聖書通読クラブ Day 72

聖書通読クラブ Day 72【士師記4章~6章】

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シャローム!

士師記は12人のさばきつかさによって堕落したイスラエルが一時的に持ち直したように見えますが、長い目で見ると徐々に悪くなっていく書簡です。まるで、短期的には上下しながらも、長期的に見ると右下がりの株価のチャートのようなものです。
イスラエルの人々は主を忘れ、短期的に物事を見ています。そして、同じことを繰り返しています。私たちはどうでしょうか?毎日の食べるもの、飲むもの、着るものなどにばかり目が奪われていないでしょうか?そうではなく、永遠に変わることのないイエス様ご自身を見つめて行く必要があります。

イエス様はみことばそのものです。さあ、今日もみことばをみつめていきましょう。

今日の通読箇所:士師記4章~6章

■アウトライン

主に選ばれし者

●デボラ:4章
  ・女預言者:1-16節
  ・神様のご介入:17-24節

●勝利の歌:5章
  ・それまでの状態:1-11節
  ・追従するその他の部族:12-23節
  ・ヤエル:24-31節

●主からの任務:6章
  ・ミデヤンの襲撃:1-10節
  ・ギデオンのささげ物:11-24節
  ・父の偶像の破壊:25-32節
  ・羊の毛による奇跡と確認:22-35節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】デボラ

80年の安泰が続いたエフデの時代も過ぎ去りました。
ハツォルの王ヤビンがイスラエルの人々をひどく圧迫します。かつてイスラエルの民はハツォルを倒したはずです。しかし、そこを完全に占領しませんでした。そのためにカナン人がそこに入ってきて再建しました。結果、彼らは強大になり、イスラエルをひどく圧迫します。それで、いつものようにイスラエルは主に叫びます。

4節、女性の預言者が登場します。デボラです。
6節に、デボラのさばき方の一端を見ることができます。彼女は神様からのお告げを受けていましたが、直接さばきをしていたのではなさそうです。ここではアビノアムの子バラクに命じています。
8-9節で、バラクはどのように答えていますか?ちょっと腰が引けている様子がわかります。バラクはどのように答えれば良かったのでしょうか?考えてみましょう。
私なら「わかりました。神様があなたにそのように告げられたのなら、信じて出て行きます!あなたはここで待っていてください。主の勝利をお土産に持ってきます」と言えたらかっこいいなと思いました。

10節で、バラクはケデシュと言うところにゼブルンとナフタリを呼び寄せます。
そして、さらっと書かれている11節ですが、これが重要です。ケニ人のへベルです。1:16を見返してみると、ユダ族と一緒にエリコ近くのユダの荒野でイスラエルの民と共に住んでいました。異邦人の部族ですが、ユダと仲良く言い関係で暮らしていました。
ところが時代が過ぎ、ここではケデシュの近くまで来ていました。
後に登場しますが、へベルとハツォルの王ヤベルは仲が良かったのです。ケニ人はいつのまにかイスラエルのユダを離れてカナン人を指示するようになっていました。

12節、デボラとバラク、ゼブルン族とナフタリ族がタボル山に上ったことを知ったシセラは本気を出します。全軍で対抗しようとします。
それを見て恐れをなしてしまいそうですが、14節、デボラは何と言っていますか?このような場面で、このような事を力強く宣言できるのは、鳥肌がたつほどかっこいいですね。

15節、この戦いも主の戦いです。今回は剣の刃で陣営をかき乱されました。最新鋭の戦車を持つシセラはどうなりますか?なんと、徒歩で逃げます。ここで、具体的にどのようにして勝利を与えてくださったかは、次章のデボラの歌に書かれています。

17節、先ほど申し上げたケニ人へベルの事が出てきています。
18節から、ヤエルがシセラをもてなしています。これはイスラエルの人、また特に遊牧民(ベドウィン)に見られる風習です。彼らは旅人をもてなすことをしていました。アブラハムが神の使いをもてなしたことがその起源です。

21節、まさかの展開です。へベルはカナン人に傾いてましたが、妻のヤエルはイスラエルの恩を忘れていませんでした。
彼らは遊牧民でしたので、堅い大地に正確にくいを打ち込むことができました。ヤエルにとってはお手の物でした。

22節、バラクはデボラの預言の成就を見ます。バラクはデボラが敵を倒すと思っていたのでしょうが、違う女性でした。
このように、デボラとヤエルという二人の女性によってイスラエルは敵を滅ぼすことができました。

【5章】勝利の歌

デボラとバラクが歌を歌います。モーセも紅海を渡った後、主の勝利を記念して歌いました。歌を通してこの戦いは主が戦ってくださり、自分の民族がそのようにして救われたというのを後生に伝える意味もありました。

2節から、まるで詩編のようです。私たちはいつでも主をほめたたえることが大切であることを教えられます。
4節では、イスラエルの民が勝利した原因が詳しく書かれています。「天もまた、したたり、雲は水をしたたらせた」とあります。戦いの時に大雨が降り、陣営をかき乱しました。主のなせる御業です。後にもう一度このことに触れます。

6節からはデボラ以前のイスラエルの状態が歌われています。敵に侵略されてる故に、隊商は絶え、旅人はわき道を通らなければなりませんでした。敵が城門まで攻めてきても、イスラエルの内に盾と槍を持つ者はいませんでした。

9-11節では逆転がおきています。イスラエルの指導者には主をほめたたえることを呼びかけ、富む者、力ある者に水くみ場にいる者、つまり民の声に耳を傾けよと呼びかけます。
今まで霊的に眠っていた民は目を覚まし、戦うことを決心し、城門まで降りてきています。今までは先送りをしたり、めんどくさがっていたり、恐れたりしていましたが、信仰を持って行動しています。

12節、これはデボラとバラクが歌っている歌ですが、自分たちを鼓舞しています。私たちもこの事を実践しましょう。くよくよしているとき、悩んでいるとき、問題に直面したとき、自分のたましいに言うのです「目覚めよ!目覚めよ!歌声をあげよ!起きよ!○○!」と。

15節の後半は、戦争に参加しなかった部族について語られています。ルベン族については、どのように語られているでしょうか。「ふたつの倉袋の間にすわって、羊の群れに笛を吹くのを聞いている」と言っています。これはどういうことでしょうか?
主の救いが訪れているのに、それに応答しない姿でしょう。ルベン族は川を隔てた東側にいましたので、他人事と思っていたのかもしれません。
私たちも主がなされることに、このような態度で臨むことはないでしょうか?

17節、ギルアデはガドとマナセの半部族のいる場所です。彼らもダン、アシェルも呼びかけに応答していない様子です。
不思議ですね。同じ事が語れているのに部族によって反応が違います。私たちは神様の御声を聞き分けて、主に従って行くことを選んでいきたいですね。

18節、ゼブルンはかっこいいです。このように生きたいです。ナフタリも勇敢に戦いました。

19-22節、不思議な事が書かれています。メギドという場所が出てきますが、ここは戦いの場所です。ヨシヤ王とパロネコ、また黙示録に出てくる最後の戦い、ハルマゲドンの場所です。
そこで何をされたかというと、「星を下させる」とあります。文字通りの星かもしれませんし、もしかしたら御使いかもしれません。とにかく、超自然的な事が起こります。
21節に決定的な勝利の原因が書かれています。川の水が彼らを押し流したので戦車は無用のも野となりました。どんなテクノロジーも、自然の前には歯が立たないこともあります。

23節では主の戦いを見ながらもそれを見て見ぬふりをしている様子が書かれています。これは背教を意味しているかもしれません。知っていて罪を犯すのは悪いことです。戦いを見ずに参加しないのと、戦いを見ながら参加しないのはどちらが悪いでしょうか?

24節からは、ケニ人へベルの妻ヤエルがたたえられています。この前の箇所とのコントラストを見ることができます。
ヤエルの特筆すべき所は何でしょうか?へベルはシセルに傾きました。しかし、ヤエルは主に従いました。
この事は本当に難しい問題ですね。上に立てられた権威者はすべて神からのものです(ローマ13:1)上司も主人も親も主が立てられた権威であり、従う必要があります。しかし、時には彼らが主に背いているなら、彼らを敬いながらも神に従わなければなりません。本当に知恵が必要です。主からの愛が必要です。聖霊様の導きを聞き取る耳、従う心が必要です。

28節からはシセラの母が出てきます。デボラは自分をイスラエルの母と言っていたので、その事と対比させたのでしょう。
シセラの母は、自分の息子が殺されていることを知らず、勝利を確信してその帰りを待ちます。
このようにして、敵はみな滅びました。40年間の平和が訪れました。限定的な平和です。しかし、やがて私たちは永遠の平和に入れられます。それまで、みことばを愛し続けていきましょう。

【6章】主からの任務

1節、そろそろいい加減にして欲しいと思うかもしれませんが、またです。しかし、これは私の姿です。
続いては7年間、ミデヤン人に苦しめられます。それで、イスラエルの人々は追いやられました。情けない姿です。

3節、とても重要なことです。種を蒔くと、敵が来てイスラエル人を襲いました。そして、その場を荒らしていきました。
この事から何が学べるでしょうか?種はみことばの象徴です。私たちが種を蒔くとどうなるでしょうか。マタイの福音書13章を読んでみましょう。敵はいつでも種を奪っていこうとします。どうしてかわかりますか?種が蒔かれ、成長すると実を結びます。一つの種から数え切れないほどの実が採れます。敵はそれを恐れています。敵は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制の御霊の実を結ばせたくないのです。

6節、敵に種(みことば)を奪われ続けた結果どうなったでしょうか?非常に弱くなります。これがクリスチャンの弱さの正体です。この弱さは「弱いときに主は強い」という弱さとは違います。霊的に不健康な弱さです。霊的に強くなりましょう!そのために、敵が攻めてきても奪われ切れないほどのみことばを蒔きましょう。そのために毎日通読を勧めています。これは本当に重要なことです。生活の最優先です。日本が強くなるために必要不可欠なことです。みなさんの通読が日本を強くします。

7節、またこのパターンです。イスラエルの民は主に叫び求めます。すると、預言者からその理由が語られます。その答えは何でしょうか?もうみなさんならわかると思います。10節の最後を見てみましょう。

11節、主の使いが出てきます。そして、ヨシュアの子ギデオンに話しかけます。
12節、このみことばを自分のものとして受け取りましょう。主はみなさんを見て「勇士よ!」と読んでくださっています。
主はギデオンに開口一番「勇士よ」と呼びかけられました。珍しい呼びかけだと思いませんか?通常は「○○よ」と名前を呼ばれます。神様はギデオンの性格もすべてご存じだったのです。

13節から、ギデオンが答えます。主の御使いは「あなたといっしょにいる」と言ったのに、ギデオンは「私たちと」と言っています。もしかしたらギデオンはこの時、自分が選ばれているという自覚がなかったのかもしれません。そして、ちょっとした不満を言っています。
私たちもこのようなことがあるのではないでしょうか。
みことばを読むとき、祈るとき、礼拝を献げているとき、あらゆる時に主はみなさんに語っておられるのに、みんなにかたっているように思えるときです。主はみなさんに語っておられます。自分の事として受け取りましょう。
もう一つ重要なのは、ここではギデオンは自分の非を認めていないということです。エモリ人の神に仕えながら、神に口答えしています。しかし、主は優しく、忍耐深いお方ですから、引き続き語ってくださいます。

14節から、主は優しくこのことは民全体ではなく、あなたに語っているのだと諭します。ここで勝負ありです。ギデオンはひとりを倒すように、いなごのように多いミデヤン人を打ち殺します。

17節、聖書には様々なキャラクターを持った人物が出てきます。何も考えないで体が先に動いてしまうペテロと対照的なのがギデオンでしょう。石橋をたたいて渡るタイプです。
自分の召しの確信がなかったのかどうかはわかりませんが、今自分が話している相手が本物の神の使いかどうかを確かめます。
今の時代、もしかしたらこのギデオンの油注ぎが必要かもしれません。なぜなら、多くの偽預言者が多く現れるからです。悪魔は御使いの姿にも変装します。もっともらしいことが講壇から語られますが、よくよく聞くとみことばとほんの少しずれていることもあります。
探偵のようにすべてのメッセージのあら探しをすることは間違っているかもしれませんが、すべてを鵜呑みにするのも間違っています。
使徒の働きのベレアの人々がしたように、果たしてそれが正しいかどうか、自分の聖書を開き、祈り、確認する習慣を身につけることは悪いことではないと思います。しかし、やり過ぎは禁物です。バランスが大切です。これをやり過ぎると高ぶりの霊がやってきて、律法学者、パリサイ人のようにいつも人をさばいていまいます。主により頼まなければなりません。

モーセ五書のなかでも書かれていましたが、祭壇にささげものをして、主が受け入れてくださったなら主が天から火を送られます。この時も神の使いは火をもってささげものを焼きました。これでギデオンははっきりと神の使いであることを知りました。

23節、これも自分のたましいに言ってあげましょう。私たちの肉体は滅びるかもしれませんが、イエス様の十字架の死と葬りと復活を信じるなら、私たちのたましいは永遠に生きます。
この「安心しなさい」こそ、「シャローム」です。
イエス様も復活されたとき、最初に「おはよう」と挨拶されました。あれは「シャローム」と挨拶されたのです。主はシャロームなるお方です。この方がいつも私たちと共にいてくださることを感謝します。

25節から、さあ、ギデオンの戦いです。ところが、敵との戦いではないことに気づくでしょうか。「あなたの父が持っているバアルの祭壇を取り壊し」とあります。私たちの戦いはまず自分自身、そして家族、学校・会社、日本、世界と言う具合に広がっていきます。
使徒の働きでも「エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果て」と中心から外に広がっています。英語で言えば「From the inside out」です。自分自身がまず立て直されていくとき、周りもそれに比例して立て直されていくでしょう。内なる人との戦いに、主と共に勝利しましょう。

28節から、ギデオンの父ヨアシュは息子の勇気ある行動で目が覚めたのかもしれません。31節のみことばを見てみましょう。
「バアルは自分で争えばいい」と言っています。もし、バアルが生けるまことの神であるなら、今まで主がイスラエルにされたようなことをすべて行えるはずです。しかし、実際は動くこともできない単なる偶像です。もちろん、その霊性は恐ろしいものですが、主に比べたら取るに足らないものです。父の愛によってギデオンは助かりました。

36節から、またギデオンは確認します。相当な慎重派だったのですね。ここにかかれている二つの事は、決して占い的なものであったり、主を試すことではありません。確認です。
私たちも祈っても、それがどうかわからないときがあるでしょう。その時には正直な気持ちで、主にギデオンのように祈ってみましょう。
私はよく主に祈ります。「主よ、私はわからないので、私にわかるようにしるしを与えてください」と。そうしたら主が答えてくださったこともありますし、答えてくださらなかった時もあります。それでも、私の主への信頼と愛は変わりません。
ひとつだけ注意したいのは、しるしが見たいから祈るという事です。これは動機が間違っています。イエス様もマタイ12:39で「悪い、姦淫の時代はしるしをもとめます」と言われています。見ずに信じる者は幸いです。しかし、確信のないときは正直に主に祈って見ましょう。主はいつも良いお方です。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. >さらっと書かれている11節ですが、これが重要です。
    ケニ人のへベルです。1:16を見返してみると、ユダ族と一緒にエリコ近くのユダの荒野でイスラエルの民と共に住んでいました。異邦人の部族ですが、ユダと仲良くいい関係で暮らしていました。
    ところが時代が過ぎ、ここではケデシュの近くまで来ていました。
    後に登場しますが、へベルとハツォルの王ヤベルは仲が良かったのです。ケニ人はいつのまにかイスラエルのユダを離れてカナン人を指示するようになっていました。

    ありがとうございます。
    今まで、ごちゃごちゃになっていたところがスッキリしました。
    地名、人名が出てくると、以前出て来た人名も記憶から飛んでいることが、
    何?急にこの人の名前が出てくるの?という具合になる原因でした。
    カタカナ、人名、地名に弱さを覚えます。
    私の読解力のなさを思う時、毎回、死と葬りを通らされます。(*_*;
    今更聞けないと思っていたところがスッキリ整理できました。

    アウトラインを取ってくださるので、そこからさらに進みやすいです。

    カナンの王ヤビン(鉄の戦車がある)20年間イスラエルを征服していた
    ヤビン王の最高司令官シセラはハロシェテ・ハ・ゴイムに住んでいて鉄の戦車900台を抱えてイスラエルを20年間悩ましていた。
    その頃、ラピドラの妻デボラがイスラエルの指導者として神から責任を任されていた。
    デボラが神から命令を受けてナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを遣わす
    バラクは一人は嫌だ一緒に来てくれという。
    それで、その時の戦いの誉は婦人ヤエルにわたってしまうことになる。
    ヤエルの夫はモーセの義兄弟ホハブの子孫のケニ人でへベルという人で、
    いつしかカナンよりになってしまって、ヤベル王と仲良くしていた。
    バラクに追い詰められたシセラは、ヤビン王が仲良くしていたホハブを頼って、
    かくまってもらうためにその妻ヤエルの天幕に入る。

    女性の天幕に入るとは、卑怯な王の最高司令官シセラ!
    この地方この時代、夫以外の男を自分の天幕に入れることは死罪にあたる行為!
    この法律を承知で天幕に逃げ込んだシセラ。
    ヤエルとしても命がけ、できればシセラを殺すことによって自分を救うことができた。

    >21節、まさかの展開です。へベルはカナン人に傾いてましたが、妻のヤエルはイスラエルの恩を忘れていませんでした。

    夫ホハブはこの世的に妥協した人でも、その妻ヤエルは純粋に信仰を守っていた人で、
    ヤエルは大胆に寝ているシセラを杭で打って殺した。
    それで自分自身と夫の名誉も守った。

    グロテスクで残酷ですが、シセラもそれだけのことをしているのだと受け取れます。

    それにしても、こんな血生臭いことは、神様の本来の願いではないと思います。
    こんなことが起こらなくて済むように、主の目に悪であることを行わないよう助けてくださいと祈ります。

    >6節、敵に種(みことば)を奪われ続けた結果どうなったでしょうか?非常に弱くなります。これがクリスチャンの弱さの正体です。この弱さは「弱いときに主は強い」という弱さとは違います。霊的に不健康な弱さです。霊的に強くなりましょう!そのために、敵が攻めてきても奪われ切れないほどのみことばを蒔きましょう。そのために毎日通読を勧めています。これは本当に重要なことです。生活の最優先です。日本が強くなるために必要不可欠なことです。みなさんの通読が日本を強くします。

    アーメン 
    明日からも聖書通読を続けていきたいと思います。

中林 千恵子 へ返信する コメントをキャンセル

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