聖書通読クラブ Day 234

聖書通読クラブ Day 234【エレミヤ書 28章〜30章】

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シャローム!

エレミヤ書は読んでいて興奮する書物ではないかも知れません。エルサレムの崩壊に関して苦しみと悲しみが書かれています。しかし、同時に主の慰めもあります。まるで暴風雨のような預言が続く中で、まるで台風の目の中に入ったように主の恵みが注ぐ箇所があります。それが今日の通読の29章でしょう。
主の目的は人々を滅ぼすことではありません。むしろ建てあげるためです。イエス様も十字架の苦難を通され、栄光が与えられました。私たちも同じです。人生のほとんどは苦しみかも知れませんが、その中に主の励ましがあります。そして、御国に導かれるとき、この地上でなした事の報いを受け取り、主の安息に入れられるでしょう。
そのために、今日もみことばから主の心を受け取っていきましょう。

今日の通読箇所:エレミヤ書 28章〜30章

■アウトライン

●木のかせ鉄のかせ:28章(1-17節)

●災いではなく平安を与える計画:29章
  ・将来と希望:1-23節
  ・主に対する反逆をそそのかす:24-32節

●滅ぼし尽くさない:30章
  ・あなたを滅ぼし尽くさない:1-11節
  ・わたしがあなたの傷を直す:12-17節
  ・わたしに近づくためにいのちをかける者:18-22節
  ・主の燃える怒り:23-24節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【28章】木のかせ鉄のかせ:28章(1-17節)

その同じ年とは、ひとつまえの27章の時と同じ年です。ギブオン出身の預言者、ハナヌヤが預言しています。
その内容は、二年の内にバビロンに取られたものが戻ってくるという内容でした。主がバビロンを砕かれるからです。
しかし、27章でエレミヤは祭司たちに偽の預言に惑わされないように警告していました。(27:16-17節)エレミヤは縄とかせを自分の首にかけてまで、このような事を信じるなと言っていました。
預言者とエレミヤの対決です。預言者は「バビロンがすぐに滅ぼされる」と言い、エレミヤは「バビロンに服して、そこで生活しなさい」と言います。
ユダの人々はハナヌヤの預言を聞きたがるでしょう。ハナヌヤは人々が求めるメッセージをしました。エレミヤは神の求めるメッセージをしました。人々は信じがたい事実を受け入れたくないのですが、神の定めたことは人の力では変えることは難しいのです。
5節から、エレミヤは挑発的なハナヌヤのことばに真っ向から対抗しませんでした。そこには事実が含まれているからです。ハナヌヤは2年と言いましたが、神様は70年と言われています。
そして、7節から9節は本当に大切なことです。多くの人は自分が慰められたり、興奮するメッセージを聞きたがります。エレミヤは、多くの預言者は民の聞きたくない事を預言し、平安な預言に関してはそれが成就してはじめてその預言者は主から遣わされたのだと言っています。
ここから何が言えるでしょうか。「私たちは祝福されます」「私たちは繁栄します」「私たちは神に愛されているのでありのままで変わる必要がありません」と教会で語られるかも知れません。それは本当です。しかし、それはほんの入り口の初歩の中の初歩の教えです。神様との関係が深められ行くとき、神のさばきを受け入れ、悔い改めへと導かれていくはずです。聞きたくない事も神から語られたのであれば従う必要があります。それは苦痛に感じるかも知れませんが、神様の関係の中で喜びへと変えられていきます。
教会で悔い改めが語られないのであれば、みなさん自身がみことばを朗読し、神の愛を知り、悔いあらために導かれるように祈ってみてください。
申命記18:22には何と書かれているでしょうか。「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。」とあります。
預言者の中の預言者であるイエス様はどうでしょうか。「三日目によみがえる」と言われ、本当に死からよみがえられました。このお方こそ真の預言者です。
それを受けて、ハナヌヤはどう反応したでしょうか。10節からを見ると、エレミヤのかせを取って砕いています。エレミヤに恥をかかせました。エレミヤは自分の考えでそのような奇妙なことをしたのでしょうか。違います。主に言われたからそれに従っただけです。一方、ハナヌヤは神様に語られてエレミヤのかせを砕いたのでしょうか。そうではありません。人々の注目を浴びたいからです。
このような派手はパフォーマンスは人々の目を引きつけるでしょう。まるでヒーローのようです。
この事に対して、エレミヤはどのように反応したでしょうか。力で対決することもできました。しかし、エレミヤは静かにその場を立ち去っています。彼の成熟した人格を見ることができます。
そして、エレミヤに主のことばがあります。それはハナヌヤに対して、木のかせを砕いたので、代わりに鉄のかせがあなたに付けられるというものでした。木のかせなら砕けますが、鉄は砕けません。そのように、主の時が満ちるまではバビロンからは逃れられないのです。
ここから大切な原則を学ぶことができます。エレミヤの木のかせは主がつけなさいと言われたことです。それを人間の力で取り去ってはいけません。バビロンへの服従は屈辱的であり、受け入れがたいものでしょう。しかし、それは主の仰せです。その後、祝福があるとも約束してくださっています。ガラテヤ3:3にはこうあります。「あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」
主への従順が私たちを救いへと導きます。
エレミヤはハナヌヤにまっすぐに主のことばを伝えました。「この民を偽りに拠り頼ませた」と。教会のリーダーが神のことばではなく、自分の思いだけで人々を導くなら、このような悲劇が起きます。
そして、ハナヌヤに対して死を宣告します。主への反逆をそそのかしたからです。ここで、日付に注目しましょう。最初に書かれていたのは第五の月です。そして、ハナヌヤが死んだのは第七の月です。2ヶ月の猶予がありました。その間に悔いあらためることもできたでしょうが、彼は悔いあらためることができませんでした。
そう考えるなら、悔いあらためることができると言うことは、考えられないほどの恵みであると言うことができます。私たちにもまだ猶予は与えられています。その日、主のさばきの日はまだ来ていません。今日という日に悔い改めましょう。

【29章】災いではなく平安を与える計画

・将来と希望:1-23節
偽預言者はエルサレムだけでなく、捕囚の民の中にもいたようです。そこでエレミヤは神のことばを人に託して捕囚の民に伝えます。
聖書を読むとき、何度も何度も捕囚されているように見えますが、その通りです。バビロン捕囚は三回あります。
第一回目はB.C.605年、まず王族が捕囚されました。(ダニエル1:1)この時にダニエルと友人たちも連れて行かれました。
第二回目はB.C.597年、ちょうどこの箇所です。エホヤキンと言われるエコヌヤ王、そして王母、職人や鍛冶屋などが連れて行かれました。そして、第三回はB.C.586年になります。ここですべての民が連れて行かれます。
エレミヤは手紙を託し、捕囚の地での生活を指導しています。ユダの人々にとっては屈辱的かも知れませんが、彼らに服従して暮らすことが言われています。1ペテロ5:6にはこう書かれています。「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良いと時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」
7節には「町の繁栄を求め、そのために主に祈れ」とあります。私たちも自分の住む町、教会の置かれている町のために祈っていきましょう。
そして、偽預言者に対しても書かれています。占い師や夢見る者のことが書かれています。問題はそのような人々にあるのでしょうか。違います。それを見分けることのできない人々にあります。私たちは大丈夫でしょうか。毎朝運勢占いをテレビで見たりしていないでしょうか。人生に困って神以外の霊的な導きを求めていないでしょうか。
霊的な苦しみは先が見えず、本当に辛いですが、主が共にいてくダ冷ます。ハナヌヤが「2年」と言ったように、早くそこから抜け出したいがために急いでしまうかも知れませんが、ある意味、主の御前に降参する事が必要です。それがへりくだりです。
そして、10節から14節のみことばです。これを何度も音読してみましょう。主は捕らえられた人々の計画を「良く」知ってくださっています。それはわざわいではなく、平安を与える計画です。将来と希望を与える計画です。たとえ、霊的な不毛の地のような所でも、心から主を探し求めるなら、主は「わたしはあなたがたに見つけられる」とあります。子どもと大人がかくれんぼをしていて、子どもがすぐにわかる所に大人が隠れているような感じと言えばわかるでしょうか。これが主の愛です。
そもそも、なぜ捕囚が会ったかと言えば、人々が主のことばを聞かなかったからです。人は災いが来るか否かで善悪をはかります。偽預言者は「災いは来ない」と強調して語っています。しかし、そのような中でも、神様のことばを聞き続けなければなりません。主のことばは嵐の中にも火の中にもありません。そのあとにかすかに響くのが主の御声です。注意して、耳を懲らしていないと聞き逃してしまいます。そして、語られたことばに従うかどうかです。主の災いは時に、私たちが主のみことばに従うかどうかのテストとしてやってくることがあります。ですから、「災い=悪い」と言うわけではないということがわかるでしょう。

・主に対する反逆をそそのかす:24-32節
偽預言者シェマヤの罪は迫害です。彼もバビロンにいましたが、エレミヤの手紙を見て彼を捕らえるようにと言い送っています。エレミヤを「狂って預言をする者」と言っています。それは本当でしょうか?人間的な目で見るならそうでしょうが、エレミヤは主のことばに従っているだけです。主のことばに従うことは、時には人の目には奇妙に映ります。しかし、愛と秩序を持った上で、主のことばに従い続けることは大切です。
シェマヤも子孫も、エルサレムに帰還することはないと言われています。人は考えたとおりになります。
良く「積極的思考を持ちましょう」と言われるかも知れません。それはそれで素晴らしいことですが、積極的思考と信仰は少し違います。前者は頑張って自分の中から力を振り絞り、信仰はまず主の御声を聞くことから始まります。
信じて事実になるのではなく、事実を事実と認めた上で、主に信頼するのが信仰です。

【30章】滅ぼし尽くさない

・あなたを滅ぼし尽くさない:1-11節
エレミヤはユダヤ人の帰還と同時に、その日、つまり終末の光景も見ています。その日には南ユダだけでなく、北イスラエルの10部族も併せて、全12部族がエルサレムに戻ってきます。
4節からを見ると、産婦でもないのにお産の時のように腰に手を当てて苦しんでいます。その日には、全世界にとって苦しみの時ですが、特にイスラエルの民にはより多くの苦難があります。
しかし、その日になると主は彼らの首のくびきを砕かれ、なわめをといてくださいます。そして、いままでイスラエルを虐げていた国に主が報いてくださいます。
異邦人で主に従わない者は滅ぼされます。しかし、イスラエルの民に関しては「しかし、わたしはあなたを滅ぼし尽くさない」と言われています。主はご自分の聖徒を特別に扱ってくださいます。

・わたしがあなたの傷を直す:12-17節
ユダの人々は何をしてもいやしを得ることができませんでした。彼らを弁護する者もなく、忘れ去れます。彼らのうなじがこわく、悔いあらためようとしないからです。自分で自分の罪を、咎を、そして傷を何とかしようとします。
最も確かなことは、私たちを造った方の所に行くことです。このお方はすべての問題を解決し、いやしてくださいます。
しかし、すべての事に時があります。主がその主権を握っておられます。癒やされないときは癒やされませんが、主の時が来たら癒やされます。それまで、信じて待ち続ける忍耐が大切です。

・わたしに近づくためにいのちをかける者:18-22節
エルサレム再建の幻があります。天幕ではなく、住まいを設けてくださっています。これが私たちのゴールです。
喜びと笑いが町の中に溢れます。救いの完成を喜ぶ姿があります。これは地上でも前味を味わうことができます。私たちが主に礼拝を献げるときにです。
そして、主はご自分にいのちをかけて近づく者を探しておられます。神をキリストを通さずに見るなら、死んでしまいます。その様な概念が彼らにあるので、神に近づくには恐れがあります。それでも、いのちをかけて近づく者を主は求めておられます。そうして、主の民とされていきます。

・主の燃える怒り:23-24節
大患難の終わりの時、主はこのように徹底的に悪を滅ぼされます。残されたイスラエルの民はそれを目撃します。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 今日悔い改めることができるように祈ります。主の計画は、平安と、将来と希望を与えてくださることを感謝します。

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