聖書通読クラブ Day 185

聖書通読クラブ Day 185【詩篇141篇〜145篇】

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シャローム!

みなさんは祈りたいですか?もちろん答えは「はい」だと思います。では、祈っていますか?答えは「…」かもしれません。
私たちは「祈らない」のでしょうか?それとも、「祈れない」のでしょうか。答えは「祈れない」のです。私たちを祈らせないようにする霊性が働くのです。なぜなら、私たちが祈るならこの地が変わるからです。サタンが働く場所がどんどん狭くなってしまうからです。
私たちは祈るために祈りの霊を求める必要があります。祈りのための祈りが必要です。そのためには、本当にへりくだりが必要です。「主よ、私は祈ることもできません。どうか祈ることができるように助けてください。どうか今、祈りの霊を私に与えてください。」と祈るなら、主は私たちを深い祈りへと導いてくださるでしょう。
今日の箇所は多くの祈りに関しての事ができてきます。みことばと祈りはセットです。今日のみことばから祈りに関しての沢山の啓示が与えられますように。

今日の通読箇所:詩篇141篇〜145篇

■アウトライン

●祈り:141篇
  ・祈りの香:1-4節
  ・悪行を重ねても祈る:5-10節

●洞窟からの祈り:142篇
  ・私の霊が衰え果てたとき:1-4節
  ・迫害する者から救い出してください:5-7節

●具体的な祈り:143篇
  ・義と認められない:1-4節
  ・昔の日々を思い出す:5-6節
  ・朝に主の恵みを聞く:7-9節
  ・みこころを行うことを教えてください:10-12節

●戦いのための祈り:144篇
  ・人とは何者なのでしょう:1-4節
  ・解放と救い:5-11節
  ・良く育った若木:12-14節
  ・幸いなことよ:15節

●御国の祈り:145篇
  ・御名を代々限りなくほめたたえる:1-7節
  ・王国の栄光:8-13節
  ・かがんでいる者を起こされる:14-21節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【141篇】祈り

・祈りの香:1-4節
ダビデの詩篇が続きます。ここでは祈りが中心として書かれています。まず、祈りは香であるということがわかります。祭司は幕屋の中で香をたきます。幕屋の中は香で満たされ、神の契約の箱のある至聖所には香といけにえの血を持って入ります。そこで主は語ってくださいます。
黙示録5:8には「彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。」とあります。私たちの祈りは香の煙のように、主の御前に立ち上ります。
またもう一つ、口に見張りを置き、くちびるが守られるように祈っています。心が悪いことに向かないように祈っています。彼らのうまい物を食べないようにと祈っています。これは実際の食べ物を言っているのではありません。霊的な事です。箴言18:8には何と書かれているでしょうか。「陰口をたたく物のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。」と書かれています。ダビデはこのような状況に飲み込まれないように、必死に祈っています。
そのためには心が悪に向かないようにしなければなりません。そして、口を主に守っていただきます。心に満ちていることを口が話すからです。

・悪行を重ねても祈る:5-10節
ダビデは絶えず責められており、そこから逃れたいと願っていました。しかし、この箇所では責められることを願っています。それは正しい物が愛情を持って責めることです。これは愛の叱責です。私たちはなんでも「はい」というイエスマンだけが周りにいては成長しません。耳に痛いこともはっきりと愛をもって叱責してくれる人がいることは宝です。ダビデにとってはナタンがそうでしょうか。箴言1:23には「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。」とあります。
叱責は好ましい事ではありませんが、信頼できる人からの愛のある叱責はいつでも素直に受け取りたいです。
そして、ダビデは「彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。」と言っています。自分の守りのため、そして敵のためにも祈っていたのではないでしょうか。私たちも祈りによって聖さを守って行くことができますように。

【142篇】洞窟からの祈り

・私の霊が衰え果てたとき:1-4節
ダビデが洞窟にいたときの詩篇です。祈りです。
ダビデは声に出して主を求めています。感情を抑えることをしませんでした。主の前では子どものように、自分の気持ちを注ぎだしています。これは神への信頼を意味しています。何を言っても受け入れてくれるからこそ、ダビデはこのようなことができました。
自分の霊が衰え果てても、主に信頼し続けています。人はピンチになると何かをしなければならないと焦ります。しかし、それは敵の罠の可能性があります。ピンチの時こそ、まず主に伺うことが大切です。動くのか、そのまま留まっているのか。しゃべるべきか黙るべきか。最高の道をご存じなのは主だけです。

・迫害する者から救い出してください:5-7節
ダビデはの敵は自分よりも強い敵でした。彼らの迫害から救われるとき、ダビデは二つの事を願いました。一つは感謝すること、もう一つは正しい者たちが周りに集まることです。教会は建物ではありません。教会は召された者たちの集まりです。主が良くして下るからこそ、このような事ができます。

【143篇】具体的な祈り

・義と認められない:1-4節
ダビデはいつも祈りと賛美を忘れません。ダビデはさばきを恐れています。そして、主の前には誰ひとり義と認められないと言っています。この詩篇はダビデがアブシャロムから逃げた時の詩篇だと言われています。サウルに追われているときはダビデは純粋でした。しかし、この時はバテシェバの罪を犯した後です。主のさばきは自分にも下るのだと言うことを痛いほどわかっていたのでしょう。
私たちも神の慈愛が注がれる時、ダビデのように自分の深い罪を悟り、悔い改めの心が起こされます。自分の罪の深さを知り、そこから救い出してくださったイエス様の恵みを知るなら、感謝せずにはおられなくなります。

・昔の日々を思い出す:5-6節
ダビデは窮地の中で静まって考えています。主がしてくださったすべてのことに思いを巡らしています。ピンチになればなるほど、ダビデの心はかわききった地のように主ご自身を慕い求めています。

・朝に主の恵みを聞く:7-9節
ダビデは主のして下さったことを思い出し、たましいに元気が戻ってきています。そこで、様々な祈りを捧げます。まずは主の御顔を隠さないという祈りです。主の御顔は臨在を意味します。次には朝に主の恵みを聞くことを願っています。主の恵みはいつでも語られます。しかし、ここでわかるのは恵みは特に朝に語られると言うことです。この貴重な時間を逃さないようにしましょう。朝、主との親密な交わりをしてみましょう。
続いては行くべき道を知らせて下さいと祈っています。そして敵から救われるように祈っています。

・みこころを行うことを教えてください:10-12節
御心を行うことができるようにと祈ります。私たちは主の御心を知りたがります。しかし、知ればそれを行う必要があります。多くの人は主の御心を知りますが、それを行いません。どうしてそう言い切ることができるのでしょうか。主のみこころはすべて聖書に書かれているからです。
それから、主のいつくしみ深い霊が平らな地に導くように祈ります。そして御名のゆえに生かされること、主の義によってたましいが苦しみから連れ出されること、恵みによって敵が滅ぼされることを祈ります。
祈りには大きく二種類の祈りがあります。自分の願いを祈るのか、神の願いを祈るのかです。神さまを知らない人は前者の祈りしか知りません。「合格しますように」「交通安全」「無病息災」「安産祈願」などです。その中心は自分です。しかし、ダビデは神さまを中心に祈っています。私たちもこのような祈りをしましょう。ここに書かれている祈りはダビデが主に祈り、受け入れられた祈りです。この祈りの型から学びましょう。そして、実際に祈ってみましょう。

【144篇】戦いのための祈り

・人とは何者なのでしょう:1-4節
この詩篇にダビデの信仰を見ることができます。人は無力であり、神は偉大であると言うことです。この事を知っていると言うことは実はものすごいことです。多くの人は神さまを知りません。ですから、自分が一番だと思っています。それで、失敗したとき、失望したときに逃げ場がなくなってしまいます。
ダビデは自分が完璧でないと知っていたのでどこまでも主に信頼しました。人の一生は息のようです。しかし、主は永遠の主です。このお方が私たちに目を留めてくださると言うことは驚くべき恵みです。

・解放と救い:5-11節
ダビデは主に力強いご介入を求めて祈っています。かつて主がシナイ山に降りてこられ、全山を煙で包み、雷を響かせたような力強いご介入です。その力を持って外国人をかき乱してくださいと願っています。ダビデは戦いの中でも賛美を忘れませんでした。賛美をささげ、戦うのではなく、同時進行です。私たちもこのような礼拝が大切です。職場が礼拝所になります。仕事をしながら祈るのです。空き時間、考えているとき、あらゆる機会を用いて主に語りかけ、主の素晴らしさに思いを向け、主と会話する。職場でもそのように主を礼拝できます。そうすなら、主は天から知恵と力を与えてくださるでしょう。これが正に神と共に戦うということです。

・良く育った若木:12-14節
ダビデは公平な王でした。あるときは戦いに行けなかった兵士が留守番し、戦った戦士が沢山の分捕り品を持って帰ってきました。ダビデは戦った者も待っていた者も等しくわけるように言いました。恵みを分かち合う心がありました。
この箇所では、ダビデは恵みを「私たち」といって、みなに分かち合っています。王が祝福され、その祝福を民に流し出していっています。 

・幸いなことよ:15節
このような王を持った民は本当に幸いです。残念ながら、私たちの住む日本の王、上に立つ者の多くはイエス様を知らない者です。だからといってあきらめることなく、上に立つ者の祝福のため、また救いの為に、とりなし祈っていきましょう。

【145篇】御国の祈り

・御名を代々限りなくほめたたえる:1-7節
ここでは御国が啓示されています。ダビデの詩篇シリーズの最後です。ダビデは王です。しかし、その王のダビデが主を「王よ」と呼んでいます。主こそ王の中の王です。このお方は日ごとに、そして永遠にまで誉め称えられるべきお方です。
そして、主が自然の中で示しておられる偉大な御業、それだけでなく、人々の中で、また信じる者の中でどのように優れたことをなさるかを代々に渡って人々が告げ知らせます。

・王国の栄光:8-13節
8節のみことばは、主がシナイ山でモーセにご自身の名をあきらかにされたときに語られたものです。これは今の私たちにも有効です。主は正にこのようなお方です。
私たちは神の国を知っています。私の好きな賛美のタイトルに「Touching Heaven Changing Earth」と言う者があります。天に触れ、地を変えるという意味です。これが私たちの役割です。祈りの力です。「自分が祈っても何にもならない」と考えるかも知れませんが、それはサタンの嘘を信じ込まされている証拠です。祈りは力です。主のみこころにかなった祈りは聞かれます。みこころはどのようにして知ることができるのだったでしょうか?みことばです。ですから、みことばを読んで祈るのです。
主の王国は永遠にわたる王国です。このお方の統治は永遠に続きます。

・かがんでいる者を起こされる:14-21節
主は倒れる者をみなささえてくださいます。かがんでいる者をみな起こしてくださいます。そのことを見て、周りの人は驚くでしょう。そこに神さまの偉大な力が働くのを誰もが見るからです。
そして、主は時にかなって食物を与えてくださいます。すべて生ける者の願いを満たしてくださいます。神の国とその義とを第一とする者に主はこれらのものに加えてすべてを与えてくださいます。
まことに、主を呼び求める者に主は近くあられるお方です。主を恐れる者の願をかなえてくださいます。叫びを聞いて救ってくださいます。主を愛する者は主ご自身が守ってくださいます。この恵みを知って、神の国の拡大を共に求めていきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 祈ることが辛い時もあります。主のみこころを行うことができるように祈ります。私の神、王よ。主をあがめます。

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