聖書通読クラブ Day 223

聖書通読クラブ Day 223【イザヤ書 61章〜63章】

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シャローム!

今日の通読箇所であるイザヤ61は、私にとって特別な箇所です。かつて、初めて40日断食に導かれた時のことです。断食最終日に目が覚める直前、始め人間ギャートルズに出てくるような石の立体文字で「イザヤ61」というものが上からドンと落ちてくるのがはっきり見えました。私は眠かったので、それを見て見ぬふりをしてもう一度寝ようとすると、もう一度同じ光景が見えました。それでも寝ようとしたら、今度は私の耳に、はっきりと「イザヤ61」ということばが聞こえました。観念して聖書を開くとこの箇所でした。主は断食のご褒美にこれからの私の召しのみことばを下さったのでした。
この箇所は多くの人の励ましになっていると思います。イザヤ書もあとわずかです。主に期待して通読していきましょう。

今日の通読箇所:イザヤ書 61章〜63章

■アウトライン

●救いの喜び:61章(ペテロの手紙 第二)
  ・わたしを遣わされた:1-3節
  ・主の祭司と呼ばれる:4-9節
  ・花嫁のように飾られる:10-11節

●見張り人:62章(ヨハネの手紙 第一)
  ・主の口が名づける新しい名:1-5節
  ・城壁の上の見張り:6-9節
  ・通れ通れ:10-12節

●シオンの贖い:63章(ヨハネの手紙 第二)
  ・主の怒り:1-6節
  ・主が私たちに報いてくださった:7節
  ・昔から彼らを背負い抱いて来た:8-10節
  ・主の御霊が彼らをいこわせた:11-14節
  ・どうかお帰り下さい:15-19節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【61章】救いの喜び(ペテロの手紙 第二)

・わたしを遣わされた:1-3節
この箇所は、イエス様も引用され、この箇所を読み、「この預言が今、成就した」と宣言されました。(ルカ4:18-19)
シオンは灰の中にあるような状況でした。しかし、主のしもべであるメシヤ(油注がれた救い主)が恵みによってシオンを解放して下さいます。
ここでの主語は「私」ではなく、「わたし」になっています。主ご自身です。「神である主の霊がわたしの上にある」という一文で三位一体の神を見ることができます。天の父はイエス様を地上に人の形を取って送られ、彼に油を注ぎ、その上に御霊を下らせて下さいました。ヨハネ1:1によると、イエス様はことばです。御霊はことばの上に下られます。
主が油注がれた目的は何でしょうか。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすためです。私たちもイエス様と同じ油注ぎを受けているなら、この働きに加わるはずです。
さらに、捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げます。罪の奴隷からの解放です。そして、主の恵みの年、つまり救いを述べ伝えます。それに加え、復讐の日を告げます。つまり、終わりの時代です。そして、すべての嘆き悲しむ者を慰められます。
シオンで嘆き悲しむ者に灰の代わりに頭の飾りを下さいます。悔い改める時に灰を用いるので、悔い改めの完成です。嘆きに変えて喜びの油を、憂いの代わりに賛美の外套を付けさせて下さいます。なんと希望に満ちたことでしょうか。

・主の祭司と呼ばれる:4-9節
廃墟のようなエルサレムを義の樫の木と呼ばれる彼らが建て直し、一新していきます。外国人は羊飼いや納付になりますが、彼らは主の祭司となります。出エジプト19:6には「祭司の王国」ということばがあります。また、1ペテロ2:9には「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召して下さった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」とあります。
さらに、国々が財宝を持ってやってきます。二倍の祝福があります。長子の権利の祝福です。
今までイエス様を拒んでいたイスラエルがイエス様を救い主として受け入れ、世界中に大きなインパクトを与えます。

・花嫁のように飾られる:10-11節
ここでの主語は「わたし」から「私」に変わっています。主がイザヤに、そして信じる者すべてに、このような報いを下さいます。
私たちをキリストの花嫁として召して下さいます。そして、すべての国に正義と賛美を芽生えさせて下さいます。

【62章】見張り人:62章(ヨハネの手紙 第一)

・主の口が名づける新しい名:1-5節
主ご自身が黙っていないと言われています。義が明るく光を放ち、その救いがたいまつのように燃えるまでです。主は情熱を持ってあきらめず、救いの達成を助けて下さいます。
主は聖書の中で何度も終わりの希望を見せて下さっています。そこに向かって共に歩もうと励まして下さっているようです。
しかし、その道は険しく、困難で先が見えません。ついつい自分の力で何とかしようとしてしまいますが、そのような時こそ主に頼ることが必要です。
そのような十字架の道を歩むとき、すべての国々は義を、王は栄光を見るでしょう。そして、主は最後まで忠実に歩んだしもべに新しい名を下さいます。「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得るものに隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている」(黙示録2:17)
そして、キリストの花嫁とイエス様が永遠の時間を過ごすのは新しいエルサレムです。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなった世界です。
ここにもあるように、エルサレムが夫に愛される妻のように描かれています。

・城壁の上の見張り:6-9節
主はエルサレムの上に見張りを置いて下さいました。エルサレムが堅く立てられるまで、しっかりと見張って、エルサレムについて黙っていてはならないと書かれています。
神様のご計画をしっかりと知り、それを語り続けることは大切です。箴言29:18前半には「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」とあります。主からの幻は何か幻想的なファンタジーの世界のようなものではなく、みことばに約束されていることです。これは私たちが目で見ているものよりももっとリアルなものです。
主は新しいエルサレムでは、豊かに食物を与えてくださいます。そのために、主から与えられている神からの救いの賜物、自由、喜び、感謝、平安、愛などが敵に奪われないよう、私たちはしっかりとそれらを守って行かなければなりません。力の限り見張って、自分の心、内なるエルサレムを守っていきましょう。

・通れ通れ:10-12節
ここでも、世界中に散らされたイスラエルの民が帰還するための道ぞなえが書かれています。同時に、終わりの時代の聖徒たちが集められる事でもあります。
ここでの特長は忍耐です。主のために忍耐して待っていた者には報いがあります。その者は聖なる民、贖われた者となります。
「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。」(黙示録22:12)

【63章】シオンの贖い:63章(ヨハネの手紙 第二)

・主の怒り:1-6節
生々しい光景がここにあります。主の衣が真っ赤になっています。イエス様の血潮でしょうか。ここではそうではありません。神に敵対する者と戦った時の返り血です。
このボツラは黙示録にも出てきますが、反キリストに追われたイスラエルの民が逃げ込む場所です。この場所は植物があまり生えないいわゆるはげ山のような場所です。エルサレムから見ると、山々に見えます。それで、イエス様はマタイ24:15-16で、終わりの時の事を説明される際、このみことばを述べられました。「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのをみたならば、(読者は良く読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。」
詳しくは、黙示録14章、19章をお読みください。

・主が私たちに報いてくださった:7節
預言者イザヤは主が与えてくださった幻に感動して、主を誉め称えています。すべては主が恵みとあわれみによって与えてくださった事です。それを自分のものとしてしまったときが危険です。主は与え、主は取られます。ほむべきかな。主の御名は。

・昔から彼らを背負い抱いて来た:8-10節
エドムに逃れた残された者に対して、主は優しく語りかけてくださいます。神様の目には、彼らは偽りのない子たちとして映っています。信仰による義と同じようなことです。
彼らが苦しむとき、主も苦しまれます。子どもが苦しんでいるなら、親はそれ以上の苦しみがあります。
また、主のご臨在はいつも彼らを救ってくださいます。それは主からの一方的な愛と憐れみのゆえです。主は昔から彼らを背負い、担ってくださっています。私たちも同様にです。
しかし、彼らは逆らって聖霊様を悲しませてしまいました。それで、主は彼らの敵となられ、彼らと戦われました。神に対しては、絶対に勝ち目がありません。イエス様もこのように言われています。「また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」(マタイ12:32)聖霊様を悲しませないようにしましょう。

・主の御霊が彼らをいこわせた:11-14節
上のことばを聞き、残された民が祈りを捧げます。ここから64章まで続くみことばです。
終わりの日、苦しみと迫害の中で主に立ち返ろうとするイスラエルの残された民は、イスラエルに起こった事を思い出します。そして、「あのときの力強い御霊の働きはいったいどこにいってしまったのか」と主に問うています。

・どうかお帰り下さい:15-19節
彼らは主が天におられることを知っています。この神を父を呼んでいます。旧約聖書の時代において、神を父などと決して呼べるような存在ではありませんでした。イザヤは新約の終わりの時代を見ています。しかし、今はイエス様の十字架の死と葬りと復活のゆえに、私たちは神の子とされ、神に向かい「アバ、父」と言うことができます。
17節から、彼らは今の現状を訴えています。多くの主の民が主を恐れていないという状況です。さらに、敵が聖所を踏み荒らしています。まるで神を知らない民のようになってしまっていることを嘆いています。それで、「主よ、お帰りください」と祈っています。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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