聖書通読クラブ Day 294

聖書通読クラブ Day 294【マルコの福音書 7章-9章】

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シャローム!

預言者イザヤをはじめ、多くの預言者はイスラエルの人々が見てはいるが見ず、聞いてはいるが悟らないということを預言します。
そこで、私はよくこの事を思い巡らします。私が見ている世界は本当に現存する世界なのか?と。たとえば、私が見ている「赤」という色は他の人が見ると私の思っている「青」かもしれません。同じ物体を見ていますが、人によってはその物体の色を見ているかも知れませんし、形を見ているかも知れません。側面しか見ていないかも知れませんし、天面の文字だけ見ているかも知れません。そう考えるなら、現実の世界の物体も私たちははっきりと見ていないことになります。まして、神の国はどうでしょうか?私たちは聖霊様によって霊の目を開いていただき、書かれているみことばをはっきりと見る目を求めていきたいです。
今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:マルコの福音書 7章-9章

■アウトライン

●パン:7章
  ・人の教え、神の教え:1-23節
  ・ギリシャ人の女性:24-30節
  ・エパタ:31-37節

●目が開かれる:8章
  ・四千人の給食:1-10節
  ・なぜしるしを求めるのか:11-13節
  ・まだ悟らないのですか:14-21節
  ・はっきり見える:22-26節
  ・わたしを誰だといいますか:27-30節
  ・下がれサタン:31-38節

●小さい者:9章
  ・変貌山:1-8節
  ・エリヤはもう来た:9-13節
  ・信じるものにはどんなことでもできる:14-29節
  ・十字架が理解できない:30-32節
  ・誰が一番えらいか:33-37節
  ・塩けを保つ:38-50節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】パン

・人の教え、神の教え:1-23節
イエス様の回りにいる人はどのような人でしょうか?彼らはイエス様に何を質問していますか?具体的な事が書かれていますが、これは誰が守れと言っていたことでしょうか?5節を見てみましょう。
彼らが一生懸命守っていたのは神の律法ではなく、昔の人たちの言い伝えでした。
それで、イエス様はイザヤの預言が成就したと言っています。その内容はどのようなものでしょうか?イエス様は8節で彼らのことをどのように言っていますか?
9節からは同じテーマーで別のトピックを語っていますが、それはどのようなものでしょうか?13節が彼らに対するイエス様の評価です。
律法学者、パリサイ人は汚れに関して神経質でした、しかし、イエス様はここから本当の汚れは何かを語られます。14節からを見てみましょう。イエス様は何が人を汚すと言われていますか?私たちが主に取り扱っていただきたいのは、このような汚れです。それは具体的には21,22にあります。人ではなく、自分の内側をみことばを通して点検してみましょう。

・ギリシャ人の女性:24-30節
イエス様はツロに行かれます。そこでイエス様は誰にも知られたくないと思っていました。そこにある女性がやってきます。小さい娘のいるギリシヤ人です。彼女の願いは何でしょうか?彼女は一度だけ願ったのでしょうか?それに対するイエス様のおことばはどのようなものでしょうか?どうしてイエス様は突然このような冷たい態度を取られたのでしょうか?イエス様はユダヤ人に遣わされていました。まだ異邦人の時は来ていませんでした。普通の人ならここで引き下がるのでしょうが、この女性はどうしましたか?
イエス様は彼女の信仰に答えられました。イエス様は女性の子どもに何をされましたか?実際に手を置いたり、何かしていますか?ただおことばを発せられただけです。これがイエス様の権威です。

・エパタ:31-37節
イエス様はガリラヤ湖に来られます。そこで人々は誰を連れてきますか?イエス様はその人をどのように癒やされたのでしょうか?天を仰ぎ見、深く嘆息されています。父への祈りをささげていたのでしょう。

【8章】目が開かれる

・四千人の給食:1-10節
イエス様の回りにはいつも大勢の人がいました。彼らは何日間イエス様と一緒にいましたか?そして、どのような状態だったでしょうか?
そこで、イエス様はまたも弟子たちにパンの数を聞きます。そして、イエス様は人々にどのように言われましたか?そしてパンをどうして誰に渡したでしょうか?また、魚もどのようにしたでしょうか。その人々の数は何人だったでしょうか?

・なぜしるしを求めるのか:11-13節
パリサイ人が来ます。彼らの目的はなにでしたか?イエス様は心の中で深くため息をつかれ、あることを言われました。それは何ですか?今の時代は何を求めると言われていますか?しかし、イエス様はどのように言われていますか?

・まだ悟らないのですか:14-21節
弟子たちはパンを持ってくるのを忘れました。弟子たちの頭はこの事でいっぱいです。ここで、イエス様は何を言われましたか?それに対して、弟子たちは何の議論がはじまりましたか?イエス様はそのことに気づかれ、どのようなことばをかけられているでしょうか?イエス様は彼らの心が固く閉じている(鈍くなっている)と言われました。あまりにもこの世の中、また人と自分を比較する考え方は私たちの心をこのようにします。

・はっきり見える:22-26節
弟子たちの霊的な目は閉じていました。ここで、ベツサイダに着いたイエス様の所に誰が連れてこられますか?そこでイエス様は23節で何をされますか?その人はどうこたえていますか?そして、25節でイエス様はどうされてますか?すると、彼はどうなったでしょうか。
ここは、二段階の法則が適応されています。盲人は生まれて一度も肉眼でこの世界を見たことがなかったのでしょう。そこで、いきなり全てがクリアに見えると、あまりの情報量に脳がパニックを起こすので、このように二段階のいやしが起こったのかも知れません。
弟子たちも、イエス様と共にいたときには一度目のいやしのようでした。神の国がぼんやりと見えていたに過ぎません。しかし、イエス様の十字架を経て、御霊が注がれたとき、彼らは目が開かれ、はっきりと見えるようになりました。

・わたしを誰だといいますか:27-30節
イエス様は人々が自分をどのように呼んでおられるかを弟子に問います。その答えは何でしたか?ペテロはどのように言いましたか?マタイの16章に書かれている部分です。

・下がれサタン:31-38節
ここからイエス様はご自分の十字架を示されていきます。ここではたとえで話すことはなく、はっきりと話されています。それを聞いたペテロはどうしていますか?
すると、イエス様は誰を見ながら誰に向かって話されていますか?これは不思議な光景です。ペテロはイエス様の御手をつかんで脇へお連れして、イエス様を非難しました。そこでイエス様は本来ならペテロに向かってこのことばを言うべきですが、振り返って弟子たちに向かってこの事を言われています。「神のことを思わないで、人のことを思っている」とは、「神の御旨を推し進めるのに熱心なのではなく、人間をよろこばせることに熱心だ」と言われています。私たちも礼拝で人を喜ばすことを考えていないでしょうか?私たちが喜ばせるのは主ただお一人です。
それで、イエス様について行くにはどうしなければならないと言われていますか?これは非常に重要な事です。三つのステップになっていますが、わかるでしょうか?もし、私たちがいのちを得ようとするとどうなりますか?イエス様と福音のためにいのちを失うとどうなりますか?人は自分のいのちを買い戻すことはできません。ですから、イエス様を恥じる者は、イエス様もその者を恥じます。

【9章】小さい者

・変貌山:1-8節
イエス様は三人の弟子を連れて山に登られます。その弟子の名前は誰ですか?そして、山に登るとイエス様はどのようになりましたか?また、そこに来た人物は誰と誰でしょうか?ペテロはこれを見て口走ります。それはどのような事ですか?なぜそう言ったのでしょうか?
すると、雲が起こってどういう声を聞きましたか?弟子たちが見回すとどうなっていたでしょうか?
イエスの血潮を宣言する祈りの著者、アテフ・メシュレキー博士は、この箇所から「もし、アダムが堕落していなければ、このような姿になっていた」と言われていました。

・エリヤはもう来た:9-13節
イエス様は弟子たちにこの事をイエス様の復活までは口外しないように禁じられました。そこで、弟子たちが論じ合ったことは何でしょうか?
そこで、突然エリヤの話になっています。それは、エリヤが来て、それからメシヤが来るというのが律法学者たちの言っていることだからです。13節で、このエリヤはすでに来たと言われています。ここでは書かれていませんが、このエリヤとは誰でしょうか?

・信じるものにはどんなことでもできる:14-29節
イエス様と弟子たちが山から下りると、残された弟子と律法学者たちが論じ合っていました。その内容はどのようなものですか?弟子たちの対応に、イエス様は何と言われていますか?イエス様はこの事に対処されます。父親に状況を聞きますが、父親の告白はどのようなものですか?それに対して、イエス様はどのように答え、父はどう反応していますか?そして、この子どもはどうなりましたか?
28節で弟子たちはイエス様に自分たちができなかった理由を問います。その答えはどのようなものだったでしょうか?ここには「祈り」しか書かれていませんが、別の福音書には「祈りと断食」と書かれています。これが力強い祈りの秘訣です。

・十字架が理解できない:30-32節
イエス様は弟子たちに何度も十字架を語られます。しかし、弟子たちはそのことに対してどのような理解でしたか?どうしてだと思いますか?それは、まだ知恵と啓示の御霊が注がれていなかったので、イエス様の言われていることを本当の意味で理解できていなかったからです。

・誰が一番えらいか:33-37節
イエス様は弟子に質問していますが、その内容は何ですか?彼らはどのように反応していますか?それはどうしてですか?
そこで、イエス様が教えてくださったことは何でしょうか?イエス様ご自身がこの事を生き方をもって示してくださいました。

・塩けを保つ:38-50節
ここで、一つの問題が起こっています。38節を見てみましょう。それに対して、イエス様はどのように答えられていますか?
そして、先ほど子どものたとえも出されましたが、ここでは弟子たちに対しての態度によって報いが変わることが書かれています。具体的にはどのようなものでしょうか?
また、43節からはマタイの福音書で見た、山上の垂訓の一部が書かれています。これは一体どういう意味でしょうか?祈って考えてみましょう。
また、イエス様は塩けを失うなと言われています。49節、50節に塩に関して書かれています。何によって塩けがつけられますか?塩はどのような効果がありますか?私たちは塩気を保つことと、もうひとつ大切なことが書かれています。それは何ですか?

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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