聖書通読クラブ Day 76

聖書通読クラブ Day 76【士師記16章~18章】

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シャローム!

士師記が終わりに近づくということは、霊的にもどんどんと堕落していくことになります。今日の通読箇所では、サムソンの最期と、羊の皮を被ったおおかみ、見えるところは経験でもその実は神を否定するもの、偽預言者、律法学者のような事を考えさせられます。
こういった箇所を読みたいとは思わないでしょう。しかし、これは私の姿です。リアルな自分の現実です。どうか心の目が開かれて、自分の中にある神様に喜ばれない部分がみことばを通して明らかにされていきますように。

今日もみことばに永遠のいのちへと導いていただきましょう。

今日の通読箇所:士師記16章~18章

■アウトライン

めいめいが自分の正しいと見えることを行う

●犠牲:16章
  ・ガザでのサムソン:1-3節
  ・デリラの質問攻め:4-17節
  ・力を奪われるサムソン:18-22節
  ・サムソンの逆襲:23-31節

●ミカ:17章
  ・銀貨1,100枚:1-6節
  ・祭司となるレビ人の若者:7-13節

●ダンの移住:18章
  ・ダンからの偵察隊:1-6節
  ・ライシュの住民の報告:7-10節
  ・はずむ祭司の心:11-20節
  ・奪われるエポデと祭司:21-26節
  ・ダンの町:27-31節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【16章】犠牲

士師記の中で最も多くのページで紹介されていたサムソンの最期です。破天荒な人生のサムソンはどのように生涯を終えるのでしょうか。

まず1節、サムソンの普段の行動の一部が垣間見えます。ガザは当時、ペリシテ人最大の町でした。そして、結婚することなく「彼女のところにはいった」と書いています。遊女を買っていたと言うことになります。大きな罪です。
2節は、ガザの人のがらの悪さが出ています。よそ者の気に入らない者は集団で取り囲んで殺そうとしています。
しかし3節、怪力のサムソンは門ごとぶっ壊して出て行きます。ペリシテ人はあっけにとられたことでしょう。

4節から、サムソンは一人の女性を愛します。デリラです。その名前の意味は「捧げられた者」です。良い意味に献げられたのかもしれませんが、この状況を考えると残念ながら悪い方に献げられていたのでしょう。
異教の神々では、女性が性的な好意を持って宗教行事を行う場合があります。もしかしたらデリラはそのようにしていたのかもしれません
この後、デリラが執拗にサムソンの弱さを聞き出そうとします。それに対してサムソンは答えますが、もう少し上手な嘘をついた方が良かったかもしれません。(※キリスト者は嘘はだめです!嘘はサタンの性質です)
サムソンの答えを検証してみましょう。
7節:まだ干されていない7本の新しい弓
実はここに少しだけ答えのヒントがあります。サムソンの髪の毛は長かったので7つに束ねられていました。「7」をぽろっと漏らしてしまっています。
11節:仕事に使ったことのない新しい綱
これは仕事の中に汚れた動物の処理などに使うことも含まれているようです。つまり、ナジル人の自分自身のことを含んでいます。
13節:縦糸に織り込む髪の毛7ふさ
ついに、自分の髪という確信に限りなく近づいています。色仕掛けでなおもデリラはサムソンに詰め寄ります。
15節を見てみましょう。男性は女性の涙に弱いです。サムソンの力は強かったかもしれませんが、心はそれほど強くなかったのかもしれません。16節に毎日せがまれるのが死ぬほどつらかったとあります。
話はそれますが、家庭でこのような事をしていないでしょうか?夫にしつこく毎日毎日同じ事を問い詰めていないでしょうか?そうするなら男性の心はますます固くなっていきます。
ある記事で次々に男性とお付き合いしている人に「浮気された男性と別れるときどうしているの?」と質問したものがありました。彼女は「簡単よ。相手がなんだかおかしな行動を取り始めたら、ひたすらに『ありがとう』って言い続けるの。何日も何日も『ありがとうね』って言い続けたら、突然男性が泣き出して浮気を白状しはじめるから、その時に『じゃあ、ごめんなさいのしるしにブランドもののバッグ買って』と言って買ってもらった後すぐラインのアカウントブロックするの」と書いてありました。恐ろしいです。男性の皆さん、気をつけましょう。そして女性の皆さん、悪用しないでください。
とにかく、キリストを信じるなら相手を信じて、神様を共に見上げて、たくさんの時間をかけて話し合う事が大切です。それが難しいなら牧師先生やカウンセラーに間に入ってもらいましょう。コミュニケーションが少なくなると、サタンの付け入る隙を与えることになります。

話を戻しましょう。サムソンは自分の心をすべてデリラに明かしてしまいます。そして、髪の毛を剃り落とされます。
20節、このみことばに注目しましょう。恐ろしいことが書かれています。「主が自分から去られたことを知らなかった」。このみことばを重く受け止めましょう。こんな恐ろしいことはないです。自分は神と共に歩んでいると思っているのに、気がつかないうちに主のご臨在が去ってしまっているのです。
どうしてこうなってしまったかは、もう一度サムソンの人生をじっくり読み返してみて、自分の人生と比べてみてください。サムソンの人生を見て「これはだめだよ」と思った部分が自分の中にある罪の性質です。それを聖霊様によって認め、主の十字架に差し出すことができますように。そして、いつまでも主のご臨在がとどまりますように。

21節、まるで地の深みに落とされた後の生活のようです。目をえぐり取られ、毎日同じ事だけをさせられる様子が書かれています。罪の刈り取りです。
しかし、22節に希望のことばがあります。この後どうなるのでしょうか。

23節から。サムソンの最期のひと仕事です。サムソンは目があったときには女性にばかり目が行き、自分の欲におびき寄せられ誘惑されました。しかし、目を失ったとき、本当のものが見えてきたのかもしれません。
28節を見てください。サムソンが「神、主よ」と言っています。彼は今まで神様により頼んでいなかったのかもしれません。親がナジル人として誓願をたてた、その祝福のなごりで生きていたのかもしれません。
私たちももし、子どものために継続して家庭で福音を語らなければ、サムソンのようになってしまうかもしれません。福音の種はまず自分の心にまかれ、その次には家庭に蒔かれる必要があります。家庭が強くなれば日本の教会も強くなります。
そして、サムソンは力をふりしぼり、そこにいた多くのペリシテ人を道連れにして人生を終わらせていきます。
まるで、イエス様がすべての人の罪を背負って十字架で死んでくださったその姿がほんのりと透けて見えます。
こうして、サムソンはその壮絶な人生を終え、丁寧に葬られます。
みなさんはサムソンを通して何を語られましたか?忘れてしまわないようにノートに書いておきましょう。

【17章】ミカ

この1節から6節までを読んで、どのように感じましたか?これは言ったいいことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?聖書ではこのように判断に迷うことがいくつかあります。
この箇所をよく見てみましょう。ミカが盗みをし、母はそれを呪いました。ミカは呪われるのがいやなので自白します。するとなぜか母は祝福します。そして、なぜか主のために盗んだ銀で像を造ります。その上自分の息子を祭司にし、エポデを作ります。なのにティラフィムも同時に持っています。
さあ、ここまでで矛盾点を見つけることができるでしょうか?突っ込みどころが満載ではありませんか?
これらはすべて6節にかかっています。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」
まさに今の時代のようです。自分の正しさを主張し、相手を受け入れるのではなく自分の考えを押しつけようとする様が見えます。
どうしてそうなってしまうのでしょうか?それは王がないからです。自分が王になってしまっているのです。私たちの王はイエス様だけです。私たちはこのお方に従うのです。

7節から、さらに奇妙なことになっていっています。ユダのベツレヘム出身のユダ族に属する若者です。一体彼は何者なのでしょうか?次の章にも出てくるのですが、ここに書かれている事は本当ではありません。先に取り上げると、18:30を見ると、「モーセの子ゲルショムの子ヨナタン」とあります。ゲルションはモーセとチッポラの子です。その子孫です。
モーセはレビの中でもケハテ族です。祭司の家系です。レビはこの地上には相続地がありませんでしたので、12部族の土地の中に散らばって住んでいました。
そこで、ケハテ族はどこにいたかというとヨルダン川の東側、ダンとエフライムとマナセの半部族の町にいました。
そうなると、彼が言う「ユダのベツレヘム出の」というのはおかしな事になります。
そのような者をミカは喜んで歓迎します。共に本当の意味で律法を知らなかったのでしょう。
現代に例えて言うなら、派手なパフォーマンスとなめらかな言葉で人々を魅了していますが実際は聖書も読まず、祈らず、人格が崩壊したような有名な牧師先生をお金持ちの教会が雇ったという所でしょうか。
彼らを見ると、神の国とその義とを第一として求めるのではなく、自分たちの見栄や生活、世の富を第一としている様子が見て取れます。彼らはそれが自分の目には正しいと思ったから行っていました。しかし、それは本当に正しい事でしょうか?
私たちの目に正しいことは必ず正しいとは限りません。神様の目に正しいことが正しいことです。ですから毎日みことばに触れる必要があります。みことばを読むとき、私たちの肉の目は取り去られ、神の目が与えられていきます。

【18章】ダンの移住

ここでも繰り返し「イスラエルには王がなかった」とあります。彼らの霊的弱さとこの後の王を求める時代の流れを感じます。

2節から、ダンから二人の偵察隊がミカの家に来ます。偵察の二人はレビ人に気づき、質問攻めをします。そして、旅の成功を聞きます。祭司は6節で何と答えましたか?
本当にそうでしょうか。これは正しいでしょうか?主の願いはエブス人を追い払うことです。他に土地を求めることが神様の願いではありませんでした。
この(にせ)祭司は、律法もろくに知らないくせに神様のお名前を使って祝福したり許可をしたりしています。神のみことばをいのちをかけて愛する姿はそこに見ることができず、ただ神様を利用して自分を有名にしようとする宗教の霊性が見えます。反面教師として学びましょう。

7節から、まるでソドムの地を見たロトのようです。地理的にも恵まれたライシュの人々は平和に暮らしています。神様に伺うこともせず、それらを見て「神があなたがたの手に渡してくださった」と言っています。実に都合のいい話の運び方です。
最近、世界中で陰謀論や自分の言いたいことにむりやりみことばをくっつけて、もっともらしく講壇からメッセージをする人がいるというニュースを見ました。
神のみことばを取り次ぐ者は、まず誰よりもみことばを読み、みことばに生きる必要があります。心にあるものが口から出てきます。普段の生活でどのような神様との関係があるか、またどれだけみことばを口ずさんでいるかが、その人の発する息にのって出てきます。
いくらうまい話をしても、そのことばはたましいには響きません。みことばに生きていないからです。
神のことばを取り次ぐ者は、まずみことばが何を言っているかを教えていただくまで、ヤコブが神の使いとレスリングをしたように死闘を繰り広げなければなりません。小手先でメッセージをしてはいけません。人々の永遠のいのちがかかっていることです。病院でなされる緊急手術よりも重要で重い責任があります。
みなさんを導く牧師先生は毎日このような戦いをされていることを覚えましょう。そして、私たちは牧師先生のために取りなして祈りましょう。神様のみことばをまっすっぐに解き明かす牧師先生が日本中に満ちあふれますように。

11節から、実にむなしい、神様抜きの戦いが起こっています。ライシュを占領するため、600人の者が来てミカの家に行きます。
ライシュは城壁もなく、人々が平和に暮らしていました。神様が何も言われていないのに丸腰の住民を襲おうと知っています。卑劣なやり方です。そこに何の信仰もありません。弱い相手を責めるという打算が見えます。
ダンの人々は神様よりも目に見える偶像を優先しています。そして、略奪します。彼らの勝利にこの偶像は必要でしょうか?冷静に考えたら火を見るよりも明らかでしょうが、人は時に盲目にされることがあります。彼らはすべて自分の「欲」に目がくらんでいました。
特に20節を見てみましょう。危険な事です。祭司の心がはずんでいます。もちろん、神に仕える者にも楽しみは必要です。しかし、ここでは自分の地位が上がることに舞い上がっている様子が見て取れます。本物の献身者は、自分を喜ばせること以上に神を喜ばせることを選び取るはずです。自分がどんどん豊かになることよりも、主のためにたましいが貧しくなることを求めるはずです。
矢印が自分に向いているなら、それは注意信号です。私たちは自分のために生きているのではなく、イエス様のために生きています。その大切な人生の目的を忘れてはいけません。信仰の創始者であり完成車であるお方から目を離さないようにしましょう。

30-31節、ダンの移住の結果です。神様が「しなさい」と言われていないのに自分の力で行ったことの結果です。
17-18章は、一見よく見えますがよく読み、調べてみると嘘と偽りで塗り固められた、もっともらしい、正しく見える事を行っている偽物の姿があります。イエス様の時代の律法学者、パリサイ人の姿です。そして、彼らの行き着くところは偶像です。実を見て判断することができます。
「いかにも敬虔なクリスチャン」の「ふり」はいくらでも演じることができます。周りの人から「すごいね」「信仰熱心だね」と言われるかもしれません。私たちはそのような誘惑から逃げ去る必要があります。私たちが求めるのは、たとえいばらの道を歩まされたとしても、最後までみことばにしがみつき、やがて主とお会いしたときに「よくやったね。よい忠実な僕だね」と言われることです。
この世での刹那的な報いと、永遠の報いと、どちらを求めますか?ちなみに言うと、永遠の報いにはこの地の報いも含まれています。どちらを求めることが賢いかは明白なはずです。その良い方を選び取ることができますように。
では、その良い方を選び取るために、私たちはなにをすればいいでしょうか。一つでもいいのでノートに書き出して、それをすぐに実行してみましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. サムソンを通して何を語られましたか?

    誰かの信仰で保たれているのではなく、

    自らヘリくだり、祈りを捧げ、主の御顔をしたいもとめ、
    悔い改めるべきことを示されたなら
    その悪の道から日々立ち返えり、主を求める者でありますように。
    目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢の誘惑に陥らないように、
    しかしこれが自分の力をもってすると強敵です。
    いつも自ら主と交わりを保ち神様に助け導いていただきたいと思います。

    永遠の報いを得るために何をすればいいでしょうか?

    まず、矢印が自分に向いていないかを吟味したと思います。

    信仰の創始者であり完成者である主イエスに矢印が向くように
    情け深く慈しみ深いすばらしい主を心から尊敬し愛しているので
    従っていきたいのですが、
    過去に受けた傷がしつこくうずいて、傷つけた人を裁く罪で、胸が悪くなります。
    どういうわけか、聖書を学べば学ぶほど、祈れば祈るほど、そのことがあらわにされ、怒りまで覚え、この頃、嫌悪感で胸が悪くなります。

    主イエスのような人格になりたいのに、
    主イエスの戒めに従っていない
    敵を愛せない自分がいます。
    私はなんて貧しい者なのでしょう。

    エペソ人への手紙6章12節
    私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

    本物の敵はこれらと、私自身の中にあるものだと分かっているのに
    理屈ぬきでわかるまでに時間がかかるのでしょうか
    しかし
    イエス様、あなたを見上げます。
    裁くのではなく取りなしていくことができるよう求めます。
    聖霊様、私の中のエブス人(高慢)をやっつける力をください。

    >本物の献身者は、自分を喜ばせること以上に神を喜ばせることを選び取るはずです。自分がどんどん豊かになることよりも、主のためにたましいが貧しくなることを求めるはずです。

    アーメン 本物の献身者を自覚して本物を目指し、達成できますように。

    >私たちは牧師先生のために取りなして祈りましょう。神様のみことばをまっすっぐに解き明かす牧師先生が日本中に満ちあふれますように。

    アーメン 祈ります。

    >神のみことばを取り次ぐ者は、まず誰よりもみことばを読み、みことばに生きる必要があります。心にあるものが口から出てきます。普段の生活でどのような神様との関係があるか、またどれだけみことばを口ずさんでいるかが、その人の発する息にのって出てきます。

    私の発する息にのって、キリストが現れて出てくるように助けてくださいと祈ります。
    いつも心にあるものが、神の聖なるみ言葉で充満していますように。

    >私たちの王はイエス様だけです。私たちはこのお方に従うのです。

    アーメン
    王なる主イエス様 あなたを私の王座にお迎えします。

    今日は、痛く心を探られたのですが、感謝いたします。

    ああ やっぱり主イエスは素晴らしいです。
    いと高きお方です。
    この世の肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などの
    底辺の幸に踊らされ、
    本物の報いを奪われることがないように、
    光と聖きと平和に満ちたる
    恵みの高き峰、我にふましめよ。

    アーメン

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