シャローム!
私たち人間の心には弱さがあります。それは本来、主をもとめるための者です。しかし、私たちの心はこの世のまどわし、地位や金銭、また自分の欲によって混乱させられ、身近な偶像を求めてしまいます。
そのような者の行く末はどのようになってしまうのでしょうか。教もみことばから教えられていきましょう。
今日の通読箇所:士師記7章~9章
■アウトライン
偶像礼拝の結末
●加速する偶像礼拝:10章
・その後の士師たち:1-5節
・偶像礼拝の深みにはまる:6-18節
●エフタ:11章
・長老による任命:1-11節
・アモン人とのコンタクト:12-28節
・愚かな誓い:29-40節
●内紛:12章
・エフライムの反発:1-7節
・それ以降の士師:8-15節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【10章】加速する偶像礼拝
アビメレクの一件が過ぎ去りました。彼は純粋なさばきつかさではありませんでした。4節までで二人のさばきつかさが興されます。誰と誰でしょう。
二人目の人物は興味深いですね。30が続きます。聖書で30は献身、もしくは働きの始まりを意味する数字です。
6節から、またです。しかも、気づくでしょうか。前よりも数が増えています。悪くなっています。
こうなると、次にどうなるか予想がつきますね。7節を見てみましょう。さらに、その次も予想できるのではないでしょうか?みなさま、預言者のようですね。10節を見てみましょう。
おそらく、次の展開もわかるのではないでしょうか?11節にはどう書かれていますか?
残念でした。すみません。すこしからかってしまいました。ここでは今までとは少し違う展開になっていますね。神様はある意味、イスラエルの民を見放しかけています。
イスラエルの民の叫びの根源は何でしょうか。自分が苦しいと言うことでしょう。そこに書けているものがあります。それは主に対する恐れと感謝です。自分の都合が悪くなったときだけ神様に求める御利益主義のような信仰が見えます。神様はアラジンの魔法のランプのジニーのような私たちの召使いではありません。私たちの神、私たちの主、私たちの救い主です。
イスラエルの人々は自分たちの父祖がどのようにして救われたかと言うことを忘れ、神様に感謝を献げることもしません。神様の恵みを放縦に変えてしまっています。
それでも自分が苦しいから、身近にある偶像礼拝に走ってしまいました。その結果、自分をさらに苦しめているということに気がつかないのです。
偶像の神は一瞬は私たちに言い思いをさせるでしょう。しかし、それは毒です。やがて私たちを麻痺させ、中毒になり、周りが見えなくなってやがて滅びてしまいます。恐ろしいです。
15節、神様の恵みを見ることができます。少しは反省したように見えます。その証拠に、彼らは16節のような行動をとっています。
自分の子どもがこのような行動をとったら、たとえだまされているかもしれないと思っても、子どものためになんとかしてやりたいと思うのが親心です。神様は私たちのまことの父です。
17節、戦いが始まります。しかし、イスラエルにはリーダーがいません。ピンチです。どうなるのでしょうか?
【11章】エフタ
勇士エフタが登場します。しかし、彼は遊女の子でしたので追い出されました。
3節、そうですよねというような展開です。
5節を見てください。イスラエルの人々は都合が良すぎますね。ここでのエフタの答えもごもっともです。
ここでエフタはどのような気持ちでリーダーを引き受けたのだと思いますか?「勝つと自分の名が上がる」という動機でしょうか?それとも「本当のリーダーになれる」という気持ちでしょうか。
本当のところはわかりませんが、ヘブル人への手紙の11章に信仰の人々の名前が挙げられている中にエフタが出てきます。
そこから考えられるのは、追い出されたにもかかわらず、自分のことよりも民のため、神のために信仰を働かせて行動したということです。
ここではどのような戦い方をするのでしょうか。12節を見ると、まず交渉を試みます。外交官のようです。
14節からを見ると、まるで今のイスラエルとパレスチナの境界線の問題のように見えます。この頃からこういった争いをしていたのですね。しかし、この土地はもともと誰のものだったでしょうか?民数記の後半でこの事を読んだと思います。エフタの言うとおりでしたよね。
23,24節、信仰の宣言です。私たちは私たちの主を誇ります。これが賛美です。私たちの主は素晴らしいお方です。このお方をほこりましょう。
26節から、エフタはド正論を言っています。しかし、アモン人はそれを聞き入れませんでした。ただ暴れたかっただけなのかもしれません。
29節から、エフタに主の霊が下ります。しかし、31節、エフタは主の前に誓願を立てます。その誓願は後に悲しい結果となって帰ってきてしまいます。
どうしてこのような事をしてしまったのでしょうか。当時のまわりの風習にながされていたのでしょうか。その真意はわかりませんが、その誓いが果たされるということを私たちは学びましたので、口にする言葉を気をつけたいと思います。
【12章】内紛
かつてギデオンがミデヤン人の所に攻めていったときの事を覚えているでしょうか。その時、エフライムがギデオンに「どうして最初から私を誘ってくれなかったのか」と言って怒りましたが、ギデオンが優しく答えました。それでエフライムの怒りは収まりましたが、今度は「あなたの家に火をつける」と言っています。
4節、エフライムの高ぶりがここに現れています。エフタはギルアデの人々を集めました。ギルアデはヨルダン川の東側、ガド族、マナセの半部族に与えられた地だったはずです。だから、エフライムからの逃亡者ではないはずです。自分が思い込んだように人を見てしまう弱さを見ることができます。
私たちも人を思い込みで見ていないでしょうか?「あの人はいつもそうだから」というのは本当でしょうか?私たちは神様と同じ目で人々を見ていきたいですね。
5-6節はギルアデ人の知恵を見ることができます。川を渡る者に自白させ、その上発音で見分けました。「シボレテ」と「スィボレテ」です。これはヘブライ語の「シン」という文字と「サメフ」という文字の違いです。日本人が「L」と「R」の発音が苦手なのと似ています。
いずれにしても、身内通しの争いで4万2千人の人が死んでしまいました。本当に残念です。
感謝することを知らない者が偶像礼拝に走り、内紛が起きこのような結果になります。歴史を見ても、多くの大国は外の敵ではなく、内側から崩れていきます。目を覚まして祈っていきましょう。
そしてエフタはその役目を終えました。8節からはその後のさばきつかさが出てきます。イブツァン、エロンアブドンです。
このようなサイクルを繰り返し、イスラエルの霊性はどんどん低下していきました。そして、神に伺うさばきつかよりも、目に見えて自分を治めてくれる王を求める風潮が強くなっていきます。この後、どうなっていくのでしょうか。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
>しかし、この土地はもともと誰のものだったでしょうか?民数記の後半でこの事を読んだと思います。エフタの言うとおりでしたよね。
ここのところの記憶が飛んでいて、ごちゃごちゃになっていました。
一つひとつ整理できました。ありがとうございます。
全く何年聖書を読んでいるのだか・・ですね。(#^^#)
聖書は何度も復習してくれるので、
覚えてなくて不安になったり、
なおさらごちゃごちゃになっていたり、
読んでも忘れていく自分に悲しくなったりするのですが、
いいえ・・・すべてのことを感謝いたします。
エフタはアンモン人、エフライム人を打ち破ったけれど、
娘が一人しかいなかったのに、してはならない自らの誓いによって、
一人子を失って悲しまなければならなかったし、
民の為に懸命に戦ったのに、同胞からも屈辱を受けました。
12:7 エフタはイスラエルを六年間さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。
・・・と書かれているように、葬られ方にも質素感があります。
アブドンは40人の息子と30人の孫がいて、70頭のロバに乗っていた。
そして、
12:15 ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地ピルアトンに葬られた。
葬られた場所を丁重に記してあります。
しかし、神の書物には、この世的に人々に尊敬され丁重にもてはやされたと思われるアブドンは無視されていて、エフタの名は残っているのですね。
>ヘブル人への手紙の11章に信仰の人々の名前が挙げられている中にエフタが出てきます。
主のために奉仕した後で、批判されたり、苦しみを背負っても
神への信頼を弱めて失望してはならないと教えられました。
この世的には妬まれたり、人々に忘れられるようであっても
神に信頼し仕える人を神は忘れなさらない方だから。
たとえ誰に見られなくても、功績の跡が残らなくても、
日々主との交通に励み、み言葉を通読し、愛する人々を取りなす祈りは、
神の書物にはしっかり残してくださっているのだなあと思うと・・・
エフタの名がヘブル書に書かれていることを嬉しく思います。
>5-6節はギルアデ人の知恵を見ることができます。川を渡る者に自白させ、その上発音で見分けました。「シボレテ」と「スィボレテ」です。
うわべだけのクリスチャンでは、真実を装って霊的な言葉を発しても、
不真実はバレてしまうのだなあと思います。
人に見られなくても、主からの声を聞いたなら共に戦う者でありたいと思いました。