シャローム!
今日から第二コリントが始まります。パウロがコリントに二通目の手紙を書いた目的は何でしょうか?それは第一の手紙で、コリントの人を思う余りに強いことばで非難したことによって、ある人は傷つき、悲しい思いになってしまいました。
そこで、パウロは自分の心を打ち明け、教会にはびこる偽教師たちを意識しながら、教会全体に弁明しています。それらすべてを導かれたのは主の恵みです。
今日も御霊によって、いのちのことばを受け取っていきましょう。
今日の通読箇所:コリント人への手紙 第二 1章-3章
■アウトライン
なおも救い出してくださる神:1章
・挨拶:1-2節
・救い出してくださる:3-11節
・誇り:12-14節
・パウロの計画:15-22節
・信仰に堅く立つ:23-24節
●キリストのかおり:2章
・あふれるばかりの愛:1-4節
・愛を確認する:5-11節
・心にやすらぎがない:12-13節
・かぐわしいキリストのかおり:14-17節
●栄光から栄光へと:3章
・推薦状:1-11節
・栄光から栄光へ:12-18節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】なおも救い出してくださる神
・挨拶:1-2節
パウロはコリントに二度目の手紙を書きます。パウロともう一人からと書かれていますが、それは誰でしょうか?
パウロはいつも挨拶の時、この祈りを添えます。2節を見ましょう。私たちの上にもこれがあると信じます。また、私たちもこの祝福をまわりの人に分け与えていきたいですね。
・救い出してくださる:3-11節
私たちの主、イエス様の父なる神は、どのようなお方でしょうか?このお方が誉め称えられますように。
私たちが苦しいとき、神はどのようにして下さいますか?パウロは自分自身が苦しむ中、何度も主からの慰めを受けました。リーダーは時に孤独です。その中で頼るのは神様しかいないときがあります。神様に助けを求めるなら、主は慰めて下さいます。その慰めを受けているからこそ、苦しみの中にいる人々を慰めることができるのです。
私たちに苦難が溢れるとどうなると5節にあるでしょうか?
パウロは宣教の中で苦しみに会いました。その中で主からの慰めを受けました。その経験から、コリントの人々を励ますことができたのです。パウロのコリントの人々に対する望みは動かないものでした。その理由はなにでしょうか?7節の後半を見てみましょう。
パウロはアジヤでの宣教でどのような目にあったでしょうか?もう、神様に頼る意外無い状況です。
ところが、神様はパウロを召しに従って救って下さいました。10節を見てみましょう。パウロが「私の福音」と言える根拠の一つでしょう。主はどこまでも救い出して下さる神です。このお方と共に歩む中で、パウロはこの確信に導かれました。私たちはどうでしょうか?この10節のみことばを心から言うことができるほど、主に信頼しているでしょうか?
・誇り:12-14節
パウロの誇りがここに書かれています。それは何でしょうか?何によらず、何によって行動していますか?
イエス様は聞く人に応じて話し方を変えられました。パウロもコリントの人が理解できるように、彼らの理解できることばで手紙を書いています。そして、理解してくれることを望んでいます。パウロはコリントに宛てた第一の手紙で思っていることをストレートに書きました。その手紙の行間には隠された意図のようなものはありませんでした。
また、パウロとコリントの人々は信頼関係がありました。14節のようにあるとおりです。この信頼関係にない人々がパウロを非難していました。
・パウロの計画:15-22節
パウロは確信を持って計画を立てています。それはどのような事でしょうか?コリント経由でマケドニヤに行き、マケドニヤの帰りにもう一度コリントに立ち寄るというものでした。
18節からは何を言っているのでしょうか?パウロがマケドニヤに行くという計画を立てたとき、同時にマケドニヤに行かないという計画を立てたのでしょうか?そのようなことは難しいことです。同じように、キリストは昔も今もこの先も永遠に変わらないお方です。このお方には何だけがありますか?19節最後を見ましょう。
神の約束はこのイエス様によって「しかり」となりました。本来はそこに議論の余地はないのです。みことばが言うことが全てです。それゆえに、私たちはイエス様によって「アーメン」と言います。アーメンとは「真実、忠実、その通りになります」と言う意味です。
私たち全ての信じる者が堅く保たれ、一致を保つことができるのは、イエス様が私に油を注いでくださったからです。
そして、神様は確認の印を私たちに押してくださいました。契約書も最後に印を押して契約が成立します。その確認の印とは何でしょうか?それは保証、あるいは手付金としての御霊です。つまり、私たちが高額の買い物、たとえば言えや車を買うときに手付金や頭金を支払うと私たちのものとなります。まだ私たちは完全にされていませんが、その時が来たら完全な者とされるように、聖霊様が私たちの内に巣回ってくださっています。
・信仰に堅く立つ:23-24節
パウロは思いやりから、コリントに行くことをとどめています。彼の目的は信仰を支配することではありません。何でしょうか?それは、コリントの人々が信仰に堅く立っているからです。
【2章】キリストのかおり
・あふれるばかりの愛:1-4節
パウロが悲しませている人とは誰でしょうか?それは第一の手紙で書かれていた信者の中で親の妻を妻としている者です。パウロはその者に対して容赦ないことばを書きました。コリントの人たちはパウロの言うことに従ったようです。その時、教会には大きな悲しみがやってきました。その中でも最も悲しい思いをしているのは罪を犯した本人です。それが罪の刈り取りと言えばそれまでですが、パウロは彼にも立ち上がって回復し、喜びの中に入って欲しいと願っていました。
パウロは間違ったことをしたのでしょうか?何度指導しても悔い改めようとしない者をそのままにしておくと、教会全体の霊的基準が下がってしまいます。黙示録でもテアテラの教会に向けて「あなたはイゼベルをなすがままにしていた」と叱責しています。それを取り除くのには大きな痛みがありますが、そのままにしておくと、後のはもっと重大な事に発展します。イエス様もヨハネ15章のぶどうの木のたとえで、刈り込みをするのはより多くの実を結ぶためだと言われています。パウロはそれを実行するようにコリントの教会に勧め、その通りにしたのです。
・愛を確認する:5-11節
上で書いたように、その兄弟はあらゆる人を悲しませた。罪の結果です。ですから、今は彼を責め続けるのではなく、むしろ赦し、慰めル事をすすめています。そうしないとその人はどうなると書かれていますか?7節後半を見ましょう。
パウロが手紙を書いた目的は何でしょうか?9節を見ましょう。信仰を持つ上で、従順さという品性は最も大切なものの一つです。私たちも日々の生活で従順さを求めていきましょう。
10節を見ましょう。非常に大切な事です。赦しに関してです。赦すことは弱々しく、敗北したように見えますが、実は逆です。赦した者勝ちです。なぜなら、自分の罪を認め、へりくだらなければ赦すことができないからです。自分の義を主張し続け、持ち続けている者が人を赦せない者です。もし、私たちが人を赦さないならどうなるでしょうか?11節を見ると、サタンに欺かれてしまいます。サタンの策略は人に間違った情報を伝え、思い込ませてお互いを赦せないようにさせ、分裂を起こすことです。人を、自分を赦せるように神に祈り求めましょう。
・心にやすらぎがない:12-13節
パウロはエペソからトロアスに向かいます。そこでテトスを待っていたのですが、彼は来ませんでした。それでもパウロはトロアスの町で福音を伝え続けますが、心が弱り、コリントの教会の問題が心に迫ってきていました。その上テトスが来なかったのでそのままマケドニヤまで行きました。パウロも人間です。このような弱さを覚えることは私たちにとって励ましにならないでしょうか?
・かぐわしいキリストのかおり:14-17節
そのような精神状態でも、パウロは神に感謝しています。主はいつも私たちを導いてどうしてくださると書かれていますか?私たちはキリストのかぐわしいかおりとなる必要があります。
町を歩いていても、良い香りがすると、私たちはそれに反応してしまいます。かおりに実態はないのですが、確かにかおりは存在します。おなじように、私たちがたとえ黙っていても、キリストのかぐわしいかおりが私たちの内なる人から流れ出すようになるのです。そのかおりとは、「キリストを知る知識のかおり」です。
これは受け取った人によってちがいます。16節を見てみましょう。
そのために、私たちが心がけたいのは神のことばに混ぜ物をして売らないということです。どのように語り合うべきでしょうか?17節後半を見ましょう。
【3章】栄光から栄光へと
・推薦状:1-11節
パウロは推薦状に関して語り始めます。当時は、預言者や伝道者が各地の教会を巡るとき、推薦状を持っていきました。当時は偽預言者や偽教師がはびこっていましたので、信頼できる人としてのお墨付きのために推薦状を持って訪問したのです。
ローマ人の手紙で、パウロはフィベに手紙を託しました。その時「彼女をあなたがたに推薦します」と書いています。
それで、パウロは、コリントの人たちに自分も推薦状を持っていく必要があるのか?と聞いているのです。
パウロは何が推薦状と言っていますか?コリントの人たちはパウロの働きによって御霊の更新をうけ、罪の赦しときよめを体験しました。紙切れ以上に、そのような生きた証し人自身がパウロの推薦状です。しかし、それらすべてをなさせてくださったのは神です。5節を見ましょう。
神からの資格とは何でしょうか?6節を見ましょう。新しい契約に仕える者となる資格です。それは何に仕えるのではなく、何に仕える者ですか?文字、すなわち律法を守れば守るほど、私たちの肉は殺されます。しかし、御霊はそこから復活の恵みにあずからせてくださいます。
このように、律法は人を罪に定めます。そうしなければ私たちは新しく生まれ変わることができません。ですので、死の務めにも栄光があります。それなら、御霊の務めはどれほどでしょうか?この後、選りすぐれた栄光との比較が出てきます。一つひとつ見てみましょう。
・栄光から栄光へ:12-18節
この望みがあるからこそ、大胆になれます。13節は興味深いことが書かれています。モーセはシナイ山で神と直接顔と顔を合わせて出会い、律法を受け取りました。そして下山したとき、顔が光っていたのです。ですから、モーセはそれ以降人々の前に出るとき、顔に覆いをかけていました。結婚式の花嫁がベールを被っているような様子です。ところが、その顔の光りはやがて消えていきました。しかし、モーセはなお、自分の顔があたかもまだ光り輝いているようにふるまい、覆いを付け続けていたのです。これが宗教行為です。
イスラエルのうちでイエス様を信じない人たちは、旧約聖書を読むときにおなじ覆いが掛けられていると言っています。宗教のベールです。なぜなら、初代教会の時代はまだ新約聖書は完成していませんでした。ですから、どのようにイエス様を伝えたかというと、旧約聖書のあらゆる預言からイエスがキリストであると伝えていたのです。
このような宗教の覆いを取りのけるのは誰によって取りのけられるのでしょうか?
この箇所から、私たちは聖書を読むときの心構えを学ぶことができます。前に聞いた話しや、このコラムに引っ張られ過ぎないでください。何度読んでも毎回、知らないという心構えで聖書を読んでみましょう。イスラエルの人々に欠けられていた覆いは、どのようにしたら取り除かれますか?16節を見ましょう。
主は何でしょうか?そこには何がありますか?イエス様を信じる私たちは、顔のおおいを取りのけられ、まるで鏡が光りを反射させるように、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていくのです。これはどなたの働きですか?
では、この事を少し遡りましょう。私たちが変えられることの始まりは何でしょうか?主に向かい、聖書を読むことです。今日も、これからも、これを続けていきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。