聖書通読クラブ Day 187

聖書通読クラブ Day 187【箴言1章〜3章】

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シャローム!

今日から箴言に入ります。この書簡は知者中の知者と言われたソロモンによって書かれました。しかし、おそらくその多くの教えは父ダビデから受けたものだと思われます。
ソロモンは若くして王になりましたが、神さまに「何が欲しいか」と聞かれ、「聞き分ける心を下さい」(1列王3:9)と願いました。そして主は知恵と富をソロモンに与えてくださいました。
この箴言の中にはイエス様を啓示する事が沢山出てきます。本当は一節一節、深く掘り下げて行きたいのですが、通読をメインに進めていただきたいので、いくつかだけを取り上げて行くようにしたいと思います。共に知恵の宝を探す旅に出かけましょう。

今日の通読箇所:箴言1章〜3章

■アウトライン

●呼ばわる知恵:1章
  ・体得し、思慮を得、理解する:1-6節
  ・主を恐れることは知識のはじめ:7-19節
  ・叫ぶ知恵:20-33節

●他人の妻から身を避けよ:2章
  ・神の知識を見いだす:1-22節

●主への信頼と善行:3章
  ・心を尽くして主に拠り頼め:1-10節
  ・主の懲らしめをないがしろにするな:11-12節
  ・知恵はいのちの木:13-20節
  ・知性と思慮を見失うな:21-26節
  ・へりくだる者に恵みを授ける:27-35節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】呼ばわる知恵

・体得し、思慮を得、理解する:1-6節
この部分は箴言の記された目的と全体の要約をしている箇所になります。この動詞の部分に注目してみましょう。
まず、知恵と訓戒を学ぶことです。学ぶとは「まねる」ことから始まります。そのお手本はみことばです。何を学ぶのかと言えば知恵と訓戒です。知恵は箴言の中心です。何度かお伝えしましたが、箴言を読み進めるときは特に知恵と知識の区別をはっきりしておく必要があります。
知識はストックです。勉強で言えば記憶することです。漢字テストでは、いくら頑張って思い出そうとしても、そもそも勉強していなければ合格しません。記憶がすべてです。
一方、知恵は応用です。学習の初期段階では、数学の公式をひたすら覚えます。何度も何度も繰り返して練習します。そして、最後にはその公式を使って難しい文章題に挑戦します。そのときには気づきが必要です。「この公式を使って、ここにこの数を代入すれば良いんだ!」と気づくとその問題は計算ミスをしない限り解けます。これは知識のベースがなければなすことができません。すなわち、箴言は蓄えたみことばの知識を聖霊様が知恵へと導いてくださる書簡です。
また、訓戒とは教訓とも訳せます。訓練、しつけと言う意味もあります。上の例からも理解できると思います。
次には正義と公儀と公正と、思慮ある訓戒を体得するためです。
正義とは神さまの教えてくださる正しさです。直訳では「まっすぐ」と言う意味になります。公儀は自分だけではなく、公の場で義を行使することです。公平はバランスを保つ事です。そして思慮のある訓練、しつけです。これらは体得するものです。体にたたき込むことです。そのためには繰り返し繰り返し、たましいにみことばを教え、それを実行していく必要があります。
続いてはわきまえのない物に分別を与えることです。わきまえのない者はいことばに従おうとしない者です。彼らに分別を与えます。
未熟な者、若者に判断力、識別力を得させるためです。
知恵のある者はこれを聞いて理解を深める必要があります。なんとなくではなく、熱心にみことばを求める者に開かれていく領域です。
つまり、これらを通して成長し自立し、人を養うことにまでなれる力を得させるためです。
これは箴言と比喩と知恵のあることばとそのなぞとを理解するためにあるとあります。一言で言うならイエス様を理解するためです。イエス様はたとえで物事を語られます。そこにかくされているなぞ、つまり奥義を理解するためです。イエス様を知るためにこの箴言があります。

・主を恐れることは知識のはじめ:7-19節
このタイトルがすべてです。どのようにしたらはじめの知識を得ることができるのでしょうか。主を恐れることです。主を恐れると言うことは、主に従うと言うことです。たとえば、勉強する時、教科書を信頼し、先生の言うことに従わないなら言い点数が取れません。恐れるというのは怖がるというのではなく、敬う、尊敬する、一目置く、従う心を持つということです。
まことの教師であるイエス様にこのような心を持って耳を傾けることが知識のはじめです。そのためにはみことばを心に刻んでおく必要があります。どのようにすればみことばを刻むことができるのでしょうか。繰り返すことです。そのために箴言を繰り返し心に刻むための書籍がありますので、この記事の一番下で紹介します。ぜひ行ってみてください。
愚か者はこれらのことを価値がないと思ってしまい、見向きもしません。みことばは刺激的ではないかも知れません。即効性もないかもしれません。しかし、このみことばをまいにち食べることはわたしたちのたましいと人格を成長させることに欠かせないものになります。
イスラエルではこれらの教えを親から子に教えます。教育を人任せにしません。親が責任を持って子どもにみことばを刻みます。それは彼らが罪の道を歩まないようにするためです。
10節からは、罪が誘ってもそれに付いていってはならないと言うことが書かれています。ここに誘惑のステップがあります。
まずは惑わしに従わないことです。ここを回避できれば勝利です。そのために判断力が必要です。続いては15節にあるように、彼らといっしょに歩いてはならないということです。彼らの通りに足を踏み入れてはいけません。この領域に来ると、思いから行動に移っていることがわかるでしょうか。
みことばも聞いて行うことが大切ですが、悪の道も同じように聞いて行うことで悪の仲間となってしまいます。その行き着く先は永遠の滅びです。

・叫ぶ知恵:20-33節
ここはふしぎな箇所です。知恵が人格を持っているように書かれています。知恵が叫んでいます。これはどういうことでしょうか。ヒントは22節からのかっこの中のことばにあります。わかりますでしょうか。少し考えてみましょう。
1コリント1:30には「しかし、あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」とあります。わかりますでしょうか?ここでは知恵なるイエス様が叫んでいます。何を叫んでいるのでしょうか?22節から33節までのことばを読んで祈ってみましょう。

【2章】他人の妻から身を避けよ

・神の知識を見いだす:1-22節
ソロモンは「わが子よ」と呼び掛けます。自分の子どもでもあり、私たちにも語りかけています。聖書では他人でも親密な関係にあるときに「わが子よ」と呼び掛けます。パウロも若い者に「わが子と」呼びかけています。ここでは1章で語られていた悪者の仲間にならにため、その道を歩み初めてしまっても叱責を聞かず、悪の道から離れない者に対して4つのステップを示しています。
一つ目はことばを受け入れ、それを蓄えることです。蓄えは大切です。車もガソリンというエネルギー源が蓄えられていなければ長距離を走ることはできません。私たちのたましいを成長させるのはみことばです。これを心の倉に蓄えましょう。
二番目は耳を傾けて心を向けることです。勉強にたとえた方がわかりやすいでしょうか。蓄えることは公式を覚えることです。漢字や慣用句を覚えることです。教科書を覚えることです。その時は苦しく、意味が無いように思えるかも知れません。しかし、なぜそうなるのか、どういう仕組みでそうなっているのかという事に関心を持ち始めたらとたんに勉強が楽しくなります。ただやらされているという感覚から、自発的に学ぶという段階になります。みことばも同じです。人に言われてみことばを読むのではなく、自ら主のみことばに耳を傾けてみようと取り組む姿勢が大切です。
次に呼び求めることです。勉強で言えば、自力で理解する限界に達して、学校の先生や塾の先生に質問する段階です。関心を持って自分で調べ尽くしたことを質問し、それに対してズバリの回答を得られたなら、それは忘れることのできない宝となります。
私たちもみことばを蓄え、耳を傾けていても「わからない!」と叫びたくなることもあります。その時には私たちにいつも寄り添ってくださっている聖霊様に聞きましょう。必ず教えてくださいます。
最後には探り出すと言うことです。勉強で言えば、より発展的な内容にも興味を示し、次々と疑問がわいてきて上のステップを繰り返すことになります。
これらをみことばで行うなら、主を恐れることを悟ります。神様の知識を見いだします。その事の報いが6節以降に書かれています。音読し、心に刻みましょう。

【3章】主への信頼と善行

・心を尽くして主に拠り頼め:1-10節
人類は昔から不老不死の薬を求めたり、少しでも長生きすることを求めます。みことばにはどのようにしたら長生きできると書いているでしょうか。みことばの命令に心を留めることです。そうするなら、長生きに加え、平安も与えられます。そして、恵みとまことを捨ててはいけません。首に結び、心の板に書き記します。そうするなら、誰も奪いません。
私たちは自分の知識に頼ってしまいます。もちろん、判断するのは自分なので自分の知識を用いることはあるでしょう。ここではそうではなく、自分の知識を過剰に信頼してはならないということです。私たちは心を尽くして主に拠り頼む必要があります。なぜ「心を尽くして」とあるのでしょうか。私たちは自動的には主に拠り頼むことができないからです。絶えず意識をして、主に信頼することを自分に教えなければなりません。その上で、どこでも主を認める必要があります。例外はありません。この時、気をつけなければならないことばは「聖書ではそういうけど」です。自然科学や医療、気候やその他様々な分野において主がご介入されていない領域はありません。すべてで主を認めることが大切です。みことばが絶対的な権威を持っていることを覚えましょう。そのことを実践すると、道がまっすぐになるという報いがあります。義の道です。
また、主を恐れて悪から離れることです。そうすると健康になると書かれています。収穫の初物で主を主をあがめるなら、倉は豊かになり、新しいぶどう酒で溢れます。

・主の懲らしめをないがしろにするな:11-12節
懲らしめや叱責というのは、私たちにとって好ましいものではありません。学生の時、宿題をしようかなと思ったちょうどそのタイミングで親から「勉強しなさい」と言われて、一気に勉強する気が失せたことが何度もあります。従っておけば良かったと思います。
なぜ懲らしめを受けるのでしょうか。なぜ叱責されるのでしょうか。それは愛しているからです。主は愛する者を叱られます。成長を願うからです。ヘブル12:8には「もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。」とあります。みことばを読み、心が刺されると言うことは私たちが神の子とされている揺るがない証拠です。

・知恵はいのちの木:13-20節
もし知恵を見いだし、英知をいただくなら、それは金銀よりも価値があります。私のおばあちゃんがよく言っていました。「勉強したことはあなたのものになる。誰も取っていかないから、しっかり勉強して知識と技術を身につけなさいよ」と。ある意味真理です。みことばは勉強以上に大切なことです。一生だけで終わることなく、永遠のいのちに関わることです。
この主からの知恵、また、イエス様自身を堅く握る者は、いのちの木となります。律法は私たちに神様の基準の良い悪いを教えてくれます。善悪の木です。しかし、それを選び取るなら死んでしまいます。私たちの肉の性質の死です。ここを経て、いのちの木にいたります。主が私たちをイエス様と共によみがえらせてくださり、いのちの木に導いてくださいます。

・知性と思慮を見失うな:21-26節
この優れた知性と思慮を良く見張っておく必要があります。神様が人に命じられた事です。園を耕し、見守る事です。これは私たちのたましいのいのちとなります。そして、たましいに平安をもたらします。
それでも、突然恐怖に襲われることがあります。しかし、主がわきにおられ、わなにかからないように守ってくださいます。

・へりくだる者に恵みを授ける:27-35節
私たちは主からあらゆるものを与えられています。しかし、それを自分の為だけに蓄えるなら、それは腐ってしまいます。イスラエルの地形を見てもそれが明らかでしょう。ただ外から流れ込むだけで外に流し出すことのない死海では生き物が生きていけないほど高い塩分になっています。しかし、絶えず水を注ぎだすガリラヤ湖にはたくさんのいのちが溢れています。受けるよりも与える方が幸いです。
この箇所では、自分の分を超えて施すなと書かれています。「あなたの手に善を行う力があるとき」と書かれています。ですから、まず自分が霊的にも物質的にもいつも豊かである必要があります。そう出なければ流し出すことができません。溢れ流れ出るもので、はじめて人に与えることができます。
もし、何かを与えることができるのにそれを拒んではならないと書かれています。意地悪な心ではなく、広い心でいなさいと言う教えです。私たちはそのことで一時的に失うでしょう。しかし、主のために失ったのであれば、主がいく倍にも増してそれを返してくださいます。天のお父さんは気前の良いお父さんです。その子である私たちも気前の良い子となっていきましょう。
また、その意地悪な心に関して、悪い仕打ちをしていない人に悪を企んだり、争ったり、暴虐の者をうらやんではならないと書かれています。主は平和の主です。
なぜ人は悪を企むのでしょうか。相手が自分よりも低くなることで安心したいからです。なぜ人は争うのでしょうか。自分の正しさを主張したいからです。なぜ人はうらやむのでしょうか。自分が相手よりも小さな者、持っていない者と感じるからです。人と比較することをやめましょう。主は一人ひとりを違って創造されています。比較するのは自分の過去です。また、みことばと今の自分を比較します。それ以外の比較はむだに終わるでしょう。
主はあざける者をあざけり、へりくだる者に恵みを授けてくださいます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 他の人に与えることができますように。
    主が知恵を与えてくださることを感謝します。

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