聖書通読クラブ Day 133

聖書通読クラブ Day 133【歴代誌 第二 34章~36章】

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シャローム!

世の中には「スクラッチ・アンド・ビルド」ということばがあります。アイデアでも何でも、つくったものを一度壊し、再び構築し直すことでより良いものが生み出されるということばです。
神様はご自分の名を置かれると言われた神殿ですら、崩壊されることがあります。それは信じる者を完全に滅ぼされるためではありません。むしろその事を通して彼らをさらに高みへと、さらに深みへと導かれるためです。
目の前で神殿が崩れていく様子を見るのは本当につらいことでしょう。まことの救い主として来られたイエス様ですら、十字架の上で死なれました。ところがイエス様は三日目に復活されたのです。
この事を通して、異邦人の私たちにまで福音がのべつ絶えられています。
主の御手によって破壊されることは一時的なつらさを味わいますが、それは十字架の道のりです。喜びの道のりです。その先には主にある希望があります。

今日もみことばを朗読し、教えられていきましょう。

今日の通読箇所:歴代誌 第二 34章~36章

■アウトライン

崩壊と回復

●律法の書:34章
  ・ヨシヤ王:1-7節
  ・宮きよめ:8-13節
  ・主の律法の書の発見:14-21節
  ・主のわざわい:22-28節
  ・主に従う道から離れない:29-33節

●盛大な過越の祭:35章
  ・過越のいけにえ:1-6節
  ・贈り物:7-9節
  ・それぞれの役目を全うする:10-15節
  ・サムエル以来の過越:16-19節
  ・ネコ:20-24節
  ・ヨシヤのための哀歌:25-27節

●まことの王を迎える準備:36章
  ・エホアハズ:1-4節
  ・エホヤキム:5-8節
  ・エホヤキン:9-10節
  ・ゼデキヤ:11-16節
  ・バビロン捕囚:17-21節
  ・クロス王の霊を奮い立たせる:22-23節

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(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【34章】律法の書

・ヨシヤ王:1-7節
ヨシヤ王は若干8歳の王でした。父が暗殺されたのでこの若さで王となります。彼の評価はどうだったでしょうか?
若いにも関わらずユダとエルサレムをきよめます。大きな決断です。
ヨシヤ王の選択は異教の神々の祭壇を汚すことでした。偶像を破壊し、それを異教の神にいけにえを捧げた人たちの墓の上にまき散らしました。その上、異教の祭司を彼らの祭壇の上で焼いています。徹底的に敵の祭壇を汚して、二度と使えないようにしています。
また、ヨシヤ王は南ユダだけでなく、北イスラエルにも働きかけます。

・宮きよめ:8-13節
偶像を取り除いたヨシヤ王は、続いて主の宮を修理し、きよめます。
汚れを取り払う事ときよめはどちらを先に行うかというと、この箇所から受け取れるのは先に汚れを立ちきると言うことです。それからきよめます。
部屋の中がゴミ屋敷のようになっているなら、まずゴミを持ち込むことをやめ、それから掃除します。そうでないと、せっかくきれいにした部屋にまたゴミが持ち込まれるからです。
私たちの内なる人のきよめを行いたいなら、まず罪の性質を断ち切ることを先に行うのがいいでしょう。
12節を見ると、彼らはこの仕事を忠実に行ったとあります。これは非常に重要な事です。忠実に仕事をせず、自分勝手に仕事をするなら、お客様にとっても喜ばれず、会社でも組織としてメリットが得られません。
それ以上に、私たちは神の統治の中で秩序を持って働きを行っていく必要があります。

・主の律法の書の発見:14-21節
かつて、ヨシャパテの時代には祭司やレビ人が律法を持ち、町々で人々に読み聞かせていました。ところがいつの間にかそれは忘れ去られ、この時にまで至りました。
忘れ去られていた律法の書が発見されます。それを聞いた王はどのように反応したでしょうか。なんと衣を裂きました。みことばの基準が明らかにされたので、自分の行っていることが神様の御心からそれていることをはっきりと知ったのです。
基準がなければ物事の判別ができません。私たちは神の国に生きる者ですから、神の国の基準を知る必要があります。それがみことばです。

・主のわざわい:22-28節
女性の預言者であるフルダが預言します。その内容はどのような者でしょうか。ヨシヤ王が懸念したまさにその事です。
さらに、フルダの言っていることはモーセの律法そのものになります。これが預言です。みことばをそのまま述べ伝えることが預言です。みことばを超えて主は語られることはありません。
そのために、みことばを豊かに蓄えましょう。そのみことばを通して主は語りかけてくださいます。
続いて語られる預言はヨシヤ王に向けられます。その内容はどのようなものでしょうか。まず、神のことばを聞いたとあります。次に心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き泣いたとあります。これらは主に受け入れられました。
大きなくくりとして、まずみことばを聞いてその後に悔い改めが来ています。この順番が大切です。みことばによって基準に戻されることは、時にはつらいかもしれません。
歯の矯正をするときには痛く、普段の生活にも支障を来すことすらあります。しかし、それを耐え抜いた後はきれいな歯並びを手に入れる事ができます。
それ以上に喜びが伴うことがみことばによる悔い改めです。この基準を知って、そこに立ち返りましょう。

・主に従う道から離れない:29-33節
ヨシヤ王は決心します。主の道を歩むと。31節を見てみましょう。これがヨシヤ王の決意です。人にさせるのではなく、まず王自らが率先してこれを行います。
これがリーダーの姿です。自分は何もしないで、人に指図するのは独裁者です。しかし、真のリーダーはまず自分が行い、下の者に背中を見せます。結果を出したリーダーの言うことには、皆従います。私たちは全員リーダーになることができます。まず、自分が行うことです。人は絶対と言って良いほど変えることはできません。しかし、自分自身は変えることができます。みことばによって変えられ続けましょう。

【35章】盛大な過越の祭

・過越のいけにえ:1-6節
ヒゼキヤ王も過越を復活させましたが、ヨシヤ王も復活させます。
過越を律法の書通りに行うことはとても大変なことでしたが、ヨシヤ王は祭司たちを力づけます。
最初に取りかかったことは主の箱を至聖所に入れることです。おそらく、どこかのタイミングで主の箱が至聖所から取り出されていたのではないかと思います。はっきりとはわかりませんが、犯人はアハズかマナセかもしれません。
ヨシヤ王は律法の書を読み、主の箱の重要性を理解したので、このような行動に出ます。続いてダビデが決めた奉仕のシフトを取り入れ、過越のいけにえをほふります。

・贈り物:7-9節
ヨシヤ王は私財からおびただしいいけにえを贈ります。その数をみことばで確認してみましょう。よろこびがこの数に反映されています。

・それぞれの役目を全うする:10-15節
彼らはヒゼキヤ王の時と違って、準備に余裕がありました。それで、より律法の書に従って忠実に過越が行われています。
また、奉仕する者がいけにえを献げることができるように、レビ人がサポートしています。麗しい姿です。

・サムエル以来の過越:16-19節
ヒゼキヤが回復した過越の時は「ソロモン以来」とありましたが、ヨシヤ王は「預言者サムエルの時代」と書かれています。ということは、ソロモンよりもダビデよりも前の時代になります。ヨシヤ王の過越はダビデの過越よりも盛大なものでした。

・ネコ:20-24節
このように素晴らしい働きをしたヨシヤ王ですが、このまま人生を終わらせて欲しかったです。ところがやはり晩年に残念なことになります。
エジプトの王ネコがヨシヤと手を組み戦うことをもちかけます。
ネコはヤハウェなる主を信じていません。しかし、21節を見ると「神があなたを滅ぼされます」と言っています。主は異教徒を通して神のことばをヨシヤ王に告げようとしています。
しかし、ヨシヤ王はネコの忠言にも聞き従わず、身を引かず戦いに出て行き、そこで傷を負って死んでしまいます。

・ヨシヤのための哀歌:25-27節
エレミヤがこのために哀歌をつくります。後に哀歌の通読の時に見ていきましょう。

【36章】まことの王を迎える準備

・エホアハズ:1-4節
ここからは王がめまぐるしく交代していきます。まずはエホアハズです。
エホアハズは民によって王にされますが、ネコによって退けられます。たった3ヶ月間の王でした。
ついでネコは重い税を課します。そして自分の言うことを聞くエルヤキムを王とします。エホアハズはエジプトに連れて行かれます。
 
・エホヤキム:5-8節
エルヤキムはエホヤキムと名前を変えられます。このエホヤキムの十時に第一回目のバビロン捕囚があります。
エレミヤの22章にエホヤキムがエルサレムの門の外に出され殺されることが預言されています。
しかし、歴代誌で書かれていることは主の宮の器具が持ち出されると言うことです。礼拝ができなくなります。これは霊的な死をも意味します。私たちの内なる人の神殿の器具が奪われないよう、みことばと祈りによって城壁を強固にしていきましょう。

・エホヤキン:9-10節
エホヤキムの子エホヤキンもバビロンに捕らえ移されます。第二次バビロン捕囚です。
そして、ネブカデネザル王はエホヤキンとゼデキヤを取り替えます。
ここでも注目されているのは主の宮の尊い器です。

・ゼデキヤ:11-16節
最後の王、ゼデキヤが登場します。彼はどのような王だったでしょうか。12節を見てみましょう。預言者エレミヤの前にへりくだらなかったとあります。この事がゼデキヤ王の最も悲しいことです。
神のみことばの前にへりくだることができない人生は本当にむなしいものです。
この神の前にへりくだることができないこと、すなわち高ぶりが次の事を招きます。
すなわち、ネブカデネザルによって神にかけて誓わされ、異教のならわしを祭司が行います。
そして歴代誌の記者が注目しているのはやはり主の宮です。この宮が汚されたと書かれています。
主は使者を送られますが、人々は彼らを笑いものにし、みことばを侮り、預言者をばかにします。その結果、主の怒りが下ります。

・バビロン捕囚:17-21節
こうして、残っていた人々がカルデヤ陣の剣に容赦なく打たれます。神の宮の財宝はすべて持ち去られます。ついに彼らは奴隷となります。20節には列王記には見られなかった「ペルシャ王国が支配権を握るまで」と書かれています。このことから、歴代誌はペルシャからの帰還民によって書かれたことがわかります。
しかし、この捕囚も永遠に続くものではありませんでした。エレミヤによってその年が70年であることが告げられます。
そして、なんとバビロンに捕囚された間、この地が70年間安息を得たとあります。第二歴代誌7:14には、主のみ顔を慕い求める民が自らへりくだり、祈りを捧げるなら主が天から聞いてこの地をいやしてくださるとあります。
この地は主のみことばに従わない者によって汚されています。彼らが悔い改められないのであれば、主は強制的にバビロン捕囚などの方法をつかってでも民を立ち退かせ、その地に安息を与えられるのです。
バビロン捕囚は彼らを滅ぼすためではなく、一度崩してまた建て上げるためでした。主には私たちの考えを超えた大きなご計画があります。私たちを再び植えるために、主は一度引き抜かれると言うことをなさります。

・クロス王の霊を奮い立たせる:22-23節
エレミヤに告げられたことばとは、70年の捕囚の期間が満ちた後、ユダヤ人を約束の地へと帰還させてくださるということです。
このペルシャ王のことばは明日から読んでいくエズラ記の冒頭にも出てきます。
そして、やはりここでも再び主の宮が建てられることが語られています。神の宮が回復していきます。

私たちは生まれたときは神様を知りませんでした。しかし、神様からの一方的な恵みによってまことの救い主であられるイエス・キリストに出会い、このお方を主人として信じ、永遠のいのちをいただきました。
その後もみことばによって成長させられる中で、何度か試練を通され、神殿が壊されるような経験をしますが、主はそのたびに建て直してくださり、より精度の高い神殿へと私たちを造りかえてくださいます。これで歴代誌は終わりますが、この後も神殿の回復は続いていきます。神の名が置かれているこの体、神の宮をみことばによって益々強固に、また聖く建て上げていきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 歴代誌の通読を終了したことを感謝します。

    ヨシヤ王に異教の王ネコから神の言葉が告げられたので
    私は残念な気持ちです。
    これが主の祭司や預言者からの言葉なら、
    これほど忠実なヨシヤ王のことだから、
    その言葉に従ったに違いないと思います。
    神様はヨシヤ王に厳しすぎるのではと。
     ↑
    これは自分勝手な解釈です。
    神様には、もっと深い意味があってのことだと信じたいです。

    まさしく人の心はあてにならないということでしょうか。
    主を心から恐れ、礼拝し、み言葉に忠実に従っているがゆえに、
    高ぶり、高慢になり、
    異邦人の口を通してなので、
    神の言葉だと見わけがつかなかったということなら、
    神の言葉を預言として受け取るとき、
    かなり謙遜になって受ける姿勢がないと見わけがつかないのだろうと思います。

    何が正しくて、何が間違いで、何を信じたらいいのかわからない
    多種多様な情報が飛び交っている今の時代を思いました。

    ただ、エジプトのネコは、ユダ王国に戦争をいどんで来たわけではないことを思うと、
    戦う前に主にうかがわなかったヨシヤ王にも責任があるのかと、
    変装しても神の言葉の前には、いろんな意味で誤魔化しがきかないのですね。

    とっさの時に祈るより先に行動するときの罠を思います。

    疑問に思うこと、分からないことはありますが、
    主を信じ従いたいという思いは変わません。

    これからも主が通読を守り導いてくださるように祈ります。

  2. 神殿が壊れても、また建て直してくださる主、私の思いをはるかに超えた素晴らしい主の計画に感謝します。

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