罪-4-三つの罪の種類(そむきの罪)

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前回は罪がもたらすものと言うテーマでした。何をもたらすか、覚えているでしょうか?罪は「肉体の死、霊的な死、永遠の死」をもたらします。

そして、聖書には罪そのものにも三つの種類があると言っています。

罪の三つの性質

聖書に出てくることばで罪に似たものが三つあります。

  • そむきの罪
  • 咎(とが)

これらを正しく理解しておく必要があります。そのために次のみことばを取り上げたいと思います。

幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。

(詩編31篇 1節 – 2節)

ここに「そむき」「罪」「咎」という三つを見ることができると思います。それでは、一つひとつ見ていってみましょう。

そむきの罪

神様の目に罪の大小はなく、小さな罪も大きな罪も同じ罪として見られますが、これは、罪の中でも重要なものになります。

ここの「そむき」の意味は、神への反逆を最も強く表現することばです。つまり、神様の教え、仰せを破ることです。別の言葉でいえば、神様への不従順ということができます。もし、このことをし続けているとどうなるでしょうか。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

(ヨハネの福音書 3章 36節)
Photo by Jack B on Unsplash

神に聞き従わない者は、いのちを見ることがないと書かれています。実際、人類で初めて神様に背いた男と女は、神様から「必ず死ぬ(霊的な死、神様との関係の断絶)」を宣告され、その通りになりました。

では、どのようにしたらそむきの罪は赦されるのでしょうか。みことばを見てみましょう。

私は申しました。「私のそむきの罪をに告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。

(詩編32篇 5節後半)

神様に不従順であったことを認めて、それを素直に神様に告白します。すると赦してくださいます。

考えてみたら実際の親子の関係でも、いたずらをして怒られたとき、それを素直にみとめて「ごめんなさい」というと、その時は怒られるかもしれませんが、その後は赦してくれるはずです。逆に認めずごまかし続けていると、その時は怒られないか漏れませんが、ずっと心に重いものを持った状態で生きていかなければなりません。

私たちの人生もこの状態と同じです。負わなくていいい重荷をずっと負い、人生に疲れ果ててしまいます。神様はすべてご存じであるにも関わらず、自分のそむきの罪、神への不従順を認めることなく神様に隠し続けます。

そのような、罪の奴隷のような生活から解放される方法があります。それがイエス様の十字架です。

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

(ガラテヤ人への手紙 3章3節)

本来私たちが神様から受ける怒りを、イエス・キリストが身代わりに引き受けてくださったのです。しかもそれは無条件です。これこそが神様の人への愛です。

以前、テレビ番組で刑事さんの密着番組をしていたのを妻が分かち合ってくれました。そこでインタビュアーが刑事さんに「どうしてそんなにしつこく犯人を追い回すのですか?」と質問したそうです。

私はその質問を聞いたとき、「犯人を野放しにしていたら危険だから」という回答を期待していました。しかし答えは意外なものでした。それは「犯人を逮捕してあげたほうが、犯人が早く楽になるでしょう。罪を追って逃げ回っているとしんどいからねぇ。」というものだったそうです。なんと愛に満ち溢れた刑事さんなのでしょうか。

神様も私たちに願っていると思います。「はやくあなたのそむきの罪を認めて、キリストを信じ、自由になりなさい」と言われていると思います。

今日が救いの日、今日がそむきの罪から解放される日です。イエス・キリストを自分の救い主として受け入れましょう。

長くなりましたので、残りの罪と咎は次回にします。お楽しみに。

今日のまとめ


そむきの罪は神への不従順。それは私たちを死へと向かわせるが、イエス・キリストを信じることで赦される。

3件のコメント

  1. シャバット・シャローム!(^○^)
    今日も、素晴らしい1日を神様に、感謝します。さて、今朝、あることを、感じ、誰かにシェアしたくなりました。(*^^*)
    それは、『イエスさまは、人間になられた方だけど、罪はない方だから、罪を犯されなかった。ゆえに、私が感じるような、罪を犯してしまったゆえの、気持ち・・・。痛み、苦しみ、悲しみ。また、「このような罪をおかすのは、自分だけだろう」と、感じたり。孤独・・・。このような事は、イエス様には、わからない。』
    このような事です。

    たとえ、誰にも、自分のそんな気持ちに、共感してくれる人がいないとして、イエスさまだけ!と頼っても、イエスさまにも、わからないことがある、んだな~と。

    まあ、神様だから、当たり前のことだな~と。

    以上です。(*^^*)つまらない、私の思いをシェアしてごめんなさい。

    これからも、しゅんさんに、聖書大学に、ますます豊かな祝福がありますように!!(^○^)シャローム!!

    1. にくにのぞむさん、コメントありがとうございます。
      たしかに、「罪のないイエス様は、私の苦しさなんてわかってくれない」と思ってしまいますよね。

      しかし、みことばにはこのように書かれています。

      「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」

      (ヘブル人への手紙 4章15節)

      イエス様は罪は犯されませんでしたが、人の経験する全ての試みを受けられました。十字架では人々からののしられ、裏切られ、苦しめられました。

      そして、何よりイエス様は神様です。

      親ですら、子どもの苦しみを理解できるとしたら、私たちの創造主は私たちの心の奥底まで理解してくださる方です。

      このお方に不可能はありません。
      私たちの全てをご存知のお方です。

      このイエス様に信頼していきましょう。

      1. シャローム!(^○^)

        返信、ありがとうございます!

        正直、最初に送った内容の思いゆえに、悲しくなっていましたが、暖かなコメントに励まされました❗😉👍💕

        イエス様に、不可能はない。

        イエス様に、信頼していきましょう!

        この二つが、特に、心に響きました。

        私は、もっと、もっと、イエス様を知りたいです。

        もっと、もっと、イエス様の心を知りたいです。

        もっと、もっと、イエス様の思いを知りたいです。。。❤

        だから、これからも、イエス様を、信頼して、求めていきます!(^○^)

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