シャローム!
みなさんは自分が変えられたいと思いますか?どのように変えられたいですか?変えられるために今までどのようなことをしてきましたか?それで変わることはできましたか?
もちろん変えられた部分は沢山あると思いますが、その一方で全く変わらない部分、やっと変えられたと思ってもまたふりだしに、いやふりだしよりももっと前に戻されたという経験はないでしょうか。
北イスラエルの王を見るとき、いつもその様な事を考えさせられます。原因はわかっています。主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの罪から離れないことです。
しかし、頭でわかっていてもそれができないことが多いのです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。あきらめずに通読を続け、祈り続けるということです。
沢山の時間はかかるかもしれませんが、私たちの内なる人が変えられるにはそれだけの時間が必要なのです。主からの忍耐が与えられますように。
それでは、今日もみことばに教えられていきましょう。
今日の通読箇所:列王記 第二 13章~15章
■アウトライン
変わらない王の心
●エリシャの最期:13章
・イスラエルの王エホアハズ:1-5節
・ヤロブアム家の罪を離れない:6-9節
・イスラエルの王ヨアシュ:10-13節
・矢で何度打つか:14-19節
・エリシャの死とよみがえり:20-21節
・三度打ち破る:22-25節
●二つの国:14章
・ユダの王アマツヤ:1-6節
・ヨクテエル:7節
・破壊され奪われる主の宮:8-14節
・ヨアシュの業績:15-16節
・アマツヤの業績とアザルヤ:17-22節
・イスラエルの王ヤロブアム:23-27節
・ヤロブアムの業績:28-29節
●イスラエルの弱体化:15章
・ユダの王アザルヤ:1-7節
・イスラエルの王ゼカリヤ:8-12節
・イスラエルの王シャルム:13-16節
・イスラエルの王メナヘム:17-18節
・メナヘムの業績:19-22節
・イスラエルの王ペカフヤ:23-26節
・イスラエルの王ペカ:27-28節
・アッシリア捕囚:29-31節
・ユダの王ヨタム:32-38節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【13章】エリシャの最期
・イスラエルの王エホアハズ:1-5節
エフーの子エホアハズがイスラエルの王になります。父と同じで、ヤロブアムの罪から離れませんでした。それ故に主は敵の手にイスラエルを渡しました。
しかし、その中でもエホアハズは主に願います。するとなんと、主はその願いを聞き入れてくださったのです。そしてひとりの救い手を与えられます。これが誰かは明確にはわかりませんが、アッシリヤの王ではないかと思われます。この時にアッシリヤがダマスコを攻めました。それでダマスコはこれに対応するために軍隊をこちらに集中させたからです。その間にイスラエルが攻め取られた所に再び住み始めました。
・ヤロブアム家の罪を離れない:6-9節
なんだか士師記を読んでいるような錯覚に陥ります。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」(エレミヤ17:9)というみことばを思い出します。
苦しくて主を呼び求めたら主が助けてくださいます。そうすると安心してまたヤロブアムの罪を繰り返しています。だからアラムによる攻撃は再開されました。そして軍備は最小限にされてしまいました。
・イスラエルの王ヨアシュ:10-13節
以前にもお伝えしましたが、同じ時代にヨアシュという人物が二人登場します。前回はアハズヤの子ヨアシュでしたが、今回はエホアハズの子ヨアシュです。親の名前も少し似ているので益々混乱しそうです。このヨアシュもまたヤロブアムのすべての罪から離れませんでした。
・矢で何度打つか:14-19節
あの神の人エリシャも人間です。死の病をわずらっています。そこにイスラエルの王ヨアシュがお見舞いに来ます。ヨアシュはエリシャに会って何と叫んだでしょうか。14節を見てみましょう。
前半は理解できます。しかし、後半「イスラエルの戦車と騎兵たち」とは何でしょうか。
それはヨアシュも神の人がイスラエルを守っていたことを知っていたからです。つまり、預言者を敬っていました。しかし、エリシャ自信よりも大切だったのは自分の戦車と騎兵だったのかもしれません。それが失われることを恐れたのでしょう。
しかし、死の病を患っていてもエリシャはヨアシュの要望に応えます。死の直前まで主の使命を全うするエリシャの生き方はかっこいいです。エリシャは床から起き上がることができませんでしたので、声で指示だけします。その預言的な行動はどんなものだったでしょうか。15-18節を見てみましょう。
17節でエリシャは矢を「アラムに対する勝利の矢」と呼んでいます。そして18節では「矢で地面を打ちなさい」と言っています。
ヨアシュは何度打ったでしょうか?三度ですね。その数はアラムを打つ数の象徴でした。ヨアシュは「それでやめた」とあるので、「まあいっか」と言う感じでやめたのだと思います。
私たちは神様がチャレンジしてくださっていることを「これくらいでいいか」と自分の基準で制限してしまっていることはないでしょうか。満たす器がなくなったときに油は絶えてしまいました。信仰を大きく広げていただく必要があります。
・エリシャの死とよみがえり:20-21節
神の人、エリシャは最後の使命を果たして死んでしまいます。そして墓に葬られます。しかし、それで終わりではありませんでした。
この時、アラムだけでなく、モアブからも略奪隊が来ていました。それである人が亡くなって、その人を葬ろうとしたときに略奪隊を見ました。身の危険を感じてエリシャの墓になくなった人を投げ入れた所、なんとその人は生き返って自分の足で立ち上がったのです。なんという油注ぎでしょうか。
・三度打ち破る:22-25節
神様はそむいてしまうイスラエルをそれでも愛しておられました。ここに書かれていることを読んでみましょう。神様の愛とあわれみです。主はエフー故に四代まで続かせると約束されました。また、アブラハム、イサク、ヤコブの契約を思い起こされ、民の不従順にも関わらず彼らを滅ぼし尽くすことはありませんでした。
そして、ヨアシュは戦います。エリシャの預言通り、三度戦ってその分だけイスラエルの町々を取り返します。
【14章】二つの国
・ユダの王アマツヤ:1-6節
ユダの王、ヨアシュの子アマツヤが王となります。彼も父ヨアシュと同じように主に従う者でした。しかしやはり高きところはそのままでした。なかなかここを取り除くことができません。
6節を見ると、その様な中でも主のみことばに従っている姿が見られます。申命記24:16です。
・ヨクテエル:7節
アマツヤは反逆しているエドムを鎮圧します。塩の谷、すなわち死海の近くです。
・破壊され奪われる主の宮:8-14節
アマツヤは勝利を得て強気になっていたのでしょうか。イスラエルに対して挑戦状を送ります。
私たちも気をつけなければなりません。勝利の後には必ずと言って良いほど、誘惑があります。勝利をいつまでも自分のものとして、勝利の美酒に浸っていてはいけません。直ぐに栄光を主にお返ししましょう。勝利はただ主の一方的な恵みによります。
ところでヨアシュは一体ここで何を言っているのでしょうか。
ハザエルによって彼は痛めつけられました。エリシャの証しも目の当たりにしました。アマツヤがまだ未熟であることも知っていました。それがレバノンの杉に対するあざみです。
アマツヤは聞き入れませんでした。そしてヨアシュは攻め上りました。結果はどうなったでしょうか。イスラエルが勝利しました。主の宮にあったすべての金と銀、器具、人質は取られてしまいました。
・ヨアシュの業績:15-16節
ヨアシュの業績、功績、戦績に触れられています。
・アマツヤの業績とアザルヤ:17-22節
アマツヤの業績です。アマツヤは父ヨアシュと同じ道を通りました。結局最後は部下の謀反にあいました。
アマツヤの子はアザルヤ、別名ウジヤです。エドムは反逆しました。しかし、アマツヤが制したので自由に行き来ができるようになったのです。
・イスラエルの王ヤロブアム:23-27節
さて、ここでヤロブアムが出てきます。ヤロブアム二世です。彼は主の目の前に悪を行いました。そして、ヤロブアムのすべての罪をやめませんでした。
そして、なんとこの事はあのヨナが預言していました。実はこの時代にはアモス、ホセア、そしてイザヤも登場します。この後に読み進める預言書を書いた人物です。
どうして主は有名な預言者を次々に送られたのでしょうか。それはアッシリアは大国であり、またそれと同時にイスラエルが非常に霊的な危機状態なのでこれだけの預言者を起こされたのです。
ヤロブアム二世は相変わらず金の子牛を拝んでいました。しかし、イスラエルの名を消し去ることは主の御心ではありませんでした。主の一方的な恵みと憐れみの姿を見ることができます。
・ヤロブアムの業績:28-29節
「ダマスコとハマテがユダのものであった」とありますが、実はこれはダビデ、ソロモンの時代の事です。もともとはアラムの地でしたが、ヤロブアムはどうしてここを取り戻せたかというと、アッシリアの王がアラムを攻め、アラムが弱体化したからだと考えられます。
【15章】イスラエルの弱体化
・ユダの王アザルヤ:1-7節
ここは複雑なのですが、アザルヤとありますが、実はウジヤのことです。しばらく後に見ますが歴代誌第二にこの事が書かれています。
ウジヤ(アザルヤ)は大いなる成功を収めますが、その事が彼に高ぶりを起こさせ、やがてはサウルがしたように祭司にしかできない香をたこうとしました。そしてツァラアトにかかってしまいます。詳しくは歴代誌第二の時にお伝えします。
今まで見てきて、ユダの王に共通するのは高ぶりです。エルサレムに最後まで留まっていた敵はエブス人でした。彼らは高ぶりの象徴です。私たちも気をつけなければなりません。高ぶりは主が最も嫌われるものです。
・イスラエルの王ゼカリヤ:8-12節
ゼカリヤは短い期間、わずか6ヶ月間イスラエルの王でした。そのわずかな期間ですが、やはり主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させました。
そしていつものごとく、シャルムという人物のクーデターによって殺されてしまいます。
・イスラエルの王シャルム:13-16節
人にしたことは自分に返ってくるのでしょうか。ゼカリヤをクーデターによって殺害したシャルムはゼカリヤよりも短いわずか1ヶ月の王でした。そして、メナヘムのクーデターで殺されます。16節には恐ろしいことが書かれています。これは「私に逆らう者はこのようになる」という一種の見せしめでした。
・イスラエルの王メナヘム:17-18節
力を示したメナヘムは主の目の前にやはり悪を犯しました。そして一生、ヤロブアムの罪、金の子牛を拝む罪から離れませんでした。
・メナヘムの業績:19-22節
メナヘムの治世に、大国アッシリアの王プルがやってきます。力のあるメナヘムはどのように対応したでしょうか。19節を見てみましょう。お金で解決しました。その額は銀1000タラント、約37トンもの銀です。それを国中の有力な資産家から出させました。相当の負担だったと思います。
・イスラエルの王ペカフヤ:23-26節
ペカフヤがイスラエルの王となります。やはり主の目の前に悪を行っています。ヤロブアムの罪からも離れません。
そしてまた、と思うかもしれませんが、部下であるペカの謀反によって殺されてしまいます。
・イスラエルの王ペカ:27-28節
ペカもやはり同じです。主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの罪を離れませんでした。
・アッシリア捕囚:29-31節
ペカの時代、神様の御手が下ります。アッシリアによる捕囚がはじまってしまいました。
アッシリアはどんどんと勢力を強め、隣国のシリヤやアラムが太刀打ちできないまでになりました。
そこで、北イスラエルのペカと組んで攻めようとしますが、それがあだとなり、アラム、北イスラエルもアッシリアによって倒されてしまいます。
・ユダの王ヨタム:32-38節
ここで舞台はユダに移ります。時も少し前に戻ります。聖書は必ずしも時系列に書かれた書物ではありません。
ユダの王ヨタムは主の目にかなうことを行いました。
彼の行った事は何でしょうか。主の宮の上の門を立てた事です。礼拝の回復です。
しかし、北イスラエルでは上で読んだペカの決断によってアッシリアによる危機が迫っています。一体この事がどのように発展していくのでしょうか。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
今日もコラムを感謝します。ある程度把握できてとても励まされます。
読んでいるうちに名前と王国と時系列が混乱して、
挫折して、終いには
福音を受け入れ信じて、従うことが大切なのだから
神様、こんなこと、どうでもいいことじゃないですか?
と心の奥で言っていました。
とは言ったのもの、気になって、
これじゃ、聖書を人に質問されてもきちんと説明する自信ないです。
しっかり説明できないと証もできません。
という思いで、悶々とします。
近頃、
二、三節読み、また引き返しては読みを繰り返してしまします。
恥ずかしいのですが、
分けわからない状態でも兎に角一度は朗読して、それから
購入した年表を指で押さえ
もう一度確かめてみると、なお混乱してしまいました。
聖書に書いてある年数と、購入した年表のぺカ王の在籍年数が違うところがあり
また、年表では飛ばされている王の名前があったりで、(#^^#)
ペカ王は年表には8年間王で
聖書には20年間サマリアで王であったと書いてあります。(27節)
でも 聖書が正しいわけだから、と思い
いいえ何かわけがあるかも?とも思い
ペカ王はもしかして、8年目くらいにアッシリアに捕虜になっている間に
他の王が北イスラエルを統治しているからなのか?と思いきや
15章の30節にホセアに謀反を企てられて、殺されていて、
ホセアは年表には9年間王であったと書いてあるけれど
聖書中15章の37節にきて、
その頃、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送始められた。
と、エラの子ホセアに謀反を起こされ死んだはずのペカが出て来ます?
レマルヤの子ペガという名前の人物は一人だったと思うので、
これは時系列通りでないからなのですね?
南王国ユダと北イスラエル王国の時系列を自分で順を追って図に書き表したなら、
もしかしたらわかるのだろうと思うのですが、
知りたいという思いよりも、目がちかちかしだして、
今日は疲れた・・・ (-_-;) という思いが先に来ました。
10分休憩するつもりが30分うとうとしていました。
息子の友人が
「いつか救われるかもしれないではなく、イエス・キリストが十字架で完了したと言った。というキリスト教の教えは素晴らしいと思うよ、でもこの難しいことを理解しないと救われないから、馬鹿は救われんのやと思った。だから俺は無理や」と言っていた言葉がふとよぎり、
そういうことじゃなくて、という思いと、
ああわかる・・という何とも言えない思いで涙がジワッと出てきました。
神様についていくことは初めから無理なことは知っていました。
なんて言っても完全な方ですから
そんな神であるイエス様の嫁さん(キリストの花嫁)になんてなったら釣り合いが取れなくて、
疲れてしまうだろうと想像します。
現に今までも何度も挫折しています。
しかし、選民であるイスラエルの民ですら、無理でした・・
イスラエルの民も、私も主は守り得ると確信します。
当たり前のことですが、自分の力では、ほとほと無理です。
しかし、無理だと実感できることを
力のない貧しいものだと自覚できることを感謝いたします。
だからこそ、私は十字架無しでは生きられないからです。
聖霊様も絶対にあきらめる方ではないので、
私を気長に導いてくださっていることを感謝いたします。
誰もいない部屋で、ベットに座って、イエス様と祈ると
寄り添うようにそばにいて、祈りを聞いておられる気がします。
イエス様を感じる時、ほっとする時です。
主の恵みは長く、深く高く広く・・・
私のことを神様は十分に分かっていてくださっていて、
それでも私と同じくびきを負ってくださっていることを感謝いたします。
イエス様あなたは最高のメンターです。
いい加減な私の為にさえ命をすてて、
主イエスは十字架で血を流し、贖われ救ってくださったこと感謝いたします。
あきらめず明日からも通読を続けたいと思います。
主以外に頼るものがあること、高ぶりが自分のことだと分かりました。