聖書通読クラブ Day 73

聖書通読クラブ Day 73【士師記7章~9章】

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シャローム!

今日の聖書通読は、人間の欲望が顕にされることが多く見受けられます。私たち人間は一日に3万5千回ほど決断をしているそうです。水を飲むかどうするか。この電車に乗るか次にするか。夕飯はカレーにするかパスタにするか…。ほぼ無意識レベルの判断かもしれませんが、そこに神様をお迎えしないなら、私たちは肉の欲望に引っ張られてしまいます。ギデオンの勇士から学びましょう。アビメレクとシェケムの人々を反面教師としましょう。

今日もみことばから教えられることを感謝します。

今日の通読箇所:士師記7章~9章

■アウトライン

普段の思考が人生を左右する

●少数での戦い:7章
  ・神からの試し:1-8節
  ・角笛とたいまつ:9-23節
  ・エフライムの援護:24-25節

●他の仲間:8章
  ・追撃:1-21節
  ・戦の後:22-35節

●権限への反逆:9章
  ・ヨタムののろい:1-21節
  ・のろいの実現:22-57節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】少数での戦い

いよいよギデオンの出陣です。モレの山の向こう側にはミデヤン人が陣を敷いています。さあ、今回はどのような戦いになるのでしょうか。
2節から、主は毎回驚くことを言われます。今回はギデオンの群に「多すぎる」と言われました。多すぎる故にミデヤン人を彼らの手に渡さないと言われます。その結果どれだけの数が帰り、どれだけの数が残ったのでしょうか?3分の2の数が帰ってしまいました。大丈夫なのでしょうか?
その選別方法は何だったでしょうか?「恐れおののく者は帰れ」と言われています。黙示録21:8には、第二の死が書かれていますが、そこで一番最初に出てくるのが「おくびょう者」です。
なぜ主は数を減らしたのでしょうか?2節の後半に書かれています。
4節から、主は何と仰せられているでしょうか。まだ多すぎると言われます。今度の選別方法は何でしょうか?水を飲む作法で選別しました。どのような者が残され、どのような者が戦いに行きましたか?
これは気が緩んでとっさにとる行動を見る意味があります。つまり、私たちが普段無意識に口にして、行動していることの現れです。無意識の発言は恐ろしいです。「あ~疲れた」と言っている人に「そんなに疲れてるの?大丈夫?」と言うと「何が?」と言われたことがあります。自分で「疲れた」と言っていることを自覚していないのです。しかし、これは宣言ですので、言ったとおりになります。気をつけましょう。
そして、今度は何人残りましたか?なんと300人です。最初の100分の1の数です。果たして本当にこれで勝利できるのでしょうか?

9節から、他の勇士と違った事が書かれています。主は「もし下っていくことを恐れるなら」と言われます。ギデオンの性格をよくご存じです。
それで、12節からになりますが、大麦のかたまりの夢が出てきます。大麦は貧しい者の食料でした。当時、イスラエルは貧しかったのです。しかし、主は小さな者を用いて勝利を与えてくださいます。
ギデオンはこの夢を聞き、確信を得ました。神様はしるしと確認を必要とするギデオンにわかりやすいかたちで現れてくださいます。本当に優しいお方です。これで、ギデオンは確信を持って戦いに行けます。
16節から、これが今回の戦いの方法です。武器は使用しません。使うのは角笛とからつぼです。本当にこれで敵を倒せるのでしょうか?相手はあのミデヤン人です。

19節、このタイミングを待っていました。番兵が交代する時は一瞬の隙ができます。この時とばかりに分かれた三隊が角笛を吹き、からつぼを割ります。錯乱作戦です。

20節、主の戦いのひとつのパターンです。私たちが賛美をささげるとき、同じような事が霊的な領域で起こるのを感じたことがあります。
礼拝している中で敵が同士討ちをして、気がつくと解決しているのです。この同士討ちは神様が働かれたときに良く起こります。たった300人でミデヤン人に恐れと錯乱を送り、突破口を作りました。その後、ナフタリ、アシェル、マナセが集められミデヤンを追撃しました

8章】他の仲間

主の戦いと勝利の後は誘惑がやってきます。これが本当の戦いだと気づかされる必要があります。
今回もなんだか不穏な空気が流れています。エフライムがギデオンに対して申し立てをしています。その内容はどういうものでしょうか?
なんだかエフライムが一方的に悪いように思えるかもしれませんが、みなさんもこういった経験ないですか?後から何かを知って、「最初から関わりたかった」と思うことです。私は良くあります。
しかし、エフライムは呼びかけられなかったのでしょうか?否。呼びかけられました。気づかなかっただけです。霊的に眠っていただけです。
エフライムは中心的な部族でしたから、「自分がなんとかする」という気負いもあったのでしょうか。怒りをあらわにするエフライムに対して、ギデオンは優しく答えます。「アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実の方がよかったでしょ?」と。
つまり、「私たちがやったことはたいしたことではないじゃないですか」と言っています。箴言15:1には「柔らかな答えは憤りを静める」とあります。まさにそれを見ることができます。
話は少しそれますが、これはとても重要なことです。信仰がすごい事も大切ですが、それだけでは片手落ちです。信仰と共に働くのは人格です。本当の信仰者は人格もすばらしいです。今までの信仰のリーダーたちを見てください。ほぼすべての人が偉大な信仰と共に柔和な人格を持ち合わせています。この両方を主に求めましょう。両方必要です。
4節から、ギデオンと300人の兵士はなおも追撃を続けます。そこで、スコテの人に、腹を空かした兵士にパンをくれと頼みます。また、ペヌエルでも頼みました。答えは共に「ノー」でした。やっかいなことには関わりたくないという姿勢が見えます。1テモテ5:8には「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪い」と書かれています。
苦しみの中にいる小さき者を顧みない者は、天の御国でどのような扱いを受けるでしょうか。マタイ10:42を読んでみましょう。
無関心は罪です。その根底には「自分さえ良ければそれでいい」と言う考えがあります。それは神様の考えでしょうか?自分の中にそのような考えや霊性がないか、みことばを読んで、良く祈ってみましょう。
11節、今度は不意打ち作戦です。そこでミデヤンの二人の王、ゼバフとツァルムナを捕まえます。
帰り道、スコテで若者を捕まえ、つかさとリーダーの名前を書かせます。そして、捕まえたミデヤンの二人の王、ゼバフとツァルムナを見せます。つまり、勝利の証拠を見せました。
あのギデオンから信じられないような荒々しい言葉、7節にある「そういうことなら、…荒野のいばらやとげで、あなたを踏みつけてやる。」という言葉の通りにしました。

20節、ギデオンは息子に酷なことを言います。これも戦士として成長するために必要なことだったのでしょうか。しかし、長男エテルは恐れのために剣を抜けませんでした。ギデオンもかつては恐れていたというのに…。
ゼバフとツァルムナはギデオンに殺して欲しいと提案します。不思議な提案ですが、当時は誰に殺されたかが大切でした。後に出てきますがサウルも異邦人に殺されることはいやだと言います。女性や子どもに殺されること、また、部下に殺されることは屈辱なことでした。
ですから、二人の王はリーダーのヨシュアに殺してもらうことを願いました。

22節、まるでイエス様の福音書を読んでいるようです。イスラエルの人々はギデオンを王にしようとします。しかし、ギデオンは「主が治められる」と言います。
イエス様も5千人の給食の後、人々がイエス様を王としようとしましたが、まだ時ではなかったので人々の間をすり抜けて、さみしいところにいかれ、そこで父に祈りました。
一人のリーダーに頼りっぱなしではなく、ひとりひとりが神様としっかりとつながること、これがキリストの花嫁の姿です。

22節から、残念なことが起こります。聖書に出てくる人物で、何人かは晩年が残念なことになる人がいます。ノアもそうでしたね。
なんと、突然ギデオンは金を求めます。1700シェケルの金ですので、約19キロくらいです。ものすごい価値の金です。
27節、ギデオンはそれで何を作ったのでしょうか?どうしてこういうことをして待ったのでしょうか?残念でならないです。
エポデは大祭司が身につける装束です。おそらく、ギデオンはそのレプリカを作ったのでしょう。祭司気取りです。そこで彼らは礼拝をしましたか?正反対の淫行を行いました。残念です。
31節、ギデオンの子のひとりにアビメレクという名前をつけていました。これは「私の父は王」という意味です。王様気取りです。こうして、少し残念な晩年を過ごしてギデオンは葬られます。

33節、また、このパターンです。まるで、学校で先生が「今から自習」と言って教室を出て行った後の教室のようです。残念です。
せっかく素晴らしい活躍をしながらも、金に目がくらんで道を踏み外してしまいました。今までのさばきつかさには見られない事です。以前よりも悪が民だけでなく、さばきつかさにまで及んでいます。
「奉仕をしているから」「教会で仕えているから」といって、何もしないのであれば、私たちは同様になってしまうかもしれません。祈りとみことば、主との関係を毎日深めていきましょう。

【9章】権限への反逆

ここからはアビメレクにスポットが当たります。
また、地名はシェケムと書かれています。ここはカナン人の町です。ヤコブの娘、ディナの事件があった場所です。
ギデオンには多くの妻がいましたが、シェケムのアビメレクはそばめの子でした。
そのような訳で、アビメレクは「イスラエス人を母に持つ他の息子より、カナン人の母を持つ私が治めた方がいいのではないか」とそそのかしました。

4-5節、悲劇が起こります。ごろつきを金で雇って彼らに一つの石の上で血のつながった姉弟70人を殺させます。万事休すです。
しかし、神様の憐れみがあります。なんと、末の息子ヨタムが隠されていました。
そして、人々はついにアビメレクを王としました。それを聞いたヨタムは叫びました。

8節からは突然たとえ話が出てきます。まずは15節までを一度読んでみましょう。これはどういうことでしょうか?少し自分なりに考えてみましょう。
8節の木々はシェケムの住人です。オリーブの木は自分から作られる油が幕屋で使われるためにあるので、彼らを治めることはできないと言います。いちじくも甘く良い実を実らせるので彼らには仕えられないと言います。ぶどうも神と人とをよろこばせるためにあるので、彼らには仕えられないと言います。
最後に「これだ」というものがあらわれますが、それは単なるいばらです。
これは一体どういうことでしょうか?シェケムの人が自分の欲望を具けんかした王を求めている姿です。誰でもいいので、自分たちの願望を叶えてくれる王を探しています。私たちにもこのような姿がないでしょうか?点検してみましょう。

16節から、ヨタムが言います。
ここでアビメレクとシェケムの人々に注目してみましょう。
アビメレクの問題は何だったでしょうか。それは「王になりたい」という権威に対する欲望です。自分が一番になるために兄弟を殺しました。欲望は恐ろしいものです。
シェケムの人たちはどうでしょうか。神の権威をないがしろにしたと言うことでしょう。ギデオンの息子たちは不器用だったかもしれませんが、神の契約の民です。彼らはその権威を退けました。なぜでしょうか?自分の欲を優先させたからです。欲望は恐ろしいものです。

22節から。結局アビメレクは3年間イスラエルを治めます。そうしたら神様は何を送られたのでしょうか。23節を見てみましょう。恐ろしいですね。神の守りがなくなると一瞬にしてこのようになります。

25節からはガアルというシェケム人が出てきます。
また30節のゼブルは、アビメレクの役人です。
ゼブルはガアルの友人のふりをして、戦うことをそそのかします。
そうして、アビメレクはガアルをシェケムから追い出しました。
そして翌日、シェケムの住民を虐殺し、塩をまきました。彼らは人としての心を失っているようにも思えるほど残酷です。
結局、アビメレクは女の投げた石臼によって殺されました。屈辱的な殺され方です。
こうして、ヨタムの言ったことは実現しました。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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