聖書通読クラブ Day 184

聖書通読クラブ Day 184【篇136篇〜140篇】

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シャローム!

みなさんにふるさとはあるでしょうか。私は四国がふるさとです。秋の涼しい夕方など、虫の音と窓から入ってくる涼しい風を感じると、ふとふるさとを思い出すことがあります。
もし、生まれてから今までずっと同じ所にいてふるさとが無いと思われている方もいるかもしれません。しかし、私たちすべてのものにふるさとがあります。それが天の御国です。
今日の通読はシオンに対する憧れ、また人が造られた事などが書かれています。私たちは自分を知りたければ、自分の内側を探る以上に、私たちを創造された方を知る必要があります。この方の御思いを知るなら、私たちは自分の事をもっと深く知ることができます。

今日もみことばに語っていただきましょう。

今日の通読箇所:篇136篇〜140篇

■アウトライン

●主の恵みはとこしえまで:136篇
  ・主に感謝せよ:1-9節
  ・強い者を倒される:10-22節
  ・御心にとめられる:23-26節

●シオンにあこがれて:137篇
  ・シオンを思い出して泣いた:1-5節
  ・もし思い出さないなら:6節
  ・その基まで破壊せよ:7-9節

●とこしえまで変わらない恵み:138篇
  ・たましいに力を与えて強くする:1-3節
  ・私にかかわるすべてのこと:4-8節

●生まれる前から愛される:139篇
  ・ことごとく知っておられます:1-6節
  ・あなたの御霊から離れてどこにいけましょう:7-12節
  ・私がひそかに造られた:13-16節
  ・なおもあなたと共にいる:17-18節
  ・私の敵:19-22節
  ・とこしえの道に導いてください:23-24節

●暴虐な者への対処:140篇
  ・よこしまな人暴虐の者:1-3節
  ・悪者のたくらみ:4-5節
  ・遂げさせないでください:6-13節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【136篇】主の恵みはとこしえまで

・主に感謝せよ:1-9節
この詩篇は繰り返して「その恵みはとこしえまで」と言うのが繰り返されています。一節によると、祭司と民が交互に朗読していたというのを聞いたことがあります。祭司が前半を読み、民はそれに答えるように「その恵みはとこしえまで」と言います。コンサートのコールアンドレスポンスのようなものでしょうか。
この部分は主の偉大さを誉め称えています。ぜひ、声に出して朗読してみましょう。

・強い者を倒される:10-22節
この部分は出エジプトの時のことを歌っています。主の真実な愛を歌っています。主は力を持ってエジプトから連れ出してくださいました。同じ神が私たちの神です。このお方の恵みはとこしえまで続きます。

・御心にとめられる:23-26節
荒野を通して民は約束の地、相続地に導かれています。私たちもこの世の中の次に待っているのは永遠の相続地、天の御国であり主ご自身です。このお方の恵みはとこしえまで続きます。

【137篇】シオンにあこがれて

・シオンを思い出して泣いた:1-5節
この詩篇はバビロン捕囚の時に歌われた詩篇です。神の都から引き離された悲しみが書かれています。ホームシックのようです。
私は18歳の時、大学受験に失敗しました。高校で寝ても覚めてもバンド活動ばかりをしていて、勉強をしていなかったのです。その様な私を母がアメリカへ送り出してくれました。親元を離れて暮らしたことのない愛媛の田舎者が、とつぜん、日本人のほとんどいないアメリカのペンシルバニア州にホームステイしました。最初は見るものすべてが刺激的でしたが、当時、インターネットもまだ十分にない時代でしたので、日本とあまり連絡が取れませんでした。その様な中、ある夜、どうしようもなくさみしくなって、部屋でひとりで泣いていました。すると、突然毛布に包まれたような暖かい感覚が体を覆い、その後口が勝手に何か聞いたこともないようなことばを話し始めました。そして、悲しみの涙は喜びへと帰られました。
私は一晩寝ることもできず、ひたすらその時間を楽しんでいました。アメリカに行く直前にイエス様を信じた私は、近くにいた日本人クリスチャンの先輩にこの事を話したら、「しゅん!それ、聖霊様のバプテスマだよ!」と教えてくれました。故郷を離れてさみしかったのですが、そのことを通して大きな恵みを受けました。
みことばに戻りましょう。故郷を離れた神の民は、異国の地で「お前の国の歌を歌え」と言われています。しかし、彼らはエンターテインメントや人に聞かせるために歌を歌うのではありません。彼らが歌うのは主への賛美です。ですから、「異国の地にあって主の歌を歌えようか。」と言っています。

・もし思い出さないなら:6節
エルサレムを思う度に、彼の心は益々エルサレムを恋い慕います。もし、エスサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、舌が上あごにつくようにと言っています。
私たちにとっては、天の御国を忘れてしまうようなものでしょう。天の御国を忘れてしまったなら、この世で生きる価値を見失ってしまいようになるでしょう。

・その基まで破壊せよ:7-9節
とつぜんにこの著者は攻撃的なことばをつかっています。バビロンの影響なのでしょうか。エドムはそもそも、ユダの支配下にありました。しかし、反抗しはじめました。その時、力を持っていたのはバビロンです。ですから周りの諸国は連合してバビロンに対抗しようとします。エドムとユダは連合しました。しかし、実際にバビロンがエルサレムを包囲し、幌暴走としたとき、連合していたエドムは裏切り「破壊せよ、破壊せよ、その基までも。」と言って裏切りました。ヤコブによって長子の権利を奪われたエサウ(エドム)のうさを晴らした瞬間です。
また、バビロンの娘とありますが、これはバビロンの滅ぼす者という意味です。バビロンの人々は強引な方法で彼らに接しました。
そのような者に仕返しする人は何と幸いな事よと書かれています。これは、神の義が果たされることに対する喜びです。
私たちを不法へと連れて行こうとする力が働きます。その力に打ち勝つことができるのは、死からよみがえられた力をお持ちのイエス様の血潮によります。このお方の恵みに拠り頼みましょう。

【138篇】とこしえまで変わらない恵み

・たましいに力を与えて強くする:1-3節
ここからしばらくはダビデの詩篇が続きます。この詩篇は、おそらくダビデがイスラエルの王となったとき、ペリシテ人やまわりの諸国がダビデに戦いを挑んだときのことでしょう。
この詩篇の冒頭で、ふしぎなことばが出てきます。「天使たちの前であなたをほめ歌います」とあります。これは天使と言うより、「神々」と言う意味が強いです。どうして神々の前で主を賛美するのでしょうか。これは、周りの諸国が礼拝している神々の事です。当時、この地域ではその国で例えば山の神であったり、女の神であったり、農業の神であったり、様々な神を国の代表としていました。すなわち、この時の戦いは神々の戦いでした。ダビデはその諸国の中で、主を大胆に賛美すると宣言しています。
ダビデは主に感謝し、ほめたたえ、ひれ伏しています。ダビデの礼拝です。わたしたちもこのような礼拝をしてみましょう。
主はご自分の御名のゆえに、みことばを高く上げられます。そして、たましいに力を与え、強くしてくださいます。

・私にかかわるすべてのこと:4-8節
ダビデは諸国の王が主の口のみことばを聞いたので、主に感謝すると言っています。主はすべての神々に勝るお方です。そのお方の栄光は偉大です。そのような神が低い者を顧みてくださいます。たとえ一国の王であっても、主の前にへりくだり、民のためを思って働くその姿勢を主は喜んでくださいます。
主の前にへりくだり、主を恐れる者には、主は苦しみの中でも生かしてくださり、私にかかわるすべてのことを成し遂げてくださいます。
このお方の恵みはとこしえにあることを感謝します。

【134篇】祝福のループ

・ことごとく知っておられます:1-6節
主はいつも私たちを探っておられます。主ご自身が創造された最高傑作の作品が私たちです。みなさんも経験ないでしょうか。自分が一生懸命造った作品は何度も見てしまいます。それ以上に、主はご自身の御手で創造された私たちにとても関心があります。ちゃんと戒めに従っていきているだろうか。罪を犯していないだろうか。もしかしたら、そのような心で私たちを探ってくださっているのかもしれません。
主は私たちが話そうとしたことばが舌に上る前に、その事をことごとくご存じだと書かれています。人は意識しても無意識でも、先に考えがあってそれがことばになります。そのスピードは計測することのできないほどの早さかも知れませんが、ことばが先に来ることはあまりありません。主はその考えもすべてご存じのお方です。
主は前から後ろから私を取り囲んでくださいます。御手を私たちに置いてくださいます。重要人物につねにガードマンがついているようなものです。主は全能の力をもって、いつもそのように私たちを守っていてくださいます。
そのような主の偉大さを考えるとき、私たちの心はふしぎでみたされます。私は子どもの頃、宇宙はどこまであるかを調べていました。あまりにも果てしない距離と天体の大きさに、最後には疲れ果てふしぎな気持ちになったことを思い出します。今でも、主の偉大さを考えるとき同じような感覚になります。この小さな頭では主を理解することは難しいのでしょう。しかし、やがて主の御前に立つなら、すべてが理解できることを信じます。

・あなたの御霊から離れてどこにいけましょう:7-12節
私の大好きなみことばのひとつです。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへ逃れましょう。」本当にそうです。このお方から一瞬でも離れて暮らすことは考えられません。
ここから、ダビデは主はどこにでもおられると言うことを語ります。まるで、地上において、どこに逃げても隠れても、空気が私たちの周りにあるように、それ以上に主はどこにでもいてくださるということです。
そして、主にとっては、闇も暗くないと書かれています。赤外線スコープを使うと、暗やみでもある程度情景を見ることができます。夜行性の生き物は真っ暗闇でも獲物を見つけることができます。まして、神さまにとっては暗やみは暗やみではありません。主はすべての主です。神さまにとって、夜も昼のように明るいのです。これが私たちの主です。

・私がひそかに造られた:13-16節
ダビデは啓示によって、人が造られる様子を歌っています。主が私の内臓を造ったと書かれています。この内臓とは「腎臓」とも訳されます。腎臓とは聖書では心を意味します。主は私たちの心も体も創造されたお方です。
そして、母の体内で私を組み立てたと書かれています。私たちは自然に母の胎で育ったと考えるかも知れませんが、それは実に主ご自身が私たちを組み立ててくださっているのです。人と人が愛し合い、そこから新しい生命が誕生するというのは本当にふしぎなことです。神さまがデザインされた仕組みです。私たちは主によって造られたものであることを感謝しましょう。
しかし、それは地の深いところで仕組まれたとあります。これは私たちが生まれながらにして持っている罪のことです。ダビデは詩篇51:5-6に「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください」と言っています。
主は私たちを創造され、そのことを主の書物に書き記してくださっています。私たちを慈しむように記してくださる書物です。

・なおもあなたと共にいる:17-18節
ダビデは主の御思いを知るのはなんとむずかしいことかと言っています。あのダビデが難しいのであれば、私たちはどれだけでしょうか。神さまは私たちが創造できないほど、数えることのできないほどの御思いを私たち一人ひとりに対して向けてくださっています。私たちが目覚めるときも、主は私たちと共にいてくださいます。

・私の敵:19-22節
ダビデは神さまから圧倒的な神の知恵と力が与えられました。しかし、それがないかのように、敵に攻められることがありました。ダビデは「神よ。どうか悪者を殺してください」と非常にダイレクトなことばで祈っています。そして、神さまの憎むものを自分も憎むと言っています。敵はみだりに御名を口にするとあります。神を軽々しく扱う事を言っています。驚くことに、クリスチャンであっても神さまを軽く見て、面白おかしく描いて、神さまの神聖を損なわせているものを見るときがあります。心が苦しくなります。
私たちは生ぬるさに勝利しなければなりません。イエス様はラオデキヤの教会に生ぬるい者は吐き出してしまうと言われています。
自分の中に住む悪者を殺しましょう。十字架に打ち付けてしまいましょう。

・とこしえの道に導いてください:23-24節
この最後の結びの部分は非常に印象的です。ダビデは「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」
私はドラムの奉仕をさせてもらっています。その演奏を聴くのはときに辛いことがあります。うまくできなかったことがありのまま記録されているからです。しかし、私は毎週自分の演奏から耳をそらすことなく聞くようにしています。それが上達の秘訣だと思います。
ありのままの自分の姿を見るのは、時に恐いことがあります。はじめて自分の声を録音して聞いたとき、「誰?これ?」といって恥ずかしくなったことはないでしょうか。まわりはみんな知っています。知らないのは自分だけです。
私たちの罪の性質も同じようなものかもしれません。ですから、聖霊様に教えていただく必要があります。主に頭の先から足の先まで、心の隅々までスキャニングしていただきます。そして、主に従わない部分を主に知っていただき、主に教えていただくのです。
主は私たちに同情できない方ではありません。私たちをくまなく調べるのは、私たちを罪に定めるためではありません。それはサタンのすることです。では、なぜ主は私たちを探られるのでしょうか。それは、罪の性質を私たちに悟らせてくださり、それを手放して私たちが神の子として歩むためです。永遠のいのちを与えてくださるためです。

【140篇】暴虐な者への対処

・よこしまな人暴虐の者:1-3節
この詩篇はおそらくダビデがサウルから逃げているときの詩篇だと思われます。そして、暴虐な者の特徴が書かれています。それは心の中で悪を企み、日ごとに戦いを仕掛けてくるというものです。暴虐な者は寝ても覚めても特定の人をどのようにして苦しめるかを考えています。よっぽどその人の事が隙なのでしょうか?と聞きたくなるほどです。そのことばはきついもので、くちびるの舌にはまむしの毒があると書かれているとおり、ことばによって人をおとしめていきます。

・悪者のたくらみ:4-5節
悪者は正しい者をおとしめようといつも狙っています。わなを張り、落とし穴を作り、そこに落ち込むのを今か今かと待ちわびています。そのような者から守ってくださるのは主のみことばです。

・遂げさせないでください:6-13節
ダビデは主に願います。すると、ダビデが武器を取る日に主が頭を覆ってくださっています。救いのかぶとです。私たちは思いによって行動します。この思いが麻痺したり、神さまからそれているときに、私たちは暴虐な者となってしまいます。私たちの心と思いがイエス様によっていつも守られますように。
そして、私たちをいつもその様に責め、苦しめて来る人がいたら、その人のために祈りましょう。祝福しましょう。そうするなら、その人に燃える炭火を積むことになります。これはすなわち、主にさばきをお委ねするということです。
私たちは人をも、自分をもさばくことはできません。ただ、主のさばきにお委ねするのみです。
主は悩む者の訴えを支持してくださいます。貧しい者のためにさばいてくださいます。主の御名に感謝し、主の御前に住み続けましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 敵から救ってくださる主に感謝します。
    私の心と思いがイェス様によっていつも守られますように。

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