みなさんは絵を描いたり、写真を撮ったり、音楽を作ったり、楽しい企画をしたりしますか?あなたが生み出した作品や企画を見たり参加したりする人が楽しんでくれると、とても嬉しいですよね。
逆に、「えー。この絵なに?気持ち悪い」と言われたり、「この企画、全く面白く無いんだけど」などと言われたらどう思いますか?悲しい気持ちになってしまいますよね。
前回のこちらの記事では、「私たちは造られたものである」ということを見てきました。創造主は神様です。
人はすべて神様が造られた最高傑作です。ですから、もし、私たちが他人のことを悪く言うなら、それはその人以上に、その人を造られた方、つまり、神様を悪く言うのに等しいのです。
なぜ、私たちは人を悪く言ってしまうのでしょうか。
それは、人と自分を比較して、自分は劣っていると思ったり、この部分は勝っていると考えることにあります。その中心は自分にあります。
例えばあなたが展覧会に行ったとして、そこで展示されている彫刻に散々文句を言った後、隣りにいた人が「それは私の作品です」と言われたなら、とても恥ずかしく思うはずです。
もし、彫刻の作者がその人だとわかっていたなら、作品に対する文句は言えなくなるはずです。
聖書にあてはめるなら、私たちを造られた造り主を知るということがとても大切であるということが言えます。聖書にはこのように書かれています。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
伝道者の書 12章 1節
私たち人間が創造者を知るということは私たちにとって何よりの喜びになります。
よく、「自分探しの旅に行く!」という人がいます。たびに出て、一体何人の人が自分を探し当てることができたのでしょうか。
自分を知るには、自分を造った造り主を知ることが一番の近道です。
聖書の中には私たちが創造主によってどのような存在か、どのようにして造られ、どのような目的があるかが書かれています。
まだ聖書を読んだことが無い方は、聖書をはじめから終わりまで読んでみてください。そこにあなたの造られた目的が書かれています。
今日のまとめ
創造主を知ることは自分を知ること。