シャローム!
今日からエレミヤ書に入ります。エレミヤ書はユダの国が滅んでいく様子が預言されています。エレミヤの特長は、ことばによる預言と共に、預言的な行動を伴っていることです。その多くが嘆きに関わります。
この時代はヨシヤ王の第十三年(B.C.640年)からエルサレムの捕囚のB.C.586年にかけてですが、その後の事も書かれています。おおまかに言えば、イザヤ書の約100年後の事です。
エレミヤは祭司の子です。他の預言書と違い、エレミヤは自分のことを多く記しました。その大半は嘆き、悲しみ、迫害です。ですから、エレミヤ書はイエス様の悲しみの側面を知ることができる書簡です。
イエス様も悲しまれ、時には涙をも流されました。そのような悲しみの書を共に見ていきましょう。
今日の通読箇所:エレミヤ書 1章〜3章
■アウトライン
●預言者の働き:1章
・エレミヤへの召命:1-10節
・何を見ているのか:11-19節
●主の民の背信:2章
・エルサレムの若かった頃:1-3節
・恵みに対するそむき:4-9節
・栄光を無益なものに取り替えた:10-13節
・あなたの背信があなたを責める:14-19節
・私は他国の男たちが好きです:20-25節
・イスラエルの家もはずかしめられる:26-28節
・簡単に自分の道を変える:29-37節
●悔い改め:3章
・淫行と悪行で地を汚す:1-5節
・背信の女イスラエル:6-13節
・ユダとイスラエルの帰還:14-18節
・あなたがたは私を裏切った:19-20節
・わたしがあなたの背信をいやそう:21-22節
・主の御声に聞き従わなかったからです:23-25節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】預言者の働き
・エレミヤへの召命:1-10節
エレミヤの少し前にいたイザヤの時代から、強国はアッシリヤからバビロンに移っています。
バビロンはものすごい勢いで勢力を拡大させていきますが、それを畏れたのがエジプトです。エジプトは北上してアッシリアを助け、バビロンに対抗しようとしますが、その時エジプト軍の動きを阻止したのがヨシヤ王です。
その後、ユダはエジプトの支配下に入り、続いてバビロンの支配下に入ります。そして、第一次のバビロン捕囚でダニエルや三人の友人らが捕らえ移されます。続いて第二バビロン捕囚ではエホヤキン王や王族、祭司らが捕らえ移されます。この時にエゼキエルもバビロンに捕らえられ、バビロンの地からこの預言をしています。
その後、ゼデキヤがバビロンに歯向かい、それがきっかけでバビロンはエルサレムの町と神殿を破壊してしまいます。そして起こったのが第三次のバビロン捕囚です。
バビロン捕囚の特長として、エリートや上流階級が中心に連れて行かれ、それ以外の民は残されていたと言うことです。
4節からはエレミヤが召命を受けています。主の働きをするのは自分からするのではなく、まず主の召命が必要です。主が私たちを呼んでくださるので、私たちは主の働きができます。
エレミヤは召命を受けたとき、「私は若くてどう語っていいかわかりません」と言います。それに対して主は「まだ若いと言うな」とあります。主に呼ばれるなら年齢は関係ありません。サムエルは少年の時に主に呼ばれました。モーセは80歳になって主に呼ばれました。いつ呼ばれるかわかりません。それにすぐ答える事のできる従順な心を主からいただきましょう。
そして9-10節は、エレミヤのテーマを語っています。主は新しく建てあげるために壊されます。デザインの世界でも「スクラッチ&ビルド」という考えがあり、一度作ったものをわざとバラバラにして、もう一度組み直すという手法があります。そうするとき、よりよい物が仕上がるときがあります。主に滅ぼされるのは主の大きなご計画と目的があります。その主の心を知ったとき、絶望から希望に移されます。
・何を見ているのか:11-19節
主はエレミヤに二つのものを見せられます。一つ目はアーモンドです。みなさんはアーモンドを食べたことがあると思いますが、花を見たことがあるでしょうか。想像できないかもしれませんが、アーモンドの花は桜そっくりです。日本人でもぱっと見、見分けがつかないほどです。その枝を見つめている様子が書かれています。
アーモンドは目覚めを意味することばです。エルサレムが滅びていく現実を見ても、目覚めのアーモンドを見ています。主はみことばを実現しようと見張っておられます。
また、もう一つは煮えたっているかまを見ました。これは来たから責めてくるバビロンです。彼らの主権が取りのけられてしまいますが、その理由は主を捨てて他の神を拝んだからです。主はなんとかして偶像を取りのけたいと願います。
17節からは、エレミヤを遣わされています。腰に帯を締め、立ち上がって主のことばを語ります。預言者の働きです。
【2章】主の民の背信
・エルサレムの若かった頃:1-3節
エレミヤはアナトテの地からエルサレムに行き、人がいる所で語ります。その内容は荒野での生活です。「種も蒔かれていない」とは、何もないことです。しかし、そこには若かったころの誠実、婚約時代の愛がありました。彼らは何も無い中で主だけを頼りにしていました。
荒野でもマナやうずら、そして湧き出る水を経験しました。主はそのころの従順を覚えておられます。
・恵みに対するそむき:4-9節
主はイスラエルを愛しておられました。しかし、イスラエルは一方的に主を拒みました。婚約時代の誠実を失い、偶像を拝んでいる事に対して叫んでいます。
その時の彼らの一番の問題は、「主を尋ねなかった」ことです。主に信頼しなかったと言うことです。どうしてそうなってしまったのでしょうか。その理由は、約束の地に入り、自分の生活に満足したからです。主を求める理由がなくなりました。この世の物で満ち足りると言うことは、実は恐ろしいことです。
・栄光を無益なものに取り替えた:10-13節
キティムは地中海のキプロス島、ケダルはアラビヤの北部の人です。彼らは独自の神を持っていました。多くの国も持っています。そして、それぞれの国は簡単に神を取り替えたりしませんが、なぜイスラエルは簡単に神を取り替えてしまうのかと言っています。
多くの異教の神を信じる者はいのちをかけて信じている人もいます。私たちはどうでしょうか。キリストのために自分のいのちをもささげているでしょうか。それは厳しいチャレンジでしょうか?主ご自身が「いのちを救おうと思うものはそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(マタイ16:25)と言われています。
中途半端な献身の時代は終わったのではないかと思います。これからは、益々そのことが問われます。主は「それでも、わたしに従うのか」と問いかけられるでしょう。「主よ、もちろんです」とすぐに答えられる信仰を受け取りましょう。
この時のイスラエルの民は、湧き水である主を捨て、こわれた水溜を自分のものとしてしまいました。
・あなたの背信があなたを責める:14-19節
イスラエルが力に頼ることがいかにいかにむなしいかを語っています。ユダは自分たちの危機を感じてエジプトに助けを求めました。多くの王たちがピンチの時にその時の強国に頼ろうとしました。先祖たちの過ちを繰り返しています。彼らには出エジプトさせてくださった万軍の主がおられました。ところが、彼らは再びエジプトの頼っています。また、奴隷生活に自らが戻ろうとしています。
主に信頼し続けることは難しい事が多いです。人に頼るのは簡単でしょう。しかし、できることならその難しい方を選び続けたいものです。それが十字架の道であり、喜びのみちのりです。
・私は他国の男たちが好きです:20-25節
ユダの人々は高ぶっていました。「自分は大丈夫。北イスラエルのような失敗はしない」と思っていました。
また、「昔からの自分のくびきを砕き、自分のなわめを断ち切った」とあります。彼らが信じていた律法を意味します。そこから解放され、自由にされたと思っていました。同時に、自分たちは逃げているわけではないと思っていました。
しかし、そのことが間違っていたことが、実として証明されてしまいます。
エルサレムの住民は巧妙な事を言います。「私は汚れていない。バアルたちには従わなかった」と言っています。確かに、この事は本当です。彼らは神殿での礼拝は続けており、バアルの宮には言っていませんでした。しかし、その実、彼らはヒノムの谷で忌まわしい偶像礼拝と性的に乱らな事を行っていました。これは巧みな欺きです。自分を欺き、神を欺いています。
・イスラエルの家もはずかしめられる:26-28節
主に対する隠し事は必ず明らかにされます。王たち、首長たち、祭司たち、預言者たち、つまり指導者がそうしています。偶像を神としています。主を求めない生き方をしていますが、いざ、自分が困ったときは主に助けを求めます。ご都合主義、御利益主義の自分勝手な信仰です。そのような状態では主は祈りを聞いてくださいません。夫がいながら、別の男に走ってしまう女性のような状態です。そのような関係を夫は悲しみます。主への信仰は言い換えるなら主との生きた関係です。主を愛し、主に愛される関係の中で、祈りが聞かれていきます。
・簡単に自分の道を変える:29-37節
主は人を打たれます。懲らしめられます。それは私たちを愛しているからです。ヘブル12:8には「もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。」とあります。
主は懲らしめを通してでも、私たちの目を主に向けさせてくださいます。その神からの懲らしめを告げたのが預言者でしたが、人々は気に入らないので預言者を迫害し、時には殺してしまいました。神に背いている人々にとっては冷たい真実だったのでしょう。
主のことばは一見辛く聞こえます。自分を暗黒の世界へと導くように感じます。しかし、その本質は自分を美しく飾る飾り物のようです。私たちを窮屈にするのではなく、むしろ自由にするものです。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)
しかし、人は自分の闇を隠すことに長けています。小さな嘘をつくと、その嘘に嘘を重ねて、巧妙に狡猾になります。それで自分は救われたと思っています。「私には罪がない。確かに、御怒りは私から去った」と言います。しかし、罪を悟らせてくださるのが聖霊様の働きです。自分に罪がないと思ったときは、とても危険なときであることを知らなければなりません。悔い改めは一生続きます。
【3章】帰ってくるイスラエル
・淫行と悪行で地を汚す:1-5節
ここに書かれていることは申命記に書かれている律法です。この律法によると、女性が男と結婚すれば、再婚はできません。ところが、ユダは霊的に見ると遊女のようにヤハウェなる神以外の神を求めています。
彼らは自分たちが悔い改めること無く、主に「辛いです」と訴えています。自分のやりたいことはちゃっかり行い、都合が悪くなると主に頼ります。主と愛の関係ではなく、取引をする関係を持っています。
・背信の女イスラエル:6-13節
背信の女とは北イスラエルのことです。ヤロブアムが始めた金の子牛の礼拝から、ずっと偶像礼拝が続きます。「離婚状を渡してこれを追い出した」とありますが、これはアッシリヤ捕囚のことです。それはまるで主からの離婚状のようです。
残されたユダはどうしたかというとなんと偶像礼拝に走ってしまいました。ところが北イスラエルと違う点は、ユダの人々はヤハウェの神を礼拝しながら偶像礼拝をしていました。それで「裏切りの女」と呼ばれています。見える所は敬虔であっても、その実は神を否定する者、律法学者やパリサイ人のようです。
北イスラエルは、見た目も実際も悪い行いをしています。ユダは正しいように見せかけて悪いことを行っています。主は心を見られます。主は背信の女、イスラエルの方が正しいと言われます。なぜかというと、彼らの方が自分を悪いと認めているからです。自分の罪深さを知った者が、真の神の恵みを体験できます。
主は「帰れ」と言われます。自分から主を離れたから、主は「帰れ」と言ってくださっています。私たちにも主はいつも「帰れ」と言ってくださっていますが、それを受け入れないのは私たちの方です。イエス様の十字架のゆえに、私たちは大胆に神の御座に行くことができます。いつでも主に立ち返ることができます。
・ユダとイスラエルの帰還:14-18節
イエス様は「わたしは罪人を招くために来た」と言われています。主は善行を行ったからではなく、お金を出したからではなく、自らの罪を認め、イエスを心で信じ口で告白した者に救いを無償で与えてくださるお方です。主はどうしようもないこの私を救ってくださいました。受けるに値しない者が神から受ける一方的な好意が恵みです。主の救いは悔い改めるすべての人に開かれています。
16節には「その日」が出てきます。終わりの日のことです。その時は契約の箱はありません。主ご自身がそこにおられます。主に従う者はそこに集められ、永遠にそこで過ごします。
・あなたがたは私を裏切った:19-20節
主はこのようにイスラエルに対して呼び掛けてくださっています。しかし、イスラエルは妻が夫を裏切るように主を裏切っています。
・わたしがあなたの背信をいやそう:21-22節
イスラエルの子らの哀願の泣き声が聞こえます。自分たちの罪を悟り、泣いて悔い改めています。そして、なんと主ご自身が「背信をいやそう」と言ってくださっています。主は裏切られた被害者ですが、そのお方が自ら赦し、いやしてくださると言って加害者に近づいています。信じられないような恵みです。
・主の御声に聞き従わなかったからです:23-25節
彼らは山で、丘で騒いだことは偽りだと言っています。バアルに対して行ったことは間違いだったと認めています。
そして、「私たちも先祖たちも、私たちの若い頃から今日まで罪を犯して、私たちの神、主の御声に聞き従わなかったからです。」と言っています。自分の罪だけでなく、先祖からの咎も悔い改めています。私たちもみことばによってこのような悔い改めに導かれたいものです。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
恵み深い主に感謝します。
いつでも主に従う信仰が与えられるように祈ります。