テレビ番組で「はじめてのおつかい」というものを見たことがあるでしょうか。なぜ、あの番組を見ると笑っているのに目から涙が出てくるのでしょうか。本当に子どもの成長は尊いものです。
私も子どものころ、よくお手伝いをしてご褒美をもらいました。働いた者に報酬が与えられるのは当然のことです。
罪に関しても同じことが言えます。罪がもたらすものがあります。
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ人への手紙 6章 23節)
罪は死をもたらす
罪がもたらすものは死です。なんと恐ろしいことでしょう。私たちは様々な問題を抱え、様々な恐れを抱きますが、その最も大きなものが死ではないでしょうか。
死はこの世にいのちを与えられた者に100%やってくるものです。死を免れるものはありません。どんなお金持ちも権力者も科学者も医者も、死の力には抗えません。残念な事ですが私たちは認めなければなりません。人の死亡率は100%です。
聖書はその「死」をもたらすものの原因は罪であると言っています。
三つの死
罪がもたらす死には三つの死があります。それは次のようなものです。
・肉体の死
・霊的な死
・永遠の死
肉体の死
これは、すべての人が経験するものです。多くの人が言う「死」がこれに値します。多くの人がこの死をすべての終わりと考えます。そして、この死を恐れます。聖書ではしばしばこの状態のことを「眠った」と言ったり「民に加えられた」と言ったりします。私たちもいつかは経験するものです。
この肉体の死を恐れるでしょうか?私もまったく怖くないかと言えば、正直、その時になってみなければわかりません。でも、この肉体の死が終わりでないことも知っています。
霊的な死
二つ目の死は霊的な死です。これは目に見えないことです。前回分かち合った女によって人類に入ってきた罪の結果、神様が「必ず死ぬ」と言われたのはこの霊的な死にあたります。その証拠に、善悪を知る知識の木の実を食べた女と男は、すぐには肉体の死を経験しませんでした。でも死んだのです。つまり神様との生きた関係が途絶えてしまったのです。これが霊的な死、いのちの源なる神様との断絶です。
永遠の死
これも目に見えない死です。たとえ私たちがこの地上で生かされていたとしても、罪のゆえに神が人に与えてくださった霊、そしてたましいは死んだ状態のままです。
みことばにはこのように書かれています。
「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって…」
(エペソ人への手紙2章1節 前半)
肉体の死も、霊的な死も、そして永遠の死も人間の力ではどうすることもできないことです。一体、この罪に対して人はどう対処していけばいいのでしょうか。
その解決はただ一つ、創造主なる神様が遣わしてくださった神のひとり子、イエス・キリストの十字架の死と葬りと復活を信じることによってのみ可能です。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書 3章 36節)
人に恐ろしい死をもたらす罪に対する解決はイエス・キリスト以外にありません。
今日のまとめ
罪は死をもたらす。その死は肉体の死、霊的な死、永遠の死があり、その解決はイエス・キリスト以外ない。