シャローム!
今日の詩篇も苦しみを多く通されます。生きていることは苦しいことが多いです。しかし、この苦しみはむだにはなりません。私たちの信仰を練り、人格を形成し、キリストの似姿へと造りかえられていきます。
詩篇の作者も多くの苦しみを受けました。その中から振り絞るように主を賛美し礼拝しています。
今、様々な状況で苦しみの中に置かれている方も多いと思います。今までのようにはいかない世の中です。ですから、そのような大水に飲まれてしまうのではなく、ひざまずき祈りましょう。新しい時代を主と共にどのように生きていけば良いかを祈りましょう。
心の内を隠すことをせず、正直に主に申し上げて見ましょう。主はその祈りを聞いてくださると信じます。その秘訣を、今日もみことばから教えていただきましょう。
今日の通読箇所:詩篇66篇〜70篇
■アウトライン
●栄光の輝く賛美:66篇
・ほめ歌:1-4節
・神にあって喜ぼう:5-7節
・神への賛美の声:8-9節
・豊かな所へ連れ出される:10-12節
・肥えた全焼のいけにえ:13-15節
・神がわたしのたましいになさったこと:16-20節
●国々に知られる祝福:67篇
・地の国民を導かれる:1-4節
・祝福:5-6節
・神への恐れ:7節
●シオンへの来臨:68篇
・立ち上がってください:1ー2節
・こおどりして喜べ:3-4節
・孤独なものを家に住まわせる:5-6節
・悩む者の為の備え:7-10節
・みことばを賜る:11-12節
・ツァルモンに降る雪:13-14節
・バシャンの山:15-18節
・重荷をになわれる主:19-23節
・主の行列:24-25節
・相集うて神をほめたたえよ:26-27節
・御力を奮い起こす:28-31節
・みいつはイスラエルの上に:32-34節
・聖なる所:35節
●大波:69篇
・本流の流れから救ってください:1-4節
・数々の罪過:5-12節
・私は苦しんでいます:13-21節
・いのちの書から消される:22-28節
・悩み痛む:29-33節
・御名を愛する者は住み着く:34-36節
●急いでください:70篇
・急いで助けてください。:1-5節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【66篇】栄光の輝く賛美
・ほめ歌:1-4節
詩篇の中では静まる事もありますが、この詩篇では叫んでいます。主の御前には静けさもあり、叫びもあります。
この詩篇では「全地よ」と呼びかけています。人だけでなく、すべての被造物が主をほめたたえています。ですから私たちは自然を見ると感動するのです。被造物が神の仰せのまま、それぞれで主を賛美しているからです。主の戒めに反抗するのは人だけです。
私たち人に最初に与えられた使命は、園を耕し守ることです。礼拝と祈りです。ですから、私たちが主を賛美するとき、本来の召しを回復することができます。その賛美は栄光に輝くものとなります。
その賛美を通して、主への正しい恐れが生じます。
・神にあって喜ぼう:5-7節
主はモーセを用いて海をわけられました。ヨシュアを用いてヨルダン川をせき止められました。この事を起こされた神様を諸国は恐れていました。主の勝利と敵の敗北を同時に見ることができる奇跡です。
そこで主の器が行ったことは神様のことばに従うと言うことでした。彼らが偉大なのではなく、主が偉大なお方です。
・神への賛美の声:8-9節
その偉大な神を国々の民にほめたたえさせています。これがリーダーの大切な役割です。まず自分が主を賛美し、それを家族に、信仰の友に勧めていきます。
そのようにする者を主は神のいのちのうちに保ってくださり、足をよろけさせないようにしてくださいます。
・豊かな所へ連れ出される:10-12節
信仰の先輩方は主によって荒野に導かれ、様々な試練を通され、何度も練られます。それは彼らを潰してしまうためではなく、建てあげるためです。
陶芸家は、自由な形に器を作るために、何度も何度も土を練ります。それでも主通りにならない土があるそうです。その時には「土殺し」といって、何度も何度も土を練り、陶器師の思い通りの形になる従順な土に仕上げられていくそうです。
私たちもちりから造られました。主は何度も私たちを練ることで自我を殺し、主の主通りの器へと造りかえてくださいます。
しかし、試練の中にいるときには苦しいです。その様子が12節の後半に書かれています。「火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。」
私たちが地上で主のためにながした涙は、天において必ず報われます。
・肥えた全焼のいけにえ:13-15節
試練の中で誓いを立てています。それはいけにえをささげるという近いです。試練の中、苦しみの中では通常は自分がその苦しみから解放されることだけを求めてしまいます。しかし、主に目を向けるなら主へのいけにえ、すなわち礼拝、賛美が湧き上がってきます。
・神がわたしのたましいになさったこと:16-20節
主はこの詩篇の作者の祈りを聞いてくださいました。心に不義を抱くものの祈りは聞かれないとありますが、聞かれたと言うことは不義を抱いていなかったのでしょう。あるいは、そのような状態になるまで主が砕かれ、祈り通したのかも知れません。「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)
神様は心の直ぐな者の祈りを退けず、御恵を取り去れません。
【67篇】国々に知られる祝福
・地の国民を導かれる:1-4節
このシンプルな祈りに心が動かされます。「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」このシンプルな祈りを覚えて、いつも祈るようにしてみましょう。この祈りの目的が2節以降に書かれています。それは主の道、救いが国々に知られるためです。
主への喜びが個人から家族へ、教会から国家へと広がっていくなら、国々は喜びに満たされ、みことばによって正しくさばかれます。
・祝福:5-6節
詩篇の作者は国家の救いを願い、祈っています。私たちもこの祈りを続けていきたいものです。
主に従うなら、地は産物を出します。私たちも祝福されます。祝福とは何でしょうか。主の御前にひれ伏し、主に従い、主を賛美することです。
・神への恐れ:7節
その事を通して、地の果て果てまでも、ことごとく主を恐れますように。そして、イエス様が言われた大宣教命令が全うされていきますように。
【68篇】シオンへの来臨
・立ち上がってください:1ー2節
この詩篇はシナイ山からイスラエルの民が旅立ち、ダビデの時代にまで至る神様のご臨在と導きを歌っています。壮大で勇ましい詩篇です。1節では早速力強く宣言がされています。モーセもシナイ山を出るときに「主よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように」(民数記10:35)と言っています。
荒野では敵から襲われても隠れる場所がありません。野の獣もいます。ですから主に拠り頼むしかありません。主が煙のように彼らを追い払ってくださいと願っています。
・こおどりして喜べ:3-4節
対照的に正しい者、神に従う者には喜びがあります。雲に乗って来られる方、再びこの地に来られるイエス様の為に道を備えます。
・孤独なものを家に住まわせる:5-6節
最も力ある主は、孤独な者を家に住まわせてくださいます。主はなんと憐れみに満ちたお方なのでしょう。主の御前で低くされる者に主は憐れんでくださいます。しかし、高ぶる者には焦げ付く地へと追い出されます。
・悩む者の為の備え:7-10節
荒野で主が先立って行かれるときの様子が書かれています。地が揺れ、雨が降り、一同に主への恐れが生じました。
そして、イスラエルの民がカナンに入るとき、主は豊かな雨を降らせ、その地を彼らのために備えてくださいました。
天地創造の時も、まず人の為にすべてのものを創造され、最後に人を造られました。主はいつでも私たちの為に備えをしてくださるお方です。
・みことばを賜る:11-12節
主はみことばを賜ってくださいます。私たちのたましいの糧、いのちのパンです。これはおそらくイスラエルの民がモアブでシホンとオグの王を倒した時の話だと思います。
そして、11節後半には女たちの大きな群れがあります。エペソ書で教会は女に例えられます。大きな群れを成す教会が良い訪れ、福音を告げます。
その福音の前に王たちですら逃げ去ります。
・ツァルモンに降る雪:13-14節
ここから山々が出てきます。主の民がヨルダン川を渡り、主がシオンにご自分の名前を置かれ、そこに住まわれることについて歌っています。
主が王たちを散らされたとき、ツァルモンには雪が降っていたとあるので冬の季節です。
・バシャンの山:15-18節
バシャンの山、峰々の連なる山とはヘルモン山のことです。イスラエルで最も高い山です。
最も高い山なのに、それに比べて低く小さいシオンをねたんで見ています。どうしてでしょうか。そこに主が須磨割っておられるからです。また、18節はパウロがエペソ4:7-10で引用しました。少し長いですがこのように書かれています。「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵を与えられました。そこで、こう言われています。『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。–この『上られた。』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです。–」
イエス様が来られるまで救い主を信じていた旧約の信仰者は地の下にあるパラダイス(アブラハムのふところ)に取り分けられていました。イエス様が十字架で死なれ、葬られたとき、イエス様はこの地の深みで福音を語られ、彼らを携えて天に帰って行かれました。このお方はまもなく私たちを迎えに来てくださいます。
・重荷をになわれる主:19-23節
主は私たちの重荷をになってくださいます。マタイ11:28には「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と書かれています。
私たちが追うべき荷物と主が担ってくださる荷物があります。それを入れ替えてはいけません。主は私たちから私たちの負いきれない罪という重荷を十字架で取り去ってくださいました。それをもう一度背負おうとしてはいけません。主にお委ねするのです。
・主の行列:24-25節
人々が行列を見たとあります。主の宮に集う喜びの行列です。主は終わりの時、国々の人々を呼び寄せられ、このような喜びの大行列を作ってくださるでしょう。
・相集うて神をほめたたえよ:26-27節
この行列にはユダだけではなく、イスラエルも一同に集まっています。ベニヤミンとユダだけではなく、ゼブルンとナフタリもいます。
今は北イスラエルの十部族は失われたと言われています。終わりの時代、突然イスラエルという国家が主によって誕生したように、彼ら十二部族が主の方法によって回復しますように。
・御力を奮い起こす:28-31節
主の御力で、周辺の国が襲ってきても打ち負かされ、逆に貢ぎ物を持ってきます。
この時代はおそらくダビデの時代ではなく、アッシリアを倒したヒゼキヤの時代あたりではないかと思います。アッシリアに囲まれたヒゼキヤは主に祈ったところ、主は大勝利を送ってくださいました。そのため、大国であるエジプト、エチオピヤがヒゼキヤに贈り物を持ってきました。
・みいつはイスラエルの上に:32-34節
この箇所はおそらく時代を一気に飛び越して、千年王国の光景でしょう。天から雲に乗ってこられる方を賛美しています。再臨されるイエス様です。みいつはイスラエルの上にあります。ちなみに、このみいつは「三位一体」と言う意味ではなく「力」と言う意味です。私がかつて間違えて認識していましたのでお伝えしました。
・聖なる所:35節
私たちの希望はここにあります。再び来られるイエス様です。このお方こそおそれられるお方です。そして私たちの希望です。
【69篇】大波
・本流の流れから救ってください:1-4節
ダビデはまたもや苦しみを表現しています。水に溺れる様子に苦しみを例えています。大水の底で押し流されています。水の中にいるのに渇いています。どうしてでしょうか。
それはゆえもなくダビデを憎む者が髪の毛よりも多いからです。人から誹謗中傷されることは心が削られるようです。昨今もSNSを通じた誹謗中傷で命を落としてしまう方もいます。韓国ではこの事を「親指殺人」と言うそうです。スマートフォンなどを操作する親指によって人の命を奪ってしまうからです。
何げないことばが人を傷つける事があります。いつも主の愛を持って人々と接していきたいです。
・数々の罪過:5-12節
ダビデが責められているのは、ダビデの過去の何かが原因のようです。ところが主は憐れんでくださいました。再び立ち上がる力を与えてくださいました。そして神を礼拝するまでにしてくださいます。
7節からを見ると、ダビデは家族からも迫害されています。そして有名な箇所です。「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くした」です。イエス様が宮で商売をする者たちを追い出されたとき、「弟子たちは、『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い起こした」(ヨハネ2:17)とあります。
熱心な事は素晴らしいことです。しかし、的からずれた熱心さは逆にすこしやっかいです。マラソンも決められたコースを走るから協議が成り立ちます。自分勝手なコースを走ると失格になります。
熱心に、しかも主の置いてくださるコース上を走って行き、朽ちることない冠をかぶらせていただきましょう。
そして、ダビデは主に喜ばれることを行っているにも関わらず、人々はダビデをそしっています。義のために迫害されています。イエス様はその様な者を幸いな者と言われ、神の国はその人のものであると言われています。
・私は苦しんでいます:13-21節
ダビデの力の根源の秘密がここにあります。主の恵みに拠り頼んで、主に祈っています。大水、つまり人々の誹謗中傷からの救いです。
ダビデは主に「苦しいです」と正直に言っています。病人でも、苦しいかどうかを医者に言わなければ対処ができません。もちろん、主は心の中に浮かぶことばもご存じですが、あえて私たちの口から告白することを求めておられます。そうするなら助けてくださいます。
・いのちの書から消される:22-28節
ダビデは迫害する者が徹底的に打ちのめされるように祈っています。しかし、やはりここでもダビデは自分で手を下していません。自分の手で復讐するのと、主が復讐してくださるのはどちらが強烈な復讐でしょうか。さばきを主にお委ねしましょう。
主に従わない者はいのちの書から消し去られてしまいます。
・悩み痛む:29-33節
主に信頼するダビデも悩みます。傷ついています。しかし、それを隠しませんでした。その力を祈りに変えました。そのような苦しみの中からの賛美はいけにえに勝ります。
いつも心を貧しくし、主に飢え乾いていたいです。
・御名を愛する者は住み着く:34-36節
天も地も、海の中のすべてのものが主を賛美する、完全な主の統治の様子を見ることができます。主がシオンを救われます。ユダの町々を建てられます。主のしもべたちはその地を受け継ぎ、主の御名を愛する者がそこに住み着きます。主が再び戻ってこられ、この地を回復してくださいます。
【70篇】急いでください
・急いで助けてください。:1-5節
この詩篇は、ひとつ前の69篇のダイジェスト版のようにも思えます。たった5節の詩篇ですが、そこには切実な祈りが込められています。
人にいのちの危険があるときには時間との勝負です。ダビデはそのようなっころの状態で、繰り返して「急いでください」と主に祈っています。いつまでも恥をかかされたり、辱めを受ける環境に痛くありません。ローマ12:2には「この世と調子を合わせてはいけません。いや、、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」とあります。
ダビデは急いで自分を救って欲しいと祈っています。ダビデは悩み、心の貧しい者でした。この飢え乾きが主を引き寄せます。
私たちも信仰の目が開かれて目の前がどのような環境かを悟らせていただき、急いで主の高みへと引き上げられて行くことができるよう、祈っていきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を感謝私たちの上に照り輝かしてくださるように。
再びこられるイェス様に感謝します。