聖書通読クラブ Day 359

聖書通読クラブ Day 359【ヨハネの手紙 第二、ヨハネの手紙 第三、ユダの手紙】

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シャローム!

今日は三つの手紙を一時に通読します。手紙の最後の三つになります。ヨハネ、そしてユダから教会に、そして聖徒たちに送られた内容はどのような者でしょうか?終わりの時代、私たちが気をつけるべき事、進んで行うべき事は何でしょうか?主ははじめには救い主として来て下さいましたが、次にはさばき主として来られます。終わりの時代に生かされている私たちは、これらの手紙からどのように生きていけば良いかを、聖霊様に導かれながら教えていただきましょう。

今日の通読箇所:ヨハネの手紙 第二、ヨハネの手紙 第三、ユダの手紙

■アウトライン

●愛とは:ヨハネの手紙 第二
  ・冒頭の挨拶:1-3節
  ・愛と命令:4-11節
  ・顔を合わせて語りたい:12-13節

●行いによる愛の表現:ヨハネの手紙 第三
  ・冒頭の挨拶:1節
  ・幸いと健康:2-4節
  ・御名のために出て行く:5-8節
  ・善を行う:9-12節
  ・結びの挨拶:13-15節

●さばきの時:ユダの手紙
  ・冒頭の挨拶:1-2節
  ・ひそかに忍び込んだ者:3-4節
  ・愛餐のしみ:5-16節
  ・使徒の語ったことばを思い出す:17-23節
  ・結びの挨拶:24-25節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【ヨハネの手紙 第二】愛とは

・冒頭の挨拶:1-3節
ヨハネの手紙の第二、第三は短い手紙ですが、これは前に書かれた第一の手紙で語られたことを、より具体的な例を用いて、教会の中で起こっていることに適用させています。
「長老」とはヨハネ自身の事です。「選ばれた夫人」とはおそらく教会の事を指すと考えられます。迫害下では、教会をこのように呼ぶことがあるからです。
ヨハネは彼らをほんとうに愛していると言っています。「ほんとうに」とは、「真実に」と言う意味合いがあります。神の家族の愛し合う姿です。
2節、真理は私たちのうちに宿り、いつまでも私たちと共にあります。イエス・キリストの御霊です。そして、真理だけでなく、それに愛も加わります。真理に留まり続けるなら、その実として神を愛し、隣人を愛するようになるからです。

・愛と命令:4-11節
ヨハネは前の手紙で愛し合うことを熱心に語りました。愛とは何でしょうか?6節を見ましょう。非常に具体的な事柄です。また、命令とは何でしょうか?神様との関係が取引になっていないでしょうか?「3時間祈ったから祝福してください」というのは取引的な関係です。もちろん、主はそのことを喜んでくださるでしょうが、祝福して欲しいから祈るのではなく、主がどれ程私たちを愛してくださったかを知るから祈るのです。これが愛の関係です。
どうしてヨハネはこのような事を再三書くのかというと、7節が理由です。こういう惑わす者は何だと言っていますか?
自然の中でも、実りを得るためには努力と忍耐が必要です。種を蒔き、世話をし、水をやり、肥料をやり、精魂込めて育てても、災害で実りが台なしになってしまうこともあります。ヨハネは私たちの霊的な実がそのような事にならないようにと願っています。
行き過ぎた教えや解釈をもって教えている者が多くいました。それを見分ける一番の方法は、イエス様を告白する者か、そうでない者かです。
ヨハネは、キリストの教えに留まらない者に対して、厳しい態度を取っています。10-11節を見てみましょう。

・顔を合わせて語りたい:12-13節
ヨハネは直接会って語り合いたいと願っています。私たちもこの数年、会いたくても会えないという状況を経験しているので、この気持ちが少しわかるのではないかと思います。共に集まり、主を礼拝することは大きな喜びです。

【ヨハネの手紙 第三】行いによる愛の表現

・冒頭の挨拶:1節
ヨハネの第三の手紙はガイオに送られています。第二の手紙は教会に宛てられていたと考えると、こちらはより個人的な内容になっています。

・幸いと健康:2-4節
ヨハネはガイオに祈りの挨拶を送っています。2節を見てみましょう。この祈りは私たちにも有効であり、私たちも愛する神の家族のためにこのように祈りたいと願います。また、これは主の願いでもあります。私たちの外なる人と内なる人、全領域において健康な状態が主の願われるかたちです。
このガイオという人は、人々からも真理を歩んでいると認められています。ヨハネはそれを聞いて喜んでいます。自分の弟子が教え通りに歩み、神の約束に留まり続けていることは、師にとっては大きな喜びです。

・御名のために出て行く:5-8節
ガイオが行っていたことは、各地を巡る伝道者をもてなし、サポートすることでした。当時は宿泊施設もありましたが、そこでは偶像礼拝や不品行が頻繁に行われていたそうです。ですから、神の家族の家に泊まれることは、伝道者にとって大きな励ましとなりました。ガイオは口先だけでなく、行いで神の家族を愛していました。
そして、伝道者たちの心が7節に書かれています。彼らは何のために出て行きましたか?自分のためではありません。また、異邦人からは何も受けていませんでした。ガイオは留まり、彼らをもてなすという召しを受けており、それを見事に全うしています。
預言者を預言者だからと言って受け入れるなら、同じ報いが受けられるとイエス様も言われました。(マタイ10:41)ガイオも伝道者と同じ報いを受け取ったのです。

・善を行う:9-12節
ヨハネはある教会での問題を取り上げています。デオテレペスという人物は何を願い、どうしましたか?9-10節を見てみましょう。
そこでヨハネは何を見習ってはならず、何を見習えと言っていますか?ワルい事に憧れがあるかも知れませんが、私たちは光りの子です。光りの子らしく歩みましょう。

・結びの挨拶:13-15節
ヨハネはガイオにも会いたいと願っていました。愛する者と会えると言うことは、それだけでも大きな恵みです。私たちのまわりにいる家族、友人たちに感謝の心を現してみましょう。

【ユダの手紙】さばきの時

・冒頭の挨拶:1-2節
この手紙はヤコブの兄弟のユダが書きました。他には新約聖書ではイスカリオテのユダがおり、またヨハネ14:22を見ると、イスカリオテではないユダもいます。
このユダはヤコブの兄弟とあります。マルコ6:3を見ると、イエス様の弟たちの名前が書かれていますが、そこにヤコブとユダがいますので、おそらく彼がこのユダでは無いかと思われます。

・ひそかに忍び込んだ者:3-4節
ユダは3章でこの手紙の目的を伝えます。それは信仰の戦いです。どうしてその様な戦いが必要なのでしょうか?4節に何と書かれていますか?ある人が忍び込んで来たと書かれています。彼らは不敬虔な者でした。また、恵みを放縦に変えたと書かれています。恵みとは、受けるべきでない者が神から受ける一方的な好意です。私たちは罪のゆえに永遠の死が定められていました。しかし、イエス様はご自分のいのちを捨てて、私たちに救いに道を示してくださいました。これが恵みですが、それを知っていながら、恵みを放縦に変えています。そのような人はキリストを否定する人です。

・愛餐のしみ:5-16節
ここで、ユダは自分たちの先祖たちの事を思い起こして欲しいと言っています。出エジプトの時、何が起こったのでしょうか?主はイスラエルの民をエジプトの地から救い出しました。その次に起こったことは何でしょうか?ここに神のさばきがあります。
6節目は二番目のさばきの霊です。御使いをさばかれました。これはイザヤ14章にあるルシファーが落とされたことでしょう。神の最も近くにいた御使いですが、自分の美しさに酔いしれ、目がくらみ自分を神よりも高くしたため、神によって落とされ、今ではサタンとして天の御使いの三分の一を引き連れ、この地で猛威を振るっています。
7節にはどのようなさばきがありますか?今も世界中にこのような地があります。性的な欲求は主が与えてくださった宝物です。しかし、これは神の秩序の中で用いればの話しです。それ以外で用いる性的な欲求は好色であり、不自然な肉欲です。そのような者はどのようなさばきにあいますか?
ひそかに忍び込んで来た者は、このような人たちと同じだと8節にあります。彼らのすることが四つ書かれています。その最後は栄えある者をそしると書かれています。終わりの時代には、このそしりが顕著になります。人々が自分の義を掲げ、「これこそが正しい」と主張し合うからです。
9節には、御使いのかしら、ミカエルが悪魔と言い争ったと書かれています。その時、ミカエルはどうしましたか?議論をやめ、主にお委ねしています。
しかし、自制の実を結ばない者は、自分の言いたいことを言いたいときに、自分でも理解できないことをそしっています。わきまえのない動物のように本能で生きています。その行き着く先は滅びです。彼らはどのような道に歩むと11節に書かれているでしょうか?
ひそかに忍び込む者は愛餐のしみだと言われています。彼らは自分の事しか考えていません。また、具体的な事が12節の後半-13節に書かれています。彼らには何が用意されていますか?
14節にはエノクの預言が書かれています。神に喜ばれ、神と共に歩んだので生きたまま天に引き上げられた器です。しかし、私たちの聖書にはこの事が書かれていません。これは、続編に収録されているエノク書の預言の引用だと考えられます。エノクはどのように預言していますか?主はどのようにしてこられますか?ここに私たちも含まれています。つまり、主が完全な形でこの地に戻って来られるとき、私たちは地上から主を見るのではなく、天から主の背中を見るのです。その目的は何でしょうか?15節を見ましょう。
ひそかに忍び込んできた者は16節にあるとおりです。ここでのポイントは何でしょうか?口です。この小さな器官が体全体、また、私たちの永遠のいのちをも行く先を決めます。また、もう一つは自分の欲望のままに歩む者です。小さな子どものように、自分の事しか考えることのできない霊的な未熟児です。

・使徒の語ったことばを思い出す:17-23節
このようなさばきにあわないためにも、私たちは今まで通読した事柄を思い起こす必要があります。まもなくこの通読は終わりますが、それで終わりではありません。通読は続いていきます。私たちは忘れてしまうからです。何度も何度も通読して、みことばを思い起こす必要があります。
聖書で前もって語ったことはまとめると、どういうことでしょうか?18節を見ましょう。終わりの時に現れる者の特長は何ですか?彼らの矢印は神に向いていますか?それとも自分に向いていますか?このような人たちは何を持っていないと19節に書かれていますか?また、彼らは何をもたらしますか?
しかし、私たちはこのようになってはいけません。どうすれば良いのでしょうか?20-23節を見ましょう。何の内に自分自身を保つ必要がありますか?何を待ち望む必要がありますか?それを持って、隣人にはどのように接することが勧められていますか?疑いを抱く人を憐れみ、火の中からつかみ出して救う信仰が必要です。

・結びの挨拶:24-25節
私たちをつまずかないように守ってくださる方はどなたでしょうか?傷のない者として、大きな喜びを持って栄光の御前に立たせてくださる方は誰でしょうか?
私たちの唯一の救い主なるお方です。このお方に栄光、尊厳、支配、権威が、イエス様を通して永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 書簡の通読を通して、初めて著者の思いを考えながら読み進めている私でした。
    パウロの思い、ヤコブ、ペテロ、ヨハネ、ユダ、もちろん神様の思いなのですが、
    夫々の切実な深い心に触れたいと願いながらお手紙拝読致しました。
    皆様の愛に少しでも近づけますようにと願います。
    いよいよ黙示録ですね。身が引き締まります。

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