シャローム!
エレミヤは預言的な行動を持って主の心を民に伝えましたが、エゼキエルもまたそのような事を沢山行います。どうしてそのような事を行うのでしょうか。一つは主が語る事を控えるように言われていたからです。そして、もう一つの理由は彼らが語っても聞かないからです。
まるで、ことばの通じない外国にいるような状態です。それでも何かを伝えようとするなら、身振り手振りでなんとか意思を伝えるでしょう。この預言的な行動はそのような意味があるのかもしれません。
今日もみことばから主の心を受け取っていきましょう。
今日の通読箇所:エゼキエル書 4章-6章
■アウトライン
●横たわり汚れたパンを食べる:4章
・粘土板に掘る:1-8節
・390日横たわる:9-17節
●異邦人よりも悪い民:5章
・髪とひげをそる:1-4節
・諸国の民より悪事をはたらく:5-12節
・憤りを全うする:13節
・ききんと悪い獣を送る:14-17節
●主であることを知る:6章
・山々への預言:1-7節
・姦淫の心と姦淫の目:8-10節
・「ああ」と叫べ:11-14節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【4章】横たわり汚れたパンを食べる
・粘土板に掘る:1-8節
主はまず最初に、粘土板にエルサレムの町を掘らせます。そこを包囲し、塁を築き、塹壕を掘り、陣営を設け、城壁崩しを配置するように言います。これから起こることを模型を使って説明しようとします。
そして、最後に平鍋をエゼキエルと町の模型との間に立てます。鉄板のような壁がエルサレムと主との間にあることをあらわしています。
続いて4節からは、なんと左脇を下にして一年以上寝ることを命じられます。寝返りもできません。体がおかしくなりそうです。その間、イスラエルの家の咎を負います。また、一度寝返りができたと思ったら今度はさらに40日ユダの家のために咎を負います。
この期間、一日を一年と換算すると390年と40年です。この期間が何を意味しているのかはよくわかりません。
その後、エゼキエルは立ち上がり、顔をまっすぐに向け、腕をまくっています。主がなされることから逃げることなく、それを受け取るための表現です。
・390日横たわる:9-17節
エゼキエルが横たわっている間、パンがあてがわれます。普通なら小麦だけですが、食料が不足しているのでいろいろなものが混ざっています。しかも、その量は一日にパン20シェケル、つまり200グラム強、水は一日6分の1ヒン、すなわち600ml強です。しかも、そのパンを焼く燃料は人の糞です。生きていくギリギリの水準です。
そして、このパンは汚れたパンです。レビ記11章にある食物規定に抵触します。ですからエゼキエルは14節で自分は汚れを避けて生きてきたことを主に申し上げます。すると、主は人の糞ではなく、家畜の糞で焼きなさいと言われます。個人的には、それほど変わりないように思うのですが、特別な啓示があるのかもしれません。
そして、ついには彼らは食料がどんどんと尽きていくのを目の当たりにし、ついには痩せ衰え、朽ち果ててしまいます。その原因は彼らの咎のためです。
【5章】異邦人よりも悪い民
・髪とひげをそる:1-4節
この時代の男性にとって、ひげをそり落とすことは恥を意味します。また、頭の毛も剃り落とす行為は、死者に対して行うものです。レビ記21:5には、祭司はそれをしてはならないと書かれています。
しかし、主はエルサレムの悲しみを表すために、あえてそれをしなさいと言われます。一見、みことばに反する事ですが、主が語られたことには従う必要があります。エゼキエルは神に召されたからこそ、この事を正しく見分け行うことができたのでしょうが、とても勇気のいる行動に思えます。
そして、剃り落とした髪の毛は三つにわけられます。町で焼かれる事はこの後の12節で説明されています。三分の一はバビロンが攻めてきて、剣で打ち殺すことを意味します。残りの三分の一はバビロンに捕らえられていく者たちです。そして、わずかに残した髪の毛を町の中で燃やします。それがバビロンの町を焼き尽くす火を意味しています。
・諸国の民より悪事をはたらく:5-12節
エゼキエルのこれらの行動の意味は何だったのでしょうか。主は「これがエルサレムだ」と言われています。エゼキエルは身をもってエルサレムの悲しみを表現していました。主はご自分の民をご自分のお選びになった所に置き、御心をなさろうとされましたが、民は神に従いませんでした。リーダーが罪を犯したなら、それ相当の責任が問われます。同様に、主が選ばれた民、場所が罪を犯したらそれ相当の刈り取りがあります。主の期待を裏切るような民のふるまいでした。ユダと同盟を結んでいたアモン、モアブ、エドム、ツロなどはユダを助けることはありませんでした。
イエス様はマタイの福音書の中で「塩が塩気を無くしたら、何によって塩気を得るのでしょう。外に投げ出され、踏みつけられるだけだ」と言われていました。この事を思い出しながら言われたのかも知れません。
ユダの人々の行いは不信者よりも悪い行いでした。主を礼拝しながら、異教の神を拝み、子どもを火の中を通らせるような儀式までしていました。この事から学べるのは、イエス様を信じていても、未信者よりも悪いことを行ってしまう可能性があるということです。「自分は大丈夫だ」と言う思いから「主よ、私は弱いので助けてください」という信仰に導かれますように。
エルサレムはこのように霊的に崩壊し、実際的な飢餓に見舞われ、父が子を食い、子が父を食うというところにまでなってしまいました。
・憤りを全うする:13節
主は怒りが全うすると、憤りを静めて満足されることを決めておられました。それは主の正義が全うされるときでもあります。
そうして後、彼らは主が熱心に語ったことを知ります。それまでは偶像に心が奪われ、神のことばが全く届かない状況でした。しかし、ここまでされて、はじめて主がずっと語っていてくださったことを知るのです。
・ききんと悪い獣を送る:14-17節
主がエルサレムへの怒りを諸国に対して示すことが繰り返されています。イスラエルの人々は苦難の歴史を歩みます。この後も十字軍、ホロコーストなど、何度も民族の危機に立たされますが、その度に主は祈る者を興され、憐れみを持って彼らを生かしてくださいます。
【6章】主であることを知る
・山々への預言:1-7節
イスラエルは、小さな国家ですが、そこにあらゆる地形が詰まっています。湿地も砂漠もあり、雪の降る山があれば、世界で最も海抜が低い土地もあったりします。その山々に対してさばきがなされます。なぜなら、山は礼拝の場所であり、そこでは偶像礼拝がなされていたからです。どのようにすれば偶像礼拝を無くせられるのでしょうか。その場所を汚すことです。死体やその燃やした灰をばらまくのです。ヨシヤ王はそのことを知っていたので、墓から骨を掘り起こして、偶像の祭壇にばらまきました。しかし、バビロンが攻めてきて、今度は同じような事をされました。
・姦淫の心と姦淫の目:8-10節
主はいつでもわずかな者を残されます。また、逃れた者がとりこになっていく国で主を思い出すと言われています。そのようにして、彼らの心の中にある偶像を慕い求める性質をことごとく打ち砕いてくださいます。そして、主が主であることを知るようになります。
・「ああ」と叫べ:11-14節
主はまた、エゼキエルに預言的行動を促します。手をたたいて、足を踏みならしています。これは幼稚園のお遊戯をしているわけではなく、バビロンがイスラエルに攻めて来ることを表現しています。手をたたくことは怒りを表し、足を踏みならすのはバビロンの戦士がイスラエルに踏み込んでくることを意味します。
12章からは、様々な方法で主の怒りが全うされています。彼らがかつての偶像礼拝の場に来たとき、主が主である事を知ります。また、荒野からリブラの広範囲を主が荒廃させられるとき、彼らは主が主であることを知ります。
ここからもわかるように、主の目的は破壊ではありません。回復です。私たちもキリストの福音を信じています。それは死と葬りと復活です。キリストと共に復活にあずかりたいなら、死を経験しなければなりません。私たちは主の御手の中で壊されます。しかし、必ず主は私たちを再び建て直してくださいます。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
主が主であることを感謝します。
主のおきてに従って歩めるように祈ります。