聖書通読クラブ Day 235

聖書通読クラブ Day 235【エレミヤ書 31章〜33章】

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シャローム!

エレミヤの心臓部分の箇所が続きます。主は彼らを滅ぼすために破壊されたのではありません。彼らが憎くて嫌いだから捕囚されたのではありません。彼らを建て直すためです。
そして、捕囚の原因は彼らの今までの態度にありました。私たちもここから学ぶ必要があります。ただ単に教会に行っているだけで満足していないでしょうか。一度、イエス様を信じたと言ってそこで立ち止まっていないでしょうか。
エレミヤと神様との関係はどのようなものでしょうか。その関係の中でどのような事が起こっていったでしょうか。
今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:エレミヤ書 31章〜33章

■アウトライン

●あなたは再び建て直される:31章
  ・出て行って休みを得よ:1-2節
  ・永遠の愛を持って愛した:3-6節
  ・イスラエルの父となろう:7-9節
  ・民は主の恵みに満ち足りる:10-14節
  ・あなたの労苦には報いがある:15-22節
  ・新しい契約:23-34節
  ・その名は万軍の主:35-36節
  ・主のために建て直される:37-40節

●理由を求める祈り:32章(1-44節)
  ・土地の購入:1−15節
  ・祈り:16-44節

●わたしを呼べ:33章(1-26節)

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【31章】あなたは再び建て直される

・出て行って休みを得よ:1-2節
剣を免れて生き残った民が出てきます。終わりの時代、大きな患難で三分の二は断たれてしまいますが、残された者がいます。「荒野で恵みを得た」とあります。これは終わりの時代、反キリストが立った時にイスラエルの民がボツラに逃げますが、そのことです。そこで彼らはひとときの間安らぎを得ることができます。

・永遠の愛を持って愛した:3-6節
主は「永遠の愛を持って、わたしはあなたを愛した」とあります。このみことばを読むだけで涙が出てきそうになります。しかし、この愛は時には厳しく感じることもあります。私たちを死へと追いやるものです。しかし、その後に復活の恵みにも預からせていただき、本当の愛の関係に入れられていきます。
主はその間、誠実を尽くしてくださいます。エルサレムが破壊されても、私たちが悲しみのどん底にあろうとも、主は変わらずいつも誠実を尽くしてくださっています。
4-6節には回復したイスラエルの姿を見ることができます。実に麗しい姿です。この時、南ユダだけでなく、北イスラエルも回復します。サマリヤ地方の人々も回復し、主を礼拝しにやってきます。

・イスラエルの父となろう:7-9節
先にイスラエルに帰還した人々が、さらなる帰還を求めて祈っています。すると、主は北の国から彼らを連れ出してくださるとあります。この後に読み進めていく箇所ですが、エゼキエル38-39にはゴグとマゴグが出てきます。主がその周辺の連合国を打ち破ってくださり、人々を北から送ってくださいます。その中には傷ついている人や妊婦など、移動するのが難しい人も含まれています。主の力強い御手によります。

・民は主の恵みに満ち足りる:10-14節
彼らは非常な喜びに満たされています。主の恵みを体験しているからです。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむようなことはありません。

・あなたの労苦には報いがある:15-22節
これは新約聖書のマタイ2:18でも引用されている箇所です。ベツレヘムで男の幼児が殺されたときです。
ラケルはヤコブの妻でした。ラケルはヨセフを生んだとき「私に男の子を加えてくださいますように」との思いを込め、ヨセフと名付けました。その後、子どもが与えられますが、実家であるラバンの家から戻る途中、ベツレヘムの途中の道で産気づき、子を産みました。それは非常な難産で、その苦しみの中彼女はいのちが果ててしまいます。その苦しみの中で彼女は息子の名前を「ベン・オニ」と叫びましたが、ヤコブはベニヤミンと名付けました。ラケルが泣いているとはこの苦しみのことです。難産と死の苦しみ、事の決別の苦しみです。
ラマはエルサレムの北にある町ですが、バビロン捕囚の際、一度捕囚される者はラマに集められ、それからバビロンに引かれて行きました。ですから、バビロンに引かれていく悲しみを母の苦しみと重ねたのです。
主はエフライムが嘆いているのを聞かれ、はらわたがわななくほど彼らを憐れんでおられます。
エフライム、すなわちイスラエルが自分たちの犯した罪によって懲らしめを受けていることを告白したからです。主の大切な子、エフライムは喜びの子でもあります。彼らを懲らしめたのは彼らを滅ぼすためではありません。愛しているからです。建てあげるためです。
自分の子どもをしかり、懲らしめることは親の大切なつとめですが、そのことで子どもが泣いているのを見たら、親の心は締め付けられるように苦しくなります。それは子どもを愛しているからです。主の心もそのようになったのでしょう。
主はこのように懲らしめを与えられた後、真実な愛の交わりをしたいと願われています。主は悔いあらためる者と共に食事をしたいと願われます。

・新しい契約:23-34節
主が捕らわれた人々を解放された後、ユダの国をどうするかが書かれています。彼らの内には聖さも義もありませんでしたが、主が一方的な恵みをもって彼らに聖と義の賜物を与えてくださっています。イエス様の十字架を通して、私たちにも信仰によって主の聖さと義が与えられていることを感謝します。
町には争いはなく、農夫、羊や牛の群れもいます。旅人も住むことができるほど安全です。そして、たましいにやすらぎが来ています。私たちはどうして疲れてしまうのでしょうか。それは罪の性質から来ます。罪は神に反発するからです。それがすべて取り除かれるので、たましいにやすらぎが来るのです。
エレミヤはこれらを夢の中で啓示として受け取っています。目覚ましてまわりを見渡し、「眠りは心地よかった」と告白しています。今までいのちをかけて、聞こうとしない人々に語り続けてきたエレミヤはここでひとときの休息を得ることができたのでしょう。
29節からをみると、親の咎は子に引き継がれることが書かれています。しかし、人はそれぞれの咎のために死ぬと書かれています。これは、自動的に親の呪いが引き継がれるわけではないということが書かれています。この事が有効なのは、イエス様の十字架を受け入れた者のみです。このお方の血潮によって、咎ののろいは断ち切られます。
そして主は新しい契約を結んでくださいます。かつて、出エジプトの時に主は民と契約を結んでくださいましたが、民が一方的にその契約を破ってしまいました。それで主はもう一度契約を結ぼうと歩み寄ってくださっています。
その新しい契約とは何でしょうか。主の律法を彼らの中に置き、書き記すというものです。そして、主は彼らの神となり、彼らは主の民となります。なんという素晴らしい契約でしょうか。契約を破られた被害者は主の方です。そのお方から一方的に恵みによる契約をオファーしてくださっています。新しい契約、新しい創造です。

・その名は万軍の主:35-36節
このような素晴らしい主の新しい契約ですが、これは残念ながら異邦人に与えられている契約ではありません。イスラエルの民との契約です。残念です。
しかし、本来なら関係なかった私たち異邦人も、イエス様のながされた十字架の血潮の故に、この契約にあずかることができるようになりました。なんという恵みでしょうか。このお方によって私たち異邦人とイスラエルが一つになることができます。この契約は永遠に続きます。

・主のために建て直される:37-40節
主の御約束は確実に実行されます。主が来られると言うことは夢物語でもファンタジーでもありません。非常に具体的であり、確実なことです。そのとき、エルサレムはここにあるように回復します。それがいつ実現するかはわかりません。しかし、必ず起こることです。今日主が来られても、ずっと先に来られてもいいように備えておきたいですね。

【32章】理由を求める祈り

・土地の購入:1-15節
ここから、今まで与えられた幻に対して、具体的な行動が起こされていきます。
バビロンに包囲されているとき、エレミヤは王の家の監視の庭に監禁されていました。ゼデキヤ王に個人的に預言をしたという理由からです。これらの事は列王記第二25:4-7に書かれています。しかし、そこにも主の憐れみがあります。
8節には「私は、それが主のことばであることを知った」と書かれています。つまり、最初はこれが主のことばであることがわからなかったのです。
その内容は土地の買い戻しです。主が命じられたことですが、貧しくなって土地を手放したいと考えても、それが異邦人の手に渡らないように、近親の者からその土地を買い取る権利が与えられました。ルツ記でこの事がでてきます。
それで土地を購入しますが、その時に購入証書がありました。今で言う不動産の契約書のようなものです。当時は巻き物で、その書物を蒔いて最後に蝋で封印をします。間違えの内容に、その複製も用意しておきます。そして、証人の前で代金を払って土地の権利が移ります。エレミヤはそれを監禁されている所で行いました。それをバルクに告げています。バルクはエレミヤが言ったことを書物に起こす係の人物です。
それを素焼きの器に入れます。死海の近くで偶然少年によって発見された死海文書も、このような素焼きの器に入れられていました。書物を長期保存できる器です。たとえ長い時間が経ったとしても、この証書を持って土地の所有を証明できます。そのように、この土地が再びイスラエルの手に戻るという預言です。

・祈り:16-44節
エレミヤは主から語れた事をしっかりと見分け、そして自分の私情を挟むことなくすぐに行動しています。
それで、今回の土地購入もすぐに行動しましたが、事が大きすぎます。冷静になって考えたとき、「ああ、神、主よ」と言っています。エルサレムの土地をこのタイミングで購入しても、バビロンに荒らされています。価値がほとんどありません。それでエレミヤは祈り始めます。ここにエレミヤの信仰を見ることができます。自分の考えでは理解できない、意味のないと思えること、理にかなっていないと思えることでも、主が語られたからと行動します。
しかし、エレミヤは自分の理解が追いつかないことに葛藤しています。ですから祈ります。主に目を向け続けています。
その祈りの中で、主のおもんぱかりを祈ります。これは主のはかりごとです。主のご計画は人の計画よりもはるかに高いことを祈りの中で思い出します。主はご自分の聖徒を特別に扱われるお方です。それでもエレミヤは理解になお苦しんでいるようです。
26節から、主がエレミヤに語られます。主にとってできないことは何一つないと言うことです。
主はエレミヤの祈りにあったように、エルサレムをバビロンに渡されます。人々が屋上でバアルに香を焚いたとありますが、エルサレムの家は石造りなので四角い家です。屋上があり、そこで洗濯物を干したり、昼寝をしたりできます。そこで偶像礼拝をしていました。
しかもそれを「若い頃から」行っていたことがわかります。継続的な偶像礼拝です。生まれたときからそのようなものだと思い込んでいるほど日常に偶像礼拝が溶け込んでいました。
主は感情的に怒られる方ではありません。人々の頑なさのゆえに怒りが下ります。主が偶像礼拝を黙認されていても、人々の偶像礼拝はエスカレートして、ついに子どもをいけにえとしてささげるまでになってしまいました。
それゆえに、主はエルサレムを剣とききん、疫病に渡され、バビロンの王に渡します。主の恵みの帰還に悔いあらためることができませんでした。
しかし、神の怒りの後には恵みがあります。イエス様も十字架の上で父の怒りを受けられました。その後には復活という恵みがありました。同じように、私たちも神の怒りを招くことがあるかも知れません。しかし、それを甘んじて受け、イエス様と共に乗り越えるなら、そこに祝福があります。
38節からは、新しい契約の内容です。一つの心、一つの道を与えられます。私たちの行動を変えることが大切ですが、もっと大切なのは心を変えることです。主は石の板に変え、心の板に律法を書き記してくださいます。そして、神を愛するという第一の戒め、自分を愛するように隣人を愛する第二の戒めを全うできるようにして下さいます。
そして、主はエレミヤの行動が確かに正しいという保証を与えてくださいます。エレミヤにとってどれほどの慰めでしょうか。

【33章】わたしを呼べ(1-26節)

エレミヤがまだ監禁されていたとき、主のことばがありました。主は何と仰せられているでしょうか。「わたしを呼べ」です。エレミヤが主を呼べばどうなるのでしょうか。「理解を超えた大いなること」を告げてくださいます。この「理解を超えた大いなること」は「囲いがあり立ち入ることができない」と言う意味があります。神様は親密な関係のある者にだけこの奥義を語ってくださいます。
そして、主はさばきを行われた後、徐々に回復されていきます。そして、傷を癒やされます。捕らわれていた人は解放され帰されます。そして、初めのように彼らを建て直されます。この「初め」とは、ダビデの時のことを指しています。
そして、彼らの咎をすべてきよめてくださいます。世界中の人々がエルサレムの回復を聞き、主を恐れます。
14節からを見ると、イエス様の姿を見ることができます。ダビデのために正義の若枝を芽生えさせると言われています。このお方はこの国に公儀と正義を行ってくださいます。
19節からは、先ほどと同じ新しい契約を語られています。誰も夜昼の定めを無くすことができないように、この契約も決して無くならないと語られています。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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