聖書通読クラブ Week 32

聖書通読クラブ Week 32

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シャローム!

皆さん、通読は続いていますでしょうか?今週はイザヤ書の通読を終え、エレミヤ書に入っていきます。

エレミヤ書は、ユダの国が滅んでいく様子と、その背後にある神の警告、裁き、そして回復の約束が語られている預言書です。エレミヤの特徴は、ことばによる預言だけでなく、預言的な行動を伴っていることです。彼はただ神のことばを語っただけではなく、彼の人生そのものを通して、神の思いを表しました。その多くは、嘆きや悲しみ、痛みと深く関わっています。

エレミヤが預言者として召されたのは、ヨシヤ王の第十三年、つまり紀元前627年ごろです。ヨシヤ王自身の治世は紀元前640年ごろから始まりますが、エレミヤの預言活動の開始はその第十三年とされています。そして彼の働きは、エルサレムがバビロンによって滅ぼされ、民が捕囚へ連れて行かれる紀元前586年ごろまで続きます。また、エレミヤ書にはその後の出来事も記されています。おおまかに言えば、エレミヤはイザヤより約100年後の時代に活動した預言者です。

そして、エレミヤは祭司の家系に生まれた人物です。しかし彼は、神殿で安定した働きをする祭司としてではなく、神のことばを民に語る預言者として召されました。しかも、その使命は決して楽なものではありませんでした。彼が語ったのは、人々が聞きたがる慰めの言葉ではなく、悔い改めを求める厳しい警告でした。そのため、彼は人々から拒まれ、迫害され、孤独を味わったのです。

他の預言書と比べても、エレミヤ書にはエレミヤ自身の内面が多く記されています。彼は自分の苦しみ、涙、葛藤、神への訴えを隠しませんでした。預言者でありながら、強く堂々としているだけの人物ではなく、泣き、悩み、打ち砕かれながらも、それでも神のことばを語り続けた人でした。その意味で、エレミヤ書は「涙の預言者」の書とも呼べるものです。

また、エレミヤ書は単にユダへの裁きを語るだけの書ではありません。確かに、民の罪、偶像礼拝、不正、形式だけの礼拝に対する神の厳しい裁きが語られます。しかし同時に、その裁きの奥には、神が民を見捨てず、もう一度回復させようとされる深い憐れみがあります。特に「新しい契約」の約束は、後にイエス・キリストによって成就する重要な希望として読むことができます。

エレミヤの姿には、イエス様の悲しみの側面を見ることができます。イエス様もまた、神の民に遣わされながら拒まれ、誤解され、涙を流されました。エルサレムのために泣かれたイエス様の姿は、エレミヤの嘆きと重なります。人々の罪を見て悲しみ、それでも見捨てずに語り続ける神の愛が、エレミヤ書には深く表されています。

ですから、エレミヤ書を読むとき、私たちは単に昔のユダ王国の滅亡を学ぶだけではありません。神のことばを軽く扱うことの恐ろしさ、形式だけの信仰の危うさ、悔い改めの必要、そして裁きの中にもなお残されている神の憐れみを学ぶのです。

エレミヤ書は、悲しみの書です。しかし、その悲しみは絶望で終わるものではありません。神が本気で民を愛しているからこそ語られた、痛みを伴う愛の言葉です。イエス様も悲しまれ、時には涙を流されました。そのような主の御心を知るためにも、この悲しみの書を共に見ていきましょう。

【今週の通読】
●Day 220:イザヤ書 52章-54章
●Day 221:イザヤ書 55章-57章
●Day 222:イザヤ書 58章-60章
●Day 223:イザヤ書 61章-63章
●Day 224:イザヤ書 64章-66章
●Day 225:エレミヤ書 1章-3章
●Day 226:エレミヤ書 4章-6章

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