聖書通読クラブ Day 333

聖書通読クラブ Day 333【コリント人への手紙 第二 7章-9章】

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シャローム!

イエス様は受けるより与える方が幸いと言われました。人は、時にささげることが難しいことがあります。それは、私たちの中にまだ古き性質が残っているからでしょう。
ささげることは、そのささげ物を受け取った者以上に、実はささげた本人に一番の喜びがあります。物質的なものを失っているはずなのに、それ以上のものを受けるのです。これが神様が定めたささげることの法則です。私たちも喜んで捧げる者として、建てあげられていきましょう。今日もみことばに教えられることを感謝します。

今日の通読箇所:コリント人への手紙 第二 7章-9章

■アウトライン

●救いに至る悔い改め:7章
  ・聖きを全うする:1節
  ・大きな信頼:2-4節
  ・神のみこころに沿った悲しみ:5-13節
  ・加わる喜び:14-16節

●喜んでささげる:8章
  ・力以上にささげる:1-15節
  ・献金の取り扱い:16-24節

●惜しみなく与える恵み:9章
  ・好意に満ちた贈り物:1-5節
  ・豊かに刈り取る:6-15節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】救いに至る悔い改め

・聖きを全うする:1節
この箇所は、前の6章の16節からのみことばを受けてのことばになります。「このような約束」とは前章の「偶像を取り除けば、あなたがたは私の息子、娘となる」という約束です。
このようなすばらしい約束を受けているのだから、どうしようと書かれていますか?三つの事が書かれています。一つ目はいっさいの霊肉の汚れから自分をきよめることです。二番目は神を恐れかしこむことです。三つ目は聖きを全うすることです。これらは強制的にされる者ではなく、神の約束を受けて私たちの内からにじみ出るように出てくる神への飢え渇きによります。

・大きな信頼:2-4節
パウロはコリントの人々に対して、何の苦みもありませんでした。しかし、おそらくパウロの強い手紙で、また、偽教師などによってコリントの人々はパウロのことを良く思っていなかったようです。ですから、心を開いてくださいとお願いしています。
だから、パウロは彼らを責めるのが目的ではないと言います。パウロは彼らを信頼しています。また、誇りとしています。パウロは非常に苦しい状況にありましたが、コリントの人人から慰めを受けています。その内容は何でしょうか?次からそれが語られていきます。

・神のみこころに沿った悲しみ:5-13節
マケドニヤにパウロが到着したときの様子が書かれています。そのような状態でしたか?しかし、主はパウロに慰めを送ってくださいました。誰が到着したことで慰めを得ていますか?
慰めはそれだけではありませんでした。テトスがコリントの人々から受けた慰めも一緒に持ってきてくれました。具体的にはどのような事でしょうか?7節に書かれていることを見てみましょう。
パウロは少し強いことばで書いた手紙を後悔していないと言っています。実は少し悔いたのですが、今は喜んでいると言っています。それはどうしてでしょうか?9節後半を見てみましょう。
10節に、神の御心に沿った悲しみと世のもたらす悲しみの違いが書かれています。神に信頼することから来る悲しみは、悔い改めへと導き、後悔のいらない救いを得させます。表面的には同じ悲しみですが、その後の結果が違います。これを見分けましょう、
この神のみこころに沿った悲しみが何をもたらしましたか?11節を見ましょう。悔い改めの時には、このような段階で事が起こっていくことが考えられます。この悲しみがまず、熱心さを引き起こります。次いで弁明です。この事で何が問題であるかを明確にします。そして憤りは、罪に対する憤り、自分がしてしまったことに対する憤りです。次に恐れです。もし、自分がそれに気づかなかったら、どうなっていたかを考えると恐ろしくなります。また、神に対する正しい恐れが生じます。そして、赦してくださる神に対して慕う心が生まれます。やがてそれは善を行うこと、神の願い通りにあゆみたい、主と共に歩みたいという熱意を起こさせ、最後に処罰の断行がなされます。私たちの罪の性質が十字架に付けられます。
コリントの人々はこれらを通して、自分自身が潔白であることを証明しました。パウロはこの事を聞いて、ことさら慰められたのです。

・加わる喜び:14-16節
パウロはテトスのことをとても喜びました。テトスがコリントに訪れたとき、人々はテトスを暖かく迎えました。そして、コリントの人々は自分たちの心の中にあるモヤモヤしたものをテトスに分かち合ったのでしょう。人間的に見るとしたくないと思えることを、神のみことばどおりに彼らが行っているのを見て、テトスの心は慰められ、それを聞いたパウロの心も慰められました。
パウロはコリントの人々が大好きだったので、よくテトスにコリントの人々のことを誇っていたようです。それで、実際テトスがコリントを訪れたとき、パウロの言ったとおりだったので彼のメンツが保たれました。
テトスの報告が15節に書かれています。彼らが神のみことばに従っている証拠です。それらのことを通して、パウロはますますコリントの人々に全幅の信頼を置きました。

【8章】喜んでささげる

・力以上にささげる:1-15節
パウロはコリントの人たちにマケドニヤの教会の様子を伝えます。2節によると、彼らはどのような状況ですか?
彼らはこのような状況のなかでも、ささげることを選び取りました。そのささげ具合はどれ程でしょうか?3節を見ましょう。普通に考えると愚かなことですが、神にささげるなら、神が報いてくださいます。彼らはどうしてささげたのでしょうか?それが4節に書かれてあることです。彼らは交わりの恵みにあずかりたいと熱心に願いました。自分たちは貧しく、苦しいのにもかかわらず、力以上にささげることで彼らを支え、交わりに加わりたいと願いました。そして、彼らは期待以上にささげ、自分自身をささげるほどの信仰を持っていました。
このようにして、パウロはマケドニヤの教会の様子をコリントの人に伝えました。その上で、6節のように勧めています。そして、コリントの教会が御霊の賜物に富んでいたように、恵みのわざにも富むように願っています。
しかし、パウロがマケドニヤの教会をコリントの人々に紹介したのは、コリントの人々もマケドニヤのようになりなさいという命令ではありませんでした。このような形でも愛を現すことができますよというお勧めです。
そこから、パウロは分け与える恵みをイエス様に見ることができると語ります。9節を見てみましょう。主は全てをお持ちです。しかし、それらすべてを放棄してまで手に入れたいものがありました。それは私たちのたましいです。そのために神でおあるお方が貧しくなってくださいました。イエス様はこのように、ささげること、施すことの見本を示してくださいました。
そこで、パウロは思いきってコリントの人々にチャレンジします。それは、彼らがエルサレムで貧しい思いをしている兄弟たちのためにささげようとしたことです。それが一時中断していたようです。パウロはどのように彼らにチャレンジしますか?11節を見ましょう。持っているものの範囲でささげることがチャレンジされています。この事によってどうなることをパウロは望んでいますか?13節を見ましょう。
使徒の働き2:44にあるように、本来の「一切を共有にしていた」という所に立ち戻るような勧めです。

・献金の取り扱い:16-24節
パウロもテトスも、同じほどコリントの人々を思っています。テトスは自ら進んで先にコリントに行くことを決断しました。また、テトスと共にもう一人の称賛されている兄弟を同伴させます。なぜこのような働きをしているのでしょうか?19節後半を見てみましょう。
使徒たちがどんなに誠実な心を持って働いていても、それに対して非難する人は一定数います。そのような人々が何もいえないように、パウロは主の前だけで無く、人の前でも公明正大なことを示すことを考えています。何も反論できなくさせるためです。
そして、もう一人の兄弟を送ることも考えているようです。そして、23節ではテトスのことを宣べ、また二人の兄弟のことを伝えます。彼らはパウロでもなく、一つの教会でもなく、諸教会の使者と書かれています。つまり、コリントで「パウロにつく」「ケパにつく」などと言って分裂を起こしかけていましたが、私たちはおなじキリストの体の一部ですよと言うことを伝えています。

【9章】惜しみなく与える恵み

・好意に満ちた贈り物:1-5節
パウロはコリントの人たちの奉仕の熱心さを誇っていたようです。コリントの人のこの熱意が多くの人を奮起させました。
また、パウロが兄弟を送る目的が書かれています。3節を見ましょう。彼らが言ったことを最後まで成し遂げさせるためです。約束を守る誠実さを見ることができます。
その様な理由で、ささげ物を「パウロに言われたから」とかではなく、もう一度最初の思いに立ち返って、好意に満ちた贈り物として準備しておいて欲しいと願っています。

・豊かに刈り取る:6-15節
ここに種まきと刈り取りの法則があります。沢山の収穫が欲しいと思って、一粒だけ種を蒔く人がいるでしょうか?沢山の種を蒔かなければ、沢山の収穫は得られません。これは霊的にも、実際的にも適応できる法則です。では、多くとはどれ程の漁なのでしょうか?7節を見てみましょう。いやいやながらでもなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりするのが正しい量です。神はどのような人を愛してくださるのでしょうか?
神様は私たちにすべてを備えてくださるお方です。8節を見ましょう。「常に」と書かれています。すべてに満ち足り、すべての良いわざにあふれるものとするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることができるのが私たちの神です。なんと感謝な事なのでしょうか?
主はこのために蒔く種すら備えてくださるお方です。そして、それを増やしてくださいます。そうして、何の実を増し加えてくださるでしょうか?10節最後を見てみましょう。
もし、私たちが蒔く種がないと思っているのであれば、それは神から与えられたものを必要以上に自分のものとして握りしめているのかも知れません。
パウロは11節で、あらゆる点で豊かになると言っています。それは惜しみなく与えるためです。そして、神への感謝を生み出すためです。この働きを通して、キリストのからだとしてユダヤ人とギリシャ人がひとつとなることができます。これは「絶大な恵み」なのです。これらの締めくくりとして、パウロは15節のように語っています。このことばにできないほどの神からの賜物を私たちは感謝しているでしょうか?祈りの中で神様の恵みを思い返してみましょう。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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