聖書通読クラブ Week 35

聖書通読クラブ Week 35

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シャローム!

今週はエレミヤ書の通読を終え、哀歌、そしてエゼキエル書へと導かれていきます。

哀歌は5章とコンパクトな書簡ですが、読み始めるとその重さに思わず立ち止まってしまうかもしれません。でもその重さの中に、忘れられない言葉が宿っています。

哀歌とはどのような書簡なのでしょうか?
紀元前587年、バビロンの軍勢がエルサレムを滅ぼしました。神殿は燃やされ、街は廃墟となり、民は異国へ連れ去られた——その瓦礫の中から生まれた嘆きと祈りの詩集、それが哀歌です。
著者はエレミヤとする伝統的な見解がありますが、聖書本文には明記されていません。ただ、エレミヤ書の直後に置かれているのは偶然ではないでしょう。あの「涙の預言者」が見届けた滅びの叫びが、そのまま続いているような感覚で読めます。
ひとつ面白いポイントとして、ヘブライ語の原文では各章がアルファベット順に始まる頭字詩(アクロスティック)の形をとっています。混乱と絶望の極みの中で、それでも言葉を秩序立てて神に差し出した——それ自体が、信仰の行為だったのだと思います。

そのような哀歌の中で最もよく知られているのが、この一節です。

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」(哀歌 3章22節)

考えてみるとすごくないですか?これは、すべてを失った人間が書いた言葉です。神殿も故郷も希望も消えた、その灰の中から出てきた告白なのです。
十字架もまた、絶望の極みでした。弟子たちは散り、墓が閉ざされ、すべてが終わったように見えた。しかしイエスの復活の朝に、この「朝ごとに新しい憐れみ」は完全な形で現れました。哀歌の著者が廃墟の中でかろうじて掴んだ希望は、十字架と復活によって証明されたのです。

今、あなたの人生に「廃墟」と感じる場所はありますか?
神への不満や嘆きを、正直に言葉にしてみてください。哀歌の著者がそうしたようにです。嘆くことは、神に語りかけているということと等しいのでは無いかと思います。それ自体がすでに、信仰の祈りとなるのです。

「私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。」(哀歌 3章21節)

今週も皆さまに主の祝福と守りがありますように。

【今週の通読】
●Day 241:エレミヤ書 49章-52章
●Day 242:哀歌 2章-2章
●Day 243:哀歌 3章-5章
●Day 244:エゼキエル書 1章-3章
●Day 245:エゼキエル書 4章-6章
●Day 246:エゼキエル書 7章-9章
●Day 247:エゼキエル書 10章-12章

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