウルはすべて人のせいにしました。しかし、ダビデは自分の責任とします。そして、エブヤタルを自分のそばに置き、家族のように扱います。
この事で、ごろつきどもの集団に祭司が加わりました。ダビデ王朝の基礎が築かれています。

【23章】逃げ続けるダビデ

ケイラという所にペリシテ人が攻めてきます。これにどう対処するか、ダビデは二回も神様に伺います。答えは二回とも「行け」でした。
ダビデは大胆ですが、主に対してはとても慎重でした。私たちもこれほど神様に確認する必要があります。
そして、ダビデはケイラの住民を救います。主の戦いです。

7節を見ると、エポデに言及されています。エポデは祭司の服で、ウリムとトンミムが入っていて、主の御心を伺うことができます。
当時は携帯電話もありませんでしたが、情報は素早く伝わります。ダビデがケイラにいたことが早速サウルに伝わっています。
サウルは執拗なまでにダビデを追いかけます。その力をペリシテ人を打つことに向ければいいのにと思いますが、それよりもダビデを倒すことに必死です。
しかし、主がダビデを守って折られました。14節を見てみましょう。

しかし、16節からを見ると、ダビデにとって苦しいことだけではありませんでした。なんと、愛するヨナタンが会いに来てくれたのです。ヨナタンは単なる励ましではなく「主の御名によって」ダビデを力づけました。「大丈夫だよ」「心配ないよ」と言う言葉以上に「主があなたの神であり、あなたを守って折られます。だから、大丈夫、心配ない」と言っているように思えます。私たちは励ましをみことばをベースにしたものに切り替えて生きたいと思います。主の御名による励ましです。この励ましが自分を変え、家族を変え、教会を変え、日本を変えます。

19節から、ヨナタンの励ましを受けたダビデは直後にジフ人たちの裏切りに会います。励ましの直後の試練、私たちの人生にもよくあることです。
21節、サウルの矢印はどこに向いているでしょうか。自分です。しかも、主の祝福と言っています。主の御名をみだりに唱えています。自分の事しか考えていない器です。
ダビデはサウルに見つかり、今度こそ殺されてしまうのでしょうか。その時、事件が起こります。ペリシテ人が攻めてきたのです。主は敵を用いてダビデを間一髪で救われました。
この時に歌ったダビデの詩篇があります。併せて詩篇54章を見てみましょう。

【24章】忠誠を尽くすダビデ

サウルはペリシテの攻撃を防いだ後、再びダビデの居場所を突き止めます。エン・ゲディです。
今度は3千人の精鋭をえり抜いています。
そこに、ダビデに大きなチャンスが訪れます。なんと自分たちが潜んでいる穴にサウルが用を足すために入ってきたのです。
サウルは目が慣れていないのでよくわからなかったでしょう。しかし、ダビデと部下たちはずっとそこにいたのでサウルの様子がはっきりと見えていました。
これは偶然にしてはできすぎています。こんなチャンスはありません。さて、どうするのでしょうか。
4-7節を呼んでみましょう。これまでの物語を見ているものにとっては、「なんで今サウルを打たないんだ」と部下と同じ気持ちになるかもしれません。しかし、ダビデは悪を憎んでいましたが、神を愛していました。そして、神が立てられた器に対して義を尽くしています。この姿勢が大切です。人ではなく、主を恐れることが重要です。

8節、敵に見えるようなサウルに対して、ダビデはどのような態度を取ったでしょうか。みなさんがダビデなら、このような事ができますか?ダビデは人格面でも素晴らしい器です。
9節、この事は本当ですか?ダビデはサウルのそばで仕え、サウルのことをよく知っていました。その上、神が油注がれた器なので主の故に尊敬もしていました。ですから、ダビデは直接サウルをとがめるのではなく、このような言い方をしてサウルに配慮しています。素晴らしい姿勢です。ダビデの心の優しさを見ることができます。
10-11節、ダビデはまず事実を述べています。そして自分の気持ちも伝えています。その上でサウルの過ちを優しく指摘しています。
ダビデは本当は自分の手でサウルをなんとかしたかったかもしれません。しかし、忍耐しました。自分で裁き、自分で手を下す方が早くて気持ちがいいかもしれません。しかし、ダビデは裁きを主にお委ねしました。最も賢い方法です。自分の手に罪を犯させませんし、自分がするよりもはるかに大きな罰をくだすかもしれませんし、悔い改めに導かれるかもしれません。
14節、非常にへりくだった言い方です。ダビデは自分を死んだ犬、ノミに例えています。つまり、逆を言うとサウル王がどれほどすごいかを言っています。
そして15節に至ります。ダビデはどこまでも主に信頼しています。長い羊飼いの生活で、また、家族の中の虐げによって、自分の弱さを痛いほど知っていたのではないでしょうか。詩篇119篇71節では「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」とあります。ダビデはまさにこのような生き方をしています。

16節から、もしダビデが厳しい態度でサウルに接していたらこのようにはなっていなかったでしょう。サウルのような冷静を持っている方に厳しく接すると、さらにかたくなになってしまいます。柔らかな答えは憤りを静めます。(箴言15:1)
17節を見てみてください。サウルの目が開かれました。今まではどうしていたのかと思うくらい良く物事がわかっています。
20節を見てください。サウルの恐れの正体が書かれています。自分が王位から退けられる事を恐れていました。しかし、サウルは主に従わなかったので、すでに王から退けられました。それをサウルは認める事ができなかっただけです。しかし、今悟りました。ダビデの柔和さがサウルの固い心を溶かしました。

21節を見ると、サウルは悔い改め、めでたしめでたしと思いますが、ダビデはサウル王のことをよく知っていました。
サウルは心から悔い改めていたのではなく、後悔していました。ダビデはその事を霊で悟っていました。
悔い改めることは後悔に留まらず、主に心を向けて主と共に歩み始めることです。悔い改めの実を結ぶ必要があります。日々悔い改めましょう。天の御国は近づいています。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. ダビデのような態度は今の自分にはできないと思いました。主にさばきを任せたいと思いました。

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