聖書通読クラブ Day 360

聖書通読クラブ Day 360【ヨハネの黙示録 1章-3章】

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シャローム!

黙示録は難しい書物でしょうか?確かに、難解な表現があり、理解しにくい箇所が沢山あります。しかし、難しいのですが、親切に書かれています。この黙示録は本来はひとつの手紙です。ですから、本来は1章、2章と分けて読むのではなく、続けて読む方がわかりやすいのではないかと思いますが、今回は3章ずつ分けて読んでいきます。
黙示録は賛美と喜びと希望に満ちた書物です。聖霊様に導いていただき、今日も通読していきましょう。

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録 1章-3章

■アウトライン

●キリストの御姿:1章
  ・キリストの黙示:1-3節
  ・雲に乗って来られる:4-7節
  ・人の子のようなお方:8-20節

●七つの教会の前編:2章
  ・エペソの教会:1-7節
  ・スミルナの教会:8-11節
  ・ペルガモの教会:12-17節
  ・テアテラの教会:18-29節

●七つの教会の後編:3章
  ・サルデスの教会:1-5節
  ・フィラデルフィヤの教会:6-13節
  ・ラオデキヤの教会:14-22節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】キリストの御姿

・キリストの黙示:1-3節
みなさんにとって、黙示録はどのような書物でしょうか?ある教会では、あまりにも難しいので黙示録を教えないという教会もあるそうです。しかし、黙示録こそ聖書のクライマックスであり、希望であり、最も賛美に満ちあふれた書物です。
これは、イエス・キリストの黙示と書かれています。もしかしたら、この「黙示」ということばが、この書物を難しいと勘違いさせているのかも知れません。しかし、原語の意味から見ると、これは「啓示」と取る方が正しいかも知れません。つまり、「ヨハネの啓示録」です。啓示とは、指し示すという意味があります。つまり、聖書の今までの書物をイエス様の御霊が指し示して下さっているのです。いわば、答え合わせのような書物です。
この書物は、何を誰に示すために書かれたのでしょうか?1節を見ましょう。そして、それをヨハネに示し、ヨハネはこれを手紙にしました。
この黙示録は私たちにとってどのような書物でしょうか?私たちは理解したいと願うかも知れません。それはとても大切なことです。しかし、余りにも深入りしてしまうため、神の御心を見失って、間違った教えに走ってしまうのが黙示録の特徴でもあるかも知れません。私たちは黙示録にどのように向かい合えば良いのでしょうか?3節を見ましょう。この預言をどうする者が幸いだと書かれていますか?研究して、理解する者が幸いと書かれていますか?そうではありません。朗読する者です。ですから、黙示録は理解する書物ではなく、朗読する書物です。わからないことはわからないとするほうが正直な読み方です。また、ここに書かれていることを心に留める人は幸いです。

・雲に乗って来られる:4-7節
この手紙は誰から誰に書かれているでしょうか?4節を見ましょう。また、御霊、イエス様をどのように表現していますか?このお方から恵みと平安があります。
5-6節を見ましょう。イエス様がどのようにして下さったかが書かれています。何によって私たちを罪から解き放って下さいましたか?そして、私たちをどのようにして下さいましたか?
そして、イエス様は最初は約二千年前に、ひとのかたちを取って救い主として来て下さいました。しかし、次に来られるときはさばき主として来られます。その時、どのようなものに乗って来られますか?雲は主の栄光です。栄光に包まれ、彼を突き刺した者、すなわち全てのユダヤ人が再臨のイエス様を見ます。そのゆえに、地上の諸族は嘆きます。さばきの時が来たからです。

・人の子のようなお方:8-20節
私たちの主は世界の始まる前から存在される方であり、永遠に生きておられるお方です。そのことを「アルファとオメガ」と言っています。ギリシャ語の最初の文字と最後の文字です。しかし、これはイエス様ご自身が語られたことです。イエス様はヘブライ語を話されていたので「わたしはアレフでありターヴである」と言われたはずです。この二文字で「エット」という文字になります。創世記の1章1節にもこのことばが使われています。ヘブライ語の意味で言うと「神と十字架」と言う意味です。
ヨハネはこの書をパトモスと言う小さな島から書いています。ヨハネはイエス様にある何にあずかっていましたか?三つあります。その中心は何でしょうか?私たちの中心はいつも神の御国であることを感謝します。
10節でヨハネは御霊に感じ、どのような音を聞いたでしょうか?その声は何と言っているでしょうか?11節を見ましょう。まるで、モーセが山の上で神ご自身と御国を見たように、ヨハネは主の御声と天の光景を見ます。その見たことをどこに送れと言われていますか?
そこでヨハネが振り向くと、そこには何がありましたか?12節を見ましょう。これは御霊の象徴であり、教会の象徴でもあります。その燭台の真ん中にはどのような方がおられましたか?その様子はどうでしたか?13-16を見て、その特長を確認してみましょう。
ヨハネはこの方を見たとき、どうなりましたか?17節を見ましょう。しかし、主はどのように言われましたか?このお方は死んでも生きておられます。福音の中心である十字架の死と葬りと復活です。また、死とハデスの鍵もお持ちの方です。もちろん、天の御国の鍵もお持ちです。この方がマスターキーです。
このお方が、ヨハネにこの後起こることを書き記せと仰せられます。
20節を見ましょう。主の右の手に見えた七つの星と七つの金の燭台の秘められた意味が書かれています。それは何ですか?黙示録は親切です。イエス様ご自身がこのように秘められた事を解き明かして下さっています。ですから、啓示録というのも納得できます。

【2章】七つの教会の前編

・エペソの教会:1-7節
ヨハネは主が仰せられたとおり、見たものを七つの教会に書き送ります。まずはエペソです。主はエペソの教会をどのように称賛されていますか?2-3節を見ましょう。また、どのように叱責をされていますか?4節を見ましょう。エペソは賜物に溢れた教会でした。しかし、一番大切な愛を見のがしていました。初めの愛とは、イエス様にであった頃の新鮮な愛の関係と言えますし、または第一の戒めとも取ることができます。賜物に溢れた教会でしたが、第一の戒めを忘れてしまっています。大変なことです。
そこで、どうしなさいと言われていますか?5節を見ましょう。もし、そうしないならどうすると言っていますか?燭台は何を意味していましたか?1章20節には燭台=教会と書かれていました。つまり、教会としての働きを取り去ってしまわれると言われています。
しかし、6節にはニコライ派の教えを憎んでいると言うことで称賛されています。ニコライ派は聖職者と平信徒という分け方をして、信じる者に階級制度を設け、人々を支配しようとする人たちです。主はそれを憎まれています。
また、エペソの教会に与えられる勝利の報いは何でしょうか?これを食べるなら、永遠に生きます。
エペソに対するメッセージは、歴史的に見ると教会が誕生したときからヨハネの死頃までの期間と考えられています。

・スミルナの教会:8-11節
続いてはスミルナの教会です。主はスミルナの何を知っていると言われていますか?9節を見てみましょう。また、10節には受けようとしている苦しみを恐れてはならないと書かれています。これは殉教のことです。主は彼らにどのようでありなさいと言われていますか?死に至るまでの忠実さを求めておられます。私たちもこの信仰が必要です。余談ですが、私がイエス様を信じるきっかけとなったみことばがこの箇所です。
スミルナの教会には叱責のことばがありません。
スミルナの教会に与えられる勝利の報いは何でしょうか?永遠のいのちがその報いです。
また、スミルナの教会は歴史的に見るとヨハネの死から4世紀頃、ローマがキリスト教を国教にした頃までです。実際、この間に600万人ほどの信者が殉教したと言われています。

・ペルガモの教会:12-17節
主はペルガモの何を称賛されていますか?彼らは最後まで信仰を捨てませんでした。
しかし、何を叱責されていますか?バラムの教えです。それは一体どういうものでしょうか?14節を見ましょう。また、ニコライ派の教えを報じている人もいるようです。これは信仰の妥協を意味しています。
これに対して、主はどうしなさいと言われていますか?16節を見ましょう。そうしないなら、どうなると書かれていますか?
ペルガモの教会に与えられる勝利の報いは何でしょうか?17節を見ましょう。新しい名が与えられます。
また、ペルガモの教会は歴史的に見ると、4世紀頃のローマによるキリスト教の国教化以降、ある日を境に全ての人がキリスト教徒と宣言され、異教もすべてキリスト教化されたことを指しています。

・テアテラの教会:18-29節
テアテラを見てみましょう。何を称賛していますか?19節を見ましょう。また、何が叱責されていますか?このイゼベルという者は非常にやっかいな者です。夫を支配し、コントロールする霊性を持っています。この女をなすがままにしていたことが生けませんでした。異是別は四つの特長がここで書かれています。それは何でしょうか?20節によると、預言者と自称している、しもべを教え誤りに導く、不品行を行わせる、偶像の神にささげた者を食べさせているとあります。
主はイゼベルに悔い改める機会を下さいました。しかし、彼女はどうしましたか?また、この女を慕う者はどうしましたか?もし悔い改めないなら、主はどうされますか?この事を通して、全教会は主が人の思いと心を探る方であることを知るようになります。また、行いに応じてひとりひとりに報いてくださいます。これらのことは、霊的な不品行を意味しています。
このような状況の中でも、この教えを受け入れてない者たちがいました。主は彼らに重荷を負わせないと約束してくださっています。そして、持っている者を主が来られるまで持ち続ける事を言われています。テアテラの教会に与えられる勝利の報いは何でしょうか?26-28節を見ましょう。教会をコントロールしようとするイゼベルの霊に打ち勝つので、諸国の民を支配する権威が与えられます。そのために鉄の杖、明けの明星が与えられます。
また、テアテラの教会は歴史的に見ると、中世の暗黒時代を指しています。それは宗教改革の時代にまで至ります。

【3章】七つの教会の後編

・サルデスの教会:1-5節
サルデスの教会には叱責から入ります。なにを叱責されていますか?律法学者や偽善者に言われているようなことです。この事に対して、どうしなさいと言われていますか?2節を見ましょう。聖書の中は眠っている者が出てきます。花婿を待つ10人の乙女、ゲツセマネでのペテロ、ヨハネ、ヤコブなどです。この事から、ここは霊的な無感覚、つまり眠っている状態を指していると見ることができます。
だから主はどうしなさいと3節に書かれていますか?主が来られるのはこのようにして来られます。
ところが、サルデスにはその衣を汚さなかった人が何人かいました。彼らは何を着ていましたか?それがそのまま勝利の報いになります。さらに、彼らの名をいのちの書から消すような事はせず、彼の名を父の御前と御使いの前で言い表してくださいます。主が私たちを父に自慢してくださるようです。
また、サルデスの教会は歴史的に見ると、宗教改革後の教会の状態を指しています。

・フィラデルフィヤの教会:6-13節
主はフィラデルフィヤの教会の何を叱責されているでしょうか?実は、叱責されることがないのです。彼らは少しばかりの力があり、何を守り、何を否みませんでしたか?ここからわかるのは、フィラデルフィヤの教会は忠実な教会の姿を指しているということです。
主は自称ユダヤ人、すなわちサタンの会衆に属する者をどうすると言われていますか?
フィラデルフィヤの人たちは主が言われた忍耐を守りました。ですから、主も彼らを全世界に来ようとしている試練から守ってくださいます。主は「すぐに来る」と言われています。何を奪われないようにと言っていますか?また、もっているものをしっかりと持っているように勧められています。
勝利を得るものに与えられる報いは何でしょうか?神の聖所の柱とされることです。主のそばを離れることはありません。また、神の御名、神の都、すなわち新しいエルサレムの名と主の新しい名が書き記されます。
また、フィラデルフィヤの教会は歴史的に見ると、19世紀以降の世界宣教時代の始まりを指しています。

・ラオデキヤの教会:14-22節
そして、最後のラオデキヤの教会です。主はラオデキヤの教会の何を叱責されていますか?一言でいうと生ぬるさです。この教会に対しては、称賛されることがひとつもありません。どうして生ぬるくなってしまったのでしょうか?その原因は富です。17節を見ましょう。
このような者に、主は何を忠告されていますか?三つのものを買いなさいといわれていますが、それは何ですか?金は神の性質です。白い衣は聖さです。目薬は目を開くためのものです。これらが自動的に与えられるのではなく、犠牲を払って買う必要があります。
19節によると、主は愛する者をどうされると書かれていますか?これは神の子とされている証です。だから、今までとは違って「熱心に」悔い改めなさいと言われています。
教会の中心はイエス様です。しかし、いつのまにか牧師が中心となっていたり、イベントや慈善活動が中心となってしまっているところもあるかも知れません。そのような教会に、イエス様は20節のように言われるのではないでしょうか?もし、主の御声を聞いて、戸を開けるなら主はどうして下さいますか?詩篇23編を思い起こさせます。ここでも、戸は自動的には開きません。主の声を聞き、自ら戸を開ける必要があります。この事は、豊かになりすぎた教会の姿を指しています。主はこの教会が勝利したときの報いとして、何をしてくださいますか?なんと、神と同じ御座に着かせてくださるのです。どのようにして神の座に着くことができるのでしょうか?それは、教会が花嫁として花婿なるイエス様とひとつとなることによって可能となります。妻は夫の権利を持っています。ですから、私たちは熱心に主とひとつとされる事を求めていきましょう。
ラオデキヤの教会は、歴史的に見ると現代の教会、終わりの時代の教会を指し示しています。その特長は経済的に富んでいること、みことばの教えを聞こうとしないこと、宣教に出て行かないこと、自分の経済や時間、また、与えられた能力を主のためにささげようとしないという姿が見えます。
私たちは熱心になって悔い改め、この最後の報いをいただくことを目指していきましょう。

ここまで七つの教会を見てきましたが、すべてに共通していることがあります。それは何かわかりますか?「御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」です。聞くことは信仰の始まりであり、聞くことはキリストについてのみことばによります。(ローマ10:17)


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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