聖書通読クラブ Day 221

聖書通読クラブ Day 221【イザヤ書 55章〜57章】

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シャローム!

今日は安息日に関することが出てきます。安息とは何でしょうか。その起源は、創世記にある天地創造にあります。主は6日かけてすべてを創造され、7日目に安息されました。
これだけを見ると、疲れて休まれたように思うかもしれません。しかしそれは私たちの目線です。はっきりしておきたいことは、安息と休息は違うと言うことです。安息は一言で言うなら礼拝です。のんびり休むことが安息ではありません。なぜなら、礼拝は受けるものではなく、捧げるものだからです。
安息の主に、今日もみことばを教えていただきましょう。

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今日の通読箇所:イザヤ書 55章〜57章

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■アウトライン

●主のご計画の高さ:55章(テモテへの手紙 第二)
  ・聞けば生きる:1-5節
  ・主の道は人の道より高い:6-13節

●安息日:56章(テトスへの手紙)
  ・安息日を堅く保つ人の子:1-3節
  ・祈りの家で楽しませる:4-11節
  ・明日も今日と同じだろう:9-12節

●主が共に住む者:57章(ピレモンへの手紙)
  ・主の聖なる山を所有する:1-13節
  ・道を整えよ:14節
  ・へりくだった人と共に住む:15-19節
  ・悪者は荒れ狂う海:20-21節

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(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【55章】主のご計画の高さ(テモテへの手紙 第二)

・聞けば生きる:1-5節
渇き、空腹はつらいものです。ここでは、肉的な渇きや空腹ではなく、霊的な事を語っています。イエス様は黙示録22:17でこのように言われました。「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、それをただで受けなさい。」と言われています。サマリヤの女にも渇きをきっかけに話をされ、彼女を初め、町全体に福音を伝えられました。
人は永遠のいのちを得たいと沢山のお金を払います。しかし、それらは余り意味がありません。最も良い道は主によく聞き従う事です。
良いものを食べよとあります。霊的な食事はみことばです。これを毎日食べ続ける、つまり、通読を続けていきましょう。
3節で、主はもう一度語られます。主に聞く者は生きます。主はダビデと結んだ永遠の契約をもう一度思い起こされます。この契約を覚えていて、決して破棄したりはしないということを言われます。
それに加え、異邦人も救いに加えられます。「あなたの知らない国民があなたのところに走ってくる」とあります。
主ははじめにイスラエルの民を選ばれましたが、イエス様によって救いは全世界へと広がっていきました。そして、今、私たちの所に福音が届き、それは次の世代へと受け継がれていきます。

・主の道は人の道より高い:6-13節
このみことばを読んだとき、心に迫りがありました。日本のことわざでも「いつまでも、あると思うな親と金」というものがあります。親は居ることが当たり前、いつまでも生きているように感じますが、そうではありません。召された後に何かしたいと思っても恩返しはできません。私たちのいのちはいつ取られるかわかりませんので、今日という日にするべき事を行っていきたいものです。
また、主に対しても同じです。この地上でしかすることができない事があります。悔い改めと伝道です。主にお会いできる間に主を呼び求める必要があります。
主に帰ること、それが悔い改めです。そうするなら、主は赦してくださいます。今日、主の所に行きましょう。
8節からのみことばは、いつも私が心に刻んでいるみことばです。いつも自分の目には正しいと思うことがありますが、それよりも神様のご計画の方が正しいと、自分のたましいに言い聞かせ続けなければなりません。いつもみことばとの葛藤になるとき、「自分に死ぬことができたら楽だろうな」と思わされます。
聖書の中の物語でも、「どうして?」と思うことが沢山ありますが、答えは主がいつも正しいと言うことです。私たちははじめから聖書のすべてを完全に理解することができないからです。もし、完全に理解できたら、私たちは神となってしまいます。
10節からは、自然現象を通して、主のみことばを説明しています。雨や雪は天から地に降りてきます。地から天へは向かわないことは、誰でも知っています。雨や雪は天から降り、地を潤し、川になり、海に流れ、蒸発して雲となりまた地に雨をもたらします。
同じように、神のことばもむなしく主の所に帰ることはありません。必ず、主のなさりたいことを達成、成就され、成功させてくださいます。
主のみことばが通った後は、一時的な破壊があるかもしれませんが、その後には回復があります。みことばによって地は回復し、エデンのようになります。

【56章】安息日:56章(テトスへの手紙)

・安息日を堅く保つ人の子:1-3節
主は「わたしの救いが来るのが近い」と言われました。そのことをただ、黙って待っていれば良いのでしょうか。そうではありません。主の救いが近づくなら、益々聖められることを求めます。ローマ13:11-14にはこのように書かれています。「さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき自国が、もう来ているのです。私たちが信じたときよりも、今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。夜は深まり、昼は近づいていきました。ですから私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を身につけようではありませんか。遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。
では、義を行うとは何でしょうか。それは安息日を守ることです。バビロン捕囚されたのも、実に安息日を守っていなかったからです。
安息日はストップすると言う意味があります。普段の生きていくための仕事をストップして、何をするかというと主を見上げて礼拝します。それが安息日です。

・祈りの家で楽しませる:4-11節
主の安息日を守る宦官が出てきます。宦官とは生殖機能を取り去った王宮に使える者です。一つまでは「枯れ木だ」と言って、自分に子が産めないことを嘆いていましたが、主はそれ以上の祝福を用意してくださっています。
息子、娘にまさる記念の名を下さいます。そして、絶えることのない名を下さると書かれています。主のためにささげたのであれば、必ず報いがあります。
さらに、安息日を守るなら、主はさらなる喜びを下さいます。それが祈りの家で楽しませると言うことです。みなさんは祈りが楽しいという敬虔をしたことがあるでしょうか?祈りの家で祈りを捧げたことがあるでしょうか。新約聖書では、教会が祈りの家として書かれています。祈りはこの世の何にも勝る楽しさがあります。
ここで、少し考えてみてください。みなさんは祈りたいですか?祈りたくないですか?もちろん、祈りたいと思います。それでは、どうして祈らないのですか?実は、私たちは祈らないのではなく「祈れない」のです。祈りを妨げる力が働きます。なぜなら、聖徒が目を覚まし、祈るなら主が御手を動かされ、サタンは自分たちが滅ぼされることを知っているからです。
ですから、私たちは祈りの霊を求める必要があります。祈るために祈るのです。そうするなら、主は祈りの本当の楽しみ方を教えてくださいます。
主がその様に、祈りに召されている者を次々と集めてくださいますように。

・明日も今日と同じだろう:9-12節
イザヤの時代、指導者の中には不正や腐敗がはびこっていました。そのことをたとえて書かれています。獣が羊たちを襲ってこようとしていますが、羊飼いが貪欲な犬のように自分の欲に仕えていることを糾弾しています。
2テモテ3:1-2には「終わりの日には困難な時代がやってくることを良く承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり」とあります。みことばが心に迫るなら、主の御前で、また祈りの家で悔い改めましょう。

【57章】主が共に住む者(ピレモンへの手紙)

・主の聖なる山を所有する:1-13節
義人のむなしさが書かれています。主の前に正しく歩んでも、人々からは忘れられてしまいます。しかし、ここに希望があります。義人は、わざわいを前にして取り去られるとあります。終わりの時代の軽挙が啓示されています。しかし、イエス様に従わない者はそれに何の気もw止めないことが書かれています。
イスラエルの民は約束の地に入る前に、偶像礼拝に警戒するよう何度も言われていましたが、結局、土着の偶像を礼拝してしまいます。その前で性的なことをしていました。そのときに与えられた子どもは望まれない妊娠によって与えられた子で、その子をいけにえとしてささげます。なんというおぞましいことでしょうか。
主が黙っているように思えたので、人々は自分勝手なことをしていました。しかし、いざ困ったとき、偶像は彼らを助けてくれるでしょうか。否。偶像は何もできません。
しかし、主に身を寄せる者は、血を受け継ぎます。祈りの家のある主の聖なる山も所有することができます。

・道を整えよ:14節
シオンへの大路を整えよと言われています。世界中にちらばったユダヤ人がエルサレムに帰ってくる道です。これは霊的な道でもあります。そのために何をするべきでしょうか。道からつまずきを取り除く、つまり、偶像を取り除くことです。
私たちが悔い改めることが主の道を備える事であります。今日、必要な悔い改めを主の御前でささげましょう。

・へりくだった人と共に住む:15-19節
主はエデンの園を、人と共に住む場所として創造されました。しかし、人が罪を犯したのでそこから出て行かなければなりませんでした。その時から主はあらゆる方法で人と共に住むことをご計画されています。ここで、主は人とともに住むことが書かれています。どのような人が主とともに住むことができるのでしょうか。それはへりくだった人です。では、へりくだりとは何でしょうか。主のみことばに従う者がへりくだる者です。主はへりくだった人たちの霊を生かしてくださいます。砕かれた人たちの心を生かしてくださいます。

・悪者は荒れ狂う海:20-21節
ここで結論づけているのは、悪者には平安がないと言うことです。ということは、どういうことが言えるでしょうか。私たちの心に平安がないなら、私たちはまだ悪者の性質があると言うことです。つまり、まだ悔い改めなければならないことがあると言うことです。
悪者は主のみことばに従おうとしない性質を持っている者です。みことばを毎日いただいているだけでは、私たちは悪者から脱することができません。みことばを実行することです。聖霊様の助けによってみことばを悟ることです。そのために必要なのはみことばの土台と祈りの生活です。イエス様が来られるときまで、みことばと祈りを続けていきましょう。

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(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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