聖書通読クラブ Day 172

聖書通読クラブ Day 172【詩篇71篇〜75篇】

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シャローム!

日本語のことわざには「実るほど、頭をたれる稲穂かな」ということばがあります。秋のシーズンに田んぼを見ると、このことがとても理解できます。しかし、私たち、主を信じる者はこう言いたいものです。「祈るほど、頭をたれる稲穂かな」と。
詩篇の1篇ではもみがらが出てきました。見た目は同じですが、中身があるかないかで幸いな人と悪者とが別れてしまいます。
私たち人間も見た目は同じです。しかし、大切なのは中身、つまり主を信じる信仰です。
多くの信仰の器を見るとき、若いときは良かったのですが晩年で残念になる事が良くあります。今日の詩篇ではダビデが年老いた時に残した詩篇が出てきます。さて、ダビデは年老いてどのような信仰を持っていたのでしょうか。
年を重ねるごとに、主との関係を深めていける人生を送りたいですね。

今日の通読箇所:詩篇71篇〜75篇

■アウトライン

●年老いてもなお:71篇
  ・恥を見ないように:1-3節
  ・信頼の的:4-8節
  ・年老いても:9-14節
  ・復活の主:15-20節
  ・偉大さをましてくださる:21-24節

●次世代への祈り:72篇
  ・次の世代:1-8節
  ・彼のために祈る:9-17節
  ・栄光は地に満ち渡れ:19-20節

●神の近くにいることが幸せ:73篇
  ・誇り高ぶる者へのねたみ:1ー12節
  ・彼らの最後を悟る:13-17節
  ・またたくまに滅ぼされる:18-20節
  ・天ではあなたの他に:21-28節

●聖所が壊される:74篇
  ・聖所を荒らす敵:1-9節
  ・御手をふところからだしてください:10-17節
  ・永久に忘れないでください:18-21節
  ・心に留めてください:22-23節

●高く上げてくださる方:75篇
  ・御名は近くにある:1節
  ・定めの時:2-5節
  ・高く上げること:6-8節
  ・角:9-10節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【71篇】年老いてもなお

・恥を見ないように:1-3節
この詩篇は題名がないのですが、おそらくダビでの詩篇だと思われます。ダビでは年を重ねています。晩年のダビでの信仰はどのような者でしょうか。
1節からを見ると、年老いても苦しみを抱えています。かつて、息子のアブシャロムのクーデターがありましたが、晩年になっても別の息子アドニヤが王になろうとしています。そこにはダビデが信頼する祭司エルアザル、将軍のヨアブもいました。ダビでは大きなショックを受けたと思います。その時の詩篇ではないかと言われています。
この時もダビでは自分の義ではなく、あなたの義と言っています。晩年になっても自分よりも神に目が向けられ続けています。

・信頼の的:4-8節
ダビでは少年の頃から主だけを見上げていました。羊飼いとして羊を守るために野獣と戦ったときも、ゴリヤテを倒したときも、王になってからの戦いの時も、いつも神様を第一としていました。若い頃からダビデにとって主は望みであり、信頼の的でした。
ダビでは生まれたときから主にいだかれていたことを知っています。助産婦ではなく、主がダビデを母の胎から取り上げられたと告白しています。詩篇22:9-10でもこの事が告白されていますが、晩年になっってもダビではこの告白をしています。
そのような神への信頼があったのでゴリヤテも倒せました。これは多くの人にとって奇跡と思われていました。
そのように神様を第一としているので、ダビデの口にはいつも賛美がありました。

・年老いても:9-14節
年老いたダビデは戦いに出て行くこともできません。アドニヤのクーデターを聞いても床から起き上がるのが精一杯です。しかし、長年一緒に歩んできた主に祈ることはできます。最強の戦い方です。
自分の体力や経験に拠り頼むのではなく、老いてなお神様に拠り頼んでいます。

・復活の主:15-20節
ダビデは床の上で、知りうる限り主の素晴らしさを告白しています。しかし、ここにへりくだった姿を見ることができます。「私は、その全部を知ってはおりませんが」とあります。主の高さ、広さ、深さ、長さを知り尽くすことはできません。
主はダビデの若い頃からダビデを教え、年老いた今もなお主の奇しいわざを告げ知らせています。
そして、ダビデは年老いても捨てないでくださいと祈っています。かつてカレブは80歳になっても「若いときと変わらず、まだ戦える。」と宣言しました。ダビデは年を重ねても信仰を継承していくという使命があったので、このように祈りました。
20節は、年を重ねたからこそ言える事です。あらゆる場面で神様はダ透けてくださいました。導いてくださいました。救ってくださいました。そのことを思い出すと、主の偉大さをほめたたえずにはおられません。
ここに復活の信仰を見ることができます。苦しみを通してダビデの自我を殺し、主にあって再び生き返らせ、引き上げてくださいました。罪から来る報酬は死ですから、苦難を通して罪を悟らせ、主に立ち返る機会を与えてくださったのです。

・偉大さをましてくださる:21-24節
ダビデはいつでも主を賛美しました。戦いのさなかでも主を賛美しました。一日中賛美しています。それがダビデの生き方でした。天の御国では一日中、そして永遠に主を賛美しています。つまり、ダビデは地上にいながら天での生き方をしました。私たちもそのようでありたいです。

【72篇】次世代への祈り

・次の世代:1-8節
この詩篇のタイトルは「ソロモンによる」とあります。しかし、一説では「ソロモンのための詩篇」とも書かれています。ダビデが次の王であるソロモンに送った信仰継承の詩篇かも知れません。その証拠に、この詩篇の最後に「エッサイの子、ダビデの祈りは終わった」とあるからです。
さて、1節から見ていきましょう。ダビデはいつも主にあって公正さを求めていました。その公正と義を王の子に授けてくださいと祈っています。王が正しいさばきをしなければ国は立ちゆきません。その判断基準はいつもみことばにあります。国を正しく導き、治めるためには絶えずみことばと共に生きる必要があります。
次の世代が主を恐れ、豊かな平和があるようにと祈っています。

・彼のために祈る:9-17節
タルシシュ、シェバ、セバ、世界の人々がみつぎをおさめることを祈っています。主の公正さ、貧しい者たちへの憐れみの心が諸国に広がっていく様子です。
諸国の中にも貧しい者、悩む人々がいます。彼らを解放するために従わせます。そして、それはイエス様によって完成されます。
王が憐れみを示すので、世界中から賞賛され、さらなる富や祝福を受けます。

・栄光は地に満ち渡れ:19-20節
これで第二巻が終わります。「アーメン。アーメン。」真実です。同意します。確かにそのことが起こります。速やかに起こります。という宣言です。私たちはみことばにいつも「アーメン。アーメン。」でありましょう。

【73篇】神の近くにいることが幸せ

・誇り高ぶる者へのねたみ:1ー12節
第三巻がはじまります。アサフの賛歌です。礼拝を導くアサフの詩篇を見ていきましょう。
神はどのような人にいつくしみ深いと書かれているでしょうか。心のきよい人たちです。下心のない人たちです。主と共に歩む者たちです。ところが、私たちは神の道から外れ、自分勝手な道を歩んでしまうことがあります。目標であるイエス様から目がそらされて、この世の魅力的なものに目移りしてしまうことがあります。
アサフも主に仕えていましたが、横目でこの世で働く人がどんどん栄えていくのを見て、ねたむ心を持っていました。

・彼らの最後を悟る:13-17節
私たちもこのアサフのような気持ちになることはないでしょうか。日曜日には家でゴロゴロしたいのに礼拝に行き、テレビやスマホを見たいのに聖書を読んで祈る。なんだか損をしている気がします。神様を知らない人は楽しそうに暮らしているように見えます。
その様な事を教会の中で言うなら「裏切り者」のように言われるかも知れません。教会に仕えることは特権であり、喜びですが、普通に働いた方がよっぽど大変ではありません。それほど、教会で仕えると言うことは様々な戦いがあるのです。
アサフはその様な葛藤を持ってどのようにしたかと言えば、聖所に入りました。そこで神に従わない人の最後を悟りました。

・またたくまに滅ぼされる:18-20節
今の刹那的な楽しさだけを追い求め、神を追い求めようとしない者は、すべりやすい所に置かれ、彼らは滅びに突き落とされます。永遠の楽しさを味わうことができません。
問題があったとき、葛藤があったとき、祈りの場に逃げ込み、そこで主に向かって祈りましょう。主は答えと励ましを与えてくださいます。

・天ではあなたの他に:21-28節
アサフは苦しみます。内なる思いが突き刺されています。どうしてそのようになったのでしょうか。主のみことばに従わない性質があることがわかったからです。
牛が畑を耕す時に二頭の牛を束ねるくびきというものがあります。そこには先輩牛と新人牛がセットにされます。先輩牛は仕事の仕方がわかっているのでいつも通り仕事をします。しかし、新人牛は自分の行きたい方向に行こうとします。その時、くびきによって制御され、痛みを覚えます。そうこうしているうちに、新人牛も仕事を覚えます。
私たちがなぜ苦しむのでしょうか。主の道をはずれようとしているからです。自分勝手な道を歩もうとしているからです。主はいつでも愛を持って私たちを軌道修正してくださいます。
ですから、アサフは自分のことを愚かで、わきまえもなく、獣の要だったと言っています。獣は本能だけで動きます。
アサフは神様と共にいたので、主の右手がアサフを捕らえ続けました。そして主は義の道へとアサフを導かれます。
そして、有名な一節を残します。「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。」その通りです。天でも地でも主がすべてです。
アサフの身も心も衰え果てます。しかしその様になってなお主に信頼しています。どんなに栄えていても、主から遠く離れている者は滅びます。
そして、アサフは人生最大の発見をします。主の近くにいることがしあわせだと。しあわせはここにしかありません。いつまでも主のそばに居続けましょう。

【74篇】聖所が壊される

・聖所を荒らす敵:1-9節
この詩篇はバビロン捕囚の時ではないかと言われています。アサフのますキールとありますが、アサフの子孫が残したようです。
エルサレムの神殿が敵の手によって荒らされました。アサフの介入でなんとか持ち直しました。しかし、聖所がなくなるのは致命的なことです。そのような霊的な暗黒期にこの詩篇が書かれました。
1節からを見ましょう。エルサレムが完全に敵に征服されています。敵の旗がエルサレムに立てられ、聖所は破壊されています。
そして、アサフの子孫が民のためにとりなし祈ります。

・御手をふところからだしてください:10-17節
エルサレムから預言者はいなくなりました。優秀な預言者はみな、バビロンに捕らえ移されています。預言者がいないので、神のことばは民に届きません。ですからアサフの子は「いつまでエルサレムがこのように荒らされているのか」と嘆きます。
イスラエルの民の拠り所であった聖所が破壊され、彼らは行き場を失いました。そこでアサフの子は自分たちの救いのルーツ、出エジプトの思いに至ります。この時の信じられないほどの力強い主の働きは今も友好であり、この約束は自分たちに与えられていることを祈りの中で確信しました。

・永久に忘れないでください:18-21節
アサフの子孫は主に敵のことを告げます。そして、契約に目を留めてくださいと懇願しています。アブラハムと結ばれた契約です。そして、これ以上、神の民が虐げられることのないように祈ります。

・心に留めてください:22-23節
ここでは神様に立ち上がっていただき、正しい言い分を立て、愚か者が主をそしっていることを心に留めてくださいと祈っています。
この祈りは主に届きます。私たちも現状を見て、聖書とのずれを実感し、飢え乾きを持ってとりなしの祈りをしていきましょう。

【75篇】高く上げてくださる方

・御名は近くにある:1節
アサフは神の御名が近くにあると言います。確かに、主は私たちと主にいてくださいます。しかし、神様を遠くに感じることがあります。私たちの心の問題です。主の御名はいつも私たちの近くにあります。

・定めの時:2-5節
神様はアサフの祈りに応えてくださいます。「わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく」と。
永久に主が応えてくださらないように感じていたアサフにとって、この事はどれほどの励ましだったでしょうか。人はゴールが見えると安心します。
そして、主はすべての者を揺らがせると言われています。事実、今、私たちは大きな揺さぶりにかけられているのではないでしょうか。教会に集まるのが難しくなりました。オンラインでの礼拝はサボろうと思えばいくらでもサボれます。しかし、主はそのすべてをご覧になっています。集まれなくても心から主を求めて礼拝を捧げる人、誰も見ていないからといって適当な礼拝をささげる人を。
今までは教会に行っていれば良いという信仰だったかも知れません。しかし、主は今、信仰をアップデートされようとしています。教会に集いつつも、個人の信仰をより深めようと私たちに揺さぶりを与えられています。「これでもあなたは、わたしに真実な礼拝をささげるか」と主が言われているようです。主に召された者の集まりが教会です。一人ひとりが置かれた場所で力強い礼拝者にされ、その者が共に集まったなら、どれ程の力強い集まりになるでしょうか。今はその準備期間です。この揺さぶりで私たちの内にある主に喜ばれないものがあらわにされ、振り落とされ、決してゆるがない主のみことばと神の国だけが残されていきます。

・高く上げること:6-8節
主は高ぶるものを低くされ、へりくだる者を高く上げてくださいます。士師記やサムエル記、列王記などでそのことを見てきました。
私たちはただ、主にへりくだることを通して高く上げられます。
そして、主の御手には杯があり、良く混ぜ合わされた、あわだつぶどう酒があると書かれています。これはアルコール分の強いすぐに拠ってしまう酒です。黙示録も大淫婦は酔っ払います。酔いは自制心をなくしてしまいます。エペソ5:18には「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」とあります。また、箴言31:4には「レムエルよ。酒を飲むことは王のすることではない。王のすることではない。『強い酒はどこだ』とは、君子の言うことではない。」とあります。
私たちは自分を気持ちよくさせ、一時的に物事を忘れさせようとする酒に酔うのではなく、主の前に進み出て、御霊に満たされていきましょう。

・角:9-10節
アサフは主をほめたたえることを選びました。これをし続けるとき、御霊の実を結び、私たちの中にキリストの人格が形成されていきます。そのように、いつも主を選び取る者の角は高く上げられます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主の近くにいることが幸せです。
    年老いても主を信じ続けられるように祈ります。

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