聖書通読クラブ Day 212

聖書通読クラブ Day 212【イザヤ書 28章〜30章】

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シャローム!

今日の通読箇所、28章では再びユダの人々の心の奥深い部分に触れられています。聖書をここまで読んできて気づいているかもしれませんが、主は同じようなことを何度もみことばを通して語られます。語られる度に、最初に戻っているように感じますが、その度に更に深みへと導かれています。
今日の箇所では、霊的な問題にまで言及されています。これを他人事として読むのでは無く、自分の内なる人と照らし合わせてみことばを受け取っていきましょう。

今日の通読箇所:イザヤ書 28章〜30章

■アウトライン

●物質的な豊かさ:28章(ホセア書)
  ・エフライムの酔いどれの誇りとする冠:1-6節
  ・酒のためによろめく:7-8節
  ・戒めに戒め:9-10節
  ・もつれた舌で語られる主:11-13節
  ・偽りに身を隠す:14-15節
  ・一つの礎の石:16-19節
  ・全世界に下る決定的な全滅:20-22節
  ・おもんぱかりは素晴らしい:23-29節

●陶器と陶器師:29章(ヨエル書)
  ・アリエル:1-8節
  ・深い眠りの霊:9-12節
  ・心は主から遠く離れている:13-14節
  ・陶器師:15-21節
  ・つぶやく者もおしえを学ぶ:22-24節

●神の仰せに逆らう者:30章(アモス書)
  ・反逆の子ら:1-5節
  ・ネゲブの獣に対する宣告:6-7節
  ・後の日のため:8-11節
  ・容赦なく打ち砕かれるときのような破滅:12-14節
  ・立ち返って静かにせよ:15-17節
  ・これが道だ これに歩め:18-26節
  ・主の御名が遠くから来る:27-28節
  ・祭りを祝う夜のように:29-30節
  ・おののくアッシリヤ:31-33節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【28章】物質的な豊かさ(ホセア書)

・エフライムの酔いどれの誇りとする冠:1-6節
主はまずエフライムに対して語られます。ヤロブアム二世によって国が拡大し、豊かになりました。その時、彼らは世の楽しみに酔いしれていました。もし、彼らが豊かな富を持っていたとしても、それを主のためにささげ、へりくだった心を持っていたなら、より多くの冨が与えられ、長続きしていたでしょう。
しかし、主は彼らを一気に滅ぼされようとします。そのためにアッシリヤの侵略によって、首都のサマリヤを陥落させます。それは花がしぼんでいくようです。
5節にも「その日」が出てきます。また、「残された者」が出てきます。北イスラエルは踏みにじられますが、終わりの日に残された者に輝かしい冠、飾り輪を与えてくださいます。主が救いを与えてくださいます。さばく者、城門で守る者に知恵と力を与えてくださいます。

・酒のためによろめく:7-8節
ところが、残された者の中にも泥酔している者がいます。それがなんと祭司や預言者です。幻を見ているのか、泥酔しているのかわからない状態で働きを続けています。結局、彼らも世の冨に目がくらんでしまったのです。
私たちも気をつけなければなりません。教会で仕えるとき、人やモノや金に目が奪われてしまうのなら、主の通り良き管としての働きは難しくなってしまいます。
そのような者に限って、主のことばを聞こうとしません。

・戒めに戒め:9-10節
このことばは特徴的です。「戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則」とあります。これは、大人が子どもに教えるときに言い回しです。大人が見本を見せ、できるまで子どもに繰り返させます。
そのような単純なことばをきらい、難しい事を求めます。ツァラアトが癒やされたナアマン将軍もそうでした。
主のみことばはシンプルです。それを難しくしようとするのが神学です。もちろん、神学によって新しい発見やさらに深いみことばの理解に導かれますが、時に神学のみを追究し、みことばを忘れてしまうことがあります。ですから、このコラムは読まれなくてもいいですので、みことばを読みましょう。主は戸の外に立ってたたかれています。

・もつれた舌で語られる主:11-13節
主が子どもにでもわかることばで語られたのにもかかわらず、彼らはそれを見下しました。主のみことばを聞こうとしませんでした。
それで、主は彼らにわからないことばで語られます。この「もつれた舌」とは理解できないことば、まるで酒に酔っているかのようなことば、すなわち異言であると言う人もいます。
その上、主は彼らをアッシリヤに連れて行き、彼らが聞いてもわからないことばで彼らをさばかれました。子どもでもわかるシンプルな福音のことばを退けた者に対する報いです。
しかし、主のことばを聞く者には憩いがあります。

・偽りに身を隠す:14-15節
ここから主はユダに対して語れます。エフライム、すなわち北イスラエルに対して主が行われたことは、ユダに対する警告でした。南ユダの人たちは北イスラエルのアッシリヤ捕囚を見ていましたが、「あいつらは、信仰が無いからそうなるんだ」といって見下げていました。ところが、自分たちもエジプトに頼っていたと言うことが明らかにされていきます。そのことをイザヤは「われわれは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる」と表現しています。

・一つの礎の石:16-19節
主はシオンに一つの石を礎として置くと言われました。この礎石を信じる者は慌てないとも言われています。この一つの石とは何でしょうか。そうです。イエス様です。私たちはこのお方に一度だけ信頼するのでは無く、信頼し続ける、信じ続ける必要があります。
ユダはこの石に頼りませんでした。

・全世界に下る決定的な全滅:20-22節
ユダはこの石に頼りませんでした。それを寝床の短い布団に例えています。全く安心できない状況です。
また、「ペラツィムの玉、ギブオンの谷」とは、ダビデが統一王として即した後、ペリシテ人に勝利したこと、もう一つはヨシュアがカナン人の五人の王に勝利し、天体が止まった時の出来事を指しています。主はこの事を通して、人の方法に拠らない大勝利を与えるということを言われています。
ユダの人々はエジプトと組むと自分たちは助かると思っていましたが、それが帰って彼らのかせとなってしまいました。主はユダの愚かさをアッシリヤによってエルサレムを包囲させ、その上で一気にアッシリヤを倒すと言うことを通して明らかにされます。

・おもんぱかりは素晴らしい:23-29節
イザヤは当時の彼らにとって身近な農業でたとえを話します。大きくは「いつまでも同じ事をしていてはいけない」と言うこと、もう一つは「働きは一つではない」と言うことです。
例えば、賛美の司会の奉仕をするとします。前回に行ったときの曲の流れがとても良かったので、今回もあの喜びを体験したいと思い、また同じ曲を選びます。しかし、前回と同様にはいきません。なぜなら、主は日ごとに新しいからです。
同じように、前にうまくいったから、今回もうまくいくとは限りません。主に関わらず、同じ事を繰り返すことを宗教と言います。観や経験にばかり頼るのでは無く、いつまでも主に頼ることが大切です。

【29章】陶器と陶器師(ヨエル書)

・アリエル:1-8節
ここで突然、アリエルということばが出てきます。アリエルとは一体何なのでしょうか。アリエルとはエルサレムのことです。また、神の獅子と言う意味もあります。2節の祭壇の炉もアリエルです。また、関係代名詞の役割をしたりもします。
エルサレムがアッシリヤに包囲されています。そこで、獅子のような勇ましい町が祭壇の炉のように火の試練を受けていると言っています。しかし、これから主は燃える火のような激しい働きをエルサレムのためにして下さいます。取り囲んでいるアッシリヤ軍を一挙に滅ぼされます。

・深い眠りの霊:9-12節
ユダの預言者たちは、さすがにイスラエルの預言者たちのように酒に酔ってはいませんでした。ところが彼らには眠りの霊が注がれていました。みなさんにもこの霊が注がれるときがあります。メッセージを聞いているときです。主のみことばを聞かせないようにする霊性です。この眠りの霊が注がれると、みことばがわからなくなります。聖書を読んでいるときもこの霊が注ぐこともあるでしょう。私たちはこの霊に打ち勝たなければなりません。聖霊様を求めましょう。

・心は主から遠く離れている:13-14節
この箇所は、イエス様が何度も宗教的な指導者に向けたことばでした。口先だけで神を敬うと言っていますが、心は遠く離れてしまった状態です。聖書で「敬虔」ということばが出てきます。その定義を知っているでしょうか。敬虔とは、言ったとおりの事を行う人のことを指します。
リーダーに言われたから何かを行うことは大切です。そこで従順を学びます。しかし、言われてから何かを行うのであればまだ幼子の信仰です。大人の成熟した信仰は人に言われなくても良い行いを進んでします。主の心と近くなっている状態です。私たちの目標は主の心と一つになることです。

・陶器師:15-21節
主に自分のはかりごとを隠していると書かれています。これは、アッシリヤに知られないようにエジプトと同盟を結んでいることです。主がアッシリヤを通してご計画を成し遂げようとされているのにもかかわらず、自分たちの力で何とかしようとしています。
彼らはいつも神様に見張られていると考えていました。神様に見守られる生活は窮屈だと思っていました。それは本当の神様の愛を知らないからです。彼らは自分を中心に物事を考えていたのでそのように考えます。逆です。主を中心として考えなければなりません。
そのことを陶器と陶器師のたとえで説明しています。私たちも主に「なんでこんな顔に造られたのですか」などと文句を言うかもしれません。しかし、主はすべてをご計画され、私たちを造られました。私たちは完全な創造主に何も文句を言えないのです。私たちは陶器です。主が陶器師です。どちらが主でどちらが従か。その関係を明確にしておく必要があります。
17節からは、再び終わりの日に回復したイスラエルの姿が描かれています。レバノンが果樹園に変わるように、耳の聞こえない人がみことばを聞き、目の見えない人が物を見ています。みことばを聞き、真理に対して目が開かれています。貧しい者がイスラエルの聖なる方によって楽しみます。

・つぶやく者もおしえを学ぶ:22-24節
イスラエルの子孫が回復しています。「自分たちこそ選民であり、すべてを悟っている」という恥が取りのけられることが約束されています。みことばを宗教儀式として行うのでは無く、主を愛し、主に愛されているがゆえに行うという形に変えられていきます。

【30章】神の仰せに逆らう者(アモス書)

・反逆の子ら:1-5節
頑なな子らと呼ばれているのはユダの民です。なぜでしょうか。はかりごとを巡らしますが、主によらず、同盟を結びますが主の霊によらず、罪に罪を増し加えるからです。
彼らは主の指示を仰がず、ファラオの保護下に身を置きます。自分の身の安全を主では無くエジプトに求めました。それはやがて恥となります。

・ネゲブの獣に対する宣告:6-7節
ネゲブは荒野ですが、苦労し、危険を冒して、高価な代金を支払っても助けは来ないと言うことをあらわしています。ラハブはエジプトの別の呼び方であり、海の巨獣の名前でもあります。
人々からは強く強大に見えるエジプトですが、その実はシャボン玉のように何も無いということです。

・後の日のため:8-11節
ここで突然、書物に書き記すことが書かれています。なぜかというと後の日のためにです。人の記憶ほど曖昧な物はありません。おとといの昼ご飯は何を食べましたか?すぐに思い出すことは難しいですが、記録しておくとすぐにわかります。
簿記なども正に記録することで後から一年の業績を数字で振り返ることができます。法律やあらゆる大切なことは書物に残されます。もちろん、みことばも多くの人の手によって書き記されたからこそ、今まで伝えられています。記憶では無く記録する習慣を身につけましょう。みことばに戻ります。彼らは主のことばを聞いても自分勝手に記憶を書き換え、あいまいになってしまいます。(私たちも同様です)ですから、道から外れることの無いように、書き記すのです。

・容赦なく打ち砕かれるときのような破滅:12-14節
エジプトに身を置いたため、彼らには必要以上の労力と資金が必要でした。その結果、税金が重くなったり、偽装してエジプトと同盟を結ぼうと計画します。それが「虐げと悪巧み」と書かれていることです。それは繰り返されますが、時が来ると一瞬で壊れてしまいます。

・立ち返って静かにせよ:15-17節
ユダの人々はどうして主がいながら、エジプトと同盟を結んだのでしょうか。それは焦りと恐れが原因です。箴言にも「すべて慌てる物は欠損を招く」とあります。自分のピンチをとにかくなんとかしなければならないと焦れば焦るほど恐怖に襲われ、泥沼にはまっていきます。ピンチの時ほどしなければならないことは落ち着くことです。私は仕事で1分1秒を争うとき、まず目を閉じて深呼吸をして、いつもの半分くらいのスピードで行うようにしています。結局、その方が正確に早く仕上げることができます。
もっと大切なことは主に立ち返ることです。そして、静かにすることです。自分たちが何かをする事以上に、主が何をして下さるかを信じて待ち続ける信仰が大切です。

・これが道だ これに歩め:18-26節
もし、この事を実践するならどうなるでしょうか。主が恵みとあわれみを与えようと立ち上がって下さいます。主を待ち望む者は幸いな者です。
主の恵みの中に入れられるなら、もう泣くことはありません。貧しい心を持って、主を呼び求めるなら、主は答えてくださいます。主は私たちを見守り続けてくださり、人生の中でもうしろから「これが道だ。これに歩め」と語りかけてくださいます。なんと素晴らし事でしょうか。

・主の御名が遠くから来る:27-28節
主が天から勢いを持ってこられる姿が預言されています。主はとても怒られています。黙示録19章でも、このような主の姿を見ることができます。

・祭りを祝う夜のように:29-30節
しかし、主の恵みの中にいる者は聖なる間散るの祝いの夜のような歌があります。不義が滅ぼされる時、聖徒の中にも喜びが満ちあふれます。

・おののくアッシリヤ:31-33節
終わりの日に主が行われようとしていることを、アッシリヤにも行われます。エルサレムを取り囲むアッシリヤ軍がたちまち滅ぼされます。終わりの時、主は反キリストと戦われ、この時のように反キリストは一瞬で火と硫黄に投げ込まれます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主に立ち返ることができるように祈ります。
    主が恵みとあわれみを与えようと立ち上がって下さり感謝します。

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