シャローム!
そろそろ花粉が飛び始める季節でしょうか。春はもうすぐそこまで来ていますね。
今週の通読、129日目では「何を聞き、何に従うか」というテーマが書かれています。これは、今までも、そしてこれからも非常に重要なことになります。
私たちの体は、日々私たちが食べるもので形作られます。健康的でバランスのとれた食事を取るなら健康が得られ、偏った食事は体に負担を与える可能性があります。好きなときに好きなものを食べるのは、自制の効かない獣のような生き方かもしれません。
いずれにしても、食事を取らなければおなかが空きます。「腹が減っては戦はできぬ」という言葉もあるほどです。私たちは肉体の空腹に対しては敏感ですが、霊的な空腹に対しては鈍感になることが多いものです。それでは霊の食事とは何でしょうか。それがみことばの朗読です。3日も食事を取らなければ、私たちはすぐに動けなくなってしまうでしょう。しかし、1週間みことばを読まなくても、私たちは普通に生活することができます。しかし、そのような生活を続けるなら、実際は霊のおなかがペコペコになっている状態なのです。日曜日に礼拝で聖書を開き、次に開くのが次の週の日曜日の礼拝ということがないでしょうか?私たちは毎日みことばを朗読し、私たちの内なる人にみことばの食事をとらせなければならないのです。
私たちの霊は、私たちが見るもの、聞くもので形作られていきます。ですから「何を聞き、何に従うか」ということが非常に重要になってきます。今は、昔と違って私たちの手の中にあるデバイスで、世界中のあらゆる情報にアクセスすることができます。さらに、生成系AIの発達により、その流れに拍車がかかっています。
そこで、皆さんに今一度立ち止まって考えていただきたいことがあります。それが生成系AIとの付き合い方です。世界中で瞬く間に広まったこのテクノロジーは、今も日進月歩で進化し続けています。皆さんも普段の生活ですでに当たり前のように使っておられるかもしれません。また、聖書のことを調べるときにもこのツールを使っているかもしれません。
しかし、私たちが注意しなければならないのは、生成系AIは正しい答えを必ず出してくるとは限らないということです。私たちが簡単な質問をすると、生成系AIは理路整然とした答えを吐き出してきます。それはあたかも完成された答えのように思えるでしょう。しかし、生成系AIは「正しい・正しくない」を判断することはできません。そこでは、質問された内容に対してインターネット上の膨大なデータを参照し、質問に続く内容を探し当て、最大公約数の答えを吐き出してきます。いわば、連想ゲームのような形で質問に続くことを生成しているというのが仕組みです。
これは非常に便利なツールです。しかし、同時に危険なツールであるとも思っています。特に、みことばに関わることに対して、私たちは生成系AIを使い過ぎないように気をつけていきたいと思っています。なぜなら、生成系AIに質問すると、何でもすらすら答えてくれるので、そのようなことが当たり前となってしまうような生活を続けるなら、生成系AIが出してきた答えを何の吟味もすることなく、鵜呑みにしてしまう可能性があるからです。
先ほども述べましたが、生成系AIは正しい・正しくないは関係ないのです。最も恐ろしいのは、間違ったことをあたかも本当のように出力してくることです。また、98%は正しいのだけれども、2%が全く違っているということも十分に起こりえます。使う者がそれを明確に見分けて、判断できるのであれば良いのですが、気づかないところで間違いが入っている可能性があります。これは、「パン種」のようなものではないかと考えています。
私たちは純粋な粉で礼拝を捧げなければなりません。混ぜ物は主に忌み嫌われるものであります。サタンはわかりやすくやってくるのではなく、羊の皮を被ってやってきます。
かつて、私もオンライン聖書大学で生成系AIを使っていくつかの動画を作成しました。しかし、今はストップしています。祈りを持って、改めて見返すと、何も心が動かされないのです。たましいに響かないのです。不思議なもので、生成系AIで作成した成果物は、なんとなくAI臭さというか、見た目はとても素敵なのですが、全く心に入ってこないという特徴があるように思えます。これも実際に自分でやってみて気づかされました。また同時に、いくつか作成を続ける中で、コツをつかんでもっと沢山作り、「いいね」をもらいたいという誘惑にもあいました。これは良くない動機です。
では、生成系AIとどのように付き合っていけばいいのでしょうか。これは私も模索中なのですが、このツールを使って日々の単純なルーティンや雑用などを効率化し、時間を作り、その空いた時間を主を礼拝するために使えばいいのではないかと思っています。
聖書のみことばを朗読し、その内容を思い巡らし、調べることは骨の折れる作業です。こちらで紹介している聖書通読クラブも、生成系AIのない時代に執筆しました。それは本当にいばらの道のりで苦しかったのですが、今となってはこの1年が私の霊的な底力になっていると感じます。文字通り、毎日みことばと格闘して書き上げました。このみことばとの格闘が私たちの宝となるのです。その最もおいしい部分を生成系AIに明け渡してしまっていいものでしょうか?これは神が人に与えてくださった特権であると信じます。
ですから皆さまにお勧めしたいのは、みことばと時間をかけて交わり、格闘してほしいということです。純粋な混じりけのないみことばをそのまま味わってほしいということです。これは本当に地味で、つらい作業です。しかし、何年もかけて聖書を通読していくなら、突然ある箇所とある箇所がリンクし、神からの啓示が与えられることがあります。生成系AIで得た答えは瞬時に物事を解決させるかもしれません。しかし、そのようにして得た情報はすぐに忘れてしまうものです。ところが、何年もみことばと格闘して神様から直接得た答えは、一生忘れない私たちの宝となるでしょう。
時代と逆行していることをお伝えしているかもしれませんが、私もまだ模索中です。しかし、最近、私は今まで以上にみことばと祈りの生活に導かれています。深く祈る中で、今日のこのような思いに至っています。私が間違っているかもしれませんが、皆さまもぜひ立ち止まって一度考えてみてください。
サタンが終わりの時代、教会から奪い取って行くものは聖さと一致です。これを死守するためにも、みことばをみことばとして味わい続ける生活を送っていきましょう。
【今週の通読】
●Day 129:歴代誌 第二 22章-24章
●Day 130:歴代誌 第二 25章-27章
●Day 131:歴代誌 第二 28章-30章
●Day 132:歴代誌 第二 31章-33章
●Day 133:歴代誌 第二 34章-36章
●Day 134:エズラ記 1章-3章
●Day 145:エズラ記 4章-6章

