聖書通読クラブ Day 170

聖書通読クラブ Day 170【詩篇61篇〜65篇】

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シャローム!

日本には本音と建て前ということばがあります。私は昔からそのような空気感を読み取ることが苦手です。ですから、たまに場違いな事を言って人々を驚かせてしまうことがあります。
言っていることと心で思っていることが違うというのは、聖書では二心として書かれています。私もそういうことが全くないかと言えばそうではないですが、人と話していて、ものすごく好意的に話してくれていたのに、実は違う人には全く逆のことを言っていたと言うことをしってショックを受けたこともあります。(もちろん、その人を祈りの中で赦しました)
良いことでも悪いことでも、心の中は見ることができません。しかし、心の中に隠して秘めているように思えるものでも、いつか明らかにされます。なんとかうまいことをして、この地上で隠し通す事ができたとしても、イエス様の前では隠し通すことはできません。
それであれば、今からイエス様にすべてを告白し、赦していただくこともできるのではないでしょうか。
お互いに忖度をせず、気を遣うこともせず、礼儀を持ちつつですが本音で話し合える神の家族がこの国に益々増え広がっていくことができますように。

今日の通読箇所:詩篇61篇〜65篇

■アウトライン

●高い岩:61篇
  ・心が衰え果てるとき:1-4節
  ・いつまでも王座につく:5-8節

●信仰に立つ人の祈り:62篇
  ・口では祝福し心でのろう:1-4節
  ・どんなときにも神に信頼する:5-8節
  ・恵は主のもの:9-12節

●捕囚の祈りと賛美:63篇
  ・いのちにまさる恵み:1ー3節
  ・両手を挙げて祈る:4-8節
  ・きつねのえじき:9-11節

●神の審判:64篇
  ・苦いことばの矢:1-4節
  ・人の内側のものと心は深い:5-6節
  ・ふいに傷つく:7-10節

●収穫の歌:65篇
  ・咎に圧倒される:1-4節
  ・恐ろしい事柄で応えてくださる:5-8節
  ・成長を祝福される:9-13節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【61篇】高い岩

・心が衰え果てるとき:1-4節
改めてダビデの詩篇を見返してみると、ほとんどが嘆きの詩篇です。主に心を隠すことなく訴えています。
自分が弱められ、主にしか頼ることができないような状況が続きます。人々からはいわれのないことばで責められます。そこから逃れたいと、自分を及びがたいほどの高い岩の上に導いて欲しいと願っています。イエス様は救いの岩です。このお方を土台とした家はどんな嵐が来ても崩れることはありません。私たちもこの揺るがない土台の上に賢く家を建築していきましょう。
そして、何度も出てくる表現ですが、ダビデの願です。ダビデが欲しいのは権力でもなくお金でもなく、ただ主と共に住むことです。

・いつまでも王座につく:5-8節
ダビデはいつも現実を受け入れ、その上に信仰を置いています。信仰ということばは「前に投げやる」という意味です。石を前に投げ、それを目標としてそこを目指していきます。私達の目標はイエス様です。信仰の創始者であり完成者であるイエス様目指していきましょう。

【62篇】信仰に立つ人の祈り

・口では祝福し心でのろう:1-4節
ダビデの静かですが、力強い信仰の告白です。この詩篇も、おそらくアブシャロムに追われている時の詩篇ではないかと思います。その中で、ダビデは主に信頼しています。人からは傾いた城壁、ぐらつく石垣と言われています。しかし、主は岩、救い、やぐらです。このお方に身を寄せているので安心です。
身の回りのことを見て、騒ぎ立てることもできます。しかし、私たちは黙って主を待ち望みましょう。主の中にあって安息し、自分のたましいを主にいこわせましょう。

・どんなときにも神に信頼する:5-8節
ダビデはここでもおなじことばを繰り返しています。無理に悪あがきするのではなく、降参して主に委ねます。人が励ましてくれることばもありがたいですが、ヨブ記を見てもわかるように、逆にそのことばは自分を苦しめるものになりえます。神から来る望みだけが私の望みとなってほしいものです。
ダビデは民にも向かって呼びかけます。自分が信頼しているように主に信頼することを勧めます。それは中途半端な者ではなく「心を神の御前に注ぎ出せ」というものです。主の前に黙ることは、自分のしたいことをあきらめるということです。そして、主に集中して心を注ぎ出すのです。

・恵は主のもの:9-12節
ダビデは恵は主のものであることを告白しています。私たちはあらゆるものを良い悪いで判断します。それはある意味正しいことです。ここを経なければなりません。その判断基準は律法であります。
しかし、その判断基準をもって人を裁いてしまうことがあります。お金持ちそうな人には親切にし、貧しい人には冷たくあしらってしまいそうになります。
そのように、人を偏り見るのは良くないことであると言っています。圧制にたよるのではありません。略奪にむなしい望みをかけてはいけません。富は私たちのいのちを救うことはできません。受けるべきでない者が神から受ける一方的な好意が恵です。恵が私たちにも注がれていることを感謝します。

【63篇】捕囚の祈りと賛美

・いのちにまさる恵み:1ー3節
この詩篇もダビデがアブシャロムから逃げていたときの詩篇です。二図のない、砂漠の衰え果てた地とあります。水分が全くない様子がことばからわかります。
その中で、ダビデは生命の危機を感じていたでしょうが、彼が語ったのは「主を慕って絶え入るばかり」ということばでした。自分の喉の渇き以上に主に飢え乾いています。
私はいつも願っています。ダビデのこの飢え乾きが欲しいと。先ほどは恵は主からのものであると詩篇にありました。私は思います。飢え乾きも主からのものであると。主がおられなければ、飢え乾くことさえもできません。
そして、ダビデは聖所で神を仰ぎ見ています。聖所は他と区別されたところです。私たちもいつでも、どこででも神様を求めることができますが、その中でも意思を持って取り分けられた時間で主との交わりを求めてみましょう。
飢え乾きがないと感じる方は、主に「私にダビデの持っていたような飢え乾きをください」と祈ってみましょう。
そしてダビデは言います。「あなたの恵にはいのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。」と。ダビデの主を賛美する理由です。ダビデの優先順位がわかります。いつでも主を一番にしていました。

・両手を挙げて祈る:4-8節
それゆえと始まりますが、これは3節をうけての「それゆえ」です。
主の素晴らしさを知れば知るほど、私たちは神様の素晴らしさを言い表していきます。自然に主に対して手が上がります。主に対する降参の意味もあります。敵に対する勝利の意味もあります。主を王とする意味もあります。
ダビデは生活のあらゆる場面で主をほめたたえました。6節には床の上で主を思い出したとあります。公の場面だけでなく、ひとりになり、眠る直前まで主のことを考えていました。ヨハネ14:26にはこのようにあります。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」とあります。思い起こさせてくださるのは聖霊様です。

・きつねのえじき:9-11節
ダビデはダビデを責める者を滅び、地の深い所に行くと言っています。彼らは剣の力に渡されるとあります。それは文字通りの剣でもありますし、みことばの剣のさばきでもあります。そして、彼らはきつねのえじきになると書かれています。
イエス様はきつねを何と言っているでしょうか。「イエスは言われた。『行って、あの狐にこう言いなさい。「よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。」』」(ルカ13:32)この一つ前にはヘロデが出てきます。イエス様はヘロデを狐と呼んでいます。ヘロデは神を殺そうとしていました。これが狐です。
私たちの周りには狐がうろうろしているかも知れません。だからこそ、主に信頼します。王は神にあって喜びます。そして、偽りの口は封じられます。

【64篇】神の審判

・苦いことばの矢:1-4節
ダビデは嘆いています。この場面はアブシャロムに追われたときでしょうか。それともサウルに追われたときでしょうか。おそらく後者ではないかと考えられています。2節に「悪を行う者どものはかりごと」とありますから、サウルがダビデを殺そうとした計画をダビデが聞いたときの詩篇だと考えられています。
そのことばは苦い矢と言っています。エペソ6章には神の武具が出てきますが、そこにはこのように書かれています。「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」(エペソ6:16)とあります。
主に対する信仰が苦いことばの矢、悪魔の火矢を消すことができます。

・人の内側のものと心は深い:5-6節
彼らは悪事に凝っていると書かれています。悪魔は非常に巧妙です。そして、神を父としない者はこの世の君に従う者です。悪魔の策略は神に従おうとしない者に与えられます。
ですから私たちは鳩のように素直な心を持ちつつ、ヘビのようなさとさが必要です。いつも目を覚まして祈る必要があります。主に拠り頼む必要があります。
悪者が策略を計画し、実行する様子をダビデは「人の内側のものと心とは深いもの」と書いています。自分を見ても、本当にその通りだと思います。この深い領域に主をお迎えしていきたいです。

・ふいに傷つく:7-10節
しかし、悪者の計画、またそのことばは彼らに帰ってきます。今度は神ご自身が矢を彼らに仕掛けられます。そして彼らは不意に傷つきます。今までに何度も見てきましたが、悪者は自分の仕掛けたわなに自分でかかります。
そして、人々は悪者が主の方法によってさばかれるのを見て、主を恐れるようになります。彼らがひそかに計画していたことが明るみに出てしまいます。ルカ12:2には「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずにすむものはありません。」と書かれています。真実であれ偽りであれ、隠されているものは明るみに出されます。私たちの心がすべて周りの人たちにわかったらどうでしょうか。そのような状態を言っています。心に満ちていることを私たちは話します。心の奥底に主を歓迎して、心を主でいっぱいに満たしていただきましょう。

【65篇】収穫の歌

・咎に圧倒される:1-4節
この詩篇はダビデの後期に書かれたものと言われています。もう人々から追われることもありませんし、責められることもありません。敵が襲ってきますが、そのたびに主の助けによって敵を制圧します。平安なダビデ王朝の時代です。
ところがそこに飢餓が訪れます。それは三年続きました。原因を求め主に祈ると、サウルの時代にギブオン人を殺しているという罪があることがわかりました。かつてヨシュアとギブオン人は盟約を結び、殺してはならないことになっていました。しかしサウルが殺していたのです。
そのためにダビデは主に祈ります。すると主は国家をあげた祈りを聞かれ、土地を癒やされました。その時の詩篇です。
1節を見ると、ダビデは年老いても変わらない信仰を持っていました。主の前の静けさとシオンの賛美が美しく対比されています。
賛美では大きな声で主をほめたたえます。そしてそれからしばらく主の前に静まることもあります。その中にも主はいてくださいます。黙示録8:1には「小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。」と書かれています。主の御前には静けさもあります。このお方は祈りを聞いてくださいます。この方にすべての肉なるものが集められます。
しかし、咎が圧倒しています。神を知れば知るほど、自分の中にある罪の深さ、咎の大きさを知ります。
主はそのようなものを御側に近寄らせてくださいます。そして良いもので満ち足ります。

・恐ろしい事柄で応えてくださる:5-8節
主は飢饉を送られました。それはダビデにとって恐ろしいことでしたあ、主からの答えでもありました。
自然現象も人々も主が治め、静められます。

・成長を祝福される:9-13節
ここまでで、ダビデは罪を悔い改めています。そして、ここでは収穫が出てきます。このことから、この詩篇は秋の例祭、大贖罪日から仮庵の祭りに歌われたものではないかと思われます。
秋には先の雨が降って、乾期でカラカラになった地面を潤し、耕し安くします。そして、収穫物に最後の実を実らせるための水を与えます。そして、成長を祝福してくださり、恵の冠をかぶらせてくださいます。私たちにも恵の雨、みことばの水が注がれています。それを受け入れるとき、私たちのたましいは成長し、祝福されます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主の恵み、一方的な好意に感謝します。
    ダビデのような飢え乾きが与えられるように祈ります。

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