シャローム!
今日はイザヤ書のハイライトとも言える、53章を読んでいきます。1章をすべて使ってイエス様をこれほど色濃く預言した箇所はないほどです。これはイエス様がお生まれになる約700年前に預言されたものです。あまりにもこの53章がイエス様を啓示しているので、ある正統派のユダヤ人はイザヤ53を飛ばして読むそうです。逆にとてもイエス様を意識しているように思えますが…。また、イエス様を信じたユダヤ人たちが献金を集め、ある日の新聞の一面の広告に「Isaiah 53」とだけ書かれたシンプルでかっこいい新聞広告を出したそうです。イエス様も、また、初代教会の弟子たちも、旧約聖書の中から救い主を語りました。そのために、この箇所は最も適している箇所ではないかと思います。
字数の制限もあるので、あまり詳しく書くことができませんが、ぜひ何度も朗読し、イエス様を味わってみて下さい。
今日の通読箇所:イザヤ書 52章〜54章
■アウトライン
●出て行く:52章(テサロニケ人への手紙 第一)
・ここにわたしがいる:1-10節
・そこを出よ:11-12節
・わたしのしもべは栄える:13-15節
●イエス・キリストの十字架:53章(テサロニケ人への手紙 第二)
・私たちが慕うような見ばえもない:1-3節
・私たちの罪のために刺し通される:4-6節
・彼は富む者とともに葬られた:7-9節
・彼らの咎を彼が担う:10-12節
●主の変わらない愛:54章(テモテへの手紙 第一)
・不妊の女よ喜べ:1節
・天幕の場所を広げよ:2-6節
・しばらく御顔を隠される:7-8節
・ノアの日のよう:9-10節
・主のしもべたちの受け継ぐ分:11-17節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【52章】出て行く(テサロニケ人への手紙 第一)
・ここにわたしがいる:1-10節
三度目に「さめよ」と語られています。一つ前ではエルサレムが酔いしれて立ち上がれない様子が書かれています。しかし、ここではそのようなエルサレムに立ち上がりなさいと言われ、汚れを落とし、着替えて恵みの女王となることを勧めます。
イエス様の血潮によって贖われた者のいる所には、無かつて異の汚れたものは二度と入ってきません。
イスラエルの民はただでエジプトの、またアッシリア、バビロンの奴隷となりました。ですから、主は何の代価も支払うことなく、彼らを解放して下さると約束されています。
この箇所を見るとき、ローマ3:23-24を思い起こします。「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、値なしに義と認められるからです。」
エジプトのパロ、アッシリアのラブシャケもイスラエルの神を侮りました。しかし、主は「それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる」と言われています。
7節からは、主の再臨の時に完成する預言です。イエス様がこの地に来て下った時にこの事が始まり、再臨がゴールです。今はその道の途中です。
9節、主が戻ってこられる姿を見ます。喜びを抑えることができず、大声で叫んでいます。イスラエルだけでなく、すべての国々が主の恵みの恩恵にあずかっています。ただの力ある腕ではなく、主の聖なる御腕が動きます。この御腕が動かされるので救いが起こります。そして、地の果てまでも救いを見ることになります。
・そこを出よ:11-12節
出エジプトの時のように、バビロンのユダヤ人が解放されます。時が満ちました。ですから、そこから出て行くように主が促されています。そして、これは同時に主が再び戻ってこられたときの預言でもあります。そして、私たちもかつてこの地の罪というバビロンのような束縛の中にありましたが、イエス様によってそこから去り、御国へと導かれました。
ところが、ここは出エジプトと少し違った様子があります。出エジプトの時は急いで出て行く必要がありましたが、ここでは、慌てなくて良いと言っています。主がしんがりとなって下さいます。
・わたしのしもべは栄える:13-15節
主はしもべを栄えさせて下さいます。しかも、きわめて高くされると書かれています。イエス様は十字架で死なれました。そして、葬られました。しかし、三日目に死からよみがえられ、天にあげられました。そして、今は父の右の座に着いておられます。ピリピ2:9には「キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」とあります。
そのような栄光を受けられる前、イエス様はむち打たれ、殴られ、人の顔のようではなくなっていました。そして、血をふりまくとあります。イエス様が十字架につけられ、兵士が脇腹を刺すと、水と血がほとばしり出ました。この尊い御血潮によって、私たちは贖われました。
【53章】イエス・キリストの十字架(テサロニケ人への手紙 第二)
・私たちが慕うような見ばえもない:1-3節
みなさんは、イエス様はイケメンだったと思いますか?よく見る絵では、イエス様はとてもかっこよく描かれています。私もそうであって欲しいと願っています。しかし、みことばによると、そうでもなかったのではないかと思います。
2節には「私たちが慕うような見栄えもない」とあります。このことでがっかりされる方もおられるかもしれませんが、主はうわべを見られません。主は心を見られます。ダビデが選ばれるときもそのように言われました。
イエス様はどのように誕生されるでしょうか。若枝のように出てくるとあります。この若枝は以前にも述べた「ナザレ」と同じことばです。イエス様はナザレで成長されたので、ナザレのイエスと呼ばれます。
3節からは、どのような最期かが書かれています。十字架を思いながら、この箇所を読んでみましょう。
・私たちの罪のために刺し通される:4-6節
もし、自分の内に肉体的、精神的、霊的な病があるなら、この箇所の「私たち」の所に自分の名前を入れて、何度も告白してみましょう。もし、導かれるなら100回でも、主がいいよと言われるまで何度も告白してみましょう。
以前、徹夜の祈りで心の病を抱えた方が来られ、一晩中この箇所を朗読し、ひれ伏して祈ることをお勧めしました。その方の帰るときの顔は、来たときと別人のようになっていました。
このみことばの箇所には、十字架の目的が書かれています。イエス様は私たちの病を背負って下さいました。痛みを代わりに担って下さいました。その理由は、イエス様にはありませんでした。
5節を見ると、その理由は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたと書かれています。まさに、私たちの身代わりとなって下さいました。この打ち傷のゆえに、私たちは癒やされました。
・彼は富む者とともに葬られた:7-9節
イエス様は十字架にかかられましたが、その様子が、まるで目撃したように書かれています。あらゆる訴えがイエス様についてなされましたが、イエス様は口を開かれませんでした。イスラエルにおいて、訴えに対して無言であると言うことは、そのことを認めるということです。イエス様は何一つ訴えられることはしていませんでしたが、それに対して口を開かれませんでした。私たちが受ける懲らしめを受けられたのです。そして、「お前は神の子か」と聞かれたとき、一言だけ「私はそれです」と答えられました。神様の聖なる4つの御名をかたられました。このお方の口には欺きはありません。
・彼らの咎を彼が担う:10-12節
イエス様がこのように十字架で苦しまれることは、父のみこころでした。イエス様は自ら、その尊いいのちを差し出して下さいました。イエス様の味わわれた孤独、苦しみ、痛みはどれ程だったでしょうか。どうしてその苦しみを耐えることができたのでしょうか?イエス様が神の御子だからでしょうか。いえ。肉体においては、イエス様も私たちと同じでした。痛いものは痛いのです。しかし、それを忍び通されました。それは、その先にある栄光がどれほど偉大なものであるかをご存じだったからです。
私たちも苦しみの中にあるかもしれません。十字架の道のりを歩んでいるかもしれません。しかし、その先にある希望を見続けましょう。主が再び戻ってこられること、これが私たちの希望です。
【54章】主の変わらない愛(テモテへの手紙 第一)
・不妊の女よ喜べ:1節
当時のイスラエルで、子どもを産まない女性は幸せではないという考えがありました。しかし、この箇所はそのような不妊の女性に「喜べ」と言われています。どうして喜ぶのでしょうか。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある子どもよりも多いと書かれています。
夫に捨てられた女とはイスラエルのことです。イスラエルは捕囚によって民が少なくなりました。夫に捨てられたような状態になりました。しかし、今を見ると、彼らは国家を形成し、また世界中に散らされています。
・天幕の場所を広げよ:2-6節
それゆえに、主は天幕を広げよと言われます。住まいの幕を惜しみなく張り伸ばします。綱を長くします。そして、杭を強固にします。不妊の女が多くの子を産むので、住まいが広げられます。
終わりの日に、主はこのような回復をして下さいます。日本のクリスチャン人口も長年1%程度です。この数字をどう捕らえるでしょうか。1%しかいないと考えることもできますが、私はこの1%に選ばれたのだとも考えられます。また、残りの99%に福音を伝えることができるとも考えられます。日本の教会は長年不妊の女のようだったかもしれません。しかし、主の時が来たら、多くの子を産みだしていくと信じます。
・しばらく御顔を隠される:7-8節
イスラエルの民は、今に至るまで数々の苦難を通されています。神の怒りを受けて、捨てられたようになっている期間です。主はそれを「ほんのしばらくの間」と表現されています。その渦中にいるときはとても長い時間に感じますが、永遠とくらべるならそれもほんの一瞬です。
主は大きな憐れみをもって私たちを集めて下さいます。永遠の愛を持ってあわれんでくださいます。
・ノアの日のよう:9-10節
これはノアの日のようだと書かれています。イエス様も終わりの時代を語られるとき、ノアの事を話されました。その時、水によって大いなるさばきがなされましたが、その後、主はそのことを思い返され、悔やまれ、人を二度と滅ぼさないと言われました。そして、舟を下り、祭壇を築いたノアと新しい契約を結ばれました。その契約は無効にされることはありません。これが主の契約です。
たとえ山が移り、丘が動いても、主の真実の愛は私たちから決して動くことはなく、主の平和の契約は動くことはありません。
・主のしもべたちの受け継ぐ分:11-17節
苦しめられ、嵐にもてあそばれ、慰められなかったイスラエルは、豊かな宝石で飾られています。黙示録でも、新しいエルサレムは宝石で飾られています。
そして、主の義によって堅く立てられていきます。たとえ敵がやって来ても、目の前で倒れるようになります。
そして、義の賜物を受けます。そのような者はもう、恐れる必要がありません。主が共にいてくださるからです。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされたことを感謝します。