聖書通読クラブ Day 62

聖書通読クラブ Day 62 【申命記31章~34章】

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シャローム!

今日で申命記の通読が終わります。同時に、モーセ五書の通読も終わります。ここまで毎日続けて通読されたみなさまに神様からの豊かな祝福がありますように。
自分の聖書の創世記から申命記の終わりまでの厚みを指ではかってみてください。それがみなさんが今まで主と共に歩んできた時間です。
みことばの水の洗いは即効性は無いかもしれませんが、時間をかけて私たちを洗い聖めていきます。
そして、明日からも通読は続いていきます。主と顔と顔を合わせてお会いするその日まで、通読は続きます。
私たちは天国でいきなり主とお会いするのではありません。地上で毎日みことばなる主との交わりの延長線が天での主との関係です。
そう考えるなら、今日の通読も永遠のいのちにつながるものであることを覚えます。

今までの感謝を込め、みことばを受け取っていきましょう。

今日の通読箇所:申命記31章~34章

■アウトライン

いのちのことば

●ヨシュアへのバトンタッチ:31章
  ・励ましのことば:1-13節
  ・反逆の預言:14-30節

●モーセの歌:32章
  ・イスラエルの不真実さ:1-25節
  ・主の憐れみ:26-43節
  ・いのちのことば:44-52節

●モーセの祝福:33章
  ・主の降臨:1-5節
  ・各部族への祝福:6-25節
  ・エシュルン:26-29節

●主によるモーセの埋葬:34章
  ・イスラエル全土:1-8節
  ・比類無き預言者:9-12節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【31章】ヨシュアへのバトンタッチ

人は引き際が大切です。どんどん成長しているときは大丈夫ですが、自分が衰え、若手が活躍し始めたなら、いつまでもその場所に居座るのでは無く、次世代に譲り、自分は支える側になりたいと思っています。

モーセは120歳になっていました。そして、「もう出入りができない」と告白しています。これは簡単な事では無いと思います。自分の老いを認めるということは難しいでしょう。以前、義父が高齢のため、運転免許を返納したと教えてくれました。私は拍手して「勇気あるご英断ですね。」と伝えたところ、少しうれしそうにしていました。かっこよかったです。モーセは自分が下がり、まるで後ろから押し出すように次世代のリーダー、ヨシュアにバトンを渡していきます。

7節、ヨシュアと言えばこれという決めぜりふのように感じます。これは以前モーセがヨシュアに直接語りましたが、今度は会衆に向けて公に発表します。
私たちも自分のたましいにこの事を宣言しようではありませんか。主への全き信頼を持って勇気を持って一歩を踏み出すなら、主ご自身が戦ってくださいます。
恐れはなぜ生まれてくるのでしょうか。それは、自分が体験していない未知の領域に踏み入れようとしているからです。人は知らないから恐れます。であれば、すべてご存じの主に信頼し、ハンドルを主にお渡しするなら、私たちは何も恐れることがないということがわかります。
この励ましがどれだけヨシュアを力づけ、神の国を前進させたことでしょう。上の立場の方は、多生の懸念があったとしても、下の者を信頼して心からの励ましのことばをかけ続けてあげましょう。きっと自分が届かなかった領域まで一気にジャンプしてくれるはずです。続けて彼らの心が折れてしまわないよう、とりなし祈り続けてあげましょう。

9節は、普段読み飛ばしてしまいそうですが、重要なことです。十戒は神様の手によって石に刻まれましたが、その他の教えは口伝でした。ところがここでそのみおしえを書き記し、イスラエルの長老に託します。モーセ無き後も書き記されたものを見るなら、また思い起こせられます。記憶は曖昧ですが記録は正確です。

続いてモーセは、この書き記されたものどうしろと言っているでしょうか?図書館に大切に保管しておきなさいと言っていますか?
このみおしえを「読んで聞かせる」とありますね。ですから、通読の時に声に出して読むことが大切です。
1テモテ4:13-15も読んでみましょう。みことばを音読することは脳科学的にも良いことです。

14節からは今までと一転して、モーセ、ヨシュア、神様の三者会談が始まります。
16節、わかっていても神様からこのように言われるのはショックですね。自分の死と、あんなに教え込んだことをあっさり裏切ることが預言されています。モーセの無念さはどれほどだったでしょうか?
私たちはしばしば17節のような言い訳をしていないでしょか?自分たちが悪いのに神様のせいにしてしまうことがあります。
神様が御顔を隠されると言うことは、民の叫びに答えてくださらない、臨在を現してくださらないと言うことです。それは民の咎のためです。
みおしえを書き記し、主は更にこのことを忘れないようにと歌を授けられました。賛美とはみことば、もしくは神様をほめたたえる言葉にメロディーがついたものです。これを何度も繰り返すので私たちはその歌を覚えます。歌は主のために主が人に与えてくださったプレゼントです。
しかし、歌だからと言ってすべてがいいわけではありません。歌謡曲の中には神様に反対するような歌詞が見られることがあります。それを神の子が口ずさむと言うことは、冷静に考えると恐ろしいことであります。祈って吟味してみてください。

23節、今まではモーセがヨシュアに対して言ってきたことを、今度は主ご自身がヨシュアに告げられます。神様から直接このことばを語ってもらうとは、何という光栄でしょうか。信仰によってこのことばが自分にも語りかけられていることを信じます。

29節、モーセはイスラエルの民の性質をよく知っていました。ここでモーセが語っていることはいやみな事でしょうか?そうではなく、わが子が旅立つときに心配する親のような気持ちでここを語ったのでは無いかと思います。

【32章】モーセの歌

モーセの歌がはじまります。モーセの人生最後のメッセージのようなものです。まずは天と地が証人となることが書かれています。
また、いつかは必ず雨が降るように、みおしえは露のようにしたたり、植物に力を与えます。

4節、主の五性質が書かれています。ここから作られた賛美もありますね。
5節では「主の子らではない、よこしまな曲がった世代」とあります。親の言うことの反発する反抗期のようなイスラエルの民について言っています。また、これは私の姿でもあります。ですから、いつも神様に立ち返る必要があります。
また、この事が「恩を仇で返す」事であると書かれています。

7節、「昔の日々を思い出し、代々の年を思え」とあります。ことわざで言うなら「温故知新」という所でしょうか。
聖書には人類の起源からその終わりまでが書かれています。どのような人物が神と共に歩み、どのような人物が神に背いたのか。どのような生き方が神様に喜ばれ、どのような生き方が神様を悲しませるのか。多くの証人が私たちを取り囲み、その経験から生きる道をおしえてくれています。

10節、荒野でイスラエルの民には多少の不便はあったでしょうが、くつや着物はすり切れず、健やかで食べ物も日々与えられていました。敵に襲われること無く、野獣に裂き殺されることも無く、実に40年の月日を奇跡的に生き延びました。
これはすべて主がイスラエルをご自分の瞳のように守ってくださったからです。わしが子どもに飛び方を教えるようにイスラエルの民に信仰の大人になる方法を教えてくださいました。
私たちの生活のどこに不満がありますか?生かされているのです。それだけでも奇跡的なことであり、感謝がつきません。今生かされていることのゆえに神様をほめたたえます。

15節、聞き慣れない名前が出てきます。エシュルンです。これはイスラエルの別名で「直ぐな者」と言う意味です。これがイスラエルの本当の姿です。しかし、彼らは誘惑され、その本来の意味を失ってしまいました。「よこしまで曲がった世代」ということばとの対比になっています。
エシュルンが肥え太ったとき、足でけったとありますので、私たちがこの世の物であまりにも満たされすぎたとき、この事が起こるのかもしれません。
私たちは満ち足りると主への飢え乾きを忘れてしまい、救いの岩であるイエス様を軽んじ、忘れてしまいます。イエス様は一秒たりとも私たちの事を忘れるお方ではないお方です。本当に悔い改めが起こります。主よ、あなたを忘れてしまう私を赦してください。

17節では神ではない悪霊にいけにえをささげたとあります。それは近頃出てきた新しい神々だと書かれています。
現代に当てはめるなら、それは何になるでしょうか?情報という偶像かもしれません。それぞれ祈ってみましょう。ヒントは、その事は私たちの肉を満足させ、神様を忘れさせるということでしょう。

19節、偶像礼拝は不貞の関係と似ています。神の前に誓約した相手がいるにも関わらず、別の人のところに行ってしまいます。実際にそのような中で葛藤を覚えてらっしゃる方もおられると思います。
速やかに主の方法によって解決がなされますように。自分の義では無く、主の正しさが現されていくことができますように。
もし私たちが神様を知りながら他のものに頼るなら、神様はねたみを起こされ、神を知らない民を興し、私たちよりも用いられます。
そのような事が起こらないよう、いつも神様に心を献げていきましょう。
なぜなら、その後に書かれている主のねたみの結果を読んでみましょう。恐ろしいことです。それほどまでに私たちを愛してくださっている主に感謝します。

26節からは主の憐れみに焦点があてられます。
主は今まで何度もイスラエルを、人を滅ぼそうと考えられました。ご自分の愛する者をそのように考えるのですから、よっぽどのことでしょう。しかし、主はそれを重いとどめられました。
イスラエルの正しい行胃の故ではなく、敵に勝ち誇ったと言わせないためでした。

29節、私たちが仕事や家庭、学校でうろたえてしまう事にあてはめることができるかもしれません。
主は今も私たちに働きかけ、小さな奇跡を沢山起こしてくださっています。偶然に起こることなどひとつもなく、すべて主のご計画です。それに気づけないのは私たちです。それを聖書では愚か者といいます。
37,38節、私たちの弱さです。神様以外の目に見えるものに頼ろうとしてしまう私たちの性質です。木や石で作られた神々と言われるものは自分で動くこともできないただの木や石です。それゆえ、39節を宣言できるのでしょう。アーメンとしか言えません。39節を声に出して10回ほど宣言してみましょう。これが真実です。

40-42節、まるで黙示録の姿のようです。
そして、43節では「諸国の民」とあります。これは異邦人です。それに対して喜び歌えとあります。イエス様の血潮によって私たちは楽しみ喜ぶことができることを感謝します。

47節、いのちのことばです。なんとなく聖書のことばを聞くのでは無く、「これは生死にかかわることだ。しかも、永遠のいのちに関わることだ」という切実な思いでみことばを読むなら、主はその中から語り気気手くださると信じます。
私たちはパンだけで生きるのでは無く、神の口から出る一つ一つのみことばによって生きます。

【33章】モーセの祝福

ここからモーセはイスラエルの十二部族に祝福を述べています。ヤコブが子どもたちに述べた姿を思い出します。
このところで、他の聖書の訳を読んでいると、新改訳だけ少しちがうことばで書かれている箇所がありました。
「メリバテ・カデシュから近づかれた」という所です。新共同訳には「主は幾千万の民を従えて来られる」と書かれていました。まるで黙示録で主がこの地上に再び来られるときの様子のようです。

6節からは各部族への祝福がはじまります。余裕があるなら、ヤコブが語った祝福と照らし合わせて読んでみましょう。

26節からはまとめです。「よこしまで曲がった世代」と言われたエシュルンに対して語られています。これが彼らの本来の姿であり、彼らの状況がどうあっても主はいつもこのように見てくださっています。そして、この箇所もやはり黙示録を彷彿させます。ダニエル書、福音書でもイエス様ご自身、このようにしてメシヤが来られることを語っています。
29節、幸せなイスラエルとあります。私たちもイエス様によって同じ祝福にあずかっていることを感謝します。幸せな私たちです。

【34節】主によるモーセの埋葬

今まで一緒に旅を続けてきたモーセとの分かれです。少しさみしいですね。
4節、モーセは憧れていた約束の地をその目で見ました。しかし、直前でとどまり、入ることができませんでした。
考えてみてください。モーセは本当に約束の地に入れなかったのでしょうか?私は、無理をして、民の協力を得れば入れたと思います。
ところがモーセは自分の願いよりも主の御旨を優先しました。目の前に約束の地があるにもかかわらず、自分の判断でとどまりました。モーセはどのような気持ちでこの光景を眺めていたのでしょうか。自分がモーセの立場だったらどう思いますか?
このモーセに、死にまでも従うイエス様の姿がうっすら見えてきます。
5節、モーセはどのように呼ばれているでしょうか?「主のしもべ」です。いのちをかけてイスラエルの民を導きました。神と人との間に立ち、葛藤し、苦しみ、祈り、とりなし、働いてきました。彼の後半の人生は前半に比べれば何の華やかさも無かったでしょう。しかし、モーセは後半の人生の方が幸せであったと感じていたのではないかともいます。
7節、モーセは120歳、目もかすまず、気力も衰えていませんでした。このような召され方をしたいと密かに願っています。

9節、いよいよ次世代のリーダーがモーセ無しで民を導くときが来ました。彼は知恵の霊に満たされていました。
モーセはまだ自分に力があるときに次世代を育てることをしていました。運動会のリレーのようです。
リレーでバトンを渡すのは、お互いがトップスピードの時です。渡す側もまだ走る余力があり、受け取る側も走り出し、スピードに乗ったタイミングでバトンが渡されるなら、そのチームは優勝します。
逆に、タイミングが合わず、バトンを落としてしまったら負けてしまいます。もし、みなさんが何かの上に立つなら、今のうちから次のリーダーを求めて祈りましょう。そして、自分が一番脂ののっていると思えるときに次のリーダーにバトンを渡して、あとは見守ってみましょう。

10節、モーセに対する最大の賛辞ではないでしょうか。今まで通読されてきた方は、「そりゃそうだよ」と言いたくなるかもしれません。あれほど大変な局面をいつも神の前にひれ伏し、いのちをかけてイスラエルの民をここまで導いてきたのですから。
私たちもこの地上で様々な困難があるでしょう。しかし、今日、今与えられている課題に集中し、祈り、葛藤し、飢え乾き、主を求め、みことばを慕い求める生き方を続けるなら、私たちの地上での生涯の役目を終えた時、主ご自身が「よくやったね。良い忠実なしもべだったね」と褒めてくださるでしょう。私はその一点のために、この人生を主に献げています。みなさんはどうでしょうか?

これで、モーセ五書が終わりました。律法の中心を共に約2ヶ月かけて通読できたことを感謝します。
明日からは乳と蜜の流れる地の物語です。そこは天国でしょうか?そうかもしれませんが、実は戦いの連続です。引き続きみことばに導かれていきましょう。
ここまで導いてくださった主にすべての栄光がありますように!

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 申命記33章では12部族の名前、順序は生まれたた順ではなく、私たちの霊的生涯の順序を表しているのですね。

    私の力では全部説明しきれないのですが、たとえば、なぜここにシメオンの名前がないのか?など・・・(わかる方はフォローして説明してくださるとうれしいです)
    でも、33章で12部族の名があってその順序は、今まで通読してきた私の小さな知識を尽くして、その人物の背景や環境を思いめぐらしながら読み進めると、言われてみれば、ああなんとなく当てはまって・・・わかるという具合なのですが、私たちの霊的生涯を説明していることが分かります。
    これからも、み言葉と共に歩んでいるうちにさらに深く悟らせてくださることを期待します。

    私自身の性格がちょっと変わっていて、こだわるところが人と違うような気がして申し訳ないのですが、意味や順序を思いめぐらすと自分自身が恵まれたので、分かち合いたいと思いました。

    以下のキーワードを思いながら申命記33章を朗読しなおすと、
    このように生きていけたら、理想的だと思いました。
    いいえ、初代教会の使徒たちが求め祈ったように、今日私も祈り求めます。
    聖霊様その力をくださいという祈りが湧いてきました。

    6節 ルベン
    恵みの与える初めの祝福は命ですね。
    長子の祝福にはあずかれませんでしたが、
    事実上ルベンは初子なので、まずは命を授かったことから表されていると受け取りました。

    7節 ユダ
    次に力。
    自分の力では、ほとほと何もできないことを自覚する今日この頃です。
    聖書の朗読、礼拝、とりなしの祈り、愛することなど・・
    すべて主の助けなしにはできないことが分かります。
    自分の手で戦っているので、主よ敵の前で助けとなってくださいと祈ります。

    8節から11節 レビ
    献身と礼拝
    ウリム(光、啓示)とトンミム(完成 完全さ)
    知恵と啓示の御霊様の私たちに臨んでください。
    キリストが我がうちに形作られますように。完成しますように。

    12節 ベニヤミン
    主との親しい交わり
    悔い改める者には、何と主はご自分よりも、私たちの方に有利に計らってくださり、かばってくださる、いつもあなたのそばに住まうことができますように。

    13節から17節 ヨセフ
    御霊の実が豊かに実る者とならせてください。

    18節から19節 ゼブルン イッサカル
    奉仕と祈り
    アブラハムのように
    まず祭壇を築き捧げる者でありますように

    20節、51節 ガド
    悪の審判
    主よ、あなたの正しい裁きを感謝いたします。
    主は血潮により、とりなしてくださっていることを感謝いたします。
    私も主に習う者でありますように導いてください。

    22節、23節 ダン ナフタリ
    勝利する生涯
    主がともにいるなら、勝利から勝利へ
    栄光から栄光へ主と同じ形に姿を変えられていくことを感謝いたします。

    24から25節 アシェル
    勝利の結果である霊的子供の群れ
    兄弟に対する祝福された務め、
    聖霊の油注ぎによるキリスト者の歩み
    黙示された真理の力
    ああ主よ、主の油に足が浸れるように・・
    頭の上から足の先まで満たしてください。


    最後の言葉は、初めの言葉と同様に
    イスラエルを救う方の完全さと
    イスラエルの最も大きな栄光はその主によって救われたことであると宣言していますね。

    書いているうちに、知恵と言葉が足らず申し訳ないと思いました。
    もっと深いことを啓示されているような気がします。
    まだまだ深い主のみ旨に到達しえない私がいます。

    今日でモーセ五書が終了しました。
    こんな大変な労をとってくださっている俊介先生に、
    そして心の目と耳を開いてくださる主に心から感謝いたします。
    神様の愛を、神様のこんな私に対する(また、私たちに対する)希望に満ちた期待を感じます。
    これからも主に目をむけ、主の声に耳を傾けたいと思います。
    そして守り行えるよう、主と共に一歩一歩、歩んでいきたいと思います。

    シェマー・イスラエル(聞きなさい、イスラエル)
    申命記6章4節から6節
    4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。
    5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
    6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。

  2. 申命記を感謝します。創世記から申命記までの厚さ、指にはさんでみました。
    神様の愛を今まで感じた事がなかった程、胸に迫り涙があふれました。
    神様がどれほど私たちを愛して下さり、取り扱って下さっているかを、確認していく事で、~せねばならないではなく、神様のみこころを行う事が喜びとなっていきます。

    わたしの戒めを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。
    わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。
    わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう。

    これからも神様の愛と恵に応答して歩んでいけますように。

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