聖書通読クラブ Day 332

聖書通読クラブ Day 332【コリント人への手紙 第二 4章-6章】

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シャローム!

パウロは前の手紙でコリントに厳しいことばを書きました。それは彼らを愛するが故だったのですが、それでコリントの人たちが深い悲しみに導かれたことも事実です。
そこで、パウロは自分の心を余すことなく打ち明けます。その中で数々の大切な神の奥義を語っていきます。特に、私たちの内なる人に関して非常に重要なことを語っています。今日も聖霊様の助けによって、みことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:コリント人への手紙 第二 4章-6章

■アウトライン

●外なる人と内なる人:4章
  ・神の栄光を知る知識:1-6節
  ・土の器:7-15節
  ・内なる人:16-18節

●天の家を着る:5章
  ・天にある永遠の家:1-10節
  ・新しく造られた者:11-19節
  ・神の義となる:20-21節

●今が恵みの時、救いの時:6章
  ・神の恵みを無駄に受けないように:1-10節
  ・広く開かれる心:11-13節
  ・つり合わぬくびき:14-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】外なる人と内なる人

・神の栄光を知る知識:1-6節
パウロの働きは自分の力によるものではありませんでした。これは神のあわれみを受けて行っていることになります。彼の働きは人々を永遠のいのちへと導くことです。医者も政治家も科学者も、どんな知者もできない働きです。この働きは神から召されたものだと知っているからこそ、彼は勇気を失わないと言っています。彼は強く見えますが、前に見たように多くの人から非難されていました。このような人の心に振り回されているなら、心は浮き沈みしてしまいます。神に信頼するとき、私たちは本当の勇気を持つことができます。
そして、2節からは彼の宣教の姿勢を見ることができます。彼はどうしてこのようなストイックに見えるような事をしてまで宣教を続けていたのでしょうか。それほど強い神の愛を体験したからです。
これほどまでして福音を宣べ伝えたのですが、それを聞かない人もいます。しかし、それはどのような力が働いているからでしょうか?4節を見ましょう。これが取りのけられるように、祈り求めていきましょう。
また、5節には宣教の時の心の動機が書かれています。私たちは何を宣べ伝えるのでしょうか?しかし、人は弱いので、いつしかキリストを利用して自分を有名にしようとしたりします。そのためには人々に仕えることもいとわないのです。
創世記1章3節で神が仰せられた「光りがあれ」と言うのは、私たちの心に命じたことでもあります。その光りが私たちの心を照らすとき、何が輝きますか?6節後半を見ましょう。

・土の器:7-15節
私たち人は土から造られました。パウロはそのことを土の器に宝が入れられていると表現しました。彼がいのちをかけて宣教している力は人間の力ではありません。正に神業です。ですから、パウロは自分の生涯を通してもその力が人から出たのではないと悟っていました。
確かに、土から造られた私たちの中に、宝である聖霊様が住んでくださっています。ですから、8-9節のように言えるのです。私たちも生きていたら様々なことが起こります。何も起こらない人生などないのです。しかし、その様な苦難の中でも私たちにはキリストが共にいてくださいます。
私たち生きている者、信じている者はイエス様のために絶えず死に渡されています。それは何のためでしょうか?11節後半を見ましょう。
このように、毎日が死の連続であり、大変な働きの中にありましたが、そのことを通してコリントに永遠のいのちへの道を備えました。
また、パウロは信じたゆえに語ったと言っています。それは何を知っているからでしょうか?この希望を私たちは持っているでしょうか?
この復活の信仰の恵みによって、私たちに感謝が満ちあふれるようになります。その感謝を通して、神の栄光が現されていきます。

・内なる人:16-18節
この信仰があるからこそ、勇気を失いません。私たちの肉体はある時を境に衰えていきます。しかし、なんと私たちの内なる人はそれと反比例し、日々新たにされています。この内なる人に関して詳しく学びたい方は、アテフ・メシュレキー博士著の「内なる人」の書籍をおすすめします。非常に深く、内なる人がどれほど大切かを学ぶことができます。私たちの目に見えない内なる人が、外にあふれ出ているのです。この内なる人を御霊によって日々更新していただきましょう。
そして、パウロは今の患難は軽いと言っています。なぜなら、彼は苦難を見つめているのではなく、その先にある重い栄光を見ているからです。イエス様も十字架を忍ばれたのは、その先にある栄光を見ておられたからでした。
さらに、パウロは目に見えないものに目を留めると言っています。見えないものをどのようにして見るのでしょうか?そこに注意を向けると言うことです。私たちのまわりには目に見えないものが沢山あります。空気もそうですし、ことば、香り、また人の心などです。更に言うと、目に見えているものでも、それは一部であり、本当は人が認識できない色も沢山存在しています。私たちが見ているのはすべてのものの、ほんの一部にしか過ぎません。しかも、目に見えるものはいつか崩れ去ってしまいます。しかし、目に見えないものは永遠に続きます。一時的なものと永遠のもの、どちらに価値を置きますか?

【5章】天の家を着る

・天にある永遠の家:1-10節
パウロは目に見えない真理を信じていました。今、目に見える地上の住まいは壊れます。しかし、何があるといっていますか?神様が建ててくださる家は完璧な家です。それは永遠に続きます。これは何を言っているかわかりますか?単なる住まいではなく、私たちの今のからだと復活した栄光のからだを言っています。今の肉体と復活の肉体は、テントと神が造られた家ほどの違いがあります。
パウロをはじめ、私たちは天から与えられる住まいを着たいと願っています。それを着たならどうなると3節にありますか?これは、恥がなくなるということです。また同時に、霊だけで存在しないということでもあるでしょう。つまり、私たちの地上でのいのちが終わったとしても、信じる者はすぐに栄光のからだが与えられるのです。
4節は、今の私たちの状態をよく言い表しています。私たちは苦しみますが、それはこのからだを脱ぎ捨てたいからではなく、天の住まいを着たいという願いからです。私たちをこれにかなう者として下さったのは誰でしょうか?5節を見ましょう。その保証として何を下さいましたか?
私たちが肉体にいる間は神と完全にひとつになることはできません。ですから、私たちは信仰によって歩みます。
しかし、肉体の中にあろうと、離れていようと、私たちの願うことは何でしょうか?9節後半を見ましょう。
その理由はなにですか?10節にはどう書いていますか?この事から、今の考え、行い、生活がそのまま永遠のいのちにつながっていることがわかります。今と死後は別々ではありません。そう考えるなら、今の生き方が変わって来ないでしょうか?

・新しく造られた者:11-19節
パウロはコリントの人の心に訴えかけます。偽教師のせいで、パウロの信頼が落ちているからでしょう。パウロがどのように教えていたかをよく知っているので、推薦状は必要ない。だから、うわべで語る偽教師にも大胆に答える者となって欲しいと言っています。
パウロは正に、神に対して気が狂ったような者でした。使徒の働きの中でもそのことは見てきたと思います。しかし、人に対しては正気でした。これを逆にしてはいけません。私たちもパウロに倣いましょう。それはどうしてできたのでしょうか?14節を見ましょう。私たちは神の国の福音、つまり、キリストの死と葬りと復活を信じています。そして、私たちもイエス様を信じる信仰によって古い自分に死に、キリストと共に復活の恵みにあずかっています。つまり、私たちはもはや自分のために生きているのではなく、神様のために生きています。
ですから、パウロは人間的な標準で人を知ろうとしないと言っています。これは、文脈から見ると、見た目で人を判断しないということです。その人の内にある神様が創造された本来の性質を見る目を与えていただくのです。そして、人間的な標準、つまり、御霊抜きの学問だけで神を知ろうとしないと言うことです。
そして、有名な17節です。声を出して読んでみましょう。この事を信じますか?条件は「キリストのうちにあるなら」です。しかし、損前に「だれでも」とありますので、人種や時代、貧富の差などは条件に入りません。すべての人が招かれています。神による新しい創造です。これらのことはすべて、神から出ています。神はキリストによって私たちをご自分と和解させました。それだけではありません。私たちの務めは何でしょうか?18節後半を見ましょう。このようになるには、まず私たちが神と、そして自分自身との和解を体験する必要があります。それは十字架の恵みによってのみ可能です。
イエス様は本来私たちが受けるべき違反行為の責めを引き受けて下さいました。そして、和解のことばを私たちにゆだねられました。なんと尊い務めをゆだねられているのでしょうか。

・神の義となる:20-21節
このとから、私たちはキリストの何と言えますか?20節を見ましょう。神は私たちを通して懇願しておられるようだと書かれています。それは何でしょうか?20節の最後を見ましょう。神は、罪を知らない方、つまりイエス様を私たちの代わりに罪とされました。ご自分のひとり子を罪とされたのです。どうしてそのようなことをされたのでしょうか?21節後半を見てみましょう。この事を知って、感謝の心が湧き上がってきませんか?

【6章】今が恵みの時、救いの時

・神の恵みを無駄に受けないように:1-10節
パウロがあることを懇願しています。それは何でしょうか?「むだ」とは何でしょうか?実が実らないということです。神の恵みを受けるとは、単に心が温かくなるとか、うれしくなるという次元ではありません。本当に神の恵みを受けるなら、私たちは主のためにすべてを捨てて行動したくなるはずです。つまり、実が伴います。圧倒されるほどの神の恵みを受ける体験を求めましょう。
そしてパウロは聖書を引用し、宣言します。「今は恵みの時、今は救いの日です」と。それは過去でも未来でもありません。今です。恵みも救いも先延ばしにしないようにしましょう。今、受け取るのです。それはパウロの願いでもありました。
また、パウロは働きがそしられないため、また、人々につまづきを与えてしまわないために細心の注意を払っていました。そのための犠牲は大変な者でしょう。4節後半から8節までを見てみましょう。
また、キリスト者の特長を書いています。一見矛盾しているように見えることがらですが、これが真実です。このように生きる姿を見て、世の人々は不思議がるでしょう。それが証の機会となります。

・広く開かれる心:11-13節
パウロはコリントの人に対して、包み隠さず心を打ち明けました。前の手紙で厳しいことを書きましたが、パウロはすでにそのことを赦し、心を広くする決断をしました。
ですが、コリントの人々はそのように感じていなかったのかも知れません。そのことをパウロはどう言っていますか?何が彼らを窮屈にしていますか?12節を見ましょう。私たちもこの事を行っているのではないでしょうか。案外、自分を赦していないのは自分だということが多いのです。私たちは心を広くする必要があります。それが神様の心です。

・つり合わぬくびき:14-18節
パウロは不信者とのつり合わないくびきを一緒につけてはならないと言います。これは、まだイエス様を信じていない未信者とは違います。不信者なので、コリントにいた偽教師や偽預言者です。彼らと同調してはならないと警告しているのです。以降、様々な対比があります。それらに調和はあるでしょうか?そして、この最後にパウロは16節で「私たちが神の宮だ」と言っています。あの、エデンから始まり祭壇、ダビデの幕屋から神殿へと移って行った神の住まいが、今、私たちのからだと言っています。
主は私たちを息子、娘として招いて下さっています。しかし、それには条件があります。17節には何と書かれていますか?そうすれば主は受け入れてくださいます。神の子とされるためにも、毎日聖書の通読を続けていきましょう。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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