聖書通読クラブ Day 75

聖書通読クラブ Day 75【士師記7章~9章】

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シャローム!

神様のご計画は本当にふしぎです。私たちの理解をはるかに超えた所に神様の御心があります。もし、それがわかったなら私たちはどれほど楽でしょうか。しかし、それは隠されています。隠すのは神のほまれだからです。では、王のほまれはなんでしょうか。それは事をさぐることです。
先が見えない、不安がいっぱいの今の時代だからこそ、私たちは主に信頼して隠された宝を探していきたいものです。

サムソンは今までのさばきつかさとひと味違う器です。しかし、そこにも神様のご計画があります。
今日もみことばを愛し、みことばともに歩んでいきましょう。

今日の通読箇所:士師記7章~9章

■アウトライン

サムソン

●ナジル人:13章
  ・マノアの妻に現れた神の人:1-7節
  ・マノアと神の人との出会い:8-14節
  ・わたしの名は不思議:15-23節
  ・サムソンの誕生:24-25節

●祝宴となぞかけ:14章
  ・ティムナの女:1-4節
  ・獅子と蜜:5-9節
  ・祝宴となぞかけ:10-14節
  ・妻による聞き出し作戦:15-20節

●知恵と力:15章
  ・サムソンの復讐:1-8節
  ・縛られるサムソン:9-13節
  ・ロバのあご骨で千人を打つ:14-20節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【13章】ナジル人

イスラエルの霊的な状態はどんどんと悪くなっていきます。それで、敵が支配する期間も長くなってきているのかもしれません。ここでは今まで最長の40年間支配されていました。こういった後には何か大きな逆転があるはずです。主に期待します。

2節から、マノアとその妻が出てきます。彼女は不妊であったと書かれています。マノアの妻以外にも聖書には多くの不妊の女性が出てきます。その人から偉大な器が出てきます。
今、不妊で悩んでおられるご家族に多産の油注ぎがあることを祈ります。
そして、マノアの妻に御使いは大切なことを伝えます。4-5節には何が書かれているでしょうか。見てみましょう。
民数記6章に出てきたナジル人が適用されている箇所です。
6節からはマノアの妻は夫に事の次第を報告しています。ハンナやエリサベツ、そしてマリヤも夫よりも先に神様の声を聞きました。聖書の救済史的な視点から見ても、女性の役割はとても大きな部分であることがわかります。

8節から、マノアは妻の言ったことが本当か確かめる意味で主に祈り、その願いは聞き届けられました。再び神の人が現れて、同じ内容を告げます。
そして15節、主の使いをもてなそうとします。しかし、神の使いはそれを受け取ろうとしません。マノアはせめて名前を聞こうとします。すると、主の使いは自分の名前を何と答えたでしょうか。18節を見てみましょう。
「不思議」とはイザヤ書9:6に書かれている不思議と同じ語根です。これは「神様の救いの計画が人の考えと思いをはるかに超えた所にある」という意味です。イザヤ55:8-9も読んで祈ってみましょう。
その後、主の使いは炎と共に天に昇っていきました。それを見て、マノアははじめて実感し、悟りました。

24節、この神の使いのことばどおり、サムソンが産まれます。サムソン問い名前は「力強い」と言う意味です。その名の通りになっていきます。

【14章】祝宴となぞかけ

サムソンはナジル人として聖別された人物でした。神の霊が下る器です。しかし、弱さがありました。それは女性です。

サムソンはティムナというところに行きます。サムソンの住んでいた所とは目と鼻の先ほどの距離ですので、頻繁に出入りしていたようです。
しかし、そこにはペリシテ人が住んでいました。3節には「割礼を受けていないペリシテ人」と書かれています。イスラエルの人々はペリシテ人をこのように呼んで軽蔑していました。
割礼は神との契約のしるしですので、これは「神から遠く離れた汚れた人」と言う意味になります。
しかし、そこにいる女性はみな魅力的で美しい人でした。サムソンは出入りする内に、女性に目が奪われてしまいました。
そして、父母にその事をお願いしますが、父は母あまりいい気分ではなさそうです。当然です。ところが、サムソンの半分だだをこねるようなわがままを親は認めてしまいます。
4節を見てください。これが今回のペリシテ人と事を起こすきっかけになります。主がこの事を用いられました。
しかし、ここで勘違いしてはいけないのは、主がサムソンの欲望に働きかけたと言うことではないと言うことです。なぜなら、ヤコブ1:13には「神様は誘惑されない」とあります。自分の欲におびき寄せられているだけです。

5節からを見てみましょう。サムソンの力の表れを見ることができますね。ところが、よく見てみると、確かに力はありますが、霊的な成熟を見ることができないことがわかります。
なぜなら、ナジル人はブドウからできるものを口にしてはいけません。それなのになぜわざわざブドウ畑に近づいているのでしょうか。誘惑に会わない秘訣は誘惑されそうなところに行かない、見ない、聞かないということです。わざわざ自分からブドウ畑に行くことは危険な行為です。
もう一つ、そこで獅子が出てきますが、それを力で引き裂きます。問題はその後です。律法では死体に触れることは忌み嫌われることですが、サムソンは後に獅子の中にある蜂蜜を取って食べます。
この二点から、サムソンは確かに力はありましたが、霊的な未熟さがあったことを見ることができます。
この問題は誰の責任でしょうか。おそらくそれを教え込んでいない親でしょう。
私たちは全人格的な成長が必要です。霊、たましい、肉。そして信仰だけでなく人格。バランス良く成長していきましょう。

10節から、サムソンは祝宴を開いています。友人との楽しいパーティーの中、ひとつの謎かけが出されます。
15節、ペリシテ人の性質が出ています。本当にひどい提案です。サムソンのペリシテ人の妻を使って聞き出そうとし、そうしないなら火をつけて殺すと。本当にひどいことです。

16節から、男性はこういうことをされると本当に困りますね。女としての武器を最大限に使ってサムソンから答えを引き出します。
サムソンは力はあったかもしれませんが、こういった心理戦は弱かったのかもしれません。
サムソンはついに答えをもらしてしまいます。
その結果、サムソンは奮い立ちアシュケロンの住民三十人を打ち、晴れ着を奪い取って彼らに渡しました。
ところがその怒りに怖じ気づいてしまったのか、もしくは親の勘違いかわかりませんが、なんと妻になるはずの女性は他の男に与えてしまいました。

【15章】知恵と力

祝宴からしばらくして、サムソンは戻ってきましたが、妻の所に行くことはできませんでした。
その結果、サムソンは何をしたでしょうか。とてもワイルドな行動に出ます。4節を見てください。まず、どのようにしてジャッカルを300匹も集めたのでしょうか。そして、二匹のジャッカルの尻尾をつなぎ合わせて、その間にたいまつをつけ、畑に放ちました。暴れ回るジャッカルによって放火する作戦です。
6節、それに対してペリシテ人は報復をします。なんと妻とその父を火で焼いたのです。彼らに人としての心はあるのでしょうか?
7節、サムソンはさらに報復を宣言します。
ここで少し今までの所を読み返してみてください。主は「ペリシテ人を打て」と言われているでしょうか。言われていないと思います。では、サムソンは不従順だったのでしょうか。そういう側面はあったかもしれませんが、ヘブル11を見てみると、信仰の人々にサムソンの名があります。そこから判別すると、サムソンのしたことは主の御心にかなったことであることがわかります。
神様のご計画は私たちの考えをはるかに超えた高いところにあります。
9節からを見てみましょう。サムソンはエタムというところに住んでいました。これはユダの領地です。サムソンはダン族です。ここからわかるのは、サムソンはかなりアウトローな、一匹狼的な生き方をしていました。
野生の動物を見ていても思いますが、群れから離れると危険です。群れでいるから肉食獣から守られます。しかし、群れから離れてしまうととたんに肉食獣の的となり、とらわれてしまいます。
私たちも一人で生きているのではありません。一匹狼のクリスチャンでいたいという人もいますが、それは本当のキリスト者の生き方ではないかもしれません。
教会生活は時には大変なこともあります。しかし、私たちが天の教会と地上の教会に属するなら、そこに祝福があります。
人との関係に困難を覚えるでしょうか。箴言27:17には「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」とあります。
面倒なことをいつまでも避けているなら、私たちの人格と霊性は成長しません。だからといって困難を積極的に求めていくこともちがいます。
ただすべてを主にお任せし、困難なときが来たら主と共にそれを乗り越えていけばいいだけです。地域教会に所属しましょう。

話をサムソンに戻しましょう。エタムにユダの人々が3,000人がやってきます。それはサムソンを縛ってペリシテ人に渡すためです。3,000人もいたら、ペリシテ人とたたけるのではないかと思いましたが、ユダの人たちはサムソンを縛ってペリシテ人に出すためです。
サムソンは自分に対して打ちかからないことを条件に彼らに従いました。

力の強いサムソンに主の霊が下ると誰も止められません。ロバのあご骨で千人を打ち殺しました。士師記は武器でない者で敵を倒す事が多いですね。

18節から、サムソンは渇きを覚えます。喉の渇きと敵の手に落ちることを平行して書いています。
私たちがみことばを読むことなく、私たちのたましいが乾いてしまったら敵の手に落ちてしまいます。
主はサムソンの祈りに答えてくださり、エン・ハコレと呼ばれる泉を開いてくださいました。この「エン・ハコレ」とは「叫び求める者たちの泉」という意味です。新共同訳ではこれを「祈る者の泉」と訳しています。叫び、祈るとき、そこからいのちの水が流れ出ます。
私たちの心を注ぎだして叫んで祈るなら、主はその祈りをいのちの湧き出るところへと変えてくださると信じます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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