シャローム!
今日でイザヤ書の通読が終わります。みなさんはイザヤ書からどのような感動を受け取ったでしょうか。イザヤが見た幻はイザヤの時代、そしてイエス様の時代、それから終わりの時代を見たものです。
また、イエス様の十字架の前でありながら、まるで目の前でイエス様の十字架を見たかのような幻もありました。
そのすべては絵空事ではなく、すべて時が来たら成就します。主のみことばを今日も愛し、主からの心を受け取って行きましょう。
今日の通読箇所:イザヤ書 64章〜66章
■アウトライン
●残された者たちの祈り:64章(ヨハネの手紙 第三)
・あなたは迎えてくださいます:1-7節
・あなたは私たちの父です:8-12節
●新天新地:65章(ユダの手紙)
・反逆の民:1-7節
・主の喜ばれない事を選んだ:8-12節
・先の苦難は忘れられる:13-16節
・新しい天と新しい地:17-25節
●御国のよろこびとさばき:66章(黙示録)
・主が目を留める者:1-2節
・自分勝手な道を選ぶ:3-4節
・主のことばにおののく者たち:5節
・陣痛と同時に生まれたシオン:6-9節
・エルサレムと共に喜べ:10-11節
・母に慰められる者のように:12-14節
・火をもってさばく主:15-16節
・汚れた者を食べる者は滅ぼされる:17節
・集められる諸国の民:18-21節
・すべての人が主の前に礼拝に来る:22-23節
・そむいた者たちのしかばね:24節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【64章】残された者たちの祈り(ヨハネの手紙 第三)
・あなたは迎えてくださいます:1-7節
主が天から降りてこられる幻です。主が降りてこられるとき、どのようなことが起こるでしょうか。山々が揺れ動きます。火が燃え、民は震えます。ただ事ではありません。そのように誰の目にも明らかにわかるように、主は来て下さいます。
5節からを見ると、残された者が罪の告白をしています。エドムのボツラの山に逃げた残された者は主に立ち返ることを願っていますが、それ以外の民は主に心を向けようとしていません。それで、残された者は取りなして祈ります。
その内容は、自分たちがいくら良い行いをしても汚れていると言うことです。不潔な着物とは、女性の月の物で汚された布のことです。これはレビ記によると汚れていると書かれています。
もう一つは、主の御名を呼ぶ者がいないと言うことです。主は私たちが呼ぶと答えてくださるお方です。問題は私たちが主を呼ぼうとしないこと、祈ろうとしないことにあります。
・あなたは私たちの父です:8-12節
ここで彼らは大胆な宣言をします。前にも出てきましたが、神を父と呼んでいます。親密な関係です。そして、もう一つは陶器師と呼んでいます。父は子を決して捨てません。陶器師は自分の作品をぞんざいには扱いません。それ以上に、主は私たちの事を大切にして下さいます。
主はシオンを慰めると約束して下さっていますが、現状はエルサレムは敵に攻め取られています。荒らす忌むべき者が聖なる所に立っています。しかし、そうして後、救い主が来られます。
【65章】:65章(ユダの手紙)
・反逆の民:1-7節
残された者たちの祈りによって、主はご自身が呼び求めなかった者たちを見つけられました。これは誰を指して言っているのでしょうか。おそらく、異邦人でしょう。イスラエルの神を、異邦人が呼び求めています。これは遠巻きにキリストの到来を預言します。イエス様によって、私たちは恵みによって救われ、イスラエルの神を「アバ父」と呼べるようになりました。
主はあきらめず「わたしはここだ、わたしはここだ」と呼び続けてくださっていることを感謝します。
しかし、主はイスラエルの民も見捨てられてはおられません。主は逆らい、頑な者に一日中手を差し伸ばしてくださっています。ところが彼らはなお、主の忌み嫌われることを行います。主はこの罪に対しては決して妥協されません。
主の選ばれた民だから、何もしないで自動的に救われるわけではありません。主の愛を受け、それでも悔い改めない者に主は報われます。
・主の喜ばれない事を選んだ:8-12節
主はうわべではなく、心を見られます。ぶどうの房の中に甘い汁があればそれを捨てないように、主はいつも私たちの中に可能性があることをご覧になっておられます。同じように、私たちも隣人の中にキリストにある可能性を見いだしていきましょう。
9節から、主が再び戻ってこられるとき、イスラエルの山々を回復されます。低地から山地、全領域にわたっての回復があります。
11節からを見ます。ここにガドとあります。気になって調べてみると、これはガド族のガドではなく、幸せの神と言われる、いわゆる福の神のような異教の神だそうです。主に聞き従わない者にはほろびがあります。
・先の苦難は忘れられる:13-16節
この箇所で選別があります。イエス様が天の御国を地引き網にたとえられ、そこで選ばれる魚と捨てられる魚があったような選別があります。主がこれほどまでに愛を示し、何度もメッセージを送っていたにもかかわらず、それに従わない者の最後はさばきがあります。
16節を見ると、天と地がつながっていることがわかります。イエス様はマタイ24章で地でつなぐものは天でもつながれ、地で解くものは天でも解かれると言われています。
この地で私たちが祝福されるのはまことの神による好意です。イエス・キリストを心で信じ、口で告白するなら救われます。そのような主の弟子は、苦難を受けてもそれを忘れるほどの豊かな報いを主から受けます。
・新しい天と新しい地:17-25節
彼らの報いは何でしょうか。新しい天と新しい地です。主はこれを創造して下さいます。天地創造と同じことばが使われています。何もない茫漠から新しい天と新しい地を創造して下さいます。新しいエルサレムです。
この光景を見るなら、今までのすべての苦労は報われます。「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4)
20節からは、千年王国の幻です。悪魔が底知れぬ所につながれ、そこでキリストにある者が千年の間、この地を治めます。そして千年の終わりに再び悪魔が解き放たれ、最後に主が悪魔を火と硫黄の燃える池に投げ込まれます。その後、新しい天と新しい地がやってきます。イザヤはこの時、この幻を前後して同時に見ていました。それを使徒ヨハネは啓示を受け、時系列に並べ直しました。それが黙示録です。
千年王国では寿命が今よりも延びますが、死は存在します。一方、新天新地では死はありません。このふたつは明確に区別されています。
おそらく、千年王国で生まれた新しいいのちもあるでしょう。彼らにも福音が伝えられます。ところが、中には福音に従わない者もいるかもしれません。信仰を持ってここに入れられた者の中でも、信仰を失う者もいるかもしれません。
千年王国は、この地上よりもはるかに素晴らしい所ですが、そこでもなお、主への忠実さが問われます。
25節からは、神の国の光景がわかります。狼と小羊が共に草をはんでいます。ライオンも草食になっています。弱肉強食ではなく、共生の世界になります。エデンの回復です。すべての被造物にシャローム(平和)があります。
【66章】:66章(黙示録)
・主が目を留める者:1-2節
イザヤ書の最後の章です。主は、人が主のために建てる家、また、安息の場はどこにあるのかと問われます。教会も同じです。建物が教会なのではありません。主に召され、主を愛する者が集まる場所、そこが教会(エクレシア)です。
主は、主の家と安息は主が目を留められる人、すなわち貧しい者、霊の砕かれた者、しゅのことばにおののく者にあると言われます。
・自分勝手な道を選ぶ:3-4節
ここを読んで、私たちは真剣に今の状況を考え直さなければならないかもしれません。神への礼拝が偶像礼拝と同じようになっています。牛や羊をほふるのは聖い行動に思えます。それらが忌むべき好意になっていることが書かれています。
人に見られることを意識する礼拝は宗教です。私たちは神に見られていることを感謝して礼拝します。
もし、自分が見栄や自分の事ばかりを考えながら礼拝しているのであれば、ここに書かれている人と同等かもしれません。
・主のことばにおののく者たち:5節
一方、主のみことばを恐れ、心から主を礼拝する人は迫害される事が書かれています。イエス様の時代も、律法学者、パリサイ人は熱心に神の戒めを守っているように思われましたが、実際は本当の神の子を迫害し、殺しました。また、弟子たちに対しても迫害しました。
しかし、パウロのような器もいます。最初は弟子たちを迫害していましたが、主の導きで迫害される者になりました。
・陣痛と同時に生まれたシオン:6-9節
主は終わりの時代、敵に報復して後にエルサレムのオリーブ山に立たれます。その時、オリーブ山は南北に分断されます。エルサレム周辺が低くなり、エルサレムが高くなります。
これは陣痛が起こってすぐに子を産むというほど、速やかに起こります。
実際、イスラエルは1948年に突如として国家として誕生しました。そのように、終わりの時代の預言も成就していきます。
・エルサレムと共に喜べ:10-11節
回復したエルサレムが、乳飲み子を抱いて乳を与える母の喜びに例えられています。この「乳房」とは「シャダイ」ということばと関係があります。主はエル・シャダイ、すなわち全能の神です。母が子を抱き乳を与える姿と全能の神を重ねています。ここから信頼を学ぶことができます。
・母に慰められる者のように:12-14節
エルサレムを愛し、涙を流してきた者に特権が与えられています。主が戻ってこられることを信じているでしょうか。主が再び来て下さることに喜びと希望を見いだしているでしょうか。そのような事を分かち合うとき、もしかしたら非難されることもあるかもしれません。
この希望を持つ故の葛藤もあることでしょう。しかし、すべてはこの預言の成就によって報われます。
川のような繁栄が流れます。エデンにも園を潤す川が流れており、黙示録で回復されたエデンにもいのちの水の川が流れています。地上にいる私たちにも、今、聖霊様によってこのいのちの水が注がれていることを感謝します。
・火をもってさばく主:15-16節
主に従う者と背く者へのコントラストがあります。イエス様は最初は救い主として来て下さいました。しかし、再び来られるときにはさばき主として、火をもって来られます。そして、その剣、すなわちみことばによって正しいさばきをされます。
・汚れた者を食べる者は滅ぼされる:17節
さきほど、イスラエルの民の中でも汚れた礼拝をしていた者がいましたが、彼らも同じようにさばかれてしまいます。
・集められる諸国の民:18-21節
主ご自身が諸国から人々を呼び集められます。これが主のご計画です。集められた者は主のしるしが付けられています。その者が宣教に出て行きます。
聖霊様が注がれ、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして地の果てまで福音が伝えられたように、最後にもう一度全世界に福音が伝えられ、大リバイバルが起こります。
諸国がイスラエルの民がイスラエルに戻って来ることを助けます。そして、その中から祭司やレビ人を選ばれます。千年王国での祭司の働きは罪の贖いではなく、主を覚え、礼拝をささげるためです。
・すべての人が主の前に礼拝に来る:22-23節
ここも新天新地と千年王国のことが書かれています。22節が新天新地、23節が千年王国です。ここですべての肉なる者が主の御前に来て礼拝しています。
・そむいた者たちのしかばね:24節
主は愛に満ち、赦しに富んだお方です。しかし、一方でとても厳しいお方です。御国に入るか入れないかを、主ははっきりとわけられます。黙示録22:11には「不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」とあります。このどちらかに属します。この時が来る前に、今日という日に主を選択して、とこしえまで主の道を選び取って行きましょう。
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(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
神様は私たちの父です。感謝します。
主をいつも選べるように祈ります。