聖書通読クラブ Day 156

聖書通読クラブ Day 156【ヨブ記 37章~39章】

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シャローム!

みなさんは神様がどれほど偉大なお方であると思っていますか。今日はついに神様が現れてくださり、様々な事をヨブに語ってくださいます。ぜひ、みことばを直接朗読してみてください。そして、神様がどれ程偉大なお方かを思い巡らしてみましょう。
私たちが普段、神様をいかに小さく見ているかを思い知らされるのではないかと思います。この偉大なお方のことばを受け取りましょう。
そして今日もみことばから知恵そのものであられる聖霊様に教えていただきましょう。

今日の通読箇所:ヨブ記 37章~39章

■アウトライン

人の無力さ、神の偉大さ

●エリフのことば:37章
  ・力とさばきに優れた方:1-24節

●あらしの中から語られる主:38章
  ・わたしに示せ:1-7節
  ・境を定められる:8-15節
  ・果てを知っているのか:16-21節
  ・出所:22-30節
  ・天体と知恵:31-38節
  ・備えてくださるお方:39-41節

●動物たちを通して語られる主:39章
  ・牝鹿の子:1-4節
  ・野生のろば:5-8節
  ・野牛:9-12節
  ・だちょう:13-18節
  ・馬:19-25節
  ・たか:26-30節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【37章】エリフのことば:37章

・力とさばきに優れた方:1-24節
雷鳴は主の声として聖書に出てきます。しかし、神様は雷鳴だけで語られるのではありません。あらゆるものを通して私たちに語りかけてくださっています。問題は私たちが神の御声に気がつかないことです。静寂の中でも神様は語ってくださいます。しかし、あまりにも私たちが神の声を聞こうとしないとき、雷鳴のような大きな音で私たちに語られます。警告の声です。それは私たちを叱ったり、滅ぼしたりするためではありません。私たちを愛するが故に、永遠のいのちに導くためです。
6節からを見ると、エリフは冬の季節を語ります。冬であっても主は雨を降らせ、気温が低くなるとそれは雪に変わります。地にたまった水は気温が下がると氷になります。H2Oという成分でできた水という物質は100度を超えると沸騰し、0度を下回ると氷になります。また、蒸発して目に見えない水蒸気にもなります。このようなものを創造されたのも主です。水一つをとっても、主の偉大さを知ることができます。
神様は四季を通して様々な自然現象を創造されました。それは天地創造の時から今まで変わること無く、季節ごとに忠実に行われてきました。すべての被造物は季節ごとに主に従っています。被造物の中で唯一人間だけが神様に従いません。
自然現象を通して私たちは神様を思い起こします。また、自然現象の脅威を目の当たりにして神からの懲らしめを体験します。
14節からを見ると、エリフは稲妻を再び引用して「これに耳を傾けと」とヨブに語りかけます。音自体を聞けと言っているよりは、音の本質、その仕組みに思いをはせなさいと言っています。
私たちは見ること、聞くことにあまりにも無頓着になっています。何もしなくても見え、聞こえるからです。しかし、本当に見る、聞くというのは意外と難しいものです。受動的に見る、聞くとその情報は流れていってしまいます。本当に見る、聞くには能動的に集中して行わなければなりません。神様の御声を聞く耳と目が与えられることを願います。
17節からは今度は夏のことを語ります。カナン地方の南風は本当に厳しいものです。アラビアの砂漠で暖められた熱風が吹いてきます。

【38章】あらしの中から語られる主

・わたしに示せ:1-7節
ついに主が登場されます。主があらしの中からヨブに答えられます。自分勝手な答えをして神様の摂理を暗くする者は誰かと言われています。そして「勇士のように腰に帯を締めよ」と言われています。これはどういうことでしょうか?覚悟してこれからの話を聞きなさいと言う意味です。
神様が語れるときに二つの選択肢があります。恐れを成して逃げることと、自分のいのちを差し出す覚悟で神の御声を聞くと言うことです。本来であれば神様と出会うと死んでしまいます。それほど主は聖なるお方なのです。このお方の御声を聞くために私たちが殺されてしまうなら、まことのいのちが私たちを生かします。神の声を聞くために覚悟を決めていきましょう。
エリフは天や自然の現象から神様の偉大さを説明しました。しかし、さすが神様です。いきなり本質から語られます。「天地創造の時、あなたはどこにいたのか。」と。この質問に答えられますか?私はどこにいますか?それを指し示すことができますか?自分の鼻の辺りをさして自分と言っても、それは鼻です。胸を指さしてもそれは胸です。私たちは自分を指し示すことはできません。指し示すことができるのは肉だけです。まして、天地創造の時に自分がどこにいたかなど説明できませんが、神様はご存じです。

・境を定められる:8-15節
続いて神様は海に関して言及されます。神様は無限に水を湧き出させることがおできになりますが、ご計画を持って今の分量だけ海の水を湧き出させられました。湧き出る水を「ここまで」と止めることができるのは神様だけです。
地は最初水に包まれていました。人も生まれるときは水、羊水に囲まれています。神様は偉大なお方です。
その時、神様は雲を着物とされ、黒雲をむつき、すなわち「おむつ」とされたと語られています。神様は再び来られるときに雲に乗って来られます。
そして神様は海と陸をわけられ、境界を定められました。ついで「高ぶる波はここでとどまれ」と言われました。ここから、神様は海は高ぶりとして見ておられることがわかります。その波が陸地の奥深くまで入り込んでくることはありません。神様が境界を定めてくださっています。同じように、私たちはイエス様によって贖われ、境界線がもうけられました。ですから、無割礼の者は私たちの奥深くまでは入ってくることがないことを感謝します。
12節から、神様は実に素晴らしい形で悪が暴かれていく過程を描かれています。神様は「光があれ」と言われ、光を創造されました。この光で今まで見えなかったものが見えるようになりました。そのように、神様の光によって隠れていた罪があらわにされていきます。しかし、神のことばに従おうとしない悪者からはこの光が退けられていきます。暗やみを愛するのではなく、光の子らしい歩みをしていきましょう。

・果てを知っているのか:16-21節
続いて主は海について語られますが、今度はもっと海の深みについて語られます。人類は科学を発達させてついに宇宙空間にまで行くことができるようになりました。しかし、自分たちの住んでいる地球の海底はまだ到達できていない部分があります。その一点を取っても、人は神様に到底及ばない存在だと言うことがわかります。
海の深いところには何があるのでしょうか。そこにはなんと死の陰の門があります。黙示録19:13にはどのように書かれているでしょうか。「海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した」と書かれています。地の深いところには死の門があります。かつてモーセの時代、荒野でコラは地面が割れ、生きたままこの場所に連れて行かれました。
ヨブは何度も死を願いましたが、神様は「お前は本当にそこまで言ったことがあるのか」と問われました。この与えられたいのちを簡単に取り扱ってしまう人がいます。しかし、死の先に何があるのかを知るとき、私たちはこのいのちについてもっと深く考えるようになるでしょう。この地上だけでいのちは終わるのではありません。私たちのたましいは死んでも生きます。私たちのたましいは、どれくらいの寿命なのでしょうか。永遠という時間です。終わりのない時間です。その時間を地の深いところで過ごすか、天の御国で過ごすか、その選択は今、この地上にいのちがある間しか選ぶことはできません。
18節からは地の広さ、そして光について言及されています。光は本当に不思議なものです。赤と青と緑が混ざり合うと白い光になります。また、光だけが唯一波と粒状の両方を持ち合わせています。どのような暗やみでも小さな光で暗やみを照らすことができます。
神様が「光があれ」と言われたその瞬間に、この地上に光が誕生すると共に時間軸と空間軸が誕生しました。科学者はこれをビッグバンなどと言うかもしれませんが、聖書はシンプルです。神様がこれを成された。以上です。
光自体もまだ本当の意味では改名されていないのに、光の住む所に至る道なんてわかるはずがありません。まして、主をその国にまでお連れすることなど、決してできません。
自分の知識だけで神様のすべてを説明しようとするのは愚かな者です。神様を正確に表現するなら「わからない」としか言い様がありません。生まれたばかりの赤ちゃんが相対性理論を説明できるでしょうか。私たちと神様はそれ以上の隔たりがあります。

・出所:22-30節
天から降る雪、雹は倉があると書かれています。それは苦難の時、戦の時のために神様が押さえてくださっていると書かれています。
確かに、出エジプトの十の災い、ヨシュアが五人のカナン人を追いかけているときに天から雹が降りました。
神様は自然をも天候をも治めておられるお方です。戦術を巡らした完璧な戦い方を思いついたとしても、天候一つで戦略が崩れ、一気に戦局が変わることもあります。主は偉大なお方です。
24節から。私たちは自分の住んでいる場所には目を留めることができます。しかし、アメリカのアリゾナのフェニックスの片田舎にある雑草がどうなっているか、みなさんは知ることができるでしょうか。その雑草が生長し、種を生じるまで責任を持って見届けることができるでしょうか。
また、天気予報では自分の住んでいる地域だけ注目します。しかし、雨は私たちの頭上だけで降るわけではありません。誰も見ていないのに海のど真ん中でも雨は降っています。そのすべてに対して主は責任を持っておられ、見守っていてくださるのです。主は偉大なお方です。28-29節は、先ほども述べましたが水の不思議について主ご自身が語られています。みなさんは雪の結晶を見たことがあるでしょうか。様々な形をしている雪の結晶はまるで芸術品です。空から降って溶けてしまうはかない雪に対しても神様はこのように素晴らしい事を施してくださっています。これらを生んでいるのは一体誰かと問われています。

・天体と知恵:31-38節
続いて主は天体を語られます。この時代にすでにスバル座、オリオン座などがあったことがわかります。
天に浮かぶ星は恒星です。つまり、自らが発行する太陽のような天体が星です。太陽は地球の約110倍の大きさがあります。天の星々はこの地球の何万倍もの大きさのあるものも存在するそうです。
それなのに地球から見ると星は大体同じ大きさに見えます。それは地球からの距離が違うからです。しかし、主は地球から見てちょうど良い大きさ、場所に星を置いてくださいました。それを結びつけると星座ができます。
主はこの天体を規則正しく周回するように設計されました。そしてそれは今も神様のご計画に従って忠実に絶妙なバランスを持って宇宙を巡っています。神様は偉大なお方です。
ニュートンやケプラー、ガリレオなどの天文学者はみことばに触れ、その中から様々な法則を見いだしていきました。
34節以降も共通して語られていることは、宇宙や自然の法則をあなたが命じているのかと言うことです。ヨブは収穫を支配してはいません。それは神様の領域です。
ヨブは苦しみのあまり、フォーカスが神様からいつのまにか自分に移されていました。その事を神様は様々な自然現象からヨブに気づかせようとされているように思えます。
私たちにも同様に神様は語られているのではないでしょうか。都会に暮らしていたとしても、少し自然に目を向けてみましょう。そして、それを保ち、成長させてくださっている方の事を思い巡らしてみましょう。

・備えてくださるお方:39-41節
ここからは動物のことを語られます。獅子、そして烏を養われるのもまた神様です。野に咲く花も主は養ってくださっています。
動物も哺乳類で私たち人間も哺乳類に分類されています。では、動物と私たちの違いは何でしょうか。一つは言語でしょう。しかし、イルカや鯨も独特の音で会話したり、多くの動物は鳴き声でコミュニケーションを取ります。科学の分類では明確な違いを述べるのは難しいかもしれません。
しかし、聖書ははっきりと人と動物を区別されています。同じ被造物ですが、人は神の姿、神のかたちに造られました。人は特別な存在です。神様に似せて造られていますが、神ではありません。動物と同じ分類ですが動物ではありません。人は人です。この人は神様からすべての被造物を治めるように仰せられています。
例えば、ダニエルは餓えた獅子のいる穴の中に投げ込まれましたが一晩獅子はダニエルに対して何もできませんでした。翌朝、ダニエルが引き上げられ、別の者が穴に入れられるとその人が地面に着く前に獅子はその人を引き裂いてしまいました。
神様との関係を持っている者はこのように獅子をも治めることができます。これが人の本来いるべき立場になります。イエス様の血潮は私たちを父なる神、すべての人々、すべての被造物と和解させ、平和を得させてくださいました。

【39章】動物たちを通して語られる主

・牝鹿の子:1-4節
続けて神様は動物の事を語られます。野やぎや牝鹿は草食動物で自然界では弱い立場の動物です。野生のおびただしい数のこのような生き物のいのちが誕生するのをあなたは見守っているのかと言われています。テレビなどでこのような動物が子を産むと、生まれて間もないのに子どもは自らの力で震えながら立ち上がり、必死に歩こうとします。非常にたくましい姿です。
この事から私たちは子育ての事を学ぶことができないでしょうか。子どもは大切であり、責任を持って育てる必要があります。しかし、関わりすぎてもいけません。かわいい子には旅をさせろということばもあります。獅子がわが子を谷に突き落とすという話もあります。
子どもが大変な思いをしているのを見ると、親の心は張り裂けそうになります。しかし、そのような場面でいつも子どもの先回りをしていると、子どもは健全に成長しません。
神様も私たちをあえて大変な目に遭わせます。それは私たちを愛するが故です。そしてその様な状態でもいつも見守っていてくださいます。同じように、子どもにも接してみましょう。案外子どもはたくましいものです。

・野生のろば:5-8節
野のろばは勝手に生きています。しかも人が寄りつかない不毛の地で生きています。町でどのようなことが起こっていてもそれは無関係です。
ここから何を学べるでしょうか。過度な管理が私たちにストレスを与えます。野のろばには野のろばの生き方があります。同じように、神様は一人ひとりを特別に違って創造して管いました。
ですから人と比べて自分が劣っているとか勝っていると考えることはナンセンスです。これは自分勝手に自己中心に生きることを推奨しているのではありません。主の戒めを守る中で私たちは本来の使命を知り、その使命に従って生きるのです。真理は私たちを自由にします。

・野牛:9-12節
牛はこの当時、畑を耕す貴重な生き物でした。しかし、野牛は同じ牛でも飼い慣らされた家畜用の牛とは違います。ヨブは裕福だったので沢山の牛を持っていましたが、野牛は手なずけることはできないだろうと言われています。
ここから何が学べるでしょうか。見分けの賜物が必要と言うことです。そして、何にでも手を出してはいけないと言うことです。
牛だからといって野牛を連れてきたら、暴れて今飼っている家畜を傷つけたり、家畜小屋を壊してしまうかもしれません。

・だちょう:13-18節
神様の創造は本当に不思議です。なぜだちょうという生き物を創造されたのでしょうか。鳥です。羽があります。しかし、だちょうは飛びません。地面を走ります。本当に不思議な生き物です。
卵を産んでもそれを土に置き去りにして自分で暖めず砂であたためさせます。それなのに馬よりも早く走ります。全く意味のわからない生き物です。
ここから何が学べるでしょうか。一つは子どもに対する責任です。牝鹿の所と矛盾するようですが、親は子どもに対して責任があります。これを放棄してはいけません。なぜだちょうはこのような無責任な事をするのでしょうか。17節には神がこれに知恵を忘れさせ、悟りを授けなかったからだと書かれています。神の知恵を持ち、悟りを授けられた者は子どもに責任を持って育てます。
もう一つはだちょうの生態の不思議さから学べます。私たちはあらゆることを説明したがります。どうしてでしょうか。人は知らないと言うことに不安を覚えるからです。しかし、今までも述べてきたように、人は知らないことが多すぎます。今知っていることは神の知恵の無量大数分の一にも満たないでしょう。
すべてを知るという事は自分が神に等しくなると言うことです。もちろん、好奇心を持って知を追求することは素晴らしいことです。しかし、すべてを知り、すべてを説明することは不可能です。私たちは信仰を持って「知らない」という勇気が必要です。私たちは知りません。しかし、神様はすべてご存じです。

・馬:19-25節
馬は移動手段として、また、戦いのためにも用いられました。調教すると従順に人の言うことに従います。驚くべき能力と体力を持っています。戦争の中でも、人は恐れを抱きますが、馬は全く恐れません。そして大きな音にも惑わされず、主人の言うことを聞きます。
ここから何が学べるでしょうか。主人に対する従順さです。馬は主人に忠実に従います。だから恐れがありません。自分の能力を100%主人のために使うのが馬の特徴です。
私たちも私たちの主のためにそのようになりたいものです。

・たか:26-30節
鷹は鳥の中でも大きな生き物です。翼を広げ、風に乗ってどの鳥よりも高く舞い上がることができます。また、鷹の目は太陽を直接見ても影響を受けないそうです。そして、空高くからでも地上で動く小動物の同行を見極めることができます。
ここから何が学べるでしょうか。聖書の中にも鷹に関しての箇所はいくつかあります。ちなみに、鷹とわしは同じです。小型のものを鷹、大型のものをわしと呼びます。ここではたかに統一することにします。たかは雀のように地面から飛び立つことは苦手です。その代わり、崖の上に羽を広げて上昇気流を待ちます。そして風が吹いてきたら一気に風に乗って高いところにまで舞い上がります。
ですから、私たちはたかのようにまず準備をしましょう。風が吹いてきても羽をそこから広げても遅いのです。羽を先に広げてそれから風を待ちます。主の助けを借りて、私たちにできる準備を先にします。そして神様の働かれるのを待ち望むのです。
そうすれば主は私たちを高みにまで導いてくださるでしょう。
このように、主は様々な動物から人の無力さ、神を中心に動物が生きていること、動物たちが忠実に主に従っている様子を語られます。
私たちは自分の無力さを知り、神を神としてあがめる信仰を与えていただきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 天地を造り、全てを治めている主に、喜んで従うことができるように祈ります。

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