シャローム!
通読は続いていますか?
今週は申命記の通読を終え、ヨシュア記の通読に入ります。
申命記の後半は、律法と契約更新の総括、そしてモーセの最期という三つの主題が交錯します。
22〜25章には「日々の暮らしをどう守るか」が多岐にわたって書かれています。たとえば落とし物の扱い方や屋根に手すりを作ること、混ざった布の禁止といった生活の細かい約束ごとから、婚姻・性の倫理、貸し借りや量り売りの公正さ、戦争中の扱いまで、共同体がこわれないためのルールが並んでいます。これらは単なる面倒な掟ではなく、「神と人との関係を日常で形にする」ための取り決めだということがわかります。
26章では、初穂や十分の一といった感謝の実践を制度として定めています。収穫のときにどのように感謝を表すか、共同体でどんなリズムを作るかがポイントです。
27〜28章は少し劇的で、律法を石に刻んで山で読み上げ、契約を公にする準備と、その結果として「従えば祝福、従わなければ呪い」がずらっと並びます。言い換えれば、律法はただのルールではなく、民の生き方と将来を左右するものだという強いメッセージです。特に28章では、祝福に続いてその何倍もののろいが書かれています。
29章は過去の失敗を振り返りながら、「だからこそ選択の責任を果たしなさい」と呼びかけます。続く30章は希望の章で、「もし悔い改めるなら、神は回復してくださる」と語り、最後には「いのちを選びなさい」というシンプルでありながら重い勧めがあります。ここは律法の厳しさだけで終わらせず、悔い改めと回復の道がはっきり示されています。
31章ではヨシュアが後継者として指名され、律法を将来の世代に定期的に読み上げる仕組み(七年ごと)も整えられます。続く32章は「モーセの歌」と呼ばれる詩で、神の働きと民の裏切り、裁きと回復が詩的にまとめられています。33章は部族ごとの短い祝福で、それぞれの部族の性格や祝福の言葉が並びます。
最後の34章はモーセの最期です。モーセは約束の地を遠くに見ながら息を引き取り、民は偉大な指導者を失いますが、物語はヨシュアにバトンが渡され、旅は続きます。
全体を通して言えるのは、申命記の後半は「細かい生活規定」と「大きな契約の総括」がセットになっているということです。ルールは厳しい面もありますが、それは共同体を守り、隣人と正しく生きるための実践的な処方箋として機能しています。なにより、それらのルールは人が定めたものではなく、神が定められたものです。神を信じ、その教えに従うものには重荷にはならないものです。
そして最後には、律法の厳しさの向こう側にある「悔い改めと回復の希望」が語られます。読むときは「表面上の律法そのもの」だけで止まらずに、「なぜこの律法があったのか」「今の私たちにどんな関係ががあるのか」を十字架を通して祈りながら読むと、ぐっと理解が深まるでしょう。
続くヨシュア記1章〜9章では、モーセに続いてヨシュアが指導者となり、律法に従うことを軸に民を導く物語ですがはじまります。主は新しいリーダーのヨシュアを励まし、「強くあれ、雄々しくあれ」と命じ、ヨルダンを渡って約束の地に入るという具体的な使命を与えます。民は祭司が契約の箱を先頭に担ぎ出す順序に従って行進し、神の臨在に基づく秩序を保ちながらヨルダンを渡り、渡河を記念する石を立てて次世代に神の業を伝える約束を確認します。
割礼の再施行とマナの終わりは、新しい世代が契約の民としての身を整える出来事です。エリコ攻略では、民が神の指示に従い忍耐と従順をもって奇跡的勝利を得ますが、一方でアカンの私的な罪が共同体全体を打ち負かす原因となり、罪が隠されることの致命性と共同体的責任が鮮明になります。アカンの罪を露わにして清めた後、ヨシュアは策略と神の助けを組み合わせてアイを征服し、勝利は律法と契約への忠実さと共同体の清めによって回復されることが示されます。
ラハブの物語は、外部の者でさえ信仰と行動によって救われ、神の計画に取り込まれる可能性を示します。ギブオン人の詐術とのやり取りは、急いで誓いを立てることの危険性と、誓約の重みを教えます。全体を通して主題となるのは、律法に基づく従順、共同体の秩序、罪の発見と浄化、そして神の臨在と助けに依拠することであり、ヨシュアのリーダーシップはこれらを実践する過程で成長していきます。
今週も聖霊の助けを求めながら、聖書の真理を見つめ、通読を続けていきましょう。
●Day 052:申命記 22章-24章
●Day 053:申命記 25章-27章
●Day 054:申命記 28章-30章
●Day 055:申命記 31章-34章
●Day 056:ヨシュア記 1章-3章
●Day 057:ヨシュア記 4章-6章
●Day 058:ヨシュア記 7章-9章

